1 花屋敷のあくにん

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1 花屋敷のあくにん

 ランドセルを鳴らしながら、今日も、花屋敷をちらっとのぞく。この庭を、見つめるのが好き。  花屋敷っていうのは、西園寺さんって人のおうち。広い庭に、季節の花がいっぱい植えてある。だから、うちだけがこっそり、花屋敷って呼んでいるんだ。今は五月だから、ばらの花が、わさわさとゆれている。花屋敷のおかげで、いつのまにかちょっとだけ、花にくわしくなった。  ここには、おばあさんがひとりで住んでいるらしい。でも、一度も会ったことがない。お母さんに聞いたら、「まだ働いていらっしゃるから、由良の下校時間とあわないだけでしょ」って、いわれた。そうなんだ。いつか会って、お話ししてみたいな。花屋敷のおばあさんだから、アニメに出てくるような、ほんわかした雰囲気の、すてきなおばあさんだと思う。  初夏の、ゆるい風が吹いている。青々とした芝生に、白いガーデンチェアが見えた。そこに、ひとりの女の子が座っている。  テーブルには手作りっぽいカップケーキがたっぷり入った、籐のカゴ。カップとソーサーを優雅に持って、紅茶を飲んでいた。桃のいい香りがただよってくる。ピーチティーかな。 「お、お嬢さまだ」  背丈のかんじからして、六年生くらいかな。つまり、うちと同い年。でも、あんな子、クラスで見たことない。うちの学校は一クラスしかない、小さな学校だし、そもそもこのうちの子だとしたら、同じ通学団のはず。もしかして、転校生だったりして。  うちはどきどきしながら、花屋敷に足を踏み入れた。 「えーと、こんにちは」  お嬢さまの肩が、びくんと跳ねた。紅茶をこぼしそうになっているのを見て、あわてて「ごめん、驚かせた」と謝った。 「うち近所に住んでるんだ。同い年くらいなのに、会ったことないよね。だから、つい話しかけたくなってさ。よかったら、おしゃべりしようよ」 「さっきから、うちの庭を見てたでしょう」 「えっ」 「なぜ、見ていたの?」  いっさい感情のこもっていない、冷たい言葉が、うちの胸に突き刺さる。家の電話にたまにかかってくる、機械がしゃべるセールスの電話だって、もう少していねいにいうよ。こんなふうに突き放されたようないい方をされたのは、人生で初めてで、うちは凍りついてしまった。  お嬢さまってこんな感じなんだ。お嬢さまって、もっとおしとやかでやさしい感じだと思ってた。花屋敷のお嬢さまは、ちょっと違ったみたい。 「ごめんなさい。お茶の邪魔だったよね。天国に行っちゃったうちの友達と、この近くでお別れしたから、ついのぞいちゃうんだ」 「あ……そうだったの……」  さっきまで、するどい目つきだったお嬢さまの顔色が、曇り空みたくかげった。でもそれは一瞬で、すぐにまたキッと、目尻が吊りあがる。 「それならもう、ここには用はないんでしょう。なら……さっさと、出てって」  お嬢さまは、それから一回もうちのほうを見なかった。お嬢さまはうちへのシャッターを完全に締めきって、夢中で紅茶を飲んでいる。なんだか、変な子だな。まだお互いがわかるようなおしゃべりもしてないのに、最初っから嫌われているみたい。  まさか、花屋敷の子と友達になれるだなんてって、嬉しかったのにな。  家に帰ると、シーンと静まりかえったリビングのソファに、ランドセルを置いた。  お母さんが帰ってくるのが十八時。お父さんが帰ってくるのが、二十一時。そして現在、十六時。いつもどおり、お母さんが帰ってくるまでに、掃除機をかけてフロアワイパーをかけておく。あと、冷蔵庫のあまり物を見て、おかずを一品作る。  冷蔵庫、何が入ってたっけ。にんじんの袋と、冷凍のゴボウ。すりごまもあるな。よし、ごぼうとにんじんのきんぴらを作ろう。  十六時半までには宿題を終わらせて、取りかかるぞ。  空間に、うちが起こす音だけが鳴るのがいやだから、スマホからユーチューブを流す。好きな音楽だけの、再生リスト。知らなかった音楽も、すぐにおなじみの音楽になる。ひとりの時間が増えるたびに、知る音楽も増えていく。でも、曲のタイトルはいつまでも知らないままだ。  *  人生で、こんなにも目玉をかっぴらいたことってないかも。かっぴらくってさ、本当にカッと目を開くんだね。そのせいでボロっと、目玉が落ちちゃうかと思った。昨日思ってたことが、本当になる瞬間って、最高の気分かも。見事、予想的中。クイズ番組だったら、豪華賞品がもらえたんじゃない。  なんと、うちがいるクラスに、転校生がやってきたの。もちろん、その転校生っていうのは昨日出会った、花屋敷のあの子だよ。  あの時ご機嫌ななめだったのは、転校初日のことを考えて、緊張していたのかもね。うちは、転校なんてしたことないけれど、アニメや漫画でそういうシーンを読んだことがあるから、想像はできる。どきどきわくわくして、しょうがないだろうな。  花屋敷の子は、腰まであるストレートの黒髪に、セーラーカラーのブラウス。おしとやかなプリーツのスカート。昨日会ったときよりも、もっとずっとおしゃれなコーディネートだ。 「では、自己紹介をお願いします」  担任の近松先生がというと、花屋敷の子はまゆ毛をピクッと動かした。むすっとふてくされたような顔をして、自分の足元を見つめている。 「西園寺麗央です」 「れおだってよ。かっけー名前」  りとっちの後ろの席に座る純也が、すぐに食いついた。 「れおってさあ、ライオンって意味なんだろ?」 「何がいいたいの」  れおちゃんのひとことに、教室がシーンと固まった。冷凍庫でキンキンに冷えてしまったみたいに。  でも、純也はいつもみたいに空気を読まないから、そんなことにはまったく動じない。 「百獣の王と同じ名前ってこと」 「それって、面白がるようなことなの」 「いや、えっと」 「オチもないようなつまらない話を、初対面のあたしにしないでくれる」  まだ五月だっていうのに、冬のような寒い空気がうちらとれおちゃんの間を通りぬけていく。初っ端からこんな態度じゃ、みんなに嫌われちゃうよ。れおちゃんは、緊張してるんだよってことをみんなわかってもらわなくちゃ。 「れおちゃんって、八月生まれ?」  シーンと静まり返った教室に、うちの声がいやに響いた。れおちゃんが、ジッとうちを見つめてくる。昨日会ったこと、思い出してくれたのかな。 「そうだけど」 「すごーい。ゆらりんってば、何でわかったの?」  隣の席のりとっちが、パチパチと拍手をしてくれる。 「最近、図書室で星座占いの本を借りたばっかりだったんだ。獅子座って、別名でレオっていうんだって。だから、当てずっぽうで聞いてみた。純也もそれで気になったのかなと思って」 「え」  純也がぽかんとしながら、首をかしげる。 「違った?」 「んなの、知るわけねーだろ」 「はは。何だ、そっかあ」 「そもそも、おれ何座が何月生まれとか、知らねえよ」  すぐに、教室のあちこちが「みずがめ座は何ていうんだろう」「てんびん座はー?」「おとめ座は何だろう。ギャルとか?」「ぜったい違うと思う!」と、にぎやかになってきた。凍りついていた教室の空気も真夏のかき氷みたいに、するすると溶けていく。ふう、よかった。  れおちゃんも教室の雰囲気で、ちょっとはにこやかになっているかなと思ったけれど、さっきとちっとも変わっていない。いや、さっきよりも顔色が悪いかも。真っ青だ。しかも、ぶつぶつと何かをいっている。  れおちゃんのクールぶりに、ずっとおろおろしていた気弱な近松先生は、ようやく「静かにー」と声をあげた。 「みなさん。西園寺さんは、ご両親のご都合で、この銀杏町に住むおばあさんのお宅にひとりで越してこられたそうです。とても不安だと思うので、わからないことなど親切に教えて……」 「先生。よけいなことをいわないでください」 「え?」 「迷惑です」  先生はあぜんとして、何もいえなくなってしまったみたいだ。すると、うちの前に座っている文菜と世知が、こそこそと内緒話をはじめた。 「やばくない、あの子」 「インパクト狙いかなあ。女王さまキャラ演じてます、ってかんじ?」 「いやいや、鬼スベリっしょ。かわいそー」  おーい。しっかり、聞こえてるんですけど。  ふと顔をあげると、れおちゃんが文菜と世知のほうをじっと見つめていることに気づいた。