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ぼくの家のお茶ときみの家のお茶
夏休みがはじまった。小学校生活、最後の夏休みだ。
最初の一日目、ぼくは宿題を一ページも手をつけないまま、春待パークにいた。
じりじりと暑い七月後半の気温は、自転車のサドルで目玉焼きでも焼けるじゃないかと思うほどに照りつけてくる。氷をこれでもかと入れた水筒を片手に、公園中央にある東屋に、時也と莉子と座っていた。
夏の春パは、ぼくたち以外、誰もいなかった。セミの声がうるさい。自分たちのナワバリに入っているぼくたちを責めるように、ジュワジュワと鳴いている。
七月上旬ごろまではちらほらといた子どももおとなも、ひとりもいない。
がらんどうな春パにぼくたちだけが、ベンチでとけそうになっていた。
「砂生、あちーよ。サリオいこーぜ。そこで話せばいいじゃん」
「いや。サリオは、誰かいるかもしれないから……」
「いたらだめなのかよ」
「うん……」
ぼくのもじもじした態度に、莉子が眉をぴくりとつりあげた。
「ははーん。今から、誰かに聞かれたらまずい話でもするわけ?」
大好きなうわさ話の気配に、莉子の目がいきようようと輝く。「まあ」と、ぼくは神妙にうなずいた。
「えー。でもさ、あたしはいいけどさ、こいつにも話すの? 聞いたらいいふらすかも」
「んなことしねーよ!」
「どーだか」
時也と莉子のいつもいい争いがはじまるなか、ぼくは額にたまってきた汗をぬぐう。水筒のお茶を一口のむ。東屋が影を作ってくれてはいるものの、やっぱり暑いものは暑い。
「さっさと話すね。でも、今日のこと、誰にもいわないでほしい」
「へーき。おれ、そういうの守るタイプだし」
時也がトン、と自分の胸を叩く。
「ふたりに聞いてみたくて」
「なにを?」
莉子が、首を傾げた。時也も、ちろりと莉子を見あげてから、うなずく。
言いづらい、けれど意を決して、ぼくは一息にそれをたずねた。
「……両親が男同士って、どういうことか、わかる?」
「それって」
時也がハッとして、莉子のほうを向いた。莉子が「あー」と、顔を引きつらせた。
「男同士で恋愛して、付きあって、結婚したってことでしょ」
「だよね……」
「なんでそんなこと聞いてくるの?」
冷静な莉子は、慎重なトーンでぼくにたずねてきた。
「……あの」
冬威くんの親が、といいかけて、止める。これはぼくから、ふたりに話すことではないような気がした。
そもそもぼくだって、こんなことをふたりに聞いて、どうしようとしているのか、わかってない。
ただ、誰かとこのことについて話したかった。
親の性別を、あーだこーだと話すなんて、〝普通〟はしない。お母さんは女性で、お父さんは男性なのが、当たり前だから。
じゃあ、当たり前じゃない冬威くんの親については、あーだこーだいっていいの?
