10 おとなと子ども

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10 おとなと子ども

 岩根さんは、三十分ほど遅刻して現れた。  その手には、よれよれの紙袋。中からは、紙に包まれた箱が出てきた。『犬山銘菓 きびだんご 厳骨庵』と書かれている。  それを申し訳なさそうに、シーナさんに差し出した。 「すみません。電車に乗り遅れました」  シーナさんはきびだんごをおとなの顔をして、「いえいえ、お待ちしておりましたわ。今、お茶を淹れますね」とにこやかに受け取った。  うちらなら、通学団に遅刻したら班に置いていかれちゃうのに。おとなの世界にも、優しいことは起こるんだ。いや、シーナさんが優しいだけかな。  それにしても、岩根さんが買ってきてくれたきびだんごは、今まで食べた和っぽいのお菓子のなかで一番おいしかった。小さい頃、ショッピングモールの駄菓子屋で買ってもらったきなこ棒に似てるんだけど、ちょっと違う。何個でもぱくぱく食べられちゃうような、クセになっちゃう味わいなんだ。材料はなんと、大豆、砂糖、水あめ、餅粉、きび粉のみなんだって。シーナさんが淹れてくれた緑茶に、とってもあう。  岩根さんとシーナさんの世間話に、花が開いている。うちが、三個目のきびだんごにそろりと手を伸ばしかけたとき、れおちゃんが「ねえ」と口を開いた。 「そろそろ、話をはじめてもいい?」 「れおってば。話題を急ぎすぎよ。岩根さん、せっかくうちまで来てくださったんだから」 「シーナはおとなだから、待てるのかもしれないけれど、あたしは子どもだから待つのは苦手なの」 「あんたはまたそうやって、おとなだの、子どもだのっていい訳するんだから……」  西園寺家のけんかが勃発しかけたところで、岩根さんがゴホンと咳ばらいをした。 「ぼくは急げといわれたら急ぐし、ゆっくりしていけといわれたら、ことごとくゆっくりしていきますよ。そういう人間ですから、お気づかいなく」  のんびりと、出された緑茶の飲み干し、岩根さんはいつものカバンから、古びたぼろぼろの本を出した。  れおちゃんが、興奮したように「これは?」と身を乗り出した。 「『鬼が吠える』の原本だよ」 「これが、そうなのね」  うちも、れおちゃんといっしょにのぞきこむ。  昔の忍者のアニメで出てくるような、右側がひもでとじてある見た目だ。昔の本って感じ。表紙には、かすれた筆文字で『岩根善太郎日記』と書かれている。 「それじゃあ、話をはじめようかな」  岩根さんは、シーナさんがつぎ足した熱い緑茶をまた半分ほど飲んだ。そして、手元の日記を見つめながら、ぽつぽつと話しはじめた。 「ぼくの先祖、岩根善太郎は室町時代という時を生きた人だ。室町幕府の政所で雑用をつとめる役人だったらしい。まあ、公務員ってやつだね。  当時の日本は、首都が東京ではなく、京都にあったんだよ。  なぜ、京都だったのかというと、いろいろな理由があったみたいだ。京都が戦に勝てるようないい地形だったからだとか、占い的にいい位置だったからだとかね。  あの頃は、まだ車と飛行機もない時代だ。しかも、まだまだ今の時代みたいな平和な世の中ではない。戦乱の世ってやつだったから、今とは価値観もまったく違う。  まだまだ、鬼や妖怪が信じられていた時代なんだ。  日記を読むかぎり、ぼくの先祖である善太郎は、臆病でビビり。ぼくにそっくりな性格だったようだね。  外で遊ぶよりも、家で本を読んだり、物書きをしているほうが楽しいような、おとなしいやつだった。ぼくも同じだ。  だから、ぼくは、子どものころにおとずれた桃太郎神社に衝撃を受けたんだろうな。絵本で読んだときから気になっていた桃太郎が、目の前にいる。ぼくと同じくらいの背丈の男の子が、自分よりも大きな鬼を退治した。本気で、憧れてしまったんだ。  