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3 にせものの優しさ
りとっちと別れたあとは、心がすかすかになったような足取りで、通学路を歩いた。
花屋敷が見えてくると、ついのぞきこんでしまう。もうクセだなあ。きれいなバラが「ようこそ」といいたげに咲いている。
五月になって気温が上がってくると同時に、にょきにょきと生えてきた雑草たちも、いつのまにかきちんと手入れされている。れおちゃんといっしょに住んでいるっていう、おばあさんがやっているのかな。
「何してるの」
れおちゃんだ。ガーデンテーブルに、ランドセルと置いているところだったみたい。敵を威嚇する、トラみたいな目つきで。だったられおちゃんは、真っ白で雪みたいなトラかな。
動物の動画を見て知ったんだけど、トラは群れたりしないんだって。ライオンのほうが、群れるらしい。トラは、繁殖期以外はずっと単独で行動するらしい。知らなかったな。
れおちゃんはライオンよりも、トラっぽい。教室で、背筋をピンと伸ばして本を読むれおちゃんは、いつだってかっこいいから。
「また、何か用なの」
「いや、その。花を、見たくて」
「……今日はしおらしいじゃない。いつも、うざいくらいにかまってくるのに」
れおちゃんにそういわれて、心のなかにせきとめていたものが、一気にあふれてきた。
「さっき、りとっちが男子にいじわるされてて。うち、フォローしたんだ。でも、うまい言葉をかけられなかったみたいで、なんだか気まずくなっちゃったの。それで、ぼーっと歩いてて、気づいたらここにいた……」
「はあ」
れおちゃんが、重いため息をついた。
そうだよね。こんな情けない悩みを聞かされても、困っちゃうよね。
「ぜいたくな悩みを持てて、うらやましいわね」
「え」
「自分が、他人の心を完璧に読めるとでも思いこんでるの?」
「……それは」
「他人の心なんて、どうせわからないんだから。だったら、自分に素直になったほうが、お得なんじゃない。後悔してるんでしょ。紙屋さんに、謝りにいったら。さっきは、うまく言葉をかけられなくてごめんって」
「でも、なんて謝ったらいいのかな。りとっちは、うちが純也の心配までしてたことが気になったみたいなの。でも、それって、別に普通のことだと思うし。怒るようなことなのかなって……」
すると、れおちゃんがランドセルをぼこんと叩いた。
「でもでも、うるさい」
うちをまっすぐに見つめている、れおちゃんの瞳。それは、教室で見るような冷ややかなものではなかった。
五月の風のような、穏やかなものだった。
つい、へらっと笑ってしまう。すると、れおちゃんは「ふう」と息をついて、ガーデンチェアに座った。つられて、うちもランドセルを背負ったまま、向かい側に座る。
「自分のしたことは、間違ってないっていいたいのね」
「違うよ。謝る理由もまだわかってないうちが、そのままの気持ちで謝るのは、りとっちに失礼じゃないかなって思うだけで……」
「なるほどね」
れおちゃんはテーブルにほおづえをついて、気のぬけた声でいった。
「だったら、けんかしたことなんて忘れて、どこかに出かけたらどう」
「でもどこに……」
「グループ研究があるじゃない。桃太郎神社に行けばいいでしょ。それなら、誘いやすいんじゃない」
「そっか!」
うち、どうやって、りとっちと仲良くなったのか、忘れてたよ。
幼稚園のころ、うちがりとっちに、「その髪どめ可愛いね」って声をかけたんだ。そうしたら、りとっちが「うちにもっとあるよ。見に来る?」っていってくれた。これが、うちらの付き合いのはじまり。
また、うちがりとっちに声をかければいいんだよね。
「でも確かに、あんたと紙屋さんで行ったほうが、元の二人に戻るきっかけが多いと思う。例えば、あなたたち二人で桃太郎神社の現地に行く、あたしと井成くんが図書館などで桃太郎の歴史を調べる……とかだったら自然じゃないかしら」
