5 いつからが子どもで、いつからがおとななの

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5 いつからが子どもで、いつからがおとななの

 ひたすら、歩いて歩いて、足を前に出すのが辛くなってきたころ、大きな看板が見えてくる。近づくと「歓迎 桃太郎神社 桃太郎公園」とでかでか書かれている。そして、その下には「名物 木の芽でんがく きびだんご」。 「きびだんご! まじに桃太郎だ!」  純也が叫ぶ。純也のお腹、もう数分前から雷みたいな音が、ぐうぐうと鳴り続けていたもんね。  さらに数メートル歩くと、「レストラン桃太郎」と書かかれた大きな看板が見えてきた。いよいよ、純也が走り出す。 「早く行こうぜ! おれ、もうだめだ!」  大賛成。もうずっと、うちもお腹ぺこぺこだったんだ。ふり返ると、れおちゃんもお腹をさすっている。みんな、ガマンしてたんだ。運動会の徒競走みたいに、うちらはレストラン桃太郎に向かって、走り出した。  入ると、すぐに食品サンプルのガラスケースがあった。もうこれだけで、よだれがたれそう。右手のほうに犬山のおみやげも売っているみたいだったけど、今のうちらはそれどころじゃない。お腹がすいてすいて、もう大変よ。おしながきを見ると、おいしそうなメニューがたくさん載っていた。 「木の芽でんがく……これ、さっき看板に書いてあったやつだ。でんがくって何だろう?」  うちがいうと、純也もとんとんと違うメニューを指さした。 「他にも、いもでんがく、つぼでんがくとかあるぞ。名物だってよ」 「わからないものを注文するのはなー」  すると、れおちゃんが「ふう」と息をついた。 「お店の人に聞けばいいんじゃないの?」 「だな!」 「えっ?」 「おれ、聞いてみるわ」 「あ……ありがとう。お願い」 「おう。すいませーん」  純也が手をあげると、奥から優しそうなおばあさんが、水の乗ったおぼんを持って出てきた。おしぼりも置いてくれる。そして純也の質問に、ていねいに答えてくれた。  でんがくっていうのは、串にさしたものに、味噌をたっぷり塗って、焼いたもののことなんだって。  木の芽でんがくは、木の芽っていうサンショウの新芽を使った味噌を塗ったでんがくで、つぼでんがくは、まさかの、タニシのでんがくなんだって! タニシって、あのタニシだよね。ううーん、うちは遠慮しようかな。 「おれ、いもでんがくにするわ」  純也も、顔を引きつらせてる。れおちゃんはどうするのかな、と思って見ると、不思議そうに目を丸くしていた。どうしたんだろう。 「れおちゃん? どうしたの」 「え」 「メニュー、決まった?」 「あ……じゃあ、木の芽田楽にする」 「うちといっしょだね。じゃあ、それでお願いします」  ニコッと笑って注文すると、おばあさんは奥の調理場に入って行った。なかには、おじいさんがいた。ふたりで経営しているのかな。  少しして、おばあさんが料理を持って来てくれた。給食や、ショッピングモールの飲食店とはまた雰囲気が違う。ちょっと背筋がピンとする感じの料理だ。そして、でんがく。初めて見たよー。  四角いお盆にきんぴら、ひじき、おつけ物、お味噌汁、ごはん。そして、細長いお皿に、たっぷりの味噌が乗った豆腐が七本。これが、でんがくかあ、 「見ろ見ろ。わりばしの袋に、桃太郎って書いてあるぞ。これ、グループ研究の資料用に持って帰ろうぜ」 「ええ、これが研究の資料になるの?」  うちがあきれていると、隣に座っているれおちゃんがてきぱきと、わりばしの袋をカバンにしまっているのが見えた。すると純也は心底嬉しそうな顔をして、リュックにわりばしの袋をしまった。なので、うちもふたりに習って、わりばしの袋をカバンにしまうことにした。  そして、でんがく。これが、すごくおいしい。味噌に、秘密があるのかな。普段、自分で作ったごはんなんて、何とも思わないのにね。きんぴらもひじきも、そんなに好きじゃないのに、なぜかすごくおいしく感じるんだ。