当たり前のことを、ぼくたちが〝普通〟だと決めつけるのはヘンだ。男女の組み合わせの親のほうが多いから、当たり前になってしまっただけ。
でも、今のぼくは〝普通じゃない〟をよく知らない。だから、そわそわして落ち着かない。
「……時也は、どう思う?」
「おれ?」
「うん。ふたりが思うことを聞きたいと思って、呼んだんだ」
ぼくは、冬威くんのことをひとりきりで考えることができなかった。誰かといっしょに、考えたかった。
いろいろな考えを知って、たくさん考えたかった。
時也は腕を組んで、あさっての方向を向いた。考えこむときの、時也のクセだ。
「変だなあ、と思う。自分の親がそうだったら、こまるし……。いやだな、と思うんじゃないかな、おれ」
時也は、きっぱりとそういった。莉子は、「うわあ」と小さく、悲鳴のような声をあげる。
「今どき、そんなこというんだ。性別とか常識にこだわるとか、古くさっ」
「うっさいな。そう思ったんだから、しかたないだろ。だいたいさ、お前は思わないのかよ。親が男同士だったら、周りからどう思われるのかとか。みんなから、いじめられるかもとかさ」
いじめ。心臓が太鼓のように、どくん、と鳴った。
「あたしは、いじめなんてしない」
莉子が、「ふん」と鼻を鳴らした。くるっと時也から離れると、自分のカバンのなかからハンディファンを取りだし、首元にあてはじめた。
「あー、暑い。湿気やばすぎ」
「わっ、ずりい」
「うるさい。ねえ。いい加減、コンビニに涼みに行こうよ」
莉子の手元から聞こえる、ふおーん、というモーター音に乗せながらいうと、時也が嬉しそうに「うんうん」と首を縦に振る。
「話の続きは、アイスを食ってからな」
「だね、行こうか」
ぼくたちは自転車にのり、線路を超えた。
春パは去年、線路沿いに最近作られた、新しい公園だ。
ぼくたちが住む春待町は、川に囲まれた田舎町で、これまでに子どもが遊べるような公園がなかった。ちょっと離れたところに小さな公園がなくはないけれど、遊具の手入れがされていなくて安全に遊べないからという理由で、そこで遊ぶことは禁止されていた。
この町に、大きな新しい公園ができると聞いたのは、おととしの十二月ごろだった。
春待駅の隣の畑をつぶして、公園を作るらしい。なんでここに公園を作るのか、どうして畑をつぶすのか、とかいうむずかしい話は、子どものぼくたちには関係のないことだった。でかい公園ができる、遊ぶ場所が増える。子どものぼくたちには、それだけでじゅうぶんうれしい知らせだった。
できあがった公園はきれいで、ひろくて、最高だった。あっというまに、春小の児童たちのたまり場になった。
毎月第三土曜にフリーマーケットが開かれたり、子どもがいない朝はお年寄りのゲートボールやおしゃべりの場所となった。
もちろん、学校が終わった夕方四時ごろからは、ぼくたち子どもの遊び場所。水鉄砲でびしょびしょになったり、お菓子を持ちよって食べたり、ときには、ゲームやスマホの鑑賞会になったりした。
そんな春パでの楽しい時間も、夏の暑さには耐えられなかった。せっかくの新しい公園だけれど、そこにクーラーはない。日陰といったら東屋と、大きなイチョウ並木のみ。うん、さよなら、春パ。また涼しくなったら遊びに来るよ。
自転車にまたがり、風を感じながらコンビニにむかっていると、時也が叫んだ。
「春パさあ。ドーム状にして、空調完備のハイテク公園にしてくれればよかったのになー」
ぼくと同じことを考えていたらしい、時也。思わず、「うんうん」とうなずくと、莉子が冷静にツッコんだ。
「この町にそんなお金、あるわけないでしょ。何をするにもお金がいるの。おとなの世界って、そーゆーもん」
おとなっぽいことをいう莉子に、時也は黙ってしまった。ぼくは、「おとなかあ」と空を見あげる。