桃太郎神社のコンクリート像は気味悪がる子もいたけれど、ぼくには百人力のヒーローに見えた。  室町時代というのは現代とくらべて、かなり殺伐とした……つまりトゲトゲしく、あたたかみのない時代だったようだ。人のからだも、心も傷つける時代といっても過言ではない。  それは、これまでの歴史を学べば、どの時代でもそうだったのかもしれないけれど。それでも、当時を生きた善太郎は、この日記にこう書いている。 『一夜の露と消えうことこそ本意。悲しや』  これは、善太郎が上級役人のほうから目をつけられ、叱られてばかりの日々を送っていたからだ。 『ただひとり、とほんとして何もしないで居ったため、悪口をいいつけられたことは繁うござった』  つまり、いつも何もしないでぽかーんとしていたので、上級役人に告げ口されたことはたくさんあったのだという。  善太郎はいつも、不満ばかりだった。いつも上級役人に怒られ、落ちこんでは、どうにか見返したいと思っていた。  そこへ、衝撃の事実が飛びこんできた。例の上級役人に、異能のちからがあることを発見したんだ。  どうしてわかったのかって?  上級役人の部屋に忍びこんで、彼の日記を読んだのさ。そこには、何が書かれていたのか、ぼくたちは知るよしもない。日記は残っていないからだ。恐らくは、異能のちからで苦しんでいる日々が書かれていたのだと思う。  しかし、善太郎はこう思ったんだ。 『あれは、鬼じゃ』  あとは、西園寺くんが持っている『鬼が吠える』にも書いてあるとおりだね。 『西園寺麗応公の秘めたる人外的なまでの恐ろしい異能力は、まさしく鬼そのもの。異端はつるし上げなければならない』  と、善太郎は思った。  そうして、善太郎は上級役人、つまり西園寺麗応を退治した。  もちろん、善太郎は侍所、当時の警察に捕まったけれど、彼は牢のなかで、西園寺麗応を倒したという自分の武勇伝を物語にして書いた。  それが桃太郎、とこんな感じかな……」  そこで、岩根さんは残りの緑茶を飲み干した。 「あとは、この原本を見てみるといい。当時のことがくわしく書かれているよ」  れおちゃんは飛びつくように、岩根善太郎日記を開いた。めくるとき、少しでも力を入れたら破れてしまいそうなぼろぼろぐあいだけど、れおちゃんはていねいな手つきで次々とめくっていく。  やがて、最後のページをめくりおわると、ゆっくりと本をとじた。 「……なんて書いてあるのか、はっきりとはわからなかったけれど、でもこれだけはわかる。あたしとシーナのちからの消し方は、書かれていない」 「あ……」  うちはつい、声をもらした。れおちゃんの涼しげな瞳が、悲しそうに閉じられた。岩根さんが、「ごめん」と頭をさげた。 「今日までに、何かわかることはないかと、ぼくも持っている本を再読したり、いっしょに桃太郎を研究していた仲間たちにそれとなく聞いてみたりしたけれど、解決になりそうなヒントは得られなかったんだ」 「そう、ですか……」  れおちゃんはふい、とシーナさんを見あげた。するとシーナさんは、ぽん、とれおちゃんの肩に手を置き、やさしくほほえむ。 「岩根さんとこうして話ができただけで、すごいことじゃない。ねえ、岩根さん」 「そうですね。こうして、ぼくがこの家に来られているのは、奇跡に近い。この事実は、ぼくのこれまでの研究でも一番の成果だ。そして、岩根家の罪ほろぼしのためにも、これからもあなたたちの知りたいことに協力していきたいと思っている」  こうして、岩根さんはこの後、少しの雑談と、お茶をもういっぱいだけ飲んで、犬山に帰って行った。  シーナさんの許可を得て、れおちゃんは岩根さんとラインを交換していた。  その後、れおちゃんに「考えたいことがあるから」といわれ、今日は解散となった。  花屋敷を出て、時間を確認すると、まだ昼の十二時だった。色々ありすぎて、脳が追いついていないけれど、たった半日しか経っていなかったことに驚く。  