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2 自分だけが偽善者
昔から、おせっかいな性格だった。
幼稚園のころ。けんかをしていた子たちがいた。ひとりの子が相手の子を突き飛ばして、転んでケガをした。うちは、先生よりも、誰よりもまっさきに駆け寄って、傷のようすを確認した。転んだ子をなぐさめて、水道に連れて行って傷口を洗って、先生に状況を報告した。
すると、みんながうちを褒めてくれたんだ。
「ゆらちゃん、先生よりも、先生みたい!」
「やっぱり、ゆらちゃん、たよりになるねー」
「ゆらちゃんがいると安心するー」
みんなが仲良しでいるために、うちはがんばった。
だって、みんなが仲良しでいてくれたほうが、安心だし、誰も傷つかない。ちょっときついことをいっちゃう子に、傷つけられた子がいたら、すぐにフォローしてあげた。
お昼のお弁当に嫌いなおかずが入ってたのに、先生に「好き嫌いはいけません」と怒られている子がいたら、こっそりと食べてあげた。うちもレタスは嫌いだったけれど、しょんぼりしている子を見るのはうちも悲しかったから。
目の前で傷ついている子を見るのは辛いから、うちのちからで助けられる子がいるなら、そうしてあげたいんだ。
「ではー今度の遠足でいっしょに行動するグループを決めたいと思います」
六時間目の総合の時間、近松先生がウグイスの鳴き声みたいにいった。一ヶ月後に行く、遠足の班決めだ。作るのは四人グループ。
周りの子たちがすんなりとグループを作っていくなか、うちとりとっちは、どの子たちとくっつくか決められずにいた。
「ゆらりん、どうする? 萌たちといっしょのグループになる?」
りとっちは、萌ちゃんと仲がいい。よくメイクの話で盛りあがっているとことを見かけたことがある。うちは共通の話題がないから、萌ちゃんとはあんまり話したことがない。でも、りとっちは萌ちゃんたちとくっつきたそう。
だけど、うちにはひとつ、気になっていることがあった。
「あのさ。れおちゃんがひとりのままだから、いっしょのグループになってあげたいんだけど」
「えっ」
「いいかな」
れおちゃんは、うちの後ろの席で、じっと窓の外を見つめている。はじめから、グループを作る気なんて、さらさらないって感じだ。
「ゆらりん。西園寺さんのこと、お気に入りだよねー」
「だって、まるで席を立つ気がなさそうだし。さすがに気になるでしょ」
「そりゃそうかもしれないけどさ。やっぱ、ゆらりんって変わってるー」
変わってる。
それ、前にもいわれたな。三年生の時だったっけ。そうだ、文菜にいわれたんだ。
うちらの学校は、児童数が少ないから、全学年一クラスしかない。つまり、一年生から六年生までクラス替えがない。だから、文菜と世知とも、ずっと同じクラス。
三年生のころまでは、文菜からも「ゆらちゃん」って呼ばれてた。でも、思ったことをはっきりいう性格は、昔から変わらなかった。
ある日、萌ちゃんと文菜をケンカしてたんだ。文菜が、萌ちゃんの何かが気に食わなかったらしい。めちゃくちゃ怒った文菜が、教室中に聞こえるような大声で叫んでた。
「あんた、小麦アレルギーなんだってね! 今度、給食の味噌汁に小麦いれといたげる! どうなっても知らないから!」
アレルギーは一歩間違ったら、命にかかわるような大変なことだって、授業で習ったばかりなのに。萌ちゃんはアレルギーがあるから、いつも食べ物には気をつかっている。地元のお祭りがあった日も、保存会の人たちから学校を通してお菓子をもらうときも、萌ちゃんだけは別のお菓子をもらう。
アレルギーはしょうがないことなのに。文菜は顔を真っ赤にして、萌ちゃんに怒っていた。
うちは、文菜と萌ちゃんのあいだに入った。文菜が、ぎろり、とうちをにらみつけた。敵意しかこもっていない瞳だった。
「いくらけんかしている相手だからって、アレルギーのことを持ち出すのは、やりすぎだと思うよ。アレルギーは、その反応しだいで大変なことになる可能性もあるって、先生がいってたし」
すると、文菜は心底失望したように息をついたあと、うちの肩を突き飛ばしてきた。
「ゆらちゃんってさ、変わってるよねー」
「え?」
「だってそうでしょ。今のこのけんかだって、ゆらちゃんには関係ないことなのに、出しゃばってきたんだもん。ゆらちゃんってさーもしかして『偽善者』?」
「なに、それ?」
「知らなーい。でもさ、うちのママにゆらちゃんのこと話したらさあ、『そこまで優しい子はなかなかいないけれど、偽善者、っていわれないといいわよねえ』っていってたんだよね」
それだけいうと、文菜は教室を出て行った。世知も後を追うように着いて行く。後ろから、萌ちゃんが何かをいったけれど、うちにはよく聞こえなかった。
今、うちは文菜に何をいわれたんだろう。ぎぜんしゃ、って何?
