4 よるは友達

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4 よるは友達

 土曜日、山崎駅の改札に行くと、すでにれおちゃんと純也が待っていた。ふたりだけで何を話していたんだろう、と思ったけれど、すぐにわかった。 「おい、滝比! こいつ、おれがあいさつしてやってんのに返事もねえんだけど! 雑談しようと話題ふっても、無視なんだぜ!」 「そ、そっかあ……」  やっぱり、れおちゃんはれおちゃんだった。まだまだ、仲良しへの道は遠いらしい。でも今日は時間がたっぷりある。少しでも、れおちゃんと仲良くなれるといいな。  なんて。ああ、だめだ。また、いい子ぶってる。これが、りとっちや文菜がいってた、偽善者なうちの悪いところなんだよね。  りとっちに、ずっと『偽善者』だったこと、謝りたい。前まではSNSのDMで毎日のようにやりとりしていたのに、最近はすっかりしなくなった。こっちから送ろうかな、とは思いつつもうちからのDMなんて迷惑なんじゃないかとかぐるぐる考えてしまって、結局、まだ何も送れないでいた。  やってきた電車に乗ると、乗客はがらがらだった。さすが、無人駅。  ロングシートのすみっこから、れおちゃん、うち、純也の順に座る。電車が走り出しても、うちらのあいだに、特に会話はなかった。  山崎駅に来るのは、各駅で停車する普通電車のみ。一宮駅へはのんびりと行くことになる。左隣に座る純也をチラリと見ると、自由帳で桃太郎神社への行き方をおさらいしていた。  今日の純也はおとなしい。ふだんの授業中とかは、「腹へった」だの「遊びてー」だの、うるさいし、遠足のバスのなかでは「つまんねー」だの「ゲームしてー」だの、うるさい。  そんな純也が、このグループ研究に積極的になっているなんて、今日の午後から雨でも降ったりするんじゃないかな。  ガタンゴトンと、電車が田んぼばかりの風景を窓に映している。変わり映えのない景色を背に、れおちゃんはすました顔をして座っていた。天井からぶら下がっている広告を読んでいるみたい。 「どうかしたの」  何もいわずに見つめていたせいか、れおちゃんが不審がってる。 「えっと、お昼はどうする?」 「桃太郎神社の近くに、レストランがあるはずよ。混んでなければ、そこでとりましょう」 「そうだね」  ぽっ、と心があたたまる。すると純也が、うちとれおちゃんのほうへと身を乗り出し、不満そうにくちびるをとがらせた。 「おい、西園寺。何でおれが話しかけたときは、返事しなかったんだよ」 「……あんたが息つく暇もなく話題をぽんぽん投げてくるから、私は聞くしかなかっただけ。返事するよゆうなんて、なかった。それだけよ」 「そうだっけ」 「そう」  純也がこてんと耳を肩につけて、あさってのほうを向いている。その時のことを思い出しているようだ。れおちゃんはというと、教室にいるときよりも、なんだか楽しそうに見える。気のせいかな。  れおちゃんと、あの花屋敷で出会えた。それだけで、うちにとっては、奇跡だから。  *  うちは両親が共働きで、お父さんもお母さんも帰りが遅い。  お母さんが帰ってくる十八時までは、宿題をやったり、うちができるような家事を手伝ったりして、時間をつぶしていた。  小学校三年生のころ。それは、文菜と萌ちゃんのケンカがあった日のあとだった。  いつも通り、親が帰ってくるまでの時間、家事や料理をしていた。いつもは、時間をもてあましたら、勉強をしたり、動画をみたりしていたけれど、その日はなんとなく、外に出たくなった。文菜にいわれたことが、その日一日、ずっと胸に引っかかっていたんだ。  ぼんやりと歩いていると、いつのまにか花屋敷の前まで来ていた。門の前に、小さな黒い点が落ちていた。ちがった、猫だ。  夕方と夜のはざまみたいな毛色の猫。首輪はつけていない。たぶん、野良猫だ。うちとぱっちり、目があうと「にゃあ」と鳴いた。  