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学校から帰ると、さっそくお母さんに頼んで、アンコパイをポリ袋に入れてもらった。「五個くらい持っていけば」なんていうので、ていねいに断った。それこそ、そんなに食べきれないよ。
筆記用具と委員会のプリント、アンコパイ、それから万が一のためにゲーム機を持って、ぼくは家を出た。
冬威くんがいっていたとおりに、バラ畑のあるお家の隣の家に向かう。
なんていっているあいまに、冬威くんの家についた。家を出て、一分も経ってないんじゃないかな。こんなに近くにクラスメイトが住んでいたなんて。
そこは数年前に、新築が一気に何軒も建てられたところで、冬威くんの家もそのうちの一軒だった。表札には習字の時間に書くようなりっぱな文字で「新川」と書かれている。まだまだ新品みたいなぴかぴかのおうちで、駐車場には、車は一台も停まっていない代わりに、子ども用の自転車が停まっている。冬威くんのかな。
ピンポンを押す前に、ガチャリとドアが開いた。ぼくは思わず「はやっ」と口に出してしまう。
「そろそろかな、と思ったら、本当にちょうどだった」
冬威くんが、照れくさそうに苦笑いを浮かべている。アンコパイを渡すと、「ありがとう」と喜んでくれた。
冬威くんの家のリビングは、ぼくの家のものとはまったく雰囲気が違った。小学生のぼくでもわかるような高そうな家具。芸術作品みたいなテーブルにイス。本棚に並ぶのは、難しそうな雑誌に、分厚い本。よくわからない骨董品らしきものがならぶ棚もある。それにオシャレな名前も知らない大きな植物。
「す、すごい」
「親の趣味。気にしないで」
冬威くんは何でもないことのようにいうと、ダイニングテーブルにガラスのコップを置いた。しかもコースターを敷いて。ぼくの家では、コースターなんて敷かない。異文化だ。コップに、とぽぽぽ、と薄い色のお茶を注いでくれる。
ぼくの視線が気になったのか、冬威くんが「ああ」とコースターに指先を置いた。
「親が家具を傷つけるなって、うるさくて」
「なるほど。わっ、このお茶、ふしぎな味がする……」
「ジャスミン茶。これも、親の趣味。無理そうなら、別のものにするよ。といってもあるのは、アイスコーヒーと……あー、真澄のアイスチャイがある」
ますみ、って誰だろうと思いながら、ぼくは両手をぶんぶんとふった。
「い、いや、出されたものは飲むよ。飲み慣れてないだけ」
冬威くんのご両親は、色んなものにこだわりのある人たちらしい。ジャスミン茶なんて初めて飲んだ。おとなになった気分。
コップをコースターの上にていねいに置くと、ぼくはさっそく委員会のプリントを出した。
「よし、それじゃあさっそく、やっていこう」
「ん」
冬威くんも、ジャスミン茶を一口飲んだ。ぼくとは違う飲み慣れた雰囲気に、同い年の男子なのになあ、とふしぎな気持ちになった。
三十分ほど話して、けっきょくぼくたちの意見は「手を洗おうのポスターを描く」ということで落ち着いた。
いろいろ挑戦しようとは思っても、結人くんたちが嫌がるだろうと思ったのだ。それよりもまずはポスターをみんなで作って、親睦を深めようというのが、ぼくの意見だった。図書委員のときも、図書館チャレンジのときに一気に委員会のきずなが深まったように感じた。
だから少なくとも、やらないよりはやるほうがいい、と思うのだ。
書きおわったプリントをふたりで見直す。うん、大丈夫そうだ。
「それじゃあ、明日これを先生に提出するね」
「ん」
「なんだか思ったよりも早く終わっちゃったな。ねえ、ぼくゲーム持ってきたんだ。いっしょにやらない?」
持ち運びできる、流行りの家庭用ゲーム機。最近、人気タイトルの新作が出たんだ。今、クラスの話題はそれで持ち切りなんだよね。
「……ソフト、なに持ってきた?」
冬威くんの目が、きらっと光る。おお、まさか?
