8 言葉の魔法

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8 言葉の魔法

 れおちゃんと、次の土曜日に犬山に行く約束をした。楽しみすぎて、ずっとうきうきしていた。でも、肝心なことを忘れていた。  前に班決めをした、遠足。これがあったんだ。すっかり忘れてたよ。  今日は水曜日。まだ土曜日まで、二日もあるなあ、なんてもそもそと食パンをかじったあと、冷凍食品がつまったお母さんのお弁当を持って、うちは家を出た。  通学団の集合場所。みんな、いつもはランドセルをしょっている背中に、それぞれのリュックサックを背負っていた。  りとっちのリュックは、ピンクにリボンとフリルがついた、とてもかわいいリュックだった。同じ班の子が、りとっちに駆けよっていく。 「りとちゃんのリュック、めちゃかわいい!」 「ふふ、お母さんにお願いしたら、買ってくれたんだ。だって、小学校最後の遠足だから」  すると、純也がりとっちのリュックをじろじろと見つめる。 「だったら、こんなハデハデのガキぽいのじゃなくって、もっと大人っぽいのにすればよかったんじゃね。まだまだ、紙屋も子どもだなー」  りとっちの表情が、どんよりと曇る。うちは思わず、りとっちと純也のあいだに立った。足が、勝手に動いていたんだ。 「ちょっと、いい方があるでしょ」 「ええ……。もう中学生なんだから、ってツッコミのつもりだったんだけど、だめだったか」 「もっと違ういい方がある。いう前に一回、頭のなかで、いっても大丈夫か考えたほうがいいっていってるでしょ」  純也はすぐに「ごめんな、紙屋」と謝ってくれた。うちは、心のなかでホッと胸をなでおろす。  でも、すぐにしまったと思った。また、やってしまった。  偽善者みたいなこと。りとっちを見ると、冷ややかな目で、うちのことを見ていた。 「私が傷ついたなんて、由良にどうやってわかるの」  それは、氷だった。  りとっちの一言一言が、氷のつぶてのように、うちの心臓に降ってくる。その場から、一歩も動けなくなった。 「由良の勝手な妄想で、勝手にそんなふうにされたら困るんだけど」 「あ……そ、そっか……」 「……優しいだけで生きてる人って、お気楽でいいよね」 「ご、ごめ……」  しかし、うちが謝る前に、りとっちはさっさと通学団のみんなのところへと歩いて行ってしまった。  乾ききった喉につばを飲みこむ。でも、喉はカラカラのままだ。ごく、ごく。全然、うるおわない。どきどきと、心臓が暴れ回ってる。  うちは、偽物の気持ちでやってない。でも、りとっちからしたら、よけいなお世話だった。勝手な妄想で、うちがいいと思ったことをやっても、意味がない。  昔、お母さんにほめられるかな、と思ってやったお風呂掃除が、大失敗だったことを思い出した。お風呂中をピカピカにしたくて、一生けんめいやったけど、結果、服はびしょびしょ。しかも、使っちゃいけない洗剤でやっちゃったみたいで、お母さんの手間を増やしてしまった。  お母さんは、何度も何度もため息をつきながら、「いわれたお手伝いだけすればいいの」とくり返しいわれた。  なのに、うちって、昔から変わらないんだな。  後ろを見たら、れおちゃんがいた。紫色のリュックを背負い、黙ってうちを見つめていた。りとっちに怒られてることろ、見られちゃってたみたいだ。  ああ、また逃げたくなってきた。逃げたって、どうにもならないのに。  *  遠足のバスは、スムーズに宇宙博物館へと連れてきた。途中で道に迷ったりして、遠足が中止になればよかったんだけど。  りとっちは、うちらと同じ班なのにも関わらず、先生の目を盗んでは、今のグループの子たちのところへ行ってしまう。りとっちが行ってしまうたびに、心がすり切れていく感じした。 「おい、滝比。お前、顔色悪くないか」  純也が、心配して声をかけてくれる。でもうちは、笑顔で返すことができなかった。 「ごめん。ちょっと、トイレ行ってくる」 「あ……おう」  どうしても、ひとりになりたかった。また、うちは逃げてしまう。  トイレの手洗い場に自分の顔が映る。顔色、そんなに悪いのかな。よくわからない。鏡の自分に向かって、ぼそっと呟く。 「偽善者……かあ。ヒーローみたいな気持ちになってさ、ばかみたい」 「ようやく気づいたんだ」  れおちゃんが、トイレのなかに入ってきていた。 