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第5話 サーラの中に入った感想
鉱山から森の奥へと逃げ込んだティベリスだが、彼には途中からの記憶がない。疲労の限界を迎えた事で、倒れこむように眠ってしまったのだ。夜通しでビュウビュウと吹き荒れた風も、野生のリスがせわしなく木々を駆け抜けた愛らしさも知らずに、ひたすら眠りこけた。
やがて東の太陽が朝を告げる。ティベリスの顔に木漏れ日がさしこむと、それが目覚めの合図となった。
「うん……、まぶし……」
「お目覚めですか、ティベリス様」
「サーラか。おはよ……うッ!?」
霞んでにじむティベリスの視界が、焦点を取り戻すうち、じわじわと状況を理解した。
豊かすぎる胸が膨大な質量感をともなって、視界を大きくふさぐ。その隙間のむこうに、サーラの穏やかな笑みが見えた。さらに後頭部には、あたたかでムニンとやわらかな感触もある。
これは膝枕だ。気づいた瞬間には身体が動いており、真横にころがって草むらの上におちた。
「珍しい目覚め方ですね。新手の健康法でしょうか?」
「いやいや違うって。その……、僕はいつのまにか寝てたんだね」
「はい。操り人形の糸をナデ斬りにしたかのように、その場でグシャリ。あまりにもキレイに倒れこんだので、いささか心配でした」
「そんな勢いで寝たのか。驚かせてごめんよ」
「地べたに寝かせるのも良くないと思い、それで膝枕を」
「もしかして一晩中? 大変だったでしょ、起こしてくれて良かったのに」
「深く寝いっておいででした。時々ほっぺをムニッとしたり、唇をプルプルさせてみたのですが、全く効果は無く」
「もう何というか、本当にごめん」
ティベリスは謝りつつも、サーラの体の特徴に意識が向いた。明るい場所に来てはじめて気づく。彼女の手足や毛髪といった、身体の至る所が、かすかに透けているのだ。
地面についた膝など分かりやすい。よく目をこらせば、膝の皮膚を通して、草の青さがうっすらと見えた。
「もしかして、サーラって透けてるの?」
「はい。精霊ですから。ニンゲンとは作りが違います」
「透けてるのに触われるんだね。膝枕してくれたんだし」
「実体化をすれば、生身の人間と同じ様になります。魔力を多く消費するので、常に、という訳にはいきませんが」
「そういうものなんだね」
サーラが伸ばしてきた手に触れてみる。見た目は人間そのもので、肌の感触があり、体温も感じられた。そして実体化を解除すると、何も存在しないかのように手がスゥッとぬけてしまう。
「不思議だ……。これが精霊という生き物なのか」
「ところでティベリス様。これからどうなさいますか? このまま森に潜むのは不便すぎるかと」
「確かにそうだよね。どこか安全な場所へ行きたいけど、ここがどこかも分からないしなぁ」
「少々お待ちください。見てきます」
そう言い残したサーラは、身体をフワリと浮遊させた。ゆるやかに空へむかい、木々の間をすりぬけて、ついには姿が見えなくなる。
それから、戻るときも仕草は優雅で、綿毛が舞いおりるかのようだった。
「見えました。東に徒歩3日程度の位置に王都、南の盆地に先日の鉱山。北に1日ほどの距離に町があります」
「ありがとう、大まかな位置がわかったよ」
「それで、どうしましょう。お望みでしたら、この森に巨大な要塞をきずきあげ、悪しき追跡者どもをことごとく迎え撃ちましょうか」
「やめてよ、そんな物騒なこと。僕は故郷に帰りたいよ。何だか大変な事になってきたし、みんなと相談したいんだ」
「故郷はどちらでしょうか?」
「すごく遠い。ノーザンホルンの山奥なんだけど……」
「なるほど、長旅になりますね。しかし、ティベリス様が決められたこと。鞘の私にいやはございません」
「僕に付き合ってくれる? ありがとう、心強いよ」
「必ずお役に立ってみせます。ご期待ください」
頼もしい言葉を受けて、ティベリスは歩き出す。人目を避けて、道なき道を行く。枯れ葉をクシャッと踏みしめ、雑草を両手で払いのけながら、着実に前進していった。
