【21】ただ、会いたい

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【21】ただ、会いたい

桜庭が霞む目で音のした方を見る。 二人の人間が床に転がっているのがボンヤリ見えた。 「桜庭、大丈夫か?」 誰かが桜庭をそっと抱き起こす。 「たかせ…せんせ…」 それは体育教師の高瀬だった。 「うがっ…うがぁっ…!」 男の悲鳴のような呻き声と、バンバンと床を叩く音。 「桐生~そこまでだ。 ギブだってよ。 白目剥いてんじゃん。 そろそろ落ちるぞ。 骨折はさせんなよ」 その言葉で桜庭は桐生がいることが分かった。 でも、なぜ駿くんが…? 駿くんは大会のウォーミングアップの為に、直ぐに下校すると言っていた筈… 桜庭が回らない頭で考えていると、バンッという音と、ゲホゲホと咳き込む声がした。 そして「莉緒!」と言う桐生の声。 桐生は桜庭に駆け寄ると、高瀬を押し退けて、桜庭をやさしく抱きしめた。 「しゅ…くん…」 「遅くなってごめん」 「どうし…」 「話はそこまでだ」 高瀬が言う。 「桐生、お前は桜庭を保健室に連れて行け。 校医の堂山先生には俺からスマホで連絡を入れておく。 俺はコイツを連れて行かなきゃならないからな」 高瀬は忌々しげに床に転がる鈴木を見た。 桐生は一度桜庭をマットレスに寝かせると、まずズボンと下着を履かせ、破れたシャツを着せると、その上にジャケットをきっちり着せた。 そして「少し我慢しろよ」と言って、桜庭を抱き上げた。 「おれ…ある、く…」 「無理すんな」 「でも…」 高瀬が笑いながら言った。 「桜庭、気にするな。 桐生の馬鹿力ならここから保健室くらい屁でもねえよ。 それに骨折でもしてたらどうする? ほら、桐生、行け」 桐生は高瀬に向かって頷くと、鈴木を一瞥して、桜庭を抱いたまま倉庫を出て行く。 グランドを横切る桐生と桜庭の姿は嫌でも目を引いた。 血塗れの顔をした桜庭を抱き抱えてスタスタと歩いていく桐生。 桐生のシャツも桜庭の血で濡れていた。 まずサッカー部の部員が気づき、野球部、テニス部などグランドを使って部活動をしていた生徒達がわらわらと集まって来た。 「桐生、どうしたんだよ!?」 「コイツ、誰?」 「あ、桜庭だ…桜庭莉緒だよ! 何?何で怪我してんの!?」 桐生は周りを見回すと、一言「うるせえ!」と怒鳴った。 その余りの迫力に、桐生と桜庭を取り囲んでいた生徒達がシンと静まり返る。 「邪魔すんな。 邪魔する奴は、俺が相手になる」 桐生の前を塞いでいた生徒が、一人、また一人と道を開ける。 桐生はそのままグランドを突っ切り、最短距離で保健室へと向かった。 保健室はドアが開いていて、堂山が入口に立っていた。 堂山は桐生と桜庭を保健室に入れると、ドアを閉め、鍵を掛けた。 保健室の窓のカーテンも全て閉められていた。 桐生がベッドに桜庭を寝かせる。 桜庭は薄っすら瞳を開けた。 「しゅん…くん…」 「もう大丈夫」 桜庭が桐生の制服のジャケットをぎゅっと掴む。 「こわい…こわかった…」 桜庭の瞳から涙が零れる。 「大丈夫。もう大丈夫だから」 桐生が微笑んで、掛け布団ごと桜庭を抱きしめる。 桜庭も桐生に抱きついた。 「あのー…お二人さん」 堂山がゴホンと咳払いをした。 「まず俺に桜庭の怪我を見せてくれるかな?」 堂山が桜庭の怪我を診察している間も、桐生と桜庭は手を繋いでいた。 その間にも何度か堂山のスマホが鳴った。 診察が終わると、堂山は桜庭を怖がらせないように静かに言った。 「今、緊急の職員会議が開かれている。 警察にも通報した。 桜庭の親御さんにも松坂先生が連絡を入れた。 桜庭はこれから病院に行って精密検査をして診断書を出してもらう。 親御さんには病院に来てもらうから」 桜庭は頷くだけだ。 「じゃあ先生の車で病院に行こうか?」 桜庭は繋いでいた桐生の手をぎゅっと握った。 桐生が堂山に言った。 「俺も付いて行って良いですか?」 堂山がニッと笑う。 「そう言うと思ってたよ。 良いよ、来いよ。 荷物はどうする?」 「ここで電話していいですか?」 「いいぞ」 桐生は綾野に電話をして、理由は言わず、桜庭と自分の荷物を保健室に持って来てくれるよう頼んだ。 綾野は何も訊かず、直ぐに行くと言ってくれた。 5分もすると綾野がやって来た。 保健室のドアの前は野次馬で一杯で、堂山に一喝されて生徒達は散って行った。 綾野も保健室には入れてもらえず、桐生がドアの外で二人分の荷物を受け取った。 綾野は「お大事にって、俺と谷川が言ってたって莉緒くんに伝えてくれよ」とだけ言って去って行った。 その堂山に一喝された中に、大島と神田と瀬名と水元もいた。 