熱い夏の風が、ぼくたちのあいだを吹きぬけていく。
「あのさ、ぼくのお母さんって、買いものがヘタなんだ」
自転車をこぎながら、ぼくはふたりに聞こえるように、声をはりあげた。時也が、おかしそうに笑う。
「なんだよ、突然」
「自分がいいと思ったものは、値札を見ずに買うんだよ。だから、たまに財布のなかのお金が足りなくなって、レジの人を困らせるんだ。買い物かごを店員さんに預かってもらってさ、急いでATMにお金をおろしに行くんだよ。ぼくは〝恥ずかしいなーもー〟なんていうんだけど、昔っからそうだから、もう慣れてる。別に、お金がたくさんあるから値札を見ないとか、そういうんじゃないよ。ただたんに、お母さんがそういう価値観なんだ。自分が気に入ったものなら、他よりもちょっと高くても、それを選ぶってだけ。お金の使い方も、価値観も、人それぞれでしょ。人の価値観は、みんな同じじゃないじゃん」
「そりゃあなあ。でもそれって、いったい何の話?」
時也の首筋を、汗がするりとすべっていくのが見えた。コンビニは、もうすぐだ。
「いじめをする人の価値観って何だろうなあ、って思ってさ」
自分でいっておいて、ずん、と心が重たくなるのを感じた。
「人それぞれ、みんな違ってていいんだ。それが個性ってやつでしょ。でも、個性だから何をしても許されるのかっていったら、それは違う。どんな言葉だったら、それを否定できる力を持つんだろう」
「おれにはお前の話、むずかしすぎる」
時也は腕で汗をぬぐいながら、あきらめたようにいう。莉子が時也の後ろから、声を張った。
「みんながみんな、他人の個性をすべて受け入れるのはむずかしいよね」
時也が、目を丸くした。
「え、おれ、そんな話してないけど?」
真夏のコンビニには、天国という言葉がふさわしい。
ぼくたちは、まっさきにアイスが並べられた冷凍棚へと急いだ。きれいに並べられた色とりどりのアイスたちを前に、目が見開かれる。きらきら光る宝石よりも、このアイスたちのほうが価値があるように思える。確実にそうだ。
「砂生、なんにする? おれ、バニラモナカにしようかな」
「うーん、チョコレートバーかなあ」
「あたし、メロンシャーベット!」
三人それぞれが、好みのアイスを取りだすと、レジの前で自然と背の順に並んだ。莉子、ぼく、時也の順で会計をすませると、レジ横のイートインに座った。公園での暑さを乗りこえたアイスの冷たさは格別だった。特に、コンビニという快適な空間で食べるアイスは。
「ねえ、砂生」
莉子が、メロンシャーベットに木のスプーンを突き刺した。視線は緑色のアイスに向けられたまま、会話を再開する。
「新川、どう?」
「え」
「いじめられてるから。でもあんた、知らなかったんでしょ」
「う、うん……」
「あんたは自分のことばっかりだもんね。それで新川のこと知って、今日ってわけか」
ぼくは、なんのリアクションもできなかった。そのとおりだったから。
「冬威くんの両親のこと、みんな知ってるの?」
校区内のコンビニだからか、時也がひそひそと声をひそめた。
「尽が仲いいやつらにいいふらしてたんだよな。おれと莉子も、その場にいたんだ。だから、何人かは知ってる。ほら、尽のかーちゃん、うわさずきだろ。それで尽も知ったんだろうな」
時也がバニラモナカをさくさくとかじるたびに、モナカの皮がテーブルに降りそそぐ。
「新川って、去年の四月に引っ越してきただろ。尽のかーちゃんが、新川の家族が出かけるところをが見かけて、直接本人たちに聞いたんだってさ。それで尽からおれたちに広まったってかんじだな」
莉子がメロンシャーベットに、しゃりっとスプーンをつき立てた。