「れおちゃん……どうしたの」 「朝から顔色が悪かったから、吐くのかと思って」 「そんなに? 自分じゃわからないんだよね。心配してくれたんだ」  思わず笑うと、れおちゃんは不服そうに「別に」といいながら、白いものを差しだした。ビニール袋だ。 「余分に持って来てあるから、あげる。施設の人や、先生方に迷惑がかかるといけないから、持ってたら」 「ありがと……」 「ねえ、朝のことだけど」 「朝?」 「通学団の集合場所」  あ、りとっちを怒らせちゃったことかな。れおちゃんに聞こえてたんだっけ。恥ずかしいなあ。涙が、にじんでくる。 「うち、どうしてうまくいかないんだろう。がんばってるつもりだった。がんばって、がんばって……」 「優しい人になろうとしていたのに?」  れおちゃんの言葉が、ズンッと心にのしかかる。涙の粒が、ぽろっとシューズのつま先を濡らした。  その時、れおちゃんがハッと、息をのんだ。 「ごめん。今あたし、あんたを傷つけた」 「……見えたんだね」 「うん」 「いいよ。れおちゃん、謝っちゃうんだもん。自分のちからで、しっかり傷ついちゃう人を、怒れない」 「……ごめん」  いい子でいたい。  いい子でいればきっと、「明日いいことがある」から。  小学校一年生のとき、そうお父さんにいわれた。次の日、学校を休んで、家族で行ったテーマパーク。夢のような時間だった。  その日の帰り道、お母さんが「またいい子にしてたら、いいことあるからね」と、いわれた。  それから、家族旅行には行けていない。うちが、いい子じゃないからなのかな。  いい子にしたい。いい子で、いたいんだよ。  午後十三時。施設のシアタールームで『宇宙の誕生』という映像作品を鑑賞した。宇宙がビッグバンっていう大爆発によって生まれたこと。それから、何千年、何億年とかけて、今のうちらが住む地球ができあがっていったということ。  それを考えると、こんな小さな自分がめそめそと悩んでいるのが一気にばかばかしくなる。  本当はぜんぜん平気じゃないのに。宇宙の規模にごまかされそうになる。  みんな、どんな心で、毎日過ごしているのかな。  平気なふりをしてるのって、うちだけなのかな。  心なんて、面倒くさい。爆発しちゃえばいいのに。   *  国語のグループ研究の日。  あいかわらず、りとっちはまったくしゃべらない。  ノートにメイクのメモをしたり、髪型のアイデアを考えたりして、話にちっとも入ってこない。  純也は、りとっちに対して腫れものを扱うような態度だった。れおちゃんは、もくもくと桃太郎神社に行ったことや、調べたものをまとめている。他の班の子たちは、すでに机に模造紙を広げ、発表の準備に取りかかっている。  どうしよう。まだ話がまとまってないのは、うちらの班だけだよ。、  ひとりであせっていると、れおちゃんがいすから立ち上がった。歩き出したかと思うと、りとっちのノートの下から、いきおいよく何かを引きぬいた。  いきなりのことに、りとっちはびっくりして、固まっている。  れおちゃんが引かぬいたもの、それは本だった。  シンプルな表紙には、『心に咲く一輪の花』とあった。単行本だが薄めで、ページの文字も大きくて読みやすそう。裏にはあっさりとした、あらすじが書かれている。  れおちゃんが、淡々と読みあげはじめた。 「あなたの心に咲く花は、どんな色をしていますか。  人間は心を見ることができません。それでも必死に相手の気持ちを読み取り、感じることができます。  悲しい色はどんな色ですか。  怒っている色は。  嬉しい色は。  あなたの心をハッピーに染める言葉たちがこの本にはつまっています。  悩めるあなたへ送る、珠玉のメッセージ集……。  なにこれ?」  読み終わると、れおちゃんはりとっちに本を返した。りとっちは眉間にぐっとシワを寄せて、本を再び、ノートの下に隠した。 「もしかしてそれ、桃太郎のことを調べて、借りてきた本? 図書館のシールが貼ってあったものね」  れおちゃんがいうけれど、りとっちは何も答えない。純也が「はあー」と息をついた。 「お前に何のつもりがあんのか知らねえけどさ。やるべきことをやらないとか、やっぱりお前、まだまだ子どもだなー」 「私が、子ども……? 無神経のあんたに、私の何がわかんの。私がどれだけ苦労しているのか、知りもしないくせに!」  りとっちの声は震えていた。怒っている。  