だから、あっというまに食べちゃった。  一足先に空腹を満たした純也が、犬山みやげを物色しはじめた。犬山の特産品や、桃太郎神社のお土産などが、ずらりと並んでいる。  食事の会計をすませたあと、うちも見てみたけれど、帰りの交通費のことを考えて、あきらめることにした。小学生に、桃太郎レストランの食事代はちょっと高かったのだ。でも、腹ぺこだったし、大満足。  お腹もふくれたところで、さっそく桃太郎神社へ向かう。 「さっきのレストランで、木刀買おうとしたんだけどなかったんだよなー」 「えっ、ほしかったの?」 「鬼退治に必要だろ」 「はあ」  男子って、あいかわらずよくわかんない、と呆れていると、視界に赤い物体が飛びこんできた。お、鬼だ。  神社に、赤い鬼がいる。  桃太郎神社の真ん前まで来ると、いよいよ、うちはあぜんとしてしまった。神社の境内のあちこちに、カラフルな像が立っているのだ。鳥居のまん中にはきびだんごのようなものを持ったサル。武士のかっこうをして、二本足で立っている。その向こうには、イヌとキジもいた。  奥の鳥居には、桃から今にも生まれました、といわんばかりの赤ん坊。間違いなく桃太郎だ。うちらより少し低いくらいの背丈の像が、いたるところにある。 「わー。なんなのここ……」 「想像以上に興味深いところね」 「れおちゃんはここのこと、くわしかったけど、こういうところによく来るの?」 「知識として知っているだけ。犬山市自体はたまに来ることはあったけれど、目当ては図書館のほう。そこについ長居しちゃうから、結局こっちまでまわるよゆうがなかったのは事実よね……でも、今日来れたから、よかった」  れおちゃんの声がはずんでいる。目もきらきらと輝いてる。  あのれおちゃんをここまでわくわくさせるなんて、すごい場所だ。  でもさ、ここ本当に大丈夫? まじの鬼が出るんじゃないかと思えてくる。それぐらい、妙なオーラがあるんだ。  なんて思っていたら、純也がぺこりと礼をしてから、鳥居を通って行った。 「井成くん、参拝マナーをちゃんと知ってるのね」 「参拝マナー?」  れおちゃんもぺこりと礼をしたので、うちもそれにならった。 「神社に入る前には一礼する。参拝マナーのひとつよ」 「純也、知ってるなんてすごいじゃん」  追いつくと、純也はふてくされたような顔をして、足元の砂利を見つめていた。 「あー。おれ、よくじいちゃんちに預けられてたから、そういうの、じいちゃんとばあちゃんに叩きこまれてんだよ。そんだけ」  何でもないことのようにいう純也は、スニーカーのつま先で砂利をざく、と蹴った。 「それよりさ、すげーぞ。滝比、西園寺、これ見ろよ」  純也が読んでいたのは、岩の説明だった。どんなものかというと、桃太郎のおばあさんが、川で洗濯に使っていた……と思われる岩、らしい。白い看板には「洗濯岩」とあって『ここのすぐそばを流れている木曽川で、洗濯をしていたおばあさんが使っていた岩をここに移動させてきた』というようなことが書いてある。この岩には、おばあさんの足跡まで残っているらしい。 「えっ。足跡って、岩に残るのか?」 「そんなわけはないわね。ロマンってやつよ」 「西園寺がそんなふうにいうなんて、意外だな」 「は?」 「てっきり『残るわけないでしょ』って切り捨てられるかと思った」  すると、れおちゃんはぶすっとした顔をして、不機嫌そうにする。 「そういわれたいなら、お望み通りにするけれど」 「いや、いいじゃん。おれ、ロマンって言葉、好きだぞ」  すたすたと歩いていく純也に、れおちゃんは呆然としている。 「あたしの言葉に傷つかないなんて」 「れおちゃん?」 「……なんでもない」  れおちゃん、「あたしの言葉に傷つかないなんて」って、どういうこと?  今、純也を傷つけたかったってこと?  やっぱり、れおちゃんは……わざと、誰かを傷つけるようないい方をしてたのかな。  だとしたら、理由はなんだろう。  れおちゃんがたまにする、あの目。花屋敷の前で、うちのことを待っていた、よると同じ目。