「去年の夏ごろ、虹子たちが帰ってるときに、新川がずぶ濡れになって歩いてるとこ見たって。去年の担任だった岡田先生がどうしたって聞いたら、あいつ、プールに落ちたって答えたみたい。その前にも、頭から水かぶってたり、足元が泥だらけになってたりしたことがあったみたいで」
「ちょっと待って」
ぼくはコンビニのイートインで話していることも忘れて、声をあらげた。
「じゃあ、みんな犯人が誰なのかわかってるのに、見て見ぬふりしてるの?」
時也と莉子が、アイスを食べる手を止めた。
「まあ、そうだな」
静かに、時也がいう。まさか、認められるなんて思わなくて、ぼくはめまいがした。暑い公園にいすぎたのか、時也の言葉がショックだったのか、わからないくらいに、頭のなかが真っ白だった。
「な、なんで」
「お前は?」
「え……」
「いじめなんてするなって、尽たちを怒鳴る?」
ぼくは、冬威くんがいっていたことを思い出す。
巻きこみたくないからって、家を追い出されたこと。誰にも見つからないように、スパイみたいに帰れといわれたこと。
冬威くんは、優しい。そして、おとなだ。自分の気持ちよりも、ぼくの気持ちを考えてくれた。
でも、冬威くんの気持ちは誰が守ってくれているんだろう。そう思うと、ざわざわと全身が落ち着かなくなる。
「ぼくは、冬威くんの気持ちを守りたいって思って……」
「お前の思い通りにはいかないんだよ。こういうのってさ。みんな、新川よりも自分のほうが大事なんだ。巻きこまれたくないんだよ。傷つくのは、誰だっていやだろ。……おれも、そうだ」
時也は、正直だ。自分に嘘をつかない。それはすごくまっすぐで、他のどんな感情よりも残酷だと思う。
「時也さあ。全員があんたと同じだっていわないでよ。あたしはどうにかならないかって、他の子たちと話しあってるよ。泉先生は頼りにならないから」
食べおえたメロンシャーベットのゴミを莉子が、ガコンとゴミ箱に捨てた。
「泉先生が?」
「あの先生、だめ。この一年を無事に乗り切ることしか考えてない。今年のはじめに新川のこと、一回相談したことがあってさ。新川、先生とふたりで図書室で面談することになったんだよ。あたし、虹子たちとこっそり聞きに行ってたんだけど……いい方、ひどかった」
……冬威さん、津島さんたちから話を聞きました。
尽さんと蓮さんに、いやがらせをされているといるって。
本当ですか? どんないやがらせを?
ゲームのアカウント名が陰口、ですか。筆箱にいたずら、ね。他には?
特にないようですね。
うーん、そうですかー。
あと、一年で卒業ですよ。一年なんてあっというまですし、先生ともう少しがんばってみませんか?
彼らももうすぐ中学生ですし、いやがらせなんて、やっている暇もなくなります。
すぐに飽きるかもしれませんよ。
「泉先生、そんなこといってたの?」
すごく優しくて、ひとりひとりの意見をじっくり聞いてくれる、いい先生だと思っていた。そんな、いい加減なことをいう人にはとても思えなかった。
「新川も気づいたのかもね、泉先生の態度に。途中から、真剣に解決することをあきらめたっぽかった」
莉子は、やるせなく首を振った。
「砂生、あいつと同じ委員会になったんでしょ。最近、どう?」
「一回、家に遊びに行ったけれど、すぐに帰された」
時也と莉子が、ふたりしてきょとんとした顔をする。
「え、仲いいじゃん。すげえ」
「新川が誰かと遊んでるなんて、聞いたことないよ」
そうはいわれても、とぼくはくちびるを曲げた。
「ぼく、冬威くんに出てけっていわれたんだよ。いじめに巻きこみたくないからって」
「すご。ふつう、そんなこといえないだろ」
時也が、大げさに肩をゆらした。莉子も目を丸くして、驚いていた。
「新川んちって、謎が多いからね。やっぱ、あたしらとは感覚が違うのかも」
「……そうだ!」
ぼくの肩に、時也の日焼けした手が、ぽんと置かれた。
