7 ほんとうの鬼

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7 ほんとうの鬼

 シーナさんの話は、こうだった。  心が見えるようになったきっかけとか、原因とかはなく、ただ気づいたら見えるようになっていた。気づいたら、言葉が話せるようになっているように、それは自分にとって自然なもの、だと思っていたらしい。  小学生ごろ、自分は他の子とは何かが違うと、気づくまでは。 「でも、自分の娘には、嘘をつきたくなかった。娘が成人したとき、打ちあけよう。そう思っていたの。  だけど、タイミングが悪かった。娘が、思春期のころ、魔がさして、お店のものを盗んでしまったことがあったの。娘にそのことを問いただしているとき、『嘘をついている自分が恥ずかしくないの』とせめた。そして、娘の心が傷ついたところが見えた。 『ほら、やっぱり嘘をついていた。私には見えるのよ』と私はいったわ。  娘は、うすうす気づいていたんでしょうね。私に心を見られているのを。でも、私が見えるのは『自分が傷つけた心だけ』。そのことに、娘は強い嫌悪感をしめしたわ。『気持ち悪い』とはっきりいわれた。  それが原因で、娘とは疎遠になった。  私は、ステンドグラス作りに打ちこんだ。色ガラスで繊細で鮮やかな、人の心を表現しようとしたの。手が傷つくたびに、私が傷つけてきた人たちのことを思い返した。作品が出来上がっても、心は休まらなかったわ。  それから何年かたったある日、たまたま通りかかった幼稚園で、娘のすがたを見つけたの。いつのまにか、結婚していたみたい。そのことすら、知らされていなかったのは、とてもさみしかった。  でも、それ以上に驚いたのは、娘の子ども。れおを見たとき。一目でわかった。私といっしょだって。れおは、私と同じちからを持っているって。  娘夫婦に知らせるかは、かなり迷ったけれど、けっきょく打ち明けることにした。そうしたら……」  そこで、シーナさんは言葉を切った。その時のことを思い出しているのか、深いため息をこぼした。  続きは、れおちゃんが教えてくれた。 「シーナは、こっそりとあたしに会いに来てくれたの。そして、ちからのことを、幼稚園児のあたしにもわかるように、ていねいに教えてくれた。でも、すでにあたしはちからのことを自覚していたけどね。両親にも、すでに話していたし。一切、聞き入れなかったけれど……」 「れおは昔からこの調子なの」  くすくす笑う、シーナさん。れおちゃんは、両手をあげて、首を振った。 「この年になって、ようやくこの家に来ることができたの。両親との暮らしは本当に地獄だった。ちからのことを逐一、確認してくるのよ。『ちからなんてないわよね』『あると思っているなら気のせいだからね』、ってね。とんだリアリストよ」  自分が傷つけた人の心だけが見えるだなんて、誰も信じたくないよ。  れおちゃんが転校して来た日のことが、思い出される。  いつか傷つけるかもしれないくらいなら、初めから傷つけて、友達になんてならないようにすればいい。とても、れおちゃんの考えそうなこと。  でもそんなの、さみしすぎる。 「なんとかならないのかな」 「あんた、そんなこと考えたの。このリアリティのない話で」  れおちゃんてば、自分のちからの話なのに、そんなこといわないでよ。 「だって、原因を突き止めれば、ちからをなくすことができるかもしれないよ」  すると、シーナさんがにやにやしながら、れおちゃんの二の腕を膝でつついた。れおちゃんは鉛みたいな大きなため息をついて、いった。 「明日、うちに来なさい。あたしの話を聞かせてあげる」  まるで、女王さまみたいないい方で、うちは笑ってしまった。なんだか、物語のはじまりみたいで、わくわくした。  お母さんが帰って来た。体調が悪くて、先生に何もいわずに帰ったこと怒られるかな、と思ってびくびくしていた。けれど、拍子抜けするくらい、お母さんは普通だった。 「もう大丈夫なの?」 「うん」 「なら、よかったじゃない」  仕事でくたびれたんだと思う。すぐにごはんの支度に取りかかった。帰って来たお父さんにも、何もいわれなかった。  まあ、こんなもんだよね。うちの家は。  *  学校に登校すると、純也がすぐ「お前、昨日調子悪かったんだってなー」って話しかけて来た。あいかわらず、こういうところ、すごいなって思う。すると、他のクラスメイトたちも「もう大丈夫なの?」と声をかけてくれた。  りとっちやそのグループの子たちは、遠目から見ているだけだったけれど。  学校が終わってからは、すぐにれおちゃんの家に行った。シーナさんは仕事みたいだ。あの日はたまたま、仕事が早く終わったっていってたもんね。  れおちゃんが、ミントティーとモンブランを出してくれる。シーナさんが用意してくれていたみたいだ。  毎回、ケーキを出してもらうなんて申し訳ないと遠慮したら、『ケーキ好きのシーナに失礼よ。しっかりと味わいなさい』といわれてしまった。