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しょうせつ、しょうせつ。
わたくしが初めてその夢を見たのは、今から五年も前のことでございます。
気づくと、誰もいない森の中に立っているのです。黒々とした木が鬱蒼と茂り、葉が生き物のようにざわざわと鳴いておりました。奇妙なことがいくつかありまして、そのうちの一つがその木なのでございます。
例えばほら少しでも明るい場所ならば、木の幹が僅かに茶色がかっていることがわかるでしょう?葉っぱだって、緑とか黄色とかの色がついているものでしょう?ああ、中には赤い葉であるケースもありますね。秋に染まった紅葉の葉の色は、本当に見事で惚れ惚れするものでございますから。
ですが、その森の木はそのようなものではなかったのでございます。
顔を近づけてまじまじと観察しても、おや?と首を傾げてしまうばかり。どの木も、墨を塗りたくったように黒いのです。炭、ではございません――墨、です。そう、不自然なほど光を反射しない。まるであらゆる光を、さながら夜よりも深い闇で飲みこんでしまったような黒、黒、黒。木の幹も、根も、枝葉も全て漆黒。いくら揺さぶっても、一切光を反射しないのです。
まるで、大きな穴でも空いているかのよう。恐ろしくなってしまったのは言うまでもございません。
おかしいのは木だけではありませんでした。空もです。空も、どこまでも真っ赤な色に染め上げられているのです。
夕焼けの赤にもいろいろなものがございましょう?黄色に近い橙や、赤に近い橙。中には日が暮れてきて、藍色と混ざり合ったような橙であることもありましょう。でも、わたくしが見た空は、今までわたくしが七十年生きてきて一度も見たことがないような空だったのです。
赤い、以外になんと形容したらいいものか。
それも、どこか赤黒いのです。まるで、空に血液をぶちまけて固めてしまったかのような赤。その赤い光が、わたくしがいる森をどこまでも照らしているのです。
次第にわたくしは恐ろしくなって、この森を出なければいけないと思うようになりました。赤い光が照らす中、ゆっくりと歩き始めるのです。
だがしかし、わたくしがいるのは森のど真ん中でございまして。
右にも左にも、道なんて親切なものはございません。獣道らしきものまでない始末。やむなくわたくしは草履に引っ掛からないよう細心の注意を払いながら、草の根を分けるようにして歩くしかなかったのです。
踏みしめるたび、地面がぐちゃり、ぐちゃり、と粘った音を立てました。
ひょっとしたら雨でも降ったのでしょうか。どこか雑草の群れが濡れているような気がいたします。わたくしは着物の袖が濡れては困ると思いました。なんせ、女中の身分でございますし着物なんてさほど多く持ち合わせてはございません。替えの着物が一着しかなく、安いお給金では新しいものを買うなんてこともままならないのです。しかし、わたくしは人前に出ることもあるお仕事でございますから、あまりにもみすぼらしいものを着ていると大奥様に叱られてしまいます。
なんとか、汚れる前にこの森を抜け出さなくてはと思いました。歩くたび、草履が泥で汚れていくのを感じます。しかも、段々と鼻孔が生臭さを拾い始めるのです。この森は、人間がいてはいけない森だと悟り始めました。わたくしはきっと、日ごろの鬱憤を溜め過ぎたがゆえに、このような場所に迷い込んでしまったのだと。
ああ、どうしよう。
そのようなつもりではなかった。恨みたかったわけではなかった。誰かの不幸を願いたくて、そのために生きていたつもりではなかったのに!
そんなことを悔いていると、次第のあの声が聞こえてきたのでございます。
『お前や、お前さんや。殺したいものはおらんかえ』
それは、わたくしよりもさらに年を召した婆のもののように聞こえました。
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