どうしようかな、と思いながら花屋敷の門の前をうろうろしていると、「滝比」と声がかかった。純也が花屋敷の生垣ぞいに自転車に停め、ヘルメットを取りながら歩いてくる。 「どうしたの、こんなところで」 「いや、大丈夫かなと思ってさ」 「ああ、研究発表のこと? 〆切もうすぐだもんね……」  すっかり忘れていた。  でも、岩根さんからの情報をまとめるわけにはいかないよね。発表する項目は厳選しないと、大騒ぎになっちゃう。  そうだ、りとっちのことも、れおちゃんと純也に相談したほうがいいよね。 「いや、その話じゃねえよ」 「え?」 「お前んとこの父ちゃん、おれの父ちゃんと同じ職場だろ」 「そうなの? 知らなかった。てか、何の話?」 「父ちゃんの職場のファミレス、SNSで炎上して大変なことになってんだよ」  炎上ってなんのこと? うちはわけがわからなくて、言葉が出てこなかった。 「客が店の厨房に勝手に入って、動画撮ったらしいんだよ。手も洗わずに食器さわったり、調理台で寝転んだり。それをSNSにあげたから、投稿主はもちろん、店にまで影響が出てる。『客が厨房に自由に入れるなんて、ずさんだ』とか『店の人間は何してたんだ』とか『そんな店は信用できない』とかクレームが殺到してる。お客さんも一気に減って、大騒ぎだよ」 「うそでしょ……」 「テレビやネットのニュースにもなってる。うちの父さんも落ちこんでるみたいだけど、今だからこそ店から離れられないみたいで、まったく帰ってこなくなっちまった。母さんも父さんの仕事がどうなるかわからないからって、パートのシフトを増やしたみたいでさ。ライン入れても、二人とも音沙汰なしだよ」  まったく知らなかった。何にも教えられてないよ。 「それって、いつの話?」 「昨日の夕方には話題になってたけど、客が厨房に侵入したのは、一昨日の夜らしい。その日は、帰ってきた父さんがめっちゃ荒れててさ。大変だったよ」  なんでうちの両親は、何も話してくれないの? うちだって、家族の一員なのに。  落ちこんでいると、純也が一歩前に進み出て、うちの顔をのぞきこんできた。 「なあ、滝比。お前、一回でも親に不満をもらしたことないのか」 「え……」 「おれはさ、『おれのことなんてどうでもいいんだろ』って母さんにいっちゃって、泣かれたよ。もう反省したし、二度というつもりはない。でも、いったことを後悔はしてないぞ」  純也の、自分に嘘をつかないまっすぐな目は、じっとうちを見つめて、そらさない。曇りのない瞳には、純也の正直な心が映し出されているようだった。 「今回のこともさ、おれは聞かないつもりだった。もう、親のことを聞くのは止めようって思ってたから。でも、向こうからいってくれた。『お前ももう、中学生だからいっておく』ってさ。父さんの仕事のこと、事件のこと、SNSの使い方のこと、色々話したよ。親のなかで、おれの扱いが、子どもから少しおとなになったんだろうな」  純也が、また少し変わった。笑い方も、話し方も、前とは違う。 「なんか、うち、純也に置いてかれてる」 「ん? どういうことだよ」 「いや、何でもない。……そっか、親に不満か。一回もいったことないな」 「いわないのか」 「うーん。そうだなあ……」  両親にとってうちは、昔っからいい子の由良なんだ。手伝いだってすすんでするし、文句なんていわない。ふたりが帰ってきたら必ずにこやかに「おかえり」という。勉強をやりなさい、といわれたら嫌な顔ひとつせずにやる。 「だって、うちは純也みたいなキャラじゃないし」 「おれみたいなキャラってー?」 「何でもはっきりいうところ。いい意味で裏表がないところ」 「うわ。そんなふうに思ってたのかよ。なんか照れるじゃん……てか、滝比はそうじゃないのか。裏表があるのか」  あーあ。やっぱり聞いてくるよね。  そういうところだよ、純也。  