それから、何度かその猫と会った。うちはその子にこっそりと、『よる』という名前をつけた。まわりで誰も見ていないのを確認してから「よる、よーる」と呼んだ。すると、よるは「にゃ」と返事をした。よるの声を聞くと、ぽっと心があたたまった。  両親が帰ってくるまでのあいだ、花屋敷の門の前は、うちとよるの、ひみつの待ち合わせ場所になった。よるのお腹はもふもふで、あたたかかった。お月さまみたいな丸みがあって、うちが小さいころ、お母さんが焼いてくれたパンケーキみたいに、ふっくらしていた。  コンビニで買ってきたパンケーキを、最近食べた。おいしかった。おいしいけれど、コンビニのやつは、あったかくない。チンして食べても、お母さんのとはやっぱりちょっと違った。  学校からの帰り道も花屋敷の前まで来ると、よるが待っていてくれるようになった。うちはランドセルもおろさないまま、よるの隣に座って、学校であったことを話した。 「今日も、『ゆらちゃんは優しいね』っていってもらえたよ。消しゴムを忘れた子に、うちのを半分わってあげたの。消しゴムをあげた子、すごく喜んでくれた」  よるは、うちの話を黙って聞いてくれる。  真っ黒な瞳は、昔、家族で海に行ったときに見かけた、黒くて丸い石に似ている。遠く離れたところから見つけて、うちが「見て、きらきら光ってる」って指をさしたら、お父さんが「あれはウミガメだよ」って教えてくれたんだ。地域の保護対象だから、近づいてはいけないんだって。  よるの目は、何でもお見通しだよ、といわんばかりにミステリアスで、そして優しい。うちはそんなよるが、大好きだった。いつか、よるをうちにお迎えできたらいいのにな。うちがもう少し大きくなったら、お父さんとお母さんによるのことを打ち明けよう。それまではこの花屋敷の門の前が、うちらの待ち合わせ場所だよね。  まだ小学三年生だったうちは、そんなことをのんびりと考えていた。  なのに、よると出会って、半年がたったころ。よるが花屋敷の待ち合わせ場所に来なくなった。今まで、少なくとも晴れの日は必ず、よるは花屋敷の門の前でうちを待ってくれていた。なのに、どうしたんだろう。  最初のうちは、猫の気まぐれかなと思って、すぐに帰ったりしてた。でも、それから一ヶ月たっても、よるはすがたを現さなかった。  よるに、話したいことがたくさんあった。  クラスの子たちには、親友が何人もいるんだって。でも、うちには、りとっちしかいない。ううん。もちろん、りとっちだけがいれば、それでいい。そう思ってたのに。りとっちには、うち以外にも仲良しの友達がいる。他のクラスだったり、習い事やイベントで知りあった子、インターネットの世界にもいるっていってた。  うちは共働きだから、送り迎えのある習い事はまだやらせてもらえない。インタネットなんて、ほとんどやったこともないし。でも、それでもいっしょにいてくれるってことは、りとっちにとって、うちはの一番の友達ってことだよね。  今日、「なんでりとっちは、うちのそばにいてくれるの」ってなんとなく聞いてみた。すると、「ゆらりんは、優しいから」だって。ああ、よかった。やっぱり、今までうちがしてきたことは正しかった。うちは『偽善者』じゃなかったんだって、安心できたんだ。  それを話したかったのに、どうして会いに来てくれないの、よる。いったい、どこに行っちゃったの。  よると会えなくなってから、一ヶ月半がたったころ。  夕ごはんのあと。うちは、お母さんに頼んだ。 「パソコン、さわってもいい?」  ネットのことを勉強したら、りとっちともっと仲良くなれるかもしれないと思ったんだ。お母さんは、「三十分だけね」と許してくれた。  うちは登録しなくても閲覧できるSNSを開いて、みんながどんなことを書きこんでいるのかをながめることにした。りとっちが、よくこうやって、世の中のオシャレを研究してるっていっていたから。  うちは何を研究しようかな。そうだ。