なので、しっかりと味わう。うん、おいしい。  れおちゃんが、優雅にミントティーを飲みながらいった。 「あたし、これまでにも調べてるの」 「何を?」 「過去に、あたしたちみたいなちからを持った人がいたんじゃないかって話。その人の記録なり証拠なりがあれば、このちからをなくす方法もわかるかもしれないでしょ」 「なるほど。じゃあ、その記録を探そうよ」 「お気楽にいうけれど、これまでにもあたしはさんざん調べてるわよ。でも、見つからないの」  ミントティーとモンブランを堪能したあと、うちはれおちゃんの部屋を見せてもらうことになった。  廊下に、れおちゃんが小さいころに描いたであろう絵が飾ってあった。クレヨンで「しーなへ だいすき」とかわいい字で書いてある。白い額縁に入れられていて、大切にされていることが伝わってくる。 「れおちゃん、シーナさんのこと大好きなんだね」 「いちいち、見なくていいの」  れおちゃんの顔は少し赤くなっていた。何だか、ちょっとかわいいな。  れおちゃんの部屋は、壁一面が本棚だった。背表紙も、太いのから細いの。小さいのから、大きいの。赤いのから、黒いの。たくさんあった。  これ、全部読んだらしい。 「ずっと調べ続けてる。でも、これまで何一つ手がかりは得られてない」 「でも、すごいよ」 「聞いてた? 何にもすごくないの」 「ひとりで、こんなに本を読んだっていうのがすごい。だって、ここにある本には手がかりがないってことをひとりで突き止めたってことじゃん」  れおちゃんが、すっと大きく目を開いた。  今、れおちゃんがどんな気持ちをめぐらせているのか、うちにはわからない。でも、これだけはわかる。  れおちゃんが、少しだけ笑ったってこと。つやつやの黒髪を耳にかきあげて、れおちゃんはくちびるをゆるく、つり上げた。 「人間、少しくらい汚れてたほうがラクなのに。あんたって、本物のばかね」  そういうと、れおちゃんは深く深く、何事かを考えはじめた。  うちは、今のれおちゃんの言葉の意味を、もう一度聞き返したかった。けれど、この状態になったれおちゃんは、ちょっと話かけただけでは、返事をしなくなってしまうらしい。  退屈になったうちは、れおちゃんの本棚をながめるしかなかった。  あまりにも難しそうで、手に取る気にはならなかったけれど、おとなが読むような本が並んでいるってことだけはわかる。  海外の神話、おとぎ話。銀杏町の歴史、伝説、年表。過去の新聞、雑誌、情報誌。それらが、図書館のようにずらりと並んでいる。  隣の棚には日本の伝説、怪談、昔話も並んでいる。ボロボロの薄汚れた本もある。ずいぶんと昔のものみたい。手に取ってみると『桃太郎の歴史』と書かれている。  桃太郎の歴史って、どういうことだろう。桃太郎は、桃太郎じゃないの?  うちらにとっては、ずいぶんとタイムリーな本なので、軽い気持ちで手にとってパラパラとめくってみる。でも、米つぶみたいな細かい字がぎっしりとつまっていて、読む気にならない。それに、なんだか古い本のにおいがむわっと漂ってきて、すぐに本を閉じてしまった。  れおちゃんがあきれたようにいう。 「読まないの?」 「読もうとしたけど……難しそうすぎる。文字がおしよせてくるの」 「文字のほうは、あんたにおしよせにいってるつもりはないと思うけどね」  れおちゃんが、桃太郎関連の他の本も見せてくれた。とりあえず、パラパラと見てみるけれど、やっぱりどれにも興味がわかない。  自分でも、何冊か出してはしまってくり返した。それだけで、ふだん使っていないうちの頭はすっかり、疲れてしまっていた。真剣に読んだわけでもないのに。 「桃太郎って、こんなにいっぱい本があるの?」 「童話の桃太郎の本一冊とっても、違うわよ。各出版社ごとに、描写が少しずつ違う。鬼の悪事についても『暴れている』と書かれているものもあれば、『宝をうばった』と書かれているものもあるの」 「ええー。同じ物語のはずなのに、どうして?」 「桃太郎の昔話は、全国にたくさん存在している。前にもいったでしょ」  というか、ここの本棚、桃太郎の本ばかりだ。あれ、隣も桃太郎の本ばかりある。 「なんでこんなに桃太郎のやつばっかり、そろってるの?」  れおちゃんは『桃太郎のひみつ』という本の背表紙をなぜながら、そのどこでもない、遠くを見つめていう。 「これは、そもそもシーナがはじめたことだからよ」 「どういうこと?」 「シーナが諦めたことを、あたしが続けるといって、強引に資料を引き継いだ。ここの本棚の半分は、もともとはシーナのものだった。シーナは、あたしたちのちからには、桃太郎が関連しているんじゃないか、というところまでたどり着いていたの。だから、桃太郎の資料がとても多いのよ」 「もしかして、アトリエのロフトにあった、桃のステンドグラスって」 「見たのね。そうよ。あれは、シーナの誓いなの。かならず、ちからの謎を解き明かすっていうね。諦めてしまったから、あんなところにしまわれちゃっているけど」  れおちゃんは机の引き出しから、一冊の古びたノートを取りだした。