だから純也と話すの、苦手が子がいるんだよ。  いわなくてもいいことまで、いっちゃいそうになるから。 「うちは、あるよ。裏の顔」 「へー。どんな?」 「本当は、いい子なんてやりたくない。お手伝いなんてしたくないし、勉強もしたくない。友達の悪口には、それ以上の悪口をいってやりたいし、大声で怒鳴ってやりたい。学校なんてサボって、ずっと猫といっしょに寝ていたい」 「はは、おれといっしょだ」  心臓が爆発しそうなほどの気持ちで打ち明けたのに、純也の一言はとてもあっけないものだった。緊張が切れて放心状態のうちの後ろから、「あたしも」という、クールな声が飛んできた。 「あたしも、いっしょ」  れおちゃんがニカッと笑っている。それに純也が「うおっ、西園寺が笑ってる!」と大はしゃぎだ。れおちゃんが「うっさい」とライオンみたいに歯を見せて威嚇している。  うちが一大決心した後だっていうのに、目の前には、あまりにもあっけない光景が広がっていた。  ぬるい風が吹く。よるの風だ。手のひらに、よるの温度が触れる。  明日も、うちのところまで、変わらず吹いてくれるよね。  お父さんとお母さんに、仕事のことを聞いた。でも、ふたりは「由良は気にしなくても大丈夫だから」と笑っていた。  変わらなかったな。  うち、変わりたかったのかな。  それとも、二人の前では、いい子の由良のままでいたかったのかな。  *  月曜日、りとっちは学校に来なかった。その日から、教室はりとっちがいない日々が当たり前になっていった。  そして、いよいよ国語の研究発表の日となった。れおちゃんがいてくれたおかげで、なんとか桃太郎についてまとめることができた。  発表は、うちとれおちゃんと純也の三人でやった。  黒板の前に三人で立ったときの、横に空いたひとりぶんのさみしさは、やっぱりぬぐえなかった。  りとっちがいたら、どんな発表ができたかな。  発表用の資料に添えるイラストはもっと可愛いものになっただろうし、レイアウトももっとおしゃれになっただろうな。  発表の途中に、クイズも入れようっていったかもな。発表がより盛りあがるように工夫してくれただろうな。  りとっち。今、家で何をやってるだろう。  きっと、夢に向かって突き進んでいるに違いない。  *  日々は過ぎ、あっという間に六年生最後の秋になった。  うちらの町には、イチョウの木が多い。秋になると、ギンナンが地面に落ちる。それを純也たち男子は「ギンナン爆弾だ!」っていって、大はしゃぎでよけるんだ。たまに踏んでしまう子がいると「くっせー」っていって、からかう。毎年のお決まりの行事。今までのうちだったら、からかわれた子がいたら、止めに入っていた。 「いわれたほうの気持ちになってから、発言しようよ」  そういって、みんなのフォローに回っていた。  でも、りとっちが隣からいなくなって、れおちゃんといっしょに帰るようになってから、うちはあまりそういうことをしなくなった。 「ねえ、ゆらちゃん。男子がまたギンナンゲームはじめたよ」  四年生の子が、報告しにきた。 「もう放っておこう。やりたいようにやらせておけばいいよ」  するとその子は、不満そうに友達のほうへと行ってしまった。うちがなんとかしてくれると思ったんだろうな。ごめんね。うちはもう、そういうことをするのは止めたんだ。 「いいの? また『ゆらちゃん、変わったよね』なんて、陰でいわれるわよ」 「いいの。うちがいくらいい子でいても、お父さんやお母さんに見てもらえないなら、意味がない。それに気づいたんだ。だからもう、うちはいい子でいるのを辞めるの。はは。ちょっと、かっこ悪すぎだよね」  むりに笑ってみると、なんだか胸のあたりがざわりとする。心が砂漠みたいにカラカラしていて、切ない。 「ねえ、ゆら。あたしね」  れおちゃんと手が触れあう。お互いの温度が伝わり、なんだか心地いい。 