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中編
僕はこれから復讐をする。
そう誓って、好きでもない男に処女を捧げたその日、あまりに辛すぎて路上で嘔吐してしまった。気持ちが悪い。これをしなければ絶対にいけない。そう思って抱かれたが、終始辛かった。オメガがアルファに抱かれるのは快楽しかないと聞いていたのに、全然違った。
コトが終わってすぐに彼の元を離れた途端、道端で限界を迎えたのだった。
泣きながら嘔吐をして、そしてその場で倒れると、道行く人が心配してくれている声が聞こえて救急車のサイレンの音を耳が拾った。世の中こんなに優しさで溢れているのに、どうして兄はあんな目にあってしまったのだろう。
優しさと苦しさを胸に抱え、意識を失った。
目覚めるとそこは病院のベッドの上。
看護師が声をかけてくれる。倒れて運ばれたことを言われた。そして性交の後が見られるので検査をしたけれど、合意だったかと聞かれ僕は頷いた。
きっとレイプされて倒れたと思ったのだろう。看護師が怪訝そうな顔をするが、それ以上何も言えなかった。すると今度は病室のドアが開き、一人の男が入って来た。
――えっ、な、なにこれ。
僕は発情した。いきなり自分の鼓動が早くなり、パニックを起こしそうになると男性医師が優しい声を出す。
「大丈夫、すぐに抑制剤を打つからね。チクっとするけど我慢して」
「え?」
看護師が冷静に医師の指示を受け、薬を医師に渡すと僕の腕に注射針を刺した。そして手際よくその場を片付けた看護師が僕の頬をさすって微笑んでから一言。
「先生、私は部屋を出ますけど、くれぐれも間違いを起こさないように」
「分かったよ、僕だっていきなり襲わないから」
看護師は「大丈夫よ」と一言伝えて退出した。
個室の病室に男性医師と二人きり。きっとアルファだ。匂いでわかる。だけど注射が効いたのかすぐに先ほどの鼓動、そして僕のフェロモンが収まったのが分かった。
「大丈夫、ほら、楽になってきたでしょ? これ速攻性の抑制剤だからね」
「ど、どうして……」
この医師の声が心地よく耳に入ってくるのに、思考がうまくいかない。ずっとこの人の声を聞いていたい。そして僕の手を握って優しく微笑む顔をずっと見ていたい。
僕はいったい今どうなっているのだろう?
「分からない? 僕が君の運命なんだよ」
「運命……そ、んな」
彼は、運命と言われ戸惑う僕に向かい首を傾げる。
「お付き合いしている人いる? 番がいないのはうなじで確認済みだけど、それとさっきまで性交していたのも確認したよ。それは合意?」
「あ……」
きっと襲われたと思ったのだろう。
このアルファに、いや医師としての言葉なのだろうが、好きでもない男と性行為をしていたことを知られたことが恥ずかしくなった。
「大丈夫、ここは僕と二人だから、何も気負わないで」
「あの……僕」
そして、僕は彼にすべてを話した。このアルファが自分を望んでいるのが分かったから、だからあなたとは絶対に番えないと言うために、僕のすべてを。
そして話を聞き終わると、彼は僕を軽蔑する目ではなく、いつくしむ目で見てきた。
「そう、そんなことがあったんだ。辛かったね、巧」
「あ、あ、そ、そんなこと言ってもらえるような、こと、なんてっ」
僕は話している最中から感極まり泣いていた。
久しぶりに人前で大泣きをした。ずっとこのアルファ――洋二さんは僕の手を握って相槌を打ちつつ、静かに聞いてくれた。それだけで救われた気がした。誰にも言えなかった僕のこれからの犯罪計画を……
* * *
僕には八歳上のオメガの兄がいた。兄には当時付き合っているアルファがいて、高校卒業と共に家を出て、彼の家で暮らし始めた。
その時の僕はまだ十歳で、兄恋しさに泣いた。兄の恋人は独占欲が強くて、兄が里帰りすることを許してくれず、年に一度お正月しか会えない存在になっていた。
兄が恋人と暮らし始めて三年過ぎた時、兄が身ごもった。そしてやっと結婚してもらえると喜んでいて、両親も僕もほっとしたのを覚えている。
オメガの兄を十代のうちに囲っておいてすぐに番にしたアルファ。
それなのに結婚もせずに家に閉じ込めているのは異常だと僕の家族が何度言っても、聞いてもらえなかったが、オメガの幸せがアルファの番になること。そう信じこもうとして家族は兄の恋を見守るしかなかった。