「去年みたいに何か企画してみたらいいんじゃねえの。お前、そういうの得意じゃん」
「……企画って、図書室チャレンジみたいな?」
「そーそー」
時也の提案に、「それいい!」と莉子がはしゃいだ。ぼくは、丸裸になったアイスの棒をまだ味わっていた。
「いじめ撲滅キャンペーン! 砂生がやれば、去年みたいに盛りあがること間違いなしだよ」
「ええ……でも、そういうのって、勝手にやっていいものなの? 委員会とかでやるものなんじゃ……」
「じゃあ体育委員でやれば? ちょうど新川もいるしさ。お前、五年生のやつら何もしない、ってこまってたじゃん。親睦、深まるんじゃね?」
ナイスアイデアとばかりに得意げにいう時也に、莉子が「うわ」と声をあげた。
「当事者の新川に手伝わせるとか、デリカシーないの?」
「だ、だめなのかよ」
ぼくは、考えこんでしまった。
そもそも、図書室チャレンジをがんばっていたのは、ただ単にぼくが図書委員の仕事がすきだったからだ。
今の体育委員の仕事は、正直あまりすきじゃない。尽と西園くんとは、うまくやれていないし、冬威くんとも微妙だ。こんな状態で、体育委員の仕事を増やす勇気は、ぼくにはなかった。
あと、ぼくにデリカシーというものがあるのかも、心配になってきた。
「じゃあさ、莉子がやってよ。こういうのって、女子のほうが得意そうだし。ぼくも手伝うから」
「だーかーら。もともとは、これって新川のご両親の話でしょ。女子とか男子とかっていうくくりが出てくる発想がよくないって話でしょ。これ」
莉子が、目をぐいっとつり上げた。
最近、性別の話は触れてはいけない禁句みたいなあつかいをうけている。それは、お母さんが見ているニュースだとかを見ていれば、なんとなくわかった。話をすること自体が、チクチクした針山に触るような。
莉子も、高学年になってからは特に敏感に「男も女も関係ない」という。差別はよくない。男だから、女だから、とか時代遅れだって。
ぼくだって、そういうのがだめなのはわかっている。
でも、なかなかそういうふうには思えない。
どうしてなんだろう。テレビや動画で、そういう知識を得たから。まわりがそういっていたのを聞いて、自然とそう思うようになったから。
でも、どれが原因なのかはわからない。どれも全部ひっくるめて、原因なのかもしれない。
莉子のように、すぐに「これはこう」とはなれなかった。
そして、それは時也も同じみたいだった。
「めんどくせーなあ。男は男、女は女だろ」
「じゃあ、あんたはピンク色がすきな男の子が、ピンクのランドセルせおってたら、女だなって思うわけ」
「だって、ピンクってかわいいじゃん。だから、女っぽいじゃん」
「男の子の赤ちゃんのこと、かわいいって思わないの?」
「かわいいよ、そりゃ」
「さっきといってること、違うって気づいてる?」
「……そのいい方はズルだろ!」
「ふん。あんたがばかなのがわるいんじゃん」
莉子にいいくるめられた時也は、悔しそうに叫ぶ。
そろそろコンビニ店員さんの視線が痛いので、アイスのゴミを片づけて、店を出ることにした。時也が、ぐっと伸びをする。
「そんじゃ、そろそろ帰るかあ」
「砂生ー。あんたの新企画、楽しみにしてるから」
莉子がニヤッとほほえむ。いや、やるなんていってないんだけど。
「莉子がやればいいんだって」
「あたしたちに話をしてきたのは、砂生でしょ。つまりいいだしっぺ」
びしっと人さし指をぼくに向ける、莉子。いいくるめるのは得意なのに、こういうマナーはないんだから。
人のこと指さしちゃだめって、お母さんにいわれなかったのかな。
「んじゃーな」
「また明日ー」
コンビニの駐車場でふたりと別れ、ぼくは自転車をこぎだす。