その日は家に帰ると、すぐにその言葉の意味を調べた。そして、ようやくわかった。
偽善者っていうのは、「見せかけの優しさを与える人」のことらしい。文菜のママは、うちのすることがにせものの親切だと思われないといい、と心配してくれたんだ。うちって、偽善者なのかな。偽物でも本物でも、親切は親切なんじゃないのかな。
その時は、そう思った。
六年生になった今、文菜も世知も、萌ちゃんも、クラス替えのないままに、それぞれうまくやっている。うちはどうだろう。
毎日毎日、前ぶれもなく現れる分かれ道を、これでいいのかなと、不安いっぱいに選択し続けている。
後ろの席で、微動だにしないれおちゃんに聞こえないように、りとっちがうちに耳打ちをした。
「んじゃあ、ゆらりんが、れおちゃんに話しかけてよね」
「うん」
うちとりとっち、二人して、れおちゃんの席を振り返った。
その時、純也が「うおー」と声をあげた。
「見ろよ。滝比と紙屋が、西園寺の席に声かけようとしてるぞー」
純也のはやしたてるようないい方に、クラス中がうちらに注目する。文菜と世知も、見せ物がはじまる時のような興味津々の目を向けてくる。
「お前ら、西園寺と同じグループになろうとしてんの?」
「だめなの?」
「何だよ、不機嫌だなー。おれは心配してんだぞ。大丈夫かなあって」
「よけいなお世話」
いい合いをしていると、バンッという音がした。れおちゃんが力まかせに机を叩いた。あたりがシーンと、静まり返る。
「あたしの席で、うるさくしないで」
「ごめん。うちらさ、れおちゃんと同じグループになろうと思って」
「いい。そんなものにあたしを入れないで」
「でもさ、他の子たち、もうグループ決まっちゃったみたいだよ」
教室を見渡すようにいう。さっきまで出来上がっていなかった四人グループは、うちと純也がケンカしているあいだに、すっかり決まっちゃったみたいだ。
「だからさ。いいでしょ」
「あたしをグループに入れようだなんて、頭おかしいんじゃないの」
れおちゃんの軽蔑するようないい方に、りとっちが「はあ?」と身を乗り出す。そこへ、純也が駆けこみ乗車の勢いであいだに割って入ってきた。
「んじゃ、おれも入れて、この四人で決定だなー」
「あんた、何いってんの」
りとっちが反発すると、純也は頭の後ろに手を組んで、へらっと笑った。
「だって、四人グループだろ。あと一枠、あまってるじゃん」
あわてて男子のグループのほうを見ると、みんな純也と距離を取っていた。
……そうか。純也って、男子からも女子からもあまり好かれていないんだっけ。空気が読めないからとか、デリカシーがないからとか、陰口をいわれているのを聞いたことがある。でもたまに男子とは話しているのを見るし、全員に嫌われているわけじゃないと思ってた。
「またこのメンバーか。しかたねえなー」
りとっちを見ると、明らかにしょんぼりしていた。りとっちは、純也が苦手だ。それに、れおちゃんのことも「よくわからないから怖い」と下校中に教えてくれていた。
なのに、うちはれおちゃんをグループに入れてしまった。これだけでも、りとっちには嫌な思いをさせたよね。それなのに、純也まで同じグループになっちゃうなんて。
でも、れおちゃんのことは本当に放っておけなかった。れおちゃんは自分のことを「悪人」だなんていっていたけれど、なぜか、そんなに悪い子じゃないと思っちゃうんだよね。
「滝比さんたちは、その四人でいいかな」
近松先生が、低学年にいうみたいに、のんびりと黒板に名前を書きこんでいく。いいかな、って聞いてるのに、先生のなかではもう決定しているらしい。
「滝比さんに、紙屋さんに、井成くんに、西園寺さん。いつものメンバーね。仲良しじゃない。楽しい思い出ができるといいね」
うちらがそれぞれ、不満に抱いていることがあったとしても、先生はそれが仕事だから関係ない。そして、うちらもそれを先生にいうことはしなかった。
「はい。みなさんのおかげで、遠足の班決めはとてもスムーズに終わりました。まだ時間がだいぶあるので、グループ研究の発表の続きをしますよー」
近松先生があいかわらずの、ウグイスみたいな声でいった。国語の時間のグループ研究が、かなり遅れているからだろうな。