猫のことを研究しよう。うちは検索できるところをひらいて、「猫」と打ちこんだ。すると、たくさんの情報が流れてきた。うわ、こんなに見切れないよ。  するするとスクロールしていると、流れてきたなかに「保護猫」という文字が見えた。うちは気になって、その書きこみを大きく表示した。 「【保護猫】  山崎駅付近で保護しました。  黒い毛並み、成猫のオスです。  首輪なしでしたが、人懐っこいので、飼われていたのではないかと思い、投稿します。  飼い主のかたは、ご連絡お待ちしております」 「よる……?」  一目でわかった。ずっと隣にいて、うちの話を聞いてくれていた、よる。パンケーキみたいなほかほかの丸いお腹、ウミガメのような黒い瞳。こんなところにいたんだ。連絡したい、そう思って、そのアカウントのホーム画面に飛んだ。  そこには、つい最近の投稿が固定されていた。 「先日、保護した黒猫ちゃんは、本日天国へと旅立ちました。  自分で寿命の近さを悟り、旅立ちの場所を探していたところ、私が保護したのだと思います。  さいごは安らかな顔で、眠るように旅立っていかれました。  みなさま、黒猫さんへのたくさんの情報、ありがとうございました」  その投稿には、たくさんのいいねやコメントがついていた。しかし、うちの頭のなかは動揺と悲しみでいっぱいだった。 「ぜんぜん……いいねじゃないよ……」  よる、話したいことがたくさんあったのに。  なんでこんなかたちで、よるのことを知らなくちゃいけないの。どうして、うちの前から消えたの。なんで知らない人の家から、天国に行っちゃったの。ひどいよ。ひどい。  うちはそっとパソコンを閉じた。お母さんに「もう寝るね」といって立つと、「どうかしたの」と聞かれたので、「なんでもないよ」と答えた。  布団のなかで、ぐるぐるぐるぐると、よるの気持ちを考えた。  うちを悲しませたくなかったんだ。だから、花屋敷に来なくなったんだ。うちのことを気づかってくれたんだよね、よる……。優しい子。  ネットをしてなかったら、よるのこと、ずっと知らずにいた。あのアカウントの人に連絡したら、よるに会えるのかな。でも、どうやって連絡したらいいんだろう。ネット初心者のうちには、どうすることもできない。お母さんに聞こうとしたけれど、「何しようとしてるの」って驚かせちゃうだろうから、いえなかった。  結局、うちは何もできないまま、よるとの思い出だけを忘れずにいることしかできなかった。  うちは、偽善者だ。クラスのみんな、そのことに気づいていた。だから今まで、うちには友達や親友と呼べるような子が、いなかったんだ。誰の味方にもならないから。  だから、どんな状況でも自分の意思を貫くれおちゃんが、うちにはとりわけ、まぶしく見えたんだ。  れおちゃんは、猫みたいに警戒心が強かった。  トラみたいに孤高で、ライオンみたいに強い。  れおちゃんと出会った瞬間、花屋敷は、よるとの思い出の場所から、違う場所に生まれ変わりそうな予感がした。  十一時三十一分発の快速急行豊橋行きに乗りこんで、名古屋駅へ。また、乗り換えて、今度は十一時五十三分発の快速急行新鵜沼行きで、犬山遊園駅へ向かう。  十二時二十三分。やっと、犬山駅についた。東口から出て、そこから犬山コミュニティーバスに乗る。  快晴の空が広がる外に出ると、れおちゃんが思い出したようにいった。 「そういえば、井成くん。その自由帳、バスに乗る時刻が書いてなかったようだけど」 「へ?」  純也が漫画のように口をへの字にする。 「栗栖・富岡線で桃太郎公園まで、というのは調べたみたいだけれど、何時のバスを待てばいいの?」  純也の口が、ゆっくりと「あ」のかたちになっていく。ぽっかりと空いたその口からは、今にも「しまった」という言葉があふれてきそうだ。 「忘れたのね、そう」  伊吹おろしのように冷たい、れおちゃんのひとことに、純也はしゅんとなる。  