れおちゃんに、聞かれちゃってたんだ。  文菜がジェスチャーで、「ごめーん」と軽く謝るのが見えた。  その時、れおちゃんの口がかすかに動いた。 「どうせ、あたしは鬼よ」  うちは最後から二番目の席だから、声は届かない。  でも、そういったように、見えた。口の動きだけじゃ、当たってるのかどうかわからないけれど、うちにはそういっているように思えた。  れおちゃん、何であんな冷たいことばっかりいっちゃうのかな。  まさか、本当に女王さまキャラをやりたいとか? だったらもっと、いい方を変えたほうがいいよね。それだけで、印象ってまったく変わるものだし。  先生にいわれて、れおちゃんはうちの後ろの席に座った。振り向いて「よろしく」といったけれど、れおちゃんはこちらをチラッと一目見ただけだった。  そのようすを文菜と世知が、にやにやと笑いながら見ていた。  アニメや漫画によると、転校生というものは休み時間になったとたんに忙しくなるものらしい。授業が終わったとたんに、クラスメイトたちに囲まれて、わいわいと質問ぜめにあう。そういうものだと思っていたけれど。  れおちゃんの周りには、ひとっ子ひとり、集まって来なかった。朝の自己紹介が原因なのは、一目瞭然。  心配して、こっそりと後ろを振り返る。でも、れおちゃんはまったく焦っているようすはなかった。しかも、家から持って来たらしい本を取り出して、平然と読みはじめた。クールだなあ。 「西園寺さん」  誰かが、れおちゃんに声をかけた。いやらしい笑みを浮かべながら、文菜がれおちゃんを見下ろしている。世知も似たような顔をして、文菜の後ろから、れおちゃんをのぞいている。 「初日からあんな態度ってさあ、ひどいんじゃない。純也、西園寺さんに何かした? してないよね、転校してきたばかりなんだもん」 「ひどいと思うなら、近づかなければいいのよ」  れおちゃんは至って、落ち着いている。その態度に、文菜はどんどんイライラしていっているようだった。 「だからさ、なんでそんなふうなん? 西園寺さん、前の学校でもそうだったわけ」 「そうだけど」 「うっわあ。引くー」  世知がいうと、周りのクラスメイトたちも、ざわざわと「前からだって」「こわあ」と騒ぎ出す。文菜が、れおちゃんの机に手をついた。 「改めようとは思わないの?」 「これがあたし。だから、そういうことはしないわね」 「そのしゃべり方もムカつく。ばかにされてるみたいに思われるよ」 「自分の見せ方のために、こうセルフプロデュースしているだけ。ばかにされてると思ったのなら、そうとればいい。わざわざいってこなくて、結構よ」  文菜が顔を真っ赤にして、れおちゃんの机を叩いた。何かいいたげに、口をぱくぱくしているけれど、言葉が出てこないみたいだ。どう考えても、口ではれおちゃんにかなわないからだろうな。世知が「もう行こ」と文菜の腕を引っぱっていく。文菜は、ずっとれおちゃんをにらみつけていた。  呆然と文菜たちを見送っていると、れおちゃんと目があった。その涼しげな瞳が、すっと細められる。 「何見てるの」 「あっ。ごめんね。大丈夫? 文菜って、今まではクラスの中心だったから、目立ってるれおちゃんが気に入らないんだよ。でも、話してみるといい子だからさ。許してやってね」  謝ると、れおちゃんは少し驚いたように目を丸くした。しかし、すぐにふいっとそっぽを向いてしまう。 「ねえ」 「なに?」 「何で、獅子座の話なんてしたの」 「場が静まり返ってたから、何かいわなきゃって思っただけだよ」  れおちゃんが「ふん」と、鼻を鳴らした。 「なんだ。学級委員なだけか」 「うち、学級委員じゃないよ。学級委員は、紙屋里都っていううちの友達で」 「あたしは、あんたがおせっかい焼きの学級委員タイプね、っていいたかっただけ」  そのまま、れおちゃんとの会話は終わってしまった。  その日のうちに、すっかりれおちゃんはクラス中から嫌われてしまったようだった。転校初日の体育の授業でグループを作るときも、ひとりでぽつんとしていた。三人グループを作ってといわれたから、うちのグループに誘った。りとっちも「いいよ」っていってくれた。そうしたら、後ろにいた文菜が「うわあ。