いじめ撲滅キャンペーン。莉子はそういっていた。実は、その言葉が出た瞬間から、ぼくの頭のなかでは、企画がどんどんあふれてきていた。図書室チャレンジのときのクセが、まだ生きていたらしい。これって、お父さんがよくいう「職業病」ってやつ? なんだか、かっこよくて、嬉しくなってしまう。
一番はじめに思いついたのは、「いじめ、ダメ」のポスター。これは夏休みの宿題とかでよく見かけるやつだ。ありきたりだし、効果はあまりなさそう。
次に、図書室とコラボしての、いじめをテーマにした本のコーナー作り。
放送委員と組んで、給食の時間にラジオ形式で、いじめについての対談もいいかも。誰と誰がやるのかは、おいおい考えよう。
新聞を発行して、投書をつのるのはどうかな。「いじめ撲滅新聞」だ。コーナーは、いじめ撲滅のスローガンや四コマ漫画を募集したり、いじめについて思うことを原稿用紙に書いてもらう。それを新聞に載せて掲示する。
「……できそうではあるけれど」
問題は、どう実行にうつすかだ。学校も巻きこむわけだから、個人的にやるよりも、委員会の活動としてやったほうが自然だよな。
さらに問題がひとつ。本気でやるとしたら、図書委員の協力は欠かせない。やっぱり、いじめ図書の展示はテッパンだろうし、司書の水野さんの協力があったほうが、先生たちに話を通しやすから、企画も動かしやすい。
でも、今年の図書委員は尽と蓮くんだ。
「……やっぱり、難しいよな」
落ちこんだとたん、浮かんでいた企画が、パン、とシャボン玉がはじけたみたいに、脳内から消えていく。望み薄だ。やっぱり、できそうにない。
「……できたら、よかったけど」
今年も、ぼくが図書委員だったらよかった。そうだったら、少しは光が見えたかもしれないのに。
とろとろと自転車をこいでいると、正面から冬威くんが歩いてくるのが見えた。コンビニ袋をさげている。ぼくたちがアイスを買ったコンビニとは反対にある、郵便局のコンビニのほうへ行っていたんだろう。なんでわざわざ、遠いところにあるコンビニに行ってたんだろう。
「冬威くん」
自転車をとめ、ぼくが手をふると、冬威くんは小さくうなずいてから、そのまま通りすぎようとした。
「ちょっと、無視?」
「いや、うなずいたよ」
「手を振るとかしてよ」
「きみ、めんどくさいな」
冬威くんは、いつでも強気だな。尽たちがしていることにも、ちっとも怖がっていない。夏の暑い日差しにも負けない、むしろ立ち向かっていくように咲く、ひまわりみたいに、まぶしい。
こんな冬威くんになら、いってみてもいいかもしれない。ぼくが今、考えていること。
「はい、振ったよ。これでいい?」
すたすたと行こうとする冬威くんの肩に、ポンと手を置く。
「あのさ。体育委員の新しい仕事を考えたんだ。聞いてよ」
冬威くんが、静かに振り返る。
「プリント、もう提出したのに?」
「やる気まんまんにいえば、先生は受け入れてくれるよ」
「五年生たちは納得しないんじゃない」
「それでも、やってみたいことがあるんだ」
「……なに?」
「冬威くんの意見を聞かせてほしい」
「なんで?」
「それは……」
「……もしかして、鈴原くんたちがおれにしてること、関係してる?」
どくん、と心臓が飛びあがった。
ここまで、きてしまった。もう、引き返せない。
「企画を考えたんだ、いろいろ。ぼく、去年図書委員でそういうことをやってたからさ。そういうのが得意で」
やたらと、ぺらぺらと言葉があふれてくる。冬威くんは何もいわずに、ぼくの言葉を待ってくれていた。
「冬威くんの意見が聞きたいんだ。きみと、話しあいがしたい」
「そう」
嫌だよな。自分の、デリケートな問題に首をつっこもうとしてる人間の話を聞くなんて。
自分に置き換えてみたら、ぼくはなんてことをしているんだ、と気づいてしまう。ぼくだったらこんな申し出、断るかもしれない。自分がいやなのに、冬威くんのためになにかしたいだなんてきれいごとをいって、ぼくはひどい人間だ。