「このまま、心が見えたままでもいいように思うの」 「うそ。そんなの辛いよ」 「でもね。あんたがいれば、あたしの転校初日みたいに、誰かを傷つける必要もないように思えてきたから」 「……え?」 「あたし、自分が誰かを傷つけたときにだけ、心が見えるでしょ。西園寺麗応がどうだったのかはわからないけど、たぶん同じちからよ。あたしは、誰かを傷つけるくらいなら、最初から誰もそばによせつけなければいいと思ってた。でも、今は違う。誰かがそばにいてくれれば、優しくなれる。そうすれば、誰かを傷つけることなんてしなくなるんだと思う」 「……だから、心が見えたままでもいいっていうの?」 「うん。最近、そう思えるようになったの」  れおちゃんは、秋風に長い黒髪をゆらしながら、ほほえんだ。れおちゃんは、このごろよく笑う。  もしかして、こう思うようになったから? 「まだまだ、誰かを傷つけてしまうときがあるの。でも、それでもあなたみたいに、前向きにがんばってみようかなって思えるようになった。それって、あなたがずっといっしょにいてくれて、いっしょに岩根さんのところまでたどり着いてくれたからだと思う。もちろん、紙屋さんも井成くんもいなければ、岩根さんのところへは行きつけなかった。あたしとシーナだけでは、無理だった」  イチョウが満開の通学路で、みんなのはしゃぐ声を聞きながら、うちらは秋のなかにいた。黄色に染まったイチョウの葉をさくさくとふみながら、れおちゃんはこちらをふり返った。 「あなたは?」 「え」 「あなたは、紙屋さんとどうなの?」 「……りとっち。来年、私立を受けるんだって。だから、もう学校で会うことはないと思う」 「……そうなのね」  しばらく、無言が続いた。花屋敷への曲がり角に近づくと、みんなそれぞれの帰り道へと走っていく。「ばいばい」といいながら、まっすぐ走って行く子。左に曲がる子。うちとれおちゃんだけが、右に曲がる。 「そうそう。あたし、両親と縁を切ることにしたの」 「えっ」 「あなたは、親と後悔しない付きあいをしなさいね」  そういい残し、れおちゃんは花屋敷へと帰っていった。  あたしは、しばらくその場にジッと立って、風に吹かれていた。もう、肌寒さを感じるほどの冷たさだ。  後悔しない、付きあい。  それって、どうやるの? 「いい子でいるのは、辞めるって決めたばかりなのにな……」  夜九時ごろ、お父さんが帰ってきた。お母さんがテーブルに、軽い夜食を置いていく。うちはそろそろ、寝る準備をはじめる時間。うちの就寝時間は九時半。その時間になったら、ベッドに入らないといけない。  スマホもタブレットも、夜はさわってはいけないルールになっているから、やることがないし、寝る前に本を読むのは得意じゃない。続きが気になって、眠れなくなるんだよね。  でも、今日だけは、まだ寝られない。まだ、やりたいことがある。  二人に、話したいことがあるんだ。 「あの」  二人が、そろってうちのほうを見た。どきん、と心臓が飛びはねる。 「どうしたの」  お母さんが、かしこまったようにいう。うちに、何かをいわれると悟ったんだ。お父さんは、箸を置いて黙っている。 「話があるんだ」 「……なに?」 「うち、もう来年、中学生でしょ」 「ああ。だから、スマホもタブレットも、自由に使わせてほしいって話?」  お母さんは、うちの話を先回りする癖がある。これはうちが、小さいころからだ。  でも、小さいころはよく当たってたけど、このごろはよく外れる。 「違うよ」 「じゃあ、何?」 「……もっと、信頼してほしいの。うちに、何でも話してほしい。うちをもっと、家族の一員にしてほしいの」  お父さんとお母さんが、驚いた顔をする。それから、少しだけ焦ったように、早口でいった。 「由良は家族よ。何いってるの」 「うち、本当はもっともっと、お父さんとお母さんと、いっしょにいたい。