表紙には、そっけなく『メモ』と書かれている。 「これは、若いころのシーナさんが書いたものよ」  れおちゃんはとあるページを開いて、見せてくれた。走り書きのような文字で、こう書かれている。 『鬼について、調べる』  桃太郎の鬼のことかな。 「鬼は鬼じゃないの?」  れおちゃんが「そうね」とノートを机の上に置く。 「桃太郎が、室町時代に作られたお話しだということは知ってる?」  うちは首を振った。 「当時の人たちにとって、鬼はとても身近な存在で、とても恐れられているものだった。あたしたちにとっての鬼は角の生えた妖怪よね。  でも、当時の人々にとっては、さまざまなものが鬼だとされた。自分たちの考えの及ばないもの、自分たちの価値観にないもの、そして、見慣れないすがたかたちのもの。  そして、今まで見たことのない異国の人間。  自分たちにとって、恐れの対象は、すべて鬼としたのよ」  今では当たり前のことだけれど、昔の人たちは異国の人のすがたを怖いと感じたんだ。当時の人の気持ちになってみたら、ちょっと気持ちがわからなくもないけれど……。  初めて見るものって、やっぱり怖いもんね。おばけを見たような気持ちになるんだろうな。 「それってじゃあ、桃太郎の鬼は、異国の人だったってこと?」 「その通り。桃太郎の鬼の正体は、異国の人間だったという説があるの。でもそれ以外にもうひとつ、語り継がれている説がある。それが、異能のちからを持った人間だった、というものよ」  うちはそれを聞いて、ごくりとつばを飲みこんだ。異能のちから、つまり、超能力ってことだよね。 「異能のちからを恐れた人々が、桃太郎の物語のなかで、彼らを鬼だと恐れ、退治したというもの。あたしとシーナは、こっちの説を推しているの」 「待ってよ」  うちはあわてて、れおちゃんの話を止めた。 「それが本当の話だとすると、当時生きていた異能のちからを持った人は、鬼だって勝手に思われたせいで、退治されちゃったってことだよね」 「この本を見て」  れおちゃんは本棚から、一冊の本を取りだした。  表紙には、『鬼が吠える』と書かれている。れおちゃんが、その一節を読みあげた。 『鬼が吠える。  西園寺麗応公の秘めたる人外的なまでの恐ろしい異能力は、まさしく鬼そのものである。  異端は、つるし上げなければならない。  西園寺麗応公の奇妙なふるまいを、ゆるしてはならない。  しずめなければならない。  西園寺麗応を、しずめなければならない』  こわい、うちはすぐにそう思った。そのあと、すぐに気づいた。『西園寺』と書かれた、その名前を。 「この名前……」 「同じっていいたいんでしょう。これは単なる偶然。あたしの親のセンスが、先祖と被ってしまったんでしょうね」  れおちゃんは心の底から嫌そうに「DNAって本当、単純よね」とつぶやいた後、話を続けた。 「この『鬼が吠える』は、とある家から見つかった古い日記なの。それを本にして出版したもの。本物の日記はぼろぼろだし、室町時代の言葉で書かれているみたい。これは現代の言葉で、わかりやすく書かれているけどね。シーナはこの日記を書いた人が、桃太郎という物語を作った人なんじゃないかと思ったの」 「桃太郎の作者が、この人ってことね」 「正確には……それまでにあった『桃太郎』という童話をちゃんと本として作り直し、当時の子どもたちに届けたのは、児童文学者の巌谷小波という人物よ。このもともとの日記を書いた人物が……『西園寺麗応という鬼を退治した、桃太郎』ということね」  こんなに果てしない道のりの謎を、ここまで解明していたなんて。シーナさんも、れおちゃんもすごい。 「だったら、日記の持ち主の人を探せばすぐだよ!」 「問題はそこ。あたしたちは、ここで行きづまっているの」 「ええ?」 「はあ……。さんざん探した。でも、見つからない」 「だったら、うちの出番。うち、運だけはあるんだ!」  さみしかった日常で、よると出会えたのも、よるの最期を知れたのも、運がよかったからだって、自分では思ってる。  花屋敷で、れおちゃんとシーナさんと知り会えたのも、運がよかったからだ。  だけど、れおちゃんは浮かない顔。あれ、自信を持っていったつもりだったんだけど。 「あてもないのに、そんなことできない」 「じゃあさ、その本の出版社へちょくせつたずねてみようよ」 「この本の出版社は、とっくにつぶれてる」 「どこで買ったの? その本」 「買ったんじゃない。たまたま図書館の除籍本のなかから見つけたの」 「除籍本?」 「ブックリサイクルのこと。情報が古くなったり、貸し出し頻度が減ったりした本は、図書館が無料配布してくれるのよ」 「どこで、貰ったの?」 「犬山市図書館」  うちは叫んだ。 「じゃあ、そこに行こう!」  すると、れおちゃんに「うるさい」とノートで頭をポンと叩かれた。
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