さみしいのを、ずっとずっとガマンしていた、ウミガメのような黒い瞳。  だから、うちもれおちゃんを、待つよ。れおちゃんが抱えているものを話してくれる、その日まで。 「まーじで、見どころしかないわ。この神社」  純也のいうとおり、面白いところがたくさんあって、ちょっとしたテーマパークみたいな空気感がある。  でも、いたるとこにいるのが、着ぐるみや、キャストのお姉さんだったら、うちももっとわくわくしたかもしれない。でも、ここにあるのは、鬼や桃太郎の家来たち。それらが、境内を歩くうちらをコンクリートの瞳で、ジッと見上げてくり。そわそわしちゃうよ。  突き当たりにあった階段を登ると、本殿があった。その隣には、桃太郎に倒され、泣いて謝っている、鬼の像。その下には、ちょろちょろと小さな川が流れていた。鬼の涙でできた川のようだ。近くで、鬼に勝利した桃太郎が、扇子を広げている像も見つけた。 「よく見ると、この像、桃太郎の話にそって置かれてね? 入ってすぐの桃太郎も、桃から生まれたところだったし」 「そうみたいだね」  はじめは不気味だったけれど、だんだんと可愛いと思えるようになってきた。よく見ると、ひとつひとつの表情にも個性がある。  れおちゃんによると、この像はずいぶんと昔に作られたものらしい。なのに状態もきれいで、色も落ちていないのは、何年かに一度、塗り直されているからなんだって。大切にされてるんだな。 「こりゃあ、グループ研究の発表、おれらが一位じゃね? こんなに面白い発表、他の班じゃできないだろ」 「まだ発表するものがひとつもできてないのに、なにいってんの」  うちと純也が笑いあっていると、れおちゃんが腕時計を見て、いった。 「バスの時間もあるし、そろそろ帰ったほうがよさそうね」 「れおちゃん、ちゃんとバスの時間を見てくれてたんだ」 「あんたらが頼りないからね。仕方なくよ」  さっさと神社を出て行くれおちゃんの背を、うちと純也が駆け足で追う。 「西園寺って、思ってたよりも全然いいやつじゃん」 「へらへらしないで。へらへらがうつる」  きっぱりといい放つ、れおちゃん。 「あたしはね、あんたみたいなバカっぽいやつが大嫌いなの」 「そんなこというなよ」  桃太郎神社を囲む木々の群れが、ざわっとゆれた。れおちゃんの長い黒髪を舞いあがらせる。 「西園寺って、本当に嫌われたくて、そんな態度してるわけじゃないんだろ。嫌われたいやつはグループのために、ここまでいっしょに来ないもんな」 「なんなのよ、あんたは」  一足先にバス停に着いたれおちゃんの横に、うち、純也で並ぶ。大きな桃ひとつぶんくらい空間を空けて、うちらは立った。ソーシャルディスタンスともいえない、不思議な距離だ。 「あんた、なんで、傷つかないの?」 「なんで傷つけたいと思うんだよ。だから、クラスでもみんなに冷たい態度、とってたのか」 「あたしのこと、全部わかったふうにいわないでよ!」  れおちゃんが、ライオンみたいに吠えた。人通りの少ない静かな道路で、うちら三人の周りだけが、切り取った学校の教室みたいだった。  純也は少しだけだまって、れおちゃんをジッと見つめている。それから、「うん」とうなずいた。 「よくわからんけど、もうお前の言葉には慣れた」  からかうようにいう純也に、れおちゃんの肩がふるふると震えはじめる。顔もさっき見た赤鬼みたいに真っ赤になって、今にも純也につかみかかろうかという勢いだ。 「あんた、傷つきなれてんのね」 「突然、なんだよ」 「その心についた傷。けっこう古いわよね」 「古い傷……?」  れおちゃんのいっている意味が、わからなかった。  純也の『心に古傷』があるの? それって、何なの? 傷ってからだにつくものだし、そもそも心なんて見えないのに。  純也も不思議そうにしている。うちと同様、れおちゃんが何をいっているのか、わからないみたいだ。 「誰があんたを傷つけたのか知らないけど、そこまで消えない傷も珍しいじゃない。その根深さ、親にでもやられたの?」 