「えーと、バロモンとデビクラフトと、シュラトゥーン」
「みっつとも持ってる。筒井くんのすきなのやろう」
「じゃあ、バロモン!」
合言葉のようにいうと、冬威くんは近くの引き出しから、バロモンの新作パッケージを取りだした。冬威くんも買ってたんだ!
ぼくたちは、さっそくゲーム機の電源を入れた。いつも遊んでいるソフトのアイコンたちがずらりと並ぶ。
「冬威くんのフレンドコード教えてよ。登録するからさ」
「うん」
フレンドコードを登録するとオンラインで一緒に遊べるようになるんだ。ゲーム機のプロフィール画面に移動して、フレンドリストを開く。すると、いつもオンラインで遊んでいるクラスメイトの名前がずらりと表示された。
一番上が今、オンラインになっているユーザーだ。「卍トキ卍」は、時也だ。「rico」は莉子。ユーザーネームをひんぱんに変えるやつもいるので、誰が誰なのかわからないのもいる。そういうときは、アイコンのキャラや消去法で推理したりする。
「あっ、これ尽だ。また、名前変えてる。いっつももやしの悪口なんだよね。〝もやしあほ〟とか〝もやしきえろ〟とかさ。めっちゃ、もやしきらいだよねえ」
「もやし……? 見せて」
画面をのぞきこんでくる冬威くんに、ぼくはゲーム機をかたむけた。ヘンな名前だから、珍しいのかな。
「尽って、鈴原くんのことだよね」
「うん。鈴原尽だよ」
「北小路くんは、こういう名前のとき、ないの?」
「蓮くんも、あるよ。〝もやしきもい〟とか〝もやしばか〟とか。仲いーよね、このふたり。きらいな野菜までいっしょとかさ」
「このもやしって、おれのことだよ」
「……え?」
ただの世間話のように、ゲームのアイテムボックスを教えてくれるかのように、冬威くんはふたりのユーザーネームを指さした。
ぼくは委員会の集まりのときに結人くんがいっていたことを、ようやく思い出した。この画面をこれ以上冬威くんに見せたくなくて、腕でおおいつくした。
「ご、ごめん……」
「いや、なんで筒井くんが謝るの」
「こんなの、見ちゃだめだ」
「大丈夫だよ。いつもうわばき隠されたり、筆箱にゴミ入れられたり、宿題にらくがきされたりしてる。今さら、ゲームの名前なんてなんでもない……って、これフォローになってないな。うーん……」
ぼくは信じられない気持ちで、冬威くんを見あげた。喉の奥がざわざわとして、落ちつかない。何かいいたいのに、いい言葉が見つからない。
「尽と蓮くんは……なんで、こんなことしてるんだ……?」
「おれの態度が気に入らないんじゃない」
「冬威くんの態度のどこがいやなのか、わからないよ」
「人間だもん。あうあわないが、あるんだよ」
なんで、そんなおとなみたいにいえるんだよ。あきらめきったように、冬威くんはゲーム機を机の上に置いた。深い、ため息をつきながら。
冬威くんとぼくのあいだに、気まずい沈黙が流れた。
「やっぱり、おれといっしょにいるの、よくないね」
「え」
「筒井くんも、あのふたりに目をつけられる。おれとなかよくしていると、クラスのみんながきみから離れていく」
「そんなことないよ」
「きみはまじめだね。まじめな人間は、きれいごとばかりいう。それが世界中の正しいみたいに」
ぎゅう、と心臓がしぼられたみたいに、苦しくなる。ずっと、まじめはいいことだと思っていたのに、冬威くんにとってはそうじゃないんだ。
「ごめんね。傷つけた」
「ぼくも……ごめん」
何も知らなかった。気づいてあげられなかった。恥ずかしくて、気まずくて、申し訳なくて。顔がじんじんと熱い。
「でもさ。いっしょにいるのがよくないだなんて、心配しすぎだよ。せっかくこうしていっしょに遊んでるわけだし……」
「ひどいやつだから、いじめをするんじゃない」