ぎゅ、とこぶしをにぎって、いろいろなものを押さえこもうとしているように見えた。 「私がどれだけ毎日、夢のためにがんばっているかも。たくさん工夫しながら、SNSで自分をセルフプロデュースして将来のためにアピールしてるかも。本をたくさん読んで、メイクやファッションを勉強しているかも。誰も何も知らないのに、よく私を傷つけられるよね! みんな、みんなみんなみんな、私のなにを知ってるっていうの!」  そのまま、りとっちは教室を出て行った。一瞬で、教室がざわざわと騒がしくなる。  りとっちのノートには、メイクやファッションのメモがぎっしりと書きこまれていた。れおちゃんはそのノートをゆっくりと閉じ、ぼそりとつぶやいた。 「サボりすぎ」 「りとっち……」  追いかけられなかった。追いかけても、どんな言葉をかけたらいいのか、わからない。だから、足が動かなかった。  また、冷たい言葉を浴びせられるかも。  りとっちが出ていったほうをチラチラ横目に、クラスの一部の女子たちがひそひそと何かを話しあっている。 「こわー。昨日、あいつのアカウント、荒らしすぎたかな」 「応えてないって。このあいだの荒らしも全然気にしてない感じだったじゃん。次の日には、しれっと新しい投稿してたしさー」 「あーね」  女子たちは、何がおかしいのかくすくすと笑いあい、楽しそうだ。でもうちには、何が楽しいのか、まったくわからない。いつかわかる日が来るとしたら、わかることを拒否すると思う。 「〝怒りの色は黒。怒りを感じると、心はだんだんと焦げついていくように、黒く染まっていく〟」   純也が『心に咲く一輪の花』の一節を音読しながら「たしかに怒りは黒っぽいかもなあ」なんていっている。  うちだったら、喜びはピンクで、悲しいは青で、楽しいは黄色かな。感情への色のイメージって、小さいころから、なんとくあるよね。  怒りは、赤かな。  この本では、黒みたいだけど。 「怒りは……黒……」  れおちゃんが、思いつめたようにいった。純也が手にしている本を、穴が開くんじゃないかという勢いで見ている。 「れおちゃん。どうしたの」 「ねえ、その本の作者の名前は?」  れおちゃんの勢いに驚きながらも、純也は本の表紙を前に向けた。  『心に咲く一輪の花』、作者は「岩根凛太郎」。本の最後にある作者プロフィールを見ると、犬山市在住の詩人らしかった。  知らない人だ。でも、うちにはひとつ気になることがあった。 「この本、あまり桃太郎に関係ないのに、りとっちはどうしてこの本を借りたんだろう」 「見て。この本の、あとがき」  れおちゃんが、最後のほうのページを開く。長々と書かれているあとがきに、純也がうんざりしかけたところで、れおちゃんが「ここ」と指をさした。 『以前、私は桃太郎のことを研究する、研究者でした。ですが、今では犬山市にて図書館司書の仕事をしています。幼いころ、犬山市の桃太郎神社に感銘を受け、気がつけば大学で桃太郎の研究をしていました。今では、桃太郎神社のある犬山市の図書館で司書という、桃太郎づくしの人生です。そんな私がこのたび、なんと詩集を……』  そこで、れおちゃんは本を閉じた。しかし、うちらには十分すぎるほどの情報だった。  りとっちはこのあとがきを見て、本を借りたんだ。  はじめは、除籍本となった『鬼が吠える』のことを知るために、犬山市図書館に行くはずだった。  なのに、まさかそこへ行く理由がもうひとつできるなんて、夢にも思わなかった。  *  土曜日。電車に乗って、うちとれおちゃんは二度目の犬山市に降り立った。 「今日、井成くんは?」 「金欠だって。あんまり親にお金をせびれないっていってた」 「そう。井成くんのぶんまで、がんばらないとね」  名鉄線の赤い電車が走り去っていく後ろすがたをなんとなく見送ってから、改札を通る。  来るたびに、犬山市には独特の空気があると思う。うちらが住んでる町とはまったく違う。にぎやかなのに、落ち着いた雰囲気。山が近いのに、都会っぽい。あべこべで、不思議な町だ。  犬山駅を出て、さっそく図書館へ向かおうとしたとき、れおちゃんがうちの手を引っぱった。  連れて行かれたのは、駅から歩いて三分ほどのところにある古本屋だ。れおちゃんが、看板を見あげて何か考えこんでいる。  『いぬやま古書店』。古めかしいけど、おだやかな町並みになじんで、とても入りやすい雰囲気。うちは、黙ったままのれおちゃんにがまんできなくなって、ついたずねた。 