そして兄の想いがやっと叶い、子どもを身ごもったことで結婚することになった。
――しかし結婚式を控えたある日、兄はアルファに捨てられた。
アルファに運命の番が現れた。
そしてそのオメガと一緒に兄をその場に置き去りにして消えた。しばらくしてアルファが兄と住む家に帰ってくると、家を売るから出て行ってくれと言われ、慰謝料を渡された。
お腹に子どもがいたが、まだ結婚していなかったので兄は泣く泣く実家に帰ってきた。それから兄は番解除をされたことにより衰弱し、お腹に子どもを身ごもったまま二人は死んだ。
その時の僕は中学生で物事を理解できていた。
どんどん痩せていく兄と悲しみに暮れる両親。毎日誰かしらが泣いていた。そして兄が亡くなったとき、みんなの涙はもう渇いていた。
正直早く死なせて楽にしてあげて欲しかった。
番に解除されると、徐々に弱っていくとは聞いていたけれど、実際に目にすると耐えられることではないことだった。特に愛する家族を看取るというのは辛かった。どうして日本に安楽死がないのだろうと僕たち家族は本気で考えた。尊厳などない、ただ体の機能が動いているだけの時間。
それでも兄は時々思い出したように、元番を想い毎日彼の名前を呼び続ける。次第に番解除されたことすら忘れて、彼が帰ってこないと泣き叫ぶようになった。
とても見ていられなかったけれど、兄を最後まで見るのが家族の総意だったので施設に預けることなく、最後は自宅で穏やかに生を全うした。
兄が最後に言った言葉を忘れない。「この子とやっと穏やかな場所に行ける」そう言ってお腹をさすって涙を流し、彼はこの世を去った。
その時、僕は誓った。
――あの男を殺してやると。
でも中学生の僕があの男をただ刺殺したとしても、親に迷惑がかかるだけ。そう思って大人になるのをずっと待った。
計画を実行するため、僕はオメガとしての魅力を磨いた。
あの男は運命が現れるまで兄に執着していた。だから兄のような淑やかで優しい、アルファを立てるようなオメガになるように必死に頑張った――彼に自然に近づくために。
そして二十歳になり、そのアルファが働く会社の一階にあるカフェでバイトを始めた。
彼が朝コーヒーをテイクアウトするのは調査済み。彼にコーヒーを渡すとき、少しずつ彼の目を見て誘った。彼が僕を意識し出すようになるのがだんだんと実感できてきたとき笑えた。このアルファの好みなど知り尽くしている。仕草、見た目、そしてほんのりと優しい花のフェロモン。兄のフェロモンを気に入っていたことは兄から聞いていて知っていた。
ただ単に運命という存在に負けただけで、兄の全てを欲していたアルファ。
兄が亡くなってしばらくしてからアルファが家に現れたと両親から聞いた。本当は愛していたと泣いて謝ってきたと言ったが、もう遅い。両親がアルファを許すはずがなく、それきりだった。
そんな想い出のフェロモンを嗅いだ彼は、僕を意識するようになっていった。
ある日、バイト後声をかけられた。そして初めは拒絶するふりをしつつも、彼を受け入れ付き合うことになった。
――僕の計画は、恋人を殺すこと。
まずは恋人にならなければいけないので、ここで失敗することができなかった。付き合ってすぐに殺したいほどの殺意などわかないだろうから、一年くらい付き合った後に、彼を刺す。そう決めていた。
痴情のもつれ、アルファとオメガには良くあること。事件性などない。ただの突発的な殺人。
嫌いな男とキスをするのも嫌だった。恥ずかしいと言って体を捧げるまでに時間を要したが、いつまでも引き延ばして怪訝に思われても困るので、この日ついに彼に抱かれた。
そして、その日に僕は運命の番に出会ってしまった。
救急搬送された先の医師が、たまたま運命の番である洋二さんだった。こんな運命のいたづらが本当にあるんだと、こんな状態で運命に出会ってしまった自分が悲しくなった。
運命だけど諦めてもらうために、出会ってすぐに病室で僕の計画を話した。
洋二さんは話を聞き終わると、とんでもないことを言ってきた。
「君は殺人犯にはならないよ、彼を殺人犯にしてあげる」
「え?」
「君の復讐は必ず遂行させよう。そしたら僕の元に来てくれるよね?」
そして彼の逆に彼の計画をこの後聞くことになった。
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