冬威くんの瞳に、ぼくが映っている。まぬけな顔をして、冬威くんを見あげている、ぼくが。
ぼくと冬威くんがまったく違う人間なんだと、見せつけられているみたいだ。
「優しいから、しないんじゃない」
冬威くんは、ぼくじゃないどこかを見つめながら、困ったように眉を下げた。
「心の居場所がなくなるんだ」
テーブルの上にゲーム機を置いて、冬威くんはぼくの肩に、ぽんと手を置いた。
「そんなに悲しそうにしないでいいよ。おれ、慣れてるんだ」
「なにそれ。慣れてるって?」
返事はない。冬威くんにぎゅ、と強く腕をつかまれた。
「帰りな」
「やだ」
だだをこねるようにいってしまって、ちょっと恥ずかしくなる。
「子どもみたいにいわないでよ。笑えてくる」
ぐいぐいと腕を引っぱられながら、玄関まで連れて行かれる。強制的に靴をはかされると、荷物をぽい、と投げつけられた。
「走って帰ってね。見つからないように」
「そんなスパイみたいなことをしなくちゃいけないの?」
「心配してあげてるのに」
「よけいなお世話」
何でこんな、けんかみたいになっちゃってるんだろう。冬威くんのことを心配していたのはぼくなのに、どうしてぼくが冬威くんに心配されてるんだろう。おかしい。おかしいことだらけだ。
冬威くんの突き放した態度にうんざりしながら、ぼくはガチャリとドアを開けた。まだ外は明るい。当然だ。初夏の十七時なんだもの。まだまだ遊べる時間帯。せっかく、冬威くんとバロモンのモンスターを交換したり、モンスターバトルをしようと思っていたのに。
お腹のなかが、ぐつぐつと煮えたぎっている。ぼくは、これまでのどれに怒ってるんだろう。
ドアの離れた位置から、ひらひらと手を振る、冬威くん。ぼくは、静かにドアを閉めた。
ぼくに気をつかって、あんな態度をとってくれているのはわかっている。それでも、怒る権利くらいはあるはずだ。
冬威くんのばーか。
「フレンドコードだけでも、交換したかったな」
五月後半になれば、さらにじりじりと暑くなってきて、そこいらじゅうに雑草がぶわりと生えはじめてきた。
車のエンジン音と、うるさい鳥の声に混じって、太陽のひざしまでうるさく感じるようになってくると、水筒のなかに氷を入れてくるやつまで出てきた。まだ八月にもなってないのに。
委員会のプリントを先生に提出した。結局、手を洗おうのポスターは、ほとんどぼくと冬威くんで仕あげた。
冬威くんは、あれ以来、本当にぼくと距離を置きだした。ポスターのことをいったら、何もいわずに手伝ってくれたけれど、会話は事務的なことばかり。最後のほうはまたいらいらしてきちゃって、お礼もいわずに別れてしまった。
せっかく家が近い友達ができたと思ったのに。
冬威くんのいいたいことはわかるけど、あそこまで突き放した態度じゃなくてもいいんじゃないの。
「……いじめのこと、誰かに相談とかしてないのかな」
もんもんと考え事をしながら休み時間の廊下を歩いていたら、図書室に来てしまっていた。しまった、ついうっかり去年のクセで。
しかし、休み時間だというのに誰も来ていなかった。今日は天気がいいから、みんな校庭に行ってしまったらしい。こういう日はひまだから、ぼくはよく読書をしていたんだけど、カウンターを見ると誰もいなかった。
今日は水曜日だから、蓮くんの担当のはずなんだけど、忘れてるのかな。五年生の子もいないなんて、変だ。
ふと、カウンター裏の書庫のほうから、声が聞こえてきた。水野さんがいるのかな。ぼくはつい、耳をすませてしまう。
「ホント、つまんねー。もやしのやつ」
この声、尽だ。
「ぜんぜん、気にしてませんって顔、腹立つわー」
「あいつ、体育委員だよな。相方が砂生ってのが、また笑える」
「あー。まじめくんの砂生と、きしょきしょもやしな。お似合いー。結婚したらいいんじゃん?」