グループ研究は、班ごとに研究したい物語を決めて、調べたことをまとめて、発表する。本当は、今日の国語の時間のときに、『どんな研究をするのか』という発表が行われるはずだったんだ。でも、うちの四班が大幅に遅れたので、ここまでずれこんでしまった。
まず、このグループ発表のメンバーが問題。メンバーは、うちとりとっち。そして、純也にれおちゃん。今の遠足のメンバーとまるまるいっしょなのだ。でも、グループ研究の班決めは席順だから、あきらめるしかなかった。
でも班での話し合いは、本当にまいった。主に純也がだだをこねてきて、「長いやつよりも短いやつがいい」とか、「簡単な話のほうがいい」とかいい出すの。だからどんどんとうちらの班だけ遅れていって、けっきょくテーマが決まるのは一番最後になってしまったんだ。
他の版の発表が、どんどん終わっていく。そして、いよいようちらの発表の番になった。
「じゃあ、四班のみなさん。前に出てきて、発表をお願いします」
近松先生にいわれ、うちとりとっち、そしてれおちゃんと純也が黒板の前へと進み出た。りとっちが、黒板に『四班 桃太郎』とチョークで書く。すると、クラスメイト達から「ええー」という声があがった。
「桃太郎なんて、簡単すぎ」
「ずるいぞー」
そりゃ、そうだよね。桃太郎なんて、小学生くらいになったら、読んだことはなくても、名前くらいは知っている子がほとんど。いや、読んでなくても、なんとなく内容だけ知っているなんて子もいるかも。
そもそも、なんで桃太郎になったのかというと。
うちらの住む県、なんと桃太郎の伝説があるんだって。他の県にもいくつかあるみたいなんだけど、うちの県にはその伝説のヒーローの神社が建っているらしい。
しかも、そのことを教えてくれたのは、れおちゃんだった。
純也が「長い話なんてめんどくせえよ、桃太郎くらいでいいよ」なんていい出したのが、きっかけ。りとっちが「教科書に載ってた、『銀河鉄道の夜』についてはどうかな。けっこう好きなお話だったんだよね」っていったら、「桃太郎とか簡単のでやんなきゃ、おれ、なんもしねえよ」なんて、ふてくされてしまったんだ。
そんなとき、ずっと黙っていたれおちゃんが、ぽつりといったの。
「犬山市ってところに、桃太郎神社ってところがあるわね。そこには、桃太郎や、イヌ、サル、キジのコンクリート像があって、桃太郎ゆかりの地として人気のスポットになっているみたい。B級的なあつかいではあるけれど」
「びーきゅう?」
「一風変わった観光地、ってこと。珍スポットともいわれているわね」
「うちの県で、桃太郎ってお話が生まれたかもしれないってこと?」
「まあ、そういう説があるって話」
「れおちゃん。すごいくわしいね!」
「……普通よ」
これで一番食いついたのが、純也だ。
「すっげえじゃん。行ってみようぜ、その神社! 面白そうじゃん」
正直、うちも桃太郎のコンクリート像がある神社なんて珍しいし、近場にあるなら、研究のネタも調べやすそうだから、いいかもなんて思った。でも、りとっちはやりたかったお話があったからか、不満そう。たぶん、純也の意見をれおちゃんが後押ししたかたちになったからなのもあるんだろうな。
「えっと、りとっち。どうかな、この意見で……」
「いいんじゃないかな。西園寺さんが意見を出すなんて、珍しいもんね」
どう見ても納得してなさそうだった。でも、うちはりとっちがそういってくれるなら、甘えようと思ってしまったんだ。
そんなわけで、うちらの研究テーマは『桃太郎』に決定した。
*
通学路には、まだまだ青いイチョウの木がずらりと並んでいる。
これが秋になると、きれいな紅葉をして、くさーいギンナンの実をつけるんだ。その時期になると、男子たちは落ちたギンナンの実を踏まないよう「地雷原だ」なんて叫んで、遊ぶ。それを、女子が冷めた目で笑っているのが恒例。
初夏のイチョウはというと、かわいい稲穂みたいな雌花をつける。緑色のおうぎの葉といっしょにひらひらとゆれて、ちょっと可愛い。
でもさ、この時期のイチョウもかわいいけれど、やっぱりイチョウの本領といえば秋だよ。黄色く染まりかけている途中の葉っぱって、ツートンカラーですっごく可愛いんだ。緑から黄色に変身していくみたいで、なんだか特別な感じがするの。