でも、何かせずにはいわれなかったんだ。断られたら、誠心誠意、冬威くんに謝ろう。
思わず、ぎゅ、と目をつむる。
「体育委員の仕事の話なんでしょ。聞くだけならできるよ」
「えっ?」
「でも、こんな道ばただと誰かに見られるかもしれない。……どうする?」
「じゃ、じゃあ……冬威くんの家に行ってもいい?」
「……わかった。しかたないね」
信じられない。
冬威くんがぼくの話を聞いてくれようとしてくれるなんて。
家の前に、自転車を停めさせてもらう。久しぶりの冬威くんの家だ。
当たり前だけれど、前に来たときとは変わったようすはない。きれいに片付けられた、おしゃれな家だ。
「それで、話って何?」
冬威くんが、ジャスミン茶をコップに注いでくれる。それを「ありがとう」といって受け取る。こくりと喉を鳴らすと、はなやかな味が広がる。ぼくの家の麦茶とは、ぜんぜんちがう味。冬威くん家の、お茶の味。
「あのね」
ぼくは、考えたことを冬威くんに話した。
いじめについてのポスターを作りたいと思っていることをはじめに、図書室とのいくつかのコラボのアイデア。放送委員とのラジオ企画。校内新聞の投書コーナー。企画だけは、ぽんぽん出てくるぼくの頭。
冬威くんは、黙っていたけれど、目はまっすぐにぼくを見ていた。
ようやく話し終えると、冬威くんが「うーん」とうなった。ぼくの心臓が、どくん、とはねる。
「え、えっと。あくまでまだ考えてるって段階だから。意見を聞きたいってだけだから」
「ぼくが当事者だから、意見を聞きたいんだよね」
はっきりいわれるとは思っていなくて、ぼくは一瞬、黙りこんでしまう。でも、こんな反応ではだめだ。冬威くんに失礼だ。
ぼくは、真剣にこの企画に取り組みたいと思っている。それだけは、冬威くんにわかってほしかった。
「……うん、そうなんだ」
「まじめだね」
「去年の図書委員のときも、そういわれたよ」
「すごいと思うよ。なかなかできることじゃない」
乾いた笑いを浮かべる冬威くん。
「えっと、それって嫌味? やっぱり、強引だった……よね」
「卑屈だよ。でも、そういうふうに聞こえたなら、わるかったと思う」
「ぼく、冬威くんのこと、たよりにしてるんだ」
「おれを? どうして」
「委員会の話しあいのとき、助けてくれたでしょ」
「……ポスターの準備運動のやつ?」
「あっ、そうそう」
ぼくが身を乗り出していうと、冬威くんが「ぷっ」と吹き出した。
「あんなの、助けたうちに入らないよ。おれがムカついたから、反論してやっただけ。筒井くんを助けようなんて気は、残念ながらさらさらなかった」
「それでも、ぼくは助かったって思ったよ。冬威くんのおかげで」
まっすぐに目線をあわせてそういうと、冬威くんはグラスを手に取って、ジャスミン茶をひと口飲んだ。
「なんていうか、きみって猪突猛進だね。いのししみたいだ」
「ちょとつ、もうしん……?」
ぼくはスマホを取りだして、単語の意味を調べた。
意味は、目標に対してまっすぐに突き進むこと。由来は、いのししが猛烈ないきおいで、直進するようすから。
「……ぼ、ぼくっていのししに似てるのかな」
「似てるよ。少なくとも、春待小の児童のなかで一番いのししに似てるんじゃない」
「じゃあ、冬威くんは……えっと……ふくろうだね!」
「え。なんで、ふくろう」
「ふくろうは群れで行動しないって、図鑑で読んだことがあるんだ。あと、森の賢者とも呼ばれてるんだって。冬威くん、色んなことを知ってるし、ぴったりだな、と思って」
すると、冬威くんは困ったようにまゆを下げた。
「なんだか、きみのことをいのししっていったの、気が引ける。もっといい意味で、筒井くんにぴったりの動物を探したい」
「ライオンとか」