いっしょに話したい。でも、ずっとずっと、がまんしてた。うちは子どもだから、二人が面白いと思えるような話はできなかったかもしれないけどさ」 「由良。どうしたの? 学校でなにかあったの?」 「聞いて。うちさ、もう中学生になるよ。もう、子どもじゃなくなる。だから、もっと二人の仲間に入りたい。何でも聞かせてほしい。仕事であったこととか、悩みとか、ちゃんとした返事は出来ないかもしれないけどさ。でも、うちだって、二人の家族でしょ」  お父さんとお母さんは、ハッとして、そして、立ちあがった。  その時、風が吹いた。あたたかい風。それは、二人がうちを抱きしめるために起こした風だった。  うちとお父さんとお母さんは、ぎゅうぎゅうに抱きしめあった。二人に何度も、「ごめんね」と謝られた。そんなに謝らなくてもいいのに、何度も、何度も。  そして、はっきりといわれた。 「これからは、由良をのけものにしたりなんてしない」  うちはいつのまにか泣いていた。悲しくも、悔しくもない。嬉しくて泣いた。目からぼろぼろと涙がこぼれた。  二人はこれからも仕事で忙しいだろうし、うちは家で一人の時間が多いと思う。それは、変わらない。  でも、明日からは違う。  もう中学生だからって、就寝時間は夜の十時に伸ばしてもらえた。だから、二人との時間がちょっとできる。  話したいことが、たくさんあるよ。今まで、話す時間がなかったぶんが、たまりにたまってる。  だから、二人の話もいっぱい聞かせて。  *  花屋敷に、冬がおとずれた。れおちゃんが、咲いている花の名前を教えてくれる。スノードロップ、マーガレット、ノースポール、クリスマスローズ。寒さの厳しい冬にも、こんなにも元気に咲く花たちがいるんだ、とぐるりと庭を見渡す。  花屋敷にいると、心が落ち着く。教室や家にいると、胸のあたりがいつも、ざわざわと騒がしくなる。  この庭には、気分を穏やかにしてくれる効果でもあるのかな。ずっといたくなってしまうんだ。 「よるがいたの?」 「え?」  しゃがみこみ、ぼーっとマーガレットを見つめていたら、れおちゃんが顔を近づけてきた。 「それとも、ちがう猫かしら」 「ふふ。このへんは、野良猫が多いからね」  でも、やっぱりどの子も、よるみたいに仲良くなれない。みんな、お得意さんの家があるみたいで、いつも元気に走り回ってはいるけれど。  よるは、いつでもそばにいる気がする。なぜなら、うちのそばで、風が吹くから。悩んだとき、泣きそうになったとき、ふわりと風が吹く。それは、間違いなく、よるだ。 「そういえばね、岩根さんから連絡が来たの。今度、いっしょに桃太郎神社にいきませんかって。どうする?」 「行く行く! もちろん、行きますっ」 「あとね、桃太郎神社の近くの公園ではね、キャンプもできるらしいの。木曽川が近くに流れていて、景色もよさそうよ。日帰りキャンプ、どう?」 「冬キャンプね。いいじゃん、いいじゃん。焼きマシュマロ作ってみたい!」 「そうだわ。去年の野外学習の飯ごう炊飯、失敗だったからいつかリベンジしたいと思ってたのよね。岩根さんに、聞いてみましょう」 「ねえ。純也とさ、りとっちも誘おうよ」  スマホをにぎる、れおちゃんの手が止まった。それから、深くゆっくりと、れおちゃんはうなずいた。 「もちろんよ。あたしも、そうできないかな、と思っていたの」 「うん」  花屋敷の花々が、うちらを包みこむように、冬の風にゆれた。  うちらは、もうすぐ中学生になる。少しずつ、おとなになっていく。  でも、もう、大丈夫だと思う。  この手に触れてくれるやさしい温度があれば、前へと進んでいける  冷やされた氷がゆるく溶けていくように、うちらの思春期は、少しずつほどけていく。  おわり
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