「ティベリス様。もうじき森を抜けます。そのさきは街道が続いています」
「まって、地鳴りがしてる。ちょっと様子をみよう」
木々に身を隠しながら、街道のほうをうかがった。多くの旅人がノンビリと行きかうなか、馬蹄(ばてい)の響きだけが不穏だった。
「例の脱走者はみつけたか?」
「いや、まだだ。森のなかを逃げ回っているかもしれん。探索範囲をひろげるか?」
「このまま街道の警戒を続けよう。いずれ、こらえきれずに森から出てくるに違いない。そこで一気に追い詰めてやろう」
「わかった。うちの隊は引き続き要所をおさえる。そっちは巡回を続けてくれ」
やがて騎馬隊は二手にわかれた。10騎ずつが別の進路をとり、草原を駆けていった。
「騎兵の見回りか……。あれに見つかったらお終いだよ。このへんの街道は見通しがよくて、隠れる場所もないから」
「ならば邪魔者はすべて討ち果たしましょう。聖剣を敬わぬどころか、敵対するなど許されません。ササッと血祭りにするべきです」
「そんなことしないよ!? キミは妙に血の気が多いな」
「ですが、このままでは身動きが取れません。故郷へ戻ることも敵わぬかと」
「わかってるよ。だから、夜中にこっそり移動するとか――」
その時、彼らは叫び声を聞いた。絹をさくような、恐怖に染まりきった声だ。
「悲鳴だ、すぐに助けに行こう!」
「おまちください。まだ方針を決めていません。いまの我々に人助けする余裕などないと思いますが」
「言ってる場合じゃないでしょ」
ティベリスは身をひるがえして、声のする方へ駆け出した。その背後にはサーラがぴたりと、浮遊しながら着いてくる。
「声は森の奥から聞こえたよ。街道からずいぶん外れているけど」
「どうやら抜け道があるようです。大回りせずに済むので、移動を短縮できます」
ティベリスは急いだ。枝や雑草が肌をうつのも構わず、自分の足をせかし続けた。
すると森の中にさびれた道を見つけた。背の高い雑草が生いしげるなか、微かにわだちの跡が刻まれている。
道の先に1台の馬車が停車していた。何名かが下車しており、そのうち1人は地面に突っ伏していた。
「あぁ、お父さん! しっかり!」
血溜まりに倒れる男、その身体に抱きつく若い娘。手当てしようにも、彼らを取り巻く男たちが許さない。片刃の大刀や、長柄の槍で武装する男たちは、下品な笑い声を響かせた。
「残念だったな。オレたちに見つかったのが運の尽きだ」
武装した2人組は盗賊だった。戦うすべのない少女に対し、冷たい刃を見せつけている。
「あぁ、お願いします。どうか見逃してください」
「どうすっかな。このまま親子そろって殺した方が、騎士団にチクられる心配も無いんだよなぁ」
「荷物なら全て差し上げます。だから命だけは!」
ティベリスは、やや離れた茂みから様子をうかがった。敵は2人、襲われた側も2人。他には誰もいないようだ。
「誰かが斬られてる。早く助けてあげよう」
「おまちください。魔族の気配が濃厚です。間もなく感化が始まるかと」
「だとしたら、なおさら急がなきゃ」
「いえ、ここは一旦隠れましょう。感化した瞬間に不意をうつのです」
「そんな事してる余裕ある? 見たところ、男の人は重症だよ」
「ご心配なく。感化は間もなく」
2人が会話を重ねる間も、暴漢たちは父娘に詰め寄った。白刃を舌でなめまわしては、くぐもった声で笑った。
「グヘヘヘ。こちとらよ、長いこと盗人(ぬすっと)やってんだ。だがその暮らしは楽じゃねぇよ。特に食い物だ。まともに食えねぇ日だって珍しくはねぇ」
「食べ物なら5日分はあります。これでどうか……」
「どんだけメシを奪ってもキリがねぇんだよ。もうパン尽(つ)く。ダサい干し肉ばっかの毎日で……」
すると、辺りの気配が変わった。肌をうつほどの殺気があふれだす。
「パン、パン、パンつく、パンつくつくつくダサい、ダサいさい」
「えっ、何なのこれは……!」
「ダサぁぁぁいいーーッ!」