これ以上、聞きたくない。なのに、からだが動かない。耳が勝手に、話の続きを聞いてしまう。
「うはは、ウケる。やっぱ、遺伝子ってやつ?」
「ないわー。こっち来んなってかんじ。きもすぎい」
どうしてこんな場所で、陰口をいえるんだろう。ここは、図書委員の仕事の部屋で、近くにはぼくたちの教室があって、いつ誰が本を借りに来るのかわからないところで。
尽は、今日も通学団で自分勝手なことをしていた。ぼくのランドセルをサンドバッグのように叩いて、「こいつ大人しいからやってみ」と結人くんにいっていた。結人くんは「えー」といいながらも、ぼすぼすとぼくのランドセルを叩いてきた。他の子に暴言をいったり、列から離れてみんなを困らせたりした。
前は先生にも、暴言をいって、校長室に連れていかれたりもしていた。
尽はこういうやつなんだって、みんな知っている。
でも、蓮くんまでいっしょになって、冬威くんにひどいことをしていたなんて。
蓮くんは、女子に人気のスッとしたイケメンだ。運動神経もよくて、スタイルがよくて、話すことがおとなで、服装もかっこいい。
なのになぜか、保育園のころから尽と仲がいい。やんちゃな尽と、かっこいい蓮くん。ふしぎな組み合わせに、いつもみんな、「あのふたり、でこぼこコンビだよねえ」と笑っていた。
「もやしが砂生とお友達になったらさあ、お祝いしてあげないとじゃね」
「あーね。また宿題におれのサイン書いてあげようかな」
「お前のサインぶすすぎだからさ。おれが書くわ」
「はー? 許せんのですけどー」
ぼくはもう聞きたくない、といよいよカウンターからからだを離した。
ふたりがくすくすと笑っている。ぼくは、音を立てないようにゆっくりと、その場を離れた。
手が汗でびっしょりだ。きたないものを洗い流すように、手洗い場でびしゃびしゃを音を立てながら、手をこする。
「めっちゃ洗うじゃん。カエルでもさわったんか」
時也がのん気にいうので、「かもね」と答えた。
あまりにもひどい気分だったけど、冗談はいえるんだと苦笑する。
教室を見ると、冬威くんが自分の席で本を読んでいた。家の本棚にあった、分厚い本だ。学校の図書室にはないような本。
図書室チャレンジの準備でめいっぱい使わせてもらった、図書室の書庫。今では、あんなことをいう場になってるんだな。
なんだか泣きたくなってきて、何度も何度も手を擦り、水をじゃあじゃあと流した。
家に帰ると、ぐったりとソファに沈みこんだ。このまま、ずむずむと沈んで行って、ソファになっちゃいたい気分だ。ソファになれたら、一日中寝ていたいな。なんて意味不明なことを考えるくらいには、疲れていた。
「……砂生、おかえり。なにか、食べる?」
お母さんがキッチンからひょっこりと顔を出す。そうか、お母さんいたんだ。ただいま、って、ぼくいったっけ。いってないかもしれない。
「ただいま。えっと、なにかって?」
「もうすぐ七夕でしょ。ゼリー、買ってきたんだ」
「ゼリーと七夕って、関係あるの?」
「ほら、給食でよく出るでしょ。七夕ゼリー」
たしかに、七夕の日には、毎年給食で「七夕ゼリー」が出る。青色のゼリーのなかに、白い寒天のお星さまが二個入った、きれいなゼリーだ。
お母さんが買って来てくれたのは、コンビニスイーツの季節限定のものだった。給食のものよりも大きいし、きらきらした青いゼリーに、星に見立てた大きなみかん味の寒天。生クリームもいちごもキウイものっている。
「おいしそう」
「でしょ。食べよ、食べよ。お父さんには、ないしょね」
そういって、ぼくよりも嬉しそうにカップを開けはじめるお母さん。ぼくも、スイーツにかぶさっていたフタをかぱっと開ける。ゼリーが外の光を反射して、きらきらしている。宝石みたいだ。