「完璧だよ! れおちゃん、すごい!」
「はいはい。じゃあ、グループ研究はそれで話を進めましょう。まったく、しょうがないやつね、あんたって」
うちは、今すぐにクラスのみんなに教えてあげたかった。
れおちゃんはクールに見えるかもしれないけれど、こんなにも頭がよくて、優しいんだってこと。
*
次の日は、水曜日だった。今日の二時間目は、国語の授業だ。
うちはさっそく、昨日れおちゃんが提案してくれたことをりとっちと純也に話した。
「二人ずつに分かれて、いっぽうは桃太郎神社を偵察班。もういっぽうは地域の歴史を調査するの。こうしたほうが、効率もいいし、ネタもたくさん収穫できそうじゃない?」
それっぽい理由をつけてみる。提案してくれたのがれおちゃんだってことは、いわないほうがいいって本人にいわれた。うちはいったほうが、みんなと仲良くなれるんじゃないかと思ったけれど、「簡単にはいかないものよ」といわれてしまった。だから、とりあえずはうちが提案したふうに話してる。
四つくっ付けた机。れおちゃんはうちの隣で、すました顔で座っている。
「ね。どうかな。いいと思わない?」
「……そうだなあ」
純也は気が進まなさそうだ。もともと、面倒なことには積極的じゃない純也。体育や図工など、実技授業は好きだけれど、座って学ぶ系の勉強は大嫌い。なんとかして、やる気になってくれないかなあ。
……って、いやいや、そうじゃないでしょ。今は、りとっちだ。りとっちと、話をしなくちゃ。
「どうかな、りとっち。桃太郎神社、面白そうじゃない? よかったら、りとっちとうちで今度……」
「西園寺さんと、そんなに仲良くなったんだ」
「……え?」
からっとしているけれど、どこか皮肉めいた、りとっちの声。いつも明るくて、好きなものの話題になるとワントーン高くなる、りとっちの声。でも、こんな声は聞いたことがなかった。
「西園寺さんのこと、さっきからちらちら見ててさ。何アピールなの、それ」
「え? れおちゃんのこと、見てないよ」
「気づいてないとか、やばいんだけど。ちょっと引く」
笑顔を引きつらせて、そっぽを向いてしまう、りとっち。それから何もしゃべらなくなってしまった。
今日は、だめだ。りとっちはうつむいちゃってる。純也は、やる気ゼロ。れおちゃんは、無表情。これじゃあ、グループ研究なんてできない。
とにかく、話を進めなくちゃ。また、他の班に追いぬかれちゃうよ。
「じゃ……じゃあ、とりあえず桃太郎神社に行く二人を決めようか」
いいながらも、頭のなかはりとっちのことでいっぱいだった。今までの、りとっちとの会話を思い出しながら、何がだめだったんだろうと考える。
わからない。どこがいけなかったんだろう。うちの何が、りとっちを傷つけたんだろう。
「……おれ、行きたい」
スッと手をあげたのは、純也だ。意外だった。純也が自分から手をあげるなんて、どうしたんだろう。
「……じゃあ、私が地域の歴史を調査する、ってやつやっておくから、三人で行って来たら?」
りとっちのそれには、完全に壁があった。あまりにも分厚くて、でももろくて、さみしそうな壁。
でも、うちは、それになんと返事をしたらいいのかわからなくて、ただりとっちを見つめることしかできなかった。
「別にこんなの、一人で十分でしょ。二人もいらなくない?」
「いや、でも」
かろうじて出した反論は、あまりにも小さくて、本当に分厚い壁の向こう側からいっているようだった。
「わかった」
れおちゃんが、口から冷気を吹き出すようにいった。
「それじゃあ、紙屋さんはそれで。井成くんは、桃太郎神社への行き方を調べておいて」
いい方は冷たい。でも、これまでとは違ったことがあった。れおちゃんがグループ内のみんなと視線を合わせたのだ。純也は目を丸くしていた。しかし、顔をあげたりとっちは、目があったとたん下を向いてしまった。
うちは、ノートのはじっこに書いていた「二人づつに分かれる!」と書かれたメモを、ひっそりと消しゴムでごしごしと消した。