そのことを、隣で歩くりとっちにいったら「ああ、たしかにフレンチネイルみたい」だって。フレンチネイルって何って聞いたら、クスっと笑って「ネイルのデザインで、そういう柄があるんだよ」と教えてくれた。
りとっちは、かなりのオシャレ上級者なんだ。ファッション関係ならなんでもござれ。将来の夢はメイクアップアーティストなんだって。もう自分の夢が決まっているなんて、尊敬だよ。うちの友達って、すごいでしょって、自慢したいくらい。
「あ!」
後ろを歩いていた純也が、にやにやとうちらの前に回りこんで来た。
「紙屋のランドセルにクモがいるぞ! 逃げろー!」
純也が、りとっちを指さしながら、走って行く。
「えっ! いや! ゆらりん、取ってっ」
うちは急いで木の棒を取ると、クモをそっちに移した。優しく地面に戻してやると、りとっちは泣きそうな顔をして、ランドセルをおろし、ティッシュでごしごしとふきはじめた。
「そこまですることかよー。たかが、クモだろ」
純也が笑いながらいうけれど、りとっちは無視をして、ランドセルをふきつづけた。
「逃げろ、なんていっておきながら、たかがクモ、はないでしょ」
うちがいうと、純也は「へー」といって、他の男子のあとを追いかけて行った。
「……ありがとね、ゆらりん」
にこ、とほほ笑む、りとっち。でも、いつものりとっちの笑顔じゃない。ぜったい、むりに笑っているんだろうな。なんて言葉をかけたらいいんだろう。
「純也って、本当にデリカシーないよね」
「うん……」
「あの調子で、大丈夫なのかな。来年、中学生だってのにねー」
「ゆらりんってば、純也の心配までしてんの?」
りとっちは、泣きそうな顔をしながら、ゆっくりと顔を引きつらせていく。うちは、なんでりとっちがそんなことをいったのかわからなかった。
もうこの話題は止めようと思って、違う話をしはじめてしまった。
「そういえばさ、りとっち今日、すごくいいにおいするよ。どうして?」
「……あっ、そうなの。私、昨日からヘアマスクを変えてみたんだ。だから、ムスクの香りじゃないかな」
りとっちは、丸まったティッシュをポケットにいれると、ランドセルを背負い直した。
うちはというと、心臓がばくばくと太鼓みたいになっていた。それでも、会話をしなきゃと思って、むりやりテンションをあげていた。
「へ、へあますく? むすく?」
「もう、ゆらりんってば。オシャレにうといんだから」
はりつけたような笑顔のりとっちは、ていねいにヘアマスクとムスクのことを教えてくれる。
ヘアマスクは、髪の毛をトリートメントしたあと、さらに髪をちゅるんとさせたいときにする、髪の毛ケアアイテムのこと。ムスクは、ジャコウジカっていう鹿から取った分泌液で作った香りなんだって。鹿から香りが取れるって、どゆこと? 鹿って動物園みたいなにおいなんじゃないの?
世の中には、まだまだうちの知らないことがあるらしい。
すると、りとっちはひとりごとのようにつぶやいた。
「ゆらりんってさ、大人だよね」
「へ?」
「私だけじゃなくて、みんなの心配ができるのって、すごいと思う」
「え……」
「いつもは、ただの明るいやつってだけなのにね」
「いや、ひ、ひどー。りとっちってば」
「ふふ……」
口元を抑えて笑う、りとっちのクセ。上品で、大人って感じ。それにうちは、いいようのない距離感を感じた。うちとりとっちは幼稚園のころからの親友。ずっとずっと、うちの隣にいてくれたのは、りとっちだ。
なのに今、隣を歩いているりとっちからは、冷えた空気を感じる。まるで、初めて花屋敷で会ったときのれおちゃんみたいに。
総合病院の駐車場のところで、うちらは別れる。うちは右に曲がって、りとっちはこのまままっすぐ帰る。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
いつも通りに手を振って、いつものように別れる。ふう、と息をついた。
なんでりとっちと話していたのに、あんなに息苦しかったんだろう。
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