「親……」  れおちゃんの言葉は、あきらかにエスカレートしていってる。純也も、心底戸惑っているようだった。 「心とか、傷とか知らねー。おれ、親にほとんど会わないし」  すると、今度はれおちゃんが傷ついたように目を伏せた。ゆっくりとしたスピードで、車が通りすぎていく。もう何台、通りすぎただろうか。バスは、まだ来ない。 「ふたりとも、夜遅くにしか帰ってこないんだよなー。忙しいとかで。三年生くらいのとき、母さんに『おれのことなんかどうでもいいんだろ』っていったら泣かれちゃって、帰ってきた父さんにすげえ怒られた。『何も知らない子どもが偉そうにするな。働いたことのない、ガキのくせに』ってさ。おれって、ふたりの子どもなのに、何も知らなかったらしい。そりゃ、いってくれなきゃわからないよな。おれ、いわれなきゃ、気づけないもん。教室のやつらにも、空気読めないって、よくいわれるしさ。だからまだ、親のこと、何も知らないままだよ。でも、何もいえない。いっちゃいけないんだ。母さんに、泣かれたくないもんな」  純也は泣きそうな顔をしていた。うちは、何もいえなくて、でも何かいいたくて、もどかしそうにしていたら、純也が見たこともない下手くそな笑みを浮かべた。 「このあいだもさ、またヘタなこといって、親を困らせたんだよ。最近おれ、クラスで浮きまくってるだろ。それが、本当はすごく辛くてさ。『おれがクラスで空気が読めないのは、親のせいだ』なんて、逆ギレしちゃって。また父さんに叱られた。『ガキが努力もしてないくせに』っていわれた。だから、悔しくてさ。今回も、桃太郎神社のこと、すげえ調べた。バスの時間、調べ忘れたけどな。本当、だめだよな。おれ」  あたりまえに通りすぎていく風が、純也が着ているパーカーのフードをゆらした。純也の気持ちを初めて知って、それが子どものうちにはどうすることもできないようなもどかしさで、喉に魚の小骨が引っかかったみたいに、チクチクと痛んだ。  おとなたちは、いつもうちらの隣にいるのに、とてつもなく離れたところに立っているようだった。ただの十二歳でしかないうちらの耳に、大人の世界の言葉は、異国の言葉のように聞こえるときがあるんだ。  いつかはうちらもおとなになる。いつもおとなになりたいと思っているのに、今はおとなになりたくないとも思う。うちも、おとなになったら、自分の子どもに「偉そうにするな」なんて、いうときがくるのかな。  今のうちは、子どもだから純也の気持ちがわかるのかな。おとなになってしまったら、今の純也の気持ちはわからなくなるのかな。 「で、西園寺。おれの心に傷がついてるって、どういうこと?」 「あんたには関係ない」 「もしかして、西園寺って心が見えるの?」 「やっぱり、バカでしょ。そんなこと、あるわけない」 「いや、でもおれの心が見えたから、あんなこといったんだろ」  バス停に、ゆっくりとバスが近づいてくる。バスには誰も乗っていなかった。純也が一番後ろの席に行ったので、うちも続いた。しかし、れおちゃんは真ん中の二人掛けの席に座った。 「おい、西園寺。なんでそんな遠くに座るんだよ。滝比。お前、隣に座りに行け。俺、通路をはさんだ隣に座るから」 「え、う、うん……」  純也がうちを引っぱりあげ、背中を押してきた。 「きみたち、もう出発するから、早く座ってー」  バッグミラーで、運転手さんに注意された。純也が「はいはーい」といいながら、うちをれおちゃんの隣のいすに押しこんだ。れおちゃんが、うらめしそうににらんでくる。うちは、「はは……」と乾いた笑いをこぼすことしかできなかった。  バスが出発した。桃太郎神社の景色が、映画のワンシーンのように遠ざかっていく。  れおちゃんの横顔は、ここではないどこかを見つめている。純也が「さっきのことだけどさ……」と続けているけれど、それからのれおちゃんは二度と口を開かなかった。
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