男が態度を急変させた。そして閃光とともに姿形までも豹変させた。身体には木の皮がウロコ状に張り付き、足の代わりに無数のツタが生えている。体型からして女型の魔人だと見なせた。
「ティベリス様。あれはドリアードと呼ばれる二階級魔族(グラード・ドゥーエ)です。まだ我々に気づいていません」
「よし、先手必勝。後ろから攻めよう」
ティベリスの存在を知らない魔人は、獲物だけを見ていた。少女に向かって触手を伸ばした。しかし辛うじて攻撃は外れ、もう1人の盗賊に命中した。
「うわ……なんで、たすけて」
片割れの盗賊は触手に腹を貫かれると、全身を灰色に染められ、硬直した。被害者の末路は、鉱山の時とまったく同じだった。
その光景を横目に、ティベリスは跳んだ。たかだかと剣を掲げ、渾身の力でふりおろす。
「いくぞ、聖剣エビルスレイヤーの力を受けてみろ!」
肩口から一閃。それだけで十分だった。
ドリアードは致命傷を受けたことで、全身を覆う木の皮を弾けさせた。あわやオールヌードを晒す憂き目にあったのだが、弾けた木片が漂うことで視界を塞いだ。
最期は全身をまばゆく輝かせながら、雑草の中に倒れ込んだ。
「大丈夫かい? もう安心だよ」
「あ……ありがとうございます。見ず知らずの方なのに」
「困った時はお互い様だよ。立てる?」
「あの、私よりも父の方を。傷薬はお持ちでしょうか?」
「あいにく僕は手ぶらで……。どこかに薬草でも生えてないかな」
「あぁ、身体がこんなに冷たく……。お父さん、しっかりして!」
少女が父の胸に顔をおしあて、泣き叫んだ。そこへサーラが、いつもの微笑み顔で言う。
「ティベリス様、名案があります。ここで親子に恩を売りましょう。そうすればアナタを敬い、犬馬の労すらいとわないでしょう」
「言葉のチョイス。それにね、今の僕たちに助ける手段なんてない――」
「手段ならあります。魔力消費の許可をいただけますか」
「えっ、できるの?」
「許可を」
「うん、もちろんいいよ。助けられるなら何だった良い!」
「承知しました。そこのニンゲンさん、治してあげますので、感謝はティベリス様に。誠意ある感謝を頼みますよ」
「サーラ、恩着せがましいよ」
「では参ります」
サーラは両手を胸元に当てて、意識を集中させた。すると、辺りに温かな風が吹き付けた。うららかな春の日に、草花の甘い香りをかいだような、さわやかさが感じられる。
「女神の奇跡をここに。ヒール・ウィンド」
恵みの風はさらに強まり、辺りを駆け抜けていく。それはあらゆる傷のいやす魔法だった。ティベリスの頬にできた浅傷も、少女のひざの切り傷も、そして父親の致命傷の刺し傷でさえ、またたくまに塞がっていった。
「うっ……。いったい何が」
「お父さん、気がついたのね? この人たちが助けてくれたの。悪いやつも倒したし、傷も魔法で治してくれたの!」
「それはそれは、感謝の言葉もみつかりません……」
父親がティベリスを見て、隣のサーラに顔を向けたところで凝視した。
サーラの姿は今、刺激的なものとなっている。裾はやたら短く、フトモモのふくらみがむき出しだ。大人に無理やり子ども服を着せたような背徳感と、悩ましいまでの内モモ曲線が、強烈な破壊力を生み出してしまう。
「あっ、うぁ……。むちむちセンシティブ……グフッ」
「お父さんしっかりして!?」
「安心なさいニンゲンさん。今のは気を失っただけです」
涼しげに言うサーラに、ティベリスがそっと耳打ちした。
「ねぇ、どうして裾が短くなったの?」
「私は聖剣の魔力を糧に存在しています。それはローブも含まれます」
「魔力を使ったから、裾の分がなくなっちゃったの?」
「はい、そういう仕様――」
「仕様なんだよね。わかったよ」
「魔法の詠唱は、おしなべて魔力を多く失います。魔族を討てば回復しますが、連続使用にはリスクがともないます。具体的には、まず服が消失して――」
「うん。魔法は最終手段だって覚えておく」
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