うちはあわてて、時刻表を指差した。 「このコミュニティーバス、次に来るのは十四時三十六分みたい。まだ、だいぶあるよ。だからさ、もう歩いて行っちゃわない?」 「え……でも、遠いだろ」 「さっきスマホで調べたけど、ここから桃太郎神社まで歩いて四十五分みたい。だから、十三時には着けるよ」  ぐううう。  マンガみたいなタイミングで、純也のお腹が鳴った。うちは思わず「ぶふっ」と吹き出すと、純也も「うははっ」といつものイタズラ好きの笑顔を浮かべた。 「もうこのへんで、ご飯食べてく?」 「いや、さっさと行って、レストランでメシにしようぜ。あるんだろ? 桃太郎神社のそばに、レストランがさ。四十五分なんて、らくしょー」  純也がスマホの地図アプリを開いて、経路を検索しはじめた。すると、れおちゃんがうちの隣に立って、ぼそりといった。 「井成くん。時間の調べ忘れくらいで落ちこむなんて、けっこう繊細なのね」 「え?」  純也が繊細だなんて、ありえないよ。  暇さえあれば、すぐに誰かをからかったり、冷やかしたりするような、いたずら好きだもん。真剣な場でも、おどけたり、ふざけたりして、たびたび先生を困らせてる。繊細とは一番、縁遠いやつだと思う。 「れおちゃんは、転校してきたばかりだもんね」  そういって、うちがこそこそと純也の人柄を説明してあげると、れおちゃんはきゅ、とくちびるを結んで、ゆるゆると首を振った。 「あなたは、大きな桃にばかり気を取られて、なかに入っている肝心の赤ん坊に気づいていないのよ」  桃太郎の話?  確かに、桃太郎の桃はものすごく大きい。だって、なかに赤ちゃんが入っているんだもん。ピーチパイが何枚焼けるだろうか、って話よ。  れおちゃん、なんで桃太郎の話をしたんだろう。  地図アプリを見ながら、うちらはさっそく、桃太郎神社へと歩き出した。  駅の近くの踏切を渡ったら、来栖犬山線を木曽川にそってまっすぐ歩いていく。山だ。うちらが住んでる町からも天気がいい日は山がくっきり見える。でも今歩いている道は、山そのものを登っている感じ。草や木の香りが空気に混ざりあって、からだに降り注いでくるみたい。なんだか空気もおいしく感じる。いや、お腹が空いてるだけかもしんないけど。  信号を通りすぎると、桃太郎神社の看板があった。「子供の守り神 桃太郎神社」と書かれている。その下には「お食事とおみやげは 桃太郎公園」だって。 「桃太郎公園って、どんな公園だろうね」  すると、純也がすぐに「だな」と返事をしてくれる。 「桃太郎神社への行き方を調べたときに、色んな画像を見たけど、例のコンクリート像、かなりヤバかったぞ」 「でも、大人気スポットなんでしょ?」 「人気かもしれんけどさ。ハデハデに塗られた像がいくつも神社に飾ってあるんだよ。あれ、夜に見たらまじで怖いと思う」 「そんなにっ?」 「なー西園寺。すげー怖いよな、あれ」  案の定、れおちゃんは答えないので、うちが代わりに「うんうん」と相槌をうった。 「桃太郎神社のことを教えてくれたのは、れおちゃんだしね。かなりくわしいと思うよ」 「そういや、そうだったなー。じゃあ、無知なのは、滝比だけじゃん」  純也はニヤリとして、うちの顔をのぞきこんでくる。うちは少し、ムッとする。「無知」ってさ。そこまでいわれる筋合いないし、桃太郎神社のことなんて知ってる人のほうが少ないんじゃないの。 「びっくりすると思う」  ニシシ、と歯を見せて笑う純也。 「は?」 「桃太郎神社に着いたら、目ん玉飛び出るぞ。やばすぎて。楽しみにしてろよ」  そんなふうにいわれると、ムッとしてた気持ちがスッとおさまっていく。うちって、単純?  りとっちやクラスの女子は、いつも純也の言葉に怒ったり、傷ついたりしていた。でも、今のうちは純也の言葉にわくわくさせられている。なんだか、変な気持ちだな。
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