さすが滝比さん。いつもどおりだね」って笑っていた。  帰り道。りとっちと別れ、うちはとぼとぼとと、通学路を歩いていた。この時間はいつも、今日あったことを思い返すのが日課。  今日は、後悔することがいっぱいある。れおちゃんをもっとフォローできたらよかった。あの時、もっといいいい回しがあったんじゃないか。うちがもっとうまくやれていたら、れおちゃんがクラス中から嫌われることはなかったんじゃないか。そんなことばかりが、頭に浮かんでくる。気分がざわざわとして、落ちつかない。  花屋敷が見えてきた。うちは、意を決して走り出し、花屋敷のなかへと飛びこんだ。庭には、すでにれおちゃんがいた。通学団の列に並ばず、さっさとひとりで帰ってしまっていたからだ。  れおちゃんの立ちふるまいは、凍りついた湖に裸足で立っているようで、見ているだけで、寒くて、さみしくなってくる。 「さみしいのは、いやだよ」  うちが庭に入ってきたことに、れおちゃんは特に驚いていなかった。うちの足音に、とっくに気づいていたみたい。 「滝比さん、だっけ。毎日、あたしの家に何の用があるの?」 「うちの名前、覚えてくれたんだね。嬉しい」 「体育のとき、あたしが覚えてなかったからって、しつこいくらいに自分の名前を連呼してきたじゃない」 「滝比由良、だよ。由良って呼んで」 「呼ばない。なぜなら、友達にならないから」  ずばん、と正面から、切りつけられたみたいな気持ちになる。強い言葉ではっきりと拒絶されるのって、こんなにきついんだ。 「……うち、れおちゃんのちからになってあげたいんだ」  どんっ、と胸のあたりに衝撃が走った。れおちゃんが、うちを突き飛ばしたんだ。 「帰って」  れおちゃんは真っ青な顔をしている。まるで、幽霊でも見ているかのような目で、うちを見ている。 「れおちゃん、どうしたの」 「あたしにかまわないでよ!」  それは、ナイフのようなするどさをもった、悲鳴だった。れおちゃんの強く握りしめた手が、震えている。くちびるをかみしめ、肩で息をしていて、息のつまった声で、れおちゃんはうちをにらみつけた。 「最初から嫌われていれば、誰も寄ってこないでしょ」 「友達、ほしくないの?」 「いらない。あたしのそばには、誰もいてほしくない」  鼻で笑って、れおちゃんはガーデンテーブルにランドセルを下ろした。 「あんたって、何。学級委員よりも、タチがわるいね。平和主義者? それとも、偽善者?」  胸のあたりが、ぐさり、と痛む。すると、なぜか、れおちゃんのほうが傷ついた顔をした。だから、なんだか放っておけなくて、うちはれおちゃんに一歩近づいた。 「うちは、誰にも傷ついてほしくないだけ」 「ふうん。あんた自身は、誰も傷つけたことがないわけ」 「もちろん。誰かを傷つけたことなんてないよ。なんでそんなことを聞くの?」 「たいそうな善人よね。出家でもしたら」 「しゅっけ、って?」 「お坊さんになったら、っていってんの」  れおちゃんは庭のすみで山になっていた雑草の山を一掴みすると、うちに向かって投げつけてきた。  緑色の雑草が、雨のようにうちに降り注ぐ。青臭い草のにおいと、土のにおいを浴びながら、うちは後ろによろけた。 「善人はさ、あたしみたいな悪人と、いっしょにいないほうがいいよ」  れおちゃんは、笑っている。なのに、今にも泣き出しそうにも見える。少しだけ赤く染まった目尻が、傾きかけた太陽を浴びて、そのままれおちゃんもろとも、消えてしまうんじゃないかと思った。 「悪人って、自分のことをいってるの?」 「そうよ。早く出てって。自分の意見の押しつけるはよくないって、道徳の授業で習わなかったの」  うちはあわてて花屋敷を出た。心臓がうるさい。あんなことをいわれたのも、されたのも、生まれて初めてだった。  悪人。れおちゃんは自分のことをそう呼んだ。  うちはいつの間にか、走り出していた。走って走って、家の玄関に飛びこんだ。  靴もそろえずにリビングのソファに沈み、さっきのことを何回も頭のなかでくり返した。そしてそのまま、眠ってしまった。
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