「うーん、それはないかな」
思わず吹き出すと、冬威くんもつられて笑った。
「ああ。さっきの話の続きだけど」
ぼくは「うん」と顔をあげる。
「体育委員でむりにやる必要はないんじゃない。五年生たちが手伝ってくれる可能性は、あまりないし」
「そうだよね……」
結人くんも凜くんも、体育委員の仕事をあまりやりたくなさそうだし。
「やっぱり、ぼく個人でやるよ。去年、図書委員でいろいろやったから、なんとかなりかもしれないし」
「いや、あのさ」
冬威くんが、口のなかをもごもごさせて、言葉をつまらせている。どうしたんだろう。
「できれば、手伝いたいとは思うよ」
「えっ、本当?」
「だけど、おおやけには手助け出来ない」
「それは……」
「鈴原くんと、森長くんに見つかったら、面倒だから。筒井くんに迷惑をかけたくない」
冬威くんは申し訳なさそうに、コップに視線を落とした。そんな顔をしなくてもいいのに。
「わかった。それじゃあ……」
「ただいまー」
玄関がガチャと開いた。男の人の声だ。
「あれー。誰か来てるの?」
リビングの扉が開いて顔を出したのは、スーツを着たやさしそうな人。にこにこと入って来て、ぼくらが作業をしているテーブルに手をついた。
「冬威のともだち? わー、遊びに来たの? なんて名前?」
「つ、筒井砂生、です」
「すなお! すっごいいい名前だね。ぼく、すきだなあ」
うれしそうにぼくの顔をのぞきこんでくるその人に、冬威くんが立ちあがって、シッシと手をゆらす。まるで、犬にやるやつみたいに。
「佑月、あっち行ってよ。おれたち、仕事してんだから」
「わあ、仕事。えらいねえ。ぼくがたくさん、褒めてあげよう」
「いいから。自分の部屋行って、佑月も仕事して」
「はいはーい。ゆっくりしてってね。すなおくん」
ひらひらと手を振って、佑月さんと呼ばれた人はリビングを出て行った。
「油断した……。今日、佑月は帰りはやいんだった。ごめんね、さわがしいやつで」
「お父さん?」
「そう。父親」
「めっちゃいい人そうだね」
「……おれには、父親がふたりいるんだ」
「……うん、知ってる」
「そっか」
困ったような、安心したような顔をして、冬威くんは目を閉じた。
「いい人だけどさ。大変だよ、父親がふたりって。周りに説明もして、理解もしてもらわないといけない。理解してるふりをしている人の相手なんて、一番うんざり」
頬杖をついて、ため息を出す冬威くん。
「理解してるふりをしている人、って……どんな人?」
「いい人ぶってるやつのこと、かな」
「じゃあ、ぼくのことかもしれない」
ぎゅう、と胸がしめつけられる。正直にいうのは、こわい。はっきりといえる時也が、正しいのかもわからない。
でも、冬威くんに嘘をつくのはいやだと思った。
「ぼくは……冬威くんの家のことをわかったふりをしているのかも」
「いいよ」
冬威くんは、くっとくちびるのはしをあげる。むりやり、笑おうとしているみたいに。
「これがおれの普通だから。そして、みんなにも自分の普通があるだけ。それだけのことなんだよ、世の中って」
ぼくのなかにあったもやもやに、冬威くんの言葉がすとん、とおさまる。それだけのこと。もっと、簡単に考えたらいいのかもしれない。
冬威くんの家のお茶と、ぼくの家のお茶は違う。ただそれだけのことなのかもしれないって。
「でもさ。こうして、筒井くんがおれの隣にいてくれるのは、素直に嬉しいと思えるんだよ」
「そっか」
ぼくたちは、ジャスミン茶を同時に手に持って、こくりと飲んだ。はなやかな、独特の味。ぼくの家とは違うお茶。
でも、おいしいと思う。冬威くんの家のお茶を、これからも飲みたいと思った。
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