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最後の草紙
◆
秦親子は捕らえられ、指示を出していた源頼親も責任を追及されることになった。
後日、景信は、清少納言と会って話をした。彼女は言う。
「……やはり黒幕は、頼親よりちかでしたか……
兄の主君、藤原保昌様と頼親は、揉めておりましたゆえ、その辺りの事情かと察してはいましたが……
一人暮らしをしていた、この老いぼれのために、権佐様、御自らお出向きくださり感謝の言葉もございません」
「妹の懇願に負けました。『あれだけの草子を書かれた方なのに、寂しく暮らしておられ、その上、兄上まで討たれてしまわれた。どうか、下手人を捕まえてほしい』と。
いやはや、しかし、あのような計略を立てられるなど、諸葛孔明にも匹敵する知謀」
清少納言は笑いながら言った。
「御冗談を。わたくしは虚言上手ではありませぬ。ほんの少し、紫式部の真似ごとをしてみたまで。
秦親子を捕らえられたのは、権佐様の神算鬼謀によるものでございます」
「……最近、怪しい形跡があったのは、湯浅とかいう秦の家人だけでした。
しかし、捕らえた湯浅は強情に口を割らぬ……。
が、それで却って罠にかけることができたというもの。
ただ秦の証言で、頼親も右馬頭を解任されました。
……されましたが、頼親は、依然として大和に領地を持つ豪族。
清少納言殿は後ろ盾のない個人。
頼親の一党が、あなたを付け狙われぬか心配です。
差し出がましいですが、もし、よろしければ、清少納言殿、わが館で暮らされませぬか」
「もとより隠れ住む覚悟はできておりましたが、兄の仇を討てれば、もはや、この命など惜しくはありませぬ。
それに、わたくしが殺されましても、人々の噂にのぼることもありますまい。時というものは残酷。
権佐様の妹君が、
枕草子のことを覚えていてくだされたのが、せめてもの慰め……」
清少納言は寂しそうに笑った。
「無粋な顛末になってしまいましたが、これが、私の最後の草子にございましょう。
こののちは、亡き主と、兄の菩提を弔いながら過ごします。
権佐景信様、心よりお礼申し上げます……」
歴史書によると、西暦一〇一七年、三月八日の夕刻、平安京、六角福小路の邸宅にいた清原致信が、武装した十数人の襲撃を受けて殺害された。
清原致信は、清少納言の兄であった。
この事件は、源頼親の指示のもと、秦氏元の息子一党による犯行だということが判明。
頼親は、右馬頭と淡路守の職を解任された。
藤原道長は日記に、源頼親のことを「殺人上手」と記述しているが、いさかいを起こすことの多かった源頼親は後年、彼の息子が起こした合戦に連座し、土佐へ流された。
隠棲していた清少納言を馬鹿にしてきた若者がいて、彼女が「馬の骨を買う者はいないのか?」と当意即妙で言い返し、逆に嘲笑あざわらったという伝説がある。
……が、彼女がいつどこで亡くなったのかについては謎に包まれている。
※落英……花びらが散ること
※草子……短い作品
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