休み時間。りとっちは何事もなかったかのように、違うグループの女子たちとおしゃべりをしている。今までずっと、うちといっしょに過ごしていたのにな、と思うと、見ていられなかった。
何で、りとっちのことを盗み見ないといけないんだろう。いつになったら、元の二人に戻れるのかな。
りとっちに謝ったほうがいいよね。でも、なにを謝ればいいんだろう。
うちって、そんなに悪いことしたのかな。
*
翌日。登校してきてすぐに、「ほい」と純也が差し出してきたのは、自由帳にびっしりと書かれた、桃太郎神社への行き方だった。
純也がこんなにしっかりと調べて来てくれるとは思わなくて、驚いた。後ろの席のれおちゃんといっしょになって、自由帳をのぞきこむ。
地元の駅に、十時五十五分集合という想定のスケジュールのようだった。そこから、十一時四分発の電車に乗って、一宮駅で降りる。そこから、十一時三十一分発の快速急行豊橋行きに乗り、名古屋駅で降りる。今度は、十一時五十三分発の犬山線、快速急行新鵜沼行きに乗り、十二時二十三分に犬山遊園駅で降りる。
最後は、犬山駅東口から犬山コミュニティーバスに乗る。栗栖・富岡線で桃太郎公園まで行く。
「これ、自分で調べたの?」
「そうだけど」
「どうやって?」
「スマホとか、ネットとか」
「へえ」
宿題をしょっちゅう忘れてきている、あの純也がいわれたことをきちんとやってきてくるだなんて、予想外の展開。れおちゃんも、「へえ」といいながら自由帳の文字を追っている。
「なんだよ。これでいいんだろ」
「そうね。ありがとう」
読み終わったものを閉じ、れおちゃんはそれを純也に返した。
「待てよ。行くんじゃないのか。いつ行くんだよ」
「えっと…二人の予定があうなら、今度の土曜日はどうかな」
ちらっと見ると、れおちゃんが「いいけど」とうなずいた。
「それじゃあ、土曜日。山崎駅の改札口に集合ね」
硬い表情の純也に、れおちゃんが機械音声のようにいった。ランドセルを背負ったままの純也は自由帳を脇にかかえて、自分の席に向かう。
今日の純也、なんか変だな。いつものふざけた感じがないし。いったことも、真面目にやってきてくれたし。何かあったのかな。
それに、りとっち。あれから、一度も口をきいていない。目が合いそうになると、そらされてしまう。もう何回、視線をそらされただろう。そのたびに、胸がぎゅっと苦しくなる。心臓がじんじんする。
クラスの子たちも、うちとりとっちの違和感に気づいたようだ。耳元で誰かに「ねえ」とささやかれる。文菜と世知がニヤニヤしながら、うちを見下ろしていた。
「紙屋さんと、ケンカしたの?」
「ちょっとね」
「滝比さんってさあ、わがままだよねえ」
文菜はきつねのように目を細めて、真っ赤なくちびるをゆがめた。
「西園寺さんにかまってばかりじゃん。変わった子が好きな自分に酔ってる感じ、すごいよ。紙屋さん、カワイソー」
「うちには何いってもいいけどさ。それは、れおちゃんに失礼じゃない?」
「うわー。この後におよんで、西園寺さんにまで気をつかってるー。ちょーやさしー。そのくせ、西園寺さんにも紙屋さんにも好かれたいとか、わがまますぎー」
文菜と世知は、「あはは」と笑いながら、逃げるようにして、自分の席に戻っていった。
手先が冷たい。頭のなかも真っ白だ。
うちだけ、世界から切り離されたみたいな気分。からだも、心も。
れおちゃんと仲よくしたい。りとっちとずっといっしょにいたい。みんなの心を守りたい。
やっぱり、うちは偽善者だったんだ。
文菜にはじめていわれたときは、わからなかった。でも、今はなんとなくわかる。『偽物の親切』なんてされたら、気分悪いよね。汚い感じがするし。
そりゃ、りとっちも嫌がるよ。
ああ、ばかなこと、してたな。
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