ぱく、と口に入れると、すっきりとした甘さが、すうっとからだにしみこむみたい。
「疲れたときには、甘いものだよね」
お母さんがそういうと、どきっと心臓が飛びあがった。ぼく、そんなに疲れた顔をしてたのかな。
「……学校、大変?」
「まあ」
「何かできること、ある?」
「……うーん」
「お母さんもね、砂生の年ぐらいのときには、いろいろあったんだ。だから、力になれることがあるなら、いって」
お母さんに相談しても、しょうがない、ってわけじゃないけど、これはぼくの問題だから、迷惑をかけたくない。
あと、恥ずかしい。お母さんの気持ちは嬉しいけど、やっぱりいえない。
「大丈夫」
「そっかあ……わかった」
お母さんは、それ以上学校のことを聞いてこなかった。「七夕、なにをお願いする?」だとか「毎年、算数の成績のことばっかりじゃなくて、他のことをお願いしたら」だとか。しまいには、どこからか引っぱり出してきたおりがみを短冊型にハサミで切って、ぼくに渡してきた。
「もう六年生なのに、短冊なんて」
「何歳になってもさ、願い事はあるものじゃん」
「じゃあ、お母さんはなんて書くの?」
正方形が三等分された短冊。その一枚を手に、お母さんは「うーん」とうなった。
「もちろん、砂生の願いが叶いますようにー」
「なにその、恥ずかしい願いごと。また、ぼくが帰ってくる前、ドラマ見てたの」
「本気なのに!」
「はいはい」
ぼくは食べつくしたゼリーのカップを洗って捨てると、短冊を持って、ダイニングテーブルに座った。サインペンをにぎり、短冊を見つめる。
「なんて書くの?」
「算数の成績のこと」
「またー?」
笑っているお母さんを無視して、ぼくは短冊を書いていく。
願いごとなんて、書いてもしょうがないんだよ。だって毎年、短冊に書いているけれど、算数の成績はあがらない。
願い事は、自分でなんとかするしかないんだ。
体育委員の仕事は日替わりだ。ぼくの当番の日は、水曜日。
六時間目の終わり、体育倉庫のカギを閉めていると、校舎裏の花壇の前でうろうろと変な動きをしている人影を見かけた。
五年生の結人くんだ。同じ通学団。あと、同じ体育委員の五年生で、凜くんの友達。結人くんは、ぼくに気づくと何だかあせったように、きょろきょろとあたりを見渡していた。
「な、なんでここに」
「いや今日、委員の当番だから」
「あ……」
口の中で言葉をもごもごとあふれさせているみたいだ。朝、尽の隣にいたときとは、ずいぶんとようすが違うな。
「どうしたの、何か探し物?」
たずねると、結人くんはこまったように、うつむいてしまった。
後ろ手に、何か持っている。何だろうと、のぞきこむと、それはシャベルだった。
教頭先生がお世話している花壇。たまに、地面に置き忘れたままの水色のシャベル。
花壇に、何か埋まっている。
土にまみれて、見慣れた白色の生地が見える。
あれは、体操服だ。
「何か、埋めてる?」
「……いや」
挙動不審な結人くんに、ぼくは目を二三度、まばたかせた。ようすがヘンだ。
結人くんは、浅くくぼんだ穴に、急いで土をかけ、立ちあがった。
「それじゃ」
ぼくの質問に答えることなく立ち去ろうとする、結人くん。
シャベルは、土に放置された。
「待って」
叫ぶと、結人くんは凍りついたように立ち止まった。
ぼくは土をざくざくと掘り返した。
見えてきた白い布をつかみあげる。
ばさりと、体操服が現れた。
そのシャツについた名札には、「新川冬威」と書いてある。
「……これ、なに?」
「ちが、おれ……」
結人くんの表情が、じわりとくもる。ぼくは喉まで出かけた言葉をいおうかいうまいか、迷った。
きみは冬威くんの体操服を持って、なにをしようとしていたの?