「入る?」 「ええ。ちょっと、気になって」  店内をのぞくと、レジカウンターに店員さんがいるのが見えた。れおちゃんはそこへ向かって、まっすぐに歩き出す。  カウンターで作業をしていた店員さんが、うちらに気づき「いらっしゃいませ」とにこやかに笑った。  れおちゃんがぺこりとおじきをして、「すみません」と、おとなみたいなしゃべり方でいった。 「あの、岩根凛太郎っていう人の」 「岩根先生の本なら、入口近くのコーナーです。ご案内しますね」 「いや、そうじゃなく」  カウンターから出て来ようとする店員さんを、れおちゃんはあわてて止める。 「岩根凛太郎さんって、犬山に住んでるんですよね。このお店にもよく来るんですか?」 「先生のファン?」 「えっと、はい……」  気まずそうに答える、れおちゃん。ファンかといわれると、たぶんそうじゃない。  でも、店員さんと会話をするために、必要なうそをつく。おとなのテクニックだ。 「よく来られますよ。うちの店は駅に近いので、電車に乗るとき用の本だっていって、何冊か買っていってくださいますね」 「駅には歩いて行ってるってことですか?」  たたみかけるようにれおちゃんが質問すると、店員さんはあからさまに困ったようすて、急に目が泳ぎ出しはじめた。 「うーん。そうかもしれないですね」  最後はにごしながら、作業の続きに戻ってしまった。完全に怪しまれたんだと思う。  岩根凛太郎先生の住んでいるところを聞き出そうとする、変な子ども。これはこれ以上書き出すのはむりだな。  そう思ったのに、なんとれおちゃんはもっと聞き出そうと身を乗り出した。なので、うちはあわてて「ありがとうございました」と、れおちゃんの腕を引っぱって、古本屋を出た。  店を出てすぐの自販機の前へと引っぱっていくと、れおちゃんが不機嫌丸出しに腕を組んだ。 「住んでるところ、聞き出せなかったじゃない。なにビビってんの」 「いやだってさ……どうしてここで聞くの。本人に聞けばいいじゃん」 「本人が無口で話し下手だったら、何も聞き出せない可能性だってある。聞き出せそうなところから、情報を集めておく。それも、真実にたどり着くための方法のひとつでしょ」 「あれ以上はムリだよ」 「そんなことなかった」 「そんなことあったよ。あの店員さん、うちらに全然心を開いてなかったし」 「心が見えないあんたが、どうしてビビるの? あたしには、まだまだ話しかけられたように思う。あたしの言葉にひとつも傷ついてなかったもの。まだ、いけたわよ」 「傷ついていなかったとしても、本当のことはいってくれなくなるんじゃないかな」  そういうと、れおちゃんはぐっとだまってしまう。 「ね? 今はとにかく、図書館に行ってみよう」 「……わかった」  犬山市図書館は犬山駅からまっすぐに歩いて、二分くらいのところにあった。エメラルドグリーンのカマボコみたいな屋根が特徴的な、かわいい建物だ。  入ると、広々とした空間に、たくさんの本棚がそびえたっていた。うちの地元の図書館と違って、とても開放的だ。フロアの右のほうに、ぐるぐると回るらせん状の階段が伸びていて、これもオシャレ。  入り口から入って右側は、子ども向けコーナーだった。うちは吸い寄せられるようにそちらへと入って行く。児童書や絵本が、円形に広がっていて、それだけでわくわくした。きれいに並ぶ背表紙が「読んで、読んで」とアピールしているみたい。青い背表紙が目立つ児童書を見つけて、「あ、これ面白そう」と思ったところで、れおちゃんが「行くよ」と声をかけてきたので、うちは伸びかけた手を引っこめた。  カウンターには数名の司書さんたちが、忙しそうに本の点検や貸し出し作業をしていた。そもそも、うちら、岩根さんの顔を知らないんだっけ。 「男性なのは間違いないけれど、そもそも男性がいないわね」 「どうする?」 「ちょっと間を置きましょうか。この図書館の二階、けっこういい雰囲気なのよ。少し見ていかない?」  れおちゃんは、カウンターそばのストレート階段をすたすたと登っていく。もうすでに地元の素朴な図書館との違いに、驚いているうちなんだけど、二階はもっとすごいらしい。ブックカフェになってるとかだったらどうしよう。本を読みながら、優雅なティータイム。ケーキ好きのシーナさんが喜びそう。  なんて、妄想しているとあっというまに二階についた。  そこには、ブックカフェとは真逆のアウトドアな世界が広がっていた。