2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
自分が10代から20代の頃は、登場人物が悲惨な目にあったり、残虐なシーンがあったとしてもそんなに抵抗なく見ることができていた。
でも自分に子供ができて、その子が主人公らの年齢に近づいてくるにつれて悲惨なアニメを見ることができなくなっていった。
理由としては、子供を主人公に投影してしまって、見るのがつらくなるからに他ならないのだけれど、裏を返すとそれは、若い頃は自分のことをあんまり大事に思えてなかったのかなあと言うことだ。
実際、今も、自分と同年代の主人公が悲惨な目にあったり苦労したりする話は抵抗なく見ることができる。
これって何も私に限った話ではなくて、人って案外、自分のことが好きじゃなくて、自分なんかどうなってもいいやと心のどこかで思っている部分があって、だから自己投影している主人公たちがどんな目に会おうと、そんなに気にならないのではないか。
自分なんてどうでもいい、どうにでもなれ、どうにでもなってしまえ。
そんなふうに思っている一方で、物語がラストに向かうに従って、主人公は他の誰かによって救われたり、報われたりすると、自分も救われたような気持ちになったり、カタルシスの涙を流したりする。
自分が嫌いと言いながら、やっぱり自分がかわいいのだ。本心では、救われたいと願っているのだ。そして多分、自分の子供が中年に差し掛かってくると、中年が酷い目に遭う物語も見るのがつらくなってくる。
そんな気がする。
最初のコメントを投稿しよう!