「おい、結人ー」
びくり、と結人くんの肩があがる。校舎のほうから、尽がクラスメイトたちと歩いてくるのが見えた。
結人くんの瞳の色がどんどんと暗いものになっていく。じりじりと足が後退していってる。何かから、逃げるように。
尽は、うむをいわさないようなスピードで結人くんに近づいていく。
「うわっ、砂生もいるー。あっ、もしかして、体育委員の話してんの?」
「ちが」
「へー、がんばってんだ。すっげー」
「いや、ぼく」
「応援するわ。ははっ」
ぷらぷらと手をふって、クラスメイトたちと走っていく尽。その背中にすがるように伸ばされた結人くんの手は、どこにも触れることなく、だらりと落ちた。
ただでさえ不安そうだった結人くんの顔色はさらに悪くなってしまった。まるで、作物が育たない土のような色だ。
「ああ……無視確定だ……」
結人くんは、冬威くんの体操服をぼくに押しつけると、崩れるようにしてその場にうずくまった。
「尽くんに誰にも見られないように、体操服をここに埋めろっていわれたんだ。それが達成できなかったら、明日から無視するからなっていわれて……」
だるそうにしゃがみながら、結人くんは頭をがしがしとかいている。
「そんなふうにいわれて、いうこときくなんて、ヘンだよ」
結人くんは、質問には答えなかった。ちらりとも、ぼくのほうを見ない。
「……砂生くんさあ。新川くんと仲いいの?」
「それが、何?」
「はあ……」
深いため息をつかれてしまった。結人くんが何をいおうとしているのか、ぼくにはまだわからなかった。
「新川くんってさ、父親がふたりいるんだって」
いっている意味がわからなくて、ぼくは結人くんの言葉の続きを待った。何もいわないぼくに、結人くんはばかにしたように「ははっ」とかわいた笑いを吐き出した。
「母親がいないの。両親、ふたりとも男同士ってこと」
「え……」
「ぼくの親も離婚してるけどさ、新川くんの家よりもマシなのかもなあ、なんて思った。ヘンな家だからさ、新川くんもヘンなんだよ。ほら、新川くんって何されたって、動じないでしょ。だからさ、おれが何したって、平気なんだよ。おれは、だめなんだ。無視はこわいよ。だから、しかたなくさ……」
結人くんは、丸くうずくまったまま、ずっと肩を震わせていた。
下校の通学路。家の近くのバラ畑の前で、ぼくは冬威くんに「あのさ」と声をかけた。
「何?」
ふり返った冬威くんに、ぼくは手提げ袋に入れていたものを取りだす。保健室の先生からこっそりもらったポリ袋。それを冬威くんに差し出した。なかには、校舎裏の水道で、きれいに洗った体操服の上下と、体操服入れが入っていた。びしょびしょに濡れたのを固くしぼったので、ねじれている体操服。
申し訳なさそうに差しだす、ぼく。冬威くんは、何を考えているのかわからない顔で、ポリ袋を受け取った。
「……これ、おれの?」
「あ、う、うん」
「そっか。ありがとう」
なんで、お礼をいわれたんだろう。かなしくて、くやしくて、涙が出る。頭をくしゃりとなでられる。
「きれいに洗ってくれたんだね」
結人くんが、いってたんだ。冬威くんは強いから、何をされたって平気なんだって。
強いんじゃない。冬威くんは、そんなんじゃない。
ただ、人の気持ちをわかってくれる、やさしい人なだけだよ。
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