落ち着いたカラーのじゅうたんに、テントが建てられている。  これ、キャンプだ。本棚の森のなかに、キャンプ場がある。天井のグリーンのライトや、木をモチーフにした壁の装飾が、森のなかをかんぺきに演出している。テント以外にも、ハンモックや、テーブル、深緑の大きなソファにはたくさんのクッション。  常連っぽい子どもたちが、そのなかに埋もれて、本の世界に浸っていた。 「以前、あたしがここへ来た理由は、この空間で本を読みたいと思ったからなの。最初に来たときは、閉館時間までいちゃって。それくらい、すてきでしょ」  れおちゃんが声のボリュームを落として、いった。うちは、問答無用でうなずいた。こんな図書館は見たことないよ。ここなら、どんな本でもゆったりとした気持ちで読めそう。  なのに、奥に建てられたテントから、長い足が飛び出していることに気づいた。どう見ても、子どもの足の長さじゃない。 「あの人、なにやってるのかな」  つい、指を指しながらいうと、れおちゃんの眉間に谷底みたいなシワができた。 「あたし、行ってくる」 「え? どうするの」 「注意してくる」 「ま、まじ?」  れおちゃんは大股でテントに近づくと、なかにいる人に「すみません」と声をかけた。 「ここって、子どもの本のコーナーですよね。図書館なので何を読んでもいいとは思いますけど、テントのなかで読むのは、いただけないと思います。これは子どものために設置されたものですし、少し遠慮されてはどうですか」  おとなみたいないいかたで、注意するれおちゃん。すごいよ。うちだったら、おじけづいちゃって、いえない。ファミレスで頼んだスープにゴミが入ってても、黙ってるタイプだもん。  テントのなかから「ううーん」と伸びをするようなうめきが聞こえた。この人、テントのなかでいねむりしていたらしい。れおちゃんは「信じらんない」と、あきれている。  なかから、のそのそとカメみたいにはい出て来たのは、美術館の彫刻のように整った顔だちの男の人だった。黒目が大きくて、ホリが深い。それにきれいな栗色の、くるくるの髪の毛。とてもカッコいいのに、眠気から覚めたばかりのだらしない表情がなんだかガッカリ。 「ああ、いい夢みてたのになあ……」  頭をぼりぼりとかきながら、男の人はテントのなかを見て「うわ」ともらした。のぞきこむと、なかが思いっきりちらかっている。紙だ。丸められた紙や、何かがたくさん書きこまれている紙が、そこら中にちらばっている。 「やばい。またやらかしたのか、ぼく……。休憩時間にちょっとだけ書こうとしただけなのに。ああ、カウンター、混んでたらどうしよう。怒られるなあ……」  男の人は、あわててなかを片付けはじめた。がさがさと大きな動作でしまっているのか、そのなかの一枚が、ひらひらとテントの外に飛んできた。 「あの落としましたよ」  うちがそれをひろって渡そうとした時、ちらりと何が書かれているのか見えてしまった。  これ、詩だ。教科書で見たことがある、独特の文字の並び。 「岩根、凛太郎……」 「え?」  れおちゃんが、ぼそりとつぶやく。うちが持っている紙をそっと指さしてきた。  岩根 凛太郎 第二詩集 透明なガラスの花 「もしかして……岩根凛太郎さんですか?」  テントの前にしゃがんで、うちは紙を差しだした。顔をあげた男の人は、驚いたように目を丸くしている。 「こんなに若い子がぼくのこと知ってくれてるなんて、嬉しいなあ」  紙を受け取りながらはにかむ、岩根さん。「サインならいくらでも書いてあげるよお」と、カサカサと紙を集めている。  れおちゃんを見あげると、石のように固まってしまっている。わかるよ。うちも、まさかこんなところでいきなり会えちゃうなんて、夢にも思わなかった。  もしかしたら、この人がれおちゃんのちからをなくすための、ヒントを持っているかもしれないんだ。 「あの、すみません。岩根さんに会いたくて、うちら、犬山に来たんです」  かしこまっていううちに、岩根さんは紙の束をそろえながら、目を丸くした。 「どういうこと?」  れおちゃんが、『心に咲く一輪の花』をバッグから出して見せた。その、あとがきの一文を、AI音声のような温度の声でいう。 「この部分について、あなたにお聞きしたいことがあります」
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