「どうする?」 水元が皆を見渡す。 「莉緒ちゃん、顔に怪我してるらしいよ!? せめてどんな具合か分かんないかな!?」 神田が捲し立てる。 瀬名は真っ青な顔をして下げた拳を震わせていた。 「今は無理だな」 大島が冷静に言う。 「俺が夜にでも桐生に訊いてみる。 事情が分かったらラインかメールするから」 三人は頷くしかなかった。 桜庭は自分は歩くと言ったが、桐生は駄目だと言ってきかなかった。 「万が一、骨折してたらどうすんだよ? 捻挫してたら?」 「でも…堂山先生が骨折して無いって…」 「堂山先生が間違ってたら?」 「桐生、お前ね…」 堂山が桐生を睨むと、桐生はペコッと頭を下げた。 「まあ、仕方ねーな。 桜庭、ここは桐生のために車椅子で駐車場まで行くか」 桐生は首を横に振った。 「車椅子なんていりません。 俺が抱いて行きます」 「はあ!?」 「車椅子じゃ顔を隠せない。 抱いて行けば、俺の胸に顔を付けていれば隠せます」 桐生が腫れ上がった桜庭の頬にそっと触れる。 「車椅子だって、タオルか何かで隠せばいーだろーが!」 堂山は呆れ顔だ。 「人の視線を正面から避けられないじゃないですか! 莉緒はジロジロ見られながらずっと下を向いてるんですか? そんなの可哀想だ」 「…はいはい、分かった。分かりました〜」 堂山は額に手を置くと言った。 「抱っこでもおんぶでも好きにしろ。 桜庭、大変な奴に助けられちゃったな~」 荷物を持つ堂山の後ろを、桜庭を抱く桐生が歩いて行く。 桜庭は桐生の首に腕を回して、顔を桐生の胸にピッタリと付けていた。 そんな姿を生徒達がそこかしこで隠れるように見ている。 瀬名もひとり、通用口の影から桜庭を見ていた。 今すぐ駆け寄って声だけでも掛けたかった。 でも、今は迷惑なだけだ… そう思って遠ざかる桐生の背中を見ていると、堂山が持っていた通学バッグのひとつから何かがポトリと落ちた。 三人は気付かずに進んで行く。 瀬名は三人が居なくなると、落とし物の元へと走った。 そこには黄色地に赤いチェックの柄の手袋が片方だけ落ちていた。 「莉緒ちゃん…」 瀬名は手袋をそっと拾うと、通学バッグに大切に仕舞った。 桜庭は幸い打撲と口の中の切り傷だけで骨折はしていなかった。 まず、母親が病院に駆け付けて、その後に担任の松坂と警察官が来た。 桐生は警察の事情聴取以外はずっと桜庭に付き添った。 桜庭の母親は桐生に何度もお礼を言った。 それから校長と教頭も病院にやって来て、桜庭の母親に現時点で解っていることを説明し、謝罪した。 後日、桜庭に暴行を加えた生徒の処分の報告と正式に謝罪に伺いますと言って校長と教頭が去り、堂山と松坂も母親に挨拶をして帰って行った。 桐生も帰ろうとすると、桜庭が「待って」と呼び止めた。 桐生が「どうした?」とやさしく訊くと、桜庭は「ごめんね」と言って泣き出した。 「莉緒?どうしたんだよ?」 「だって…駿くん…大会は…?」 桐生は、「馬鹿だな。そんなこと考えてたのか」と笑って桜庭の髪を撫でた。 「大会なんてこれから何度でもある。 莉緒を助ける方が何十倍も大切だ。 酷い目に遭ったけど、大怪我じゃなくて良かった」 「しゅんくん…」 「明日、学校の後、莉緒さえ良ければお見舞いに行くよ。 今日はもう何も考えずゆっくりした方が良い」 桜庭はコクンと頷くと「待ってる」と小さな声で言った。 桜庭は帰宅し、母親や父親の看病を受けながら、やっとベッドに横になった。 一人になって緊張の糸が切れると、また涙が零れた。 スマホを見てみても誰からのラインも無い。 きっとみんな気を使ってくれてるんだろうな… そう思いながら、画像フォルダを開いた。 春休みに五人で行ったテーマパーク。 瀬名がニコニコと笑っている。 「ハル…」 桜庭は涙で霞む目で何枚も何枚も瀬名の画像を見た。 会いたい… ハルに会いたいよ… 何も言ってくれなくていいから ただ、会いたい その時、ふと『お助けマン』のことも思い出した。 痛む身体で何とかベッドから起き上がり、クローゼットを開けて、大切な物を入れている引き出しを開ける。 横長の黒い箱。 それを開けてネックレスを取り出し、首に着けた。 一緒に貰ったカードを開く。 妙に角ばった文字が瞳に映る。 『Happy Birthday ! 素敵な1年が送れますように』 お助けマン… お助けマンも今日のこと、知ってるかな… 桜庭は『お助けマン』に貰ったメモは全部大切に取っておいた。 そのメモを次々に読む。 一際綺麗な小さなクリスマスカード。 『Merry Christmas! あなたがいつも幸せでいるように願っています』 俺の幸せ… お助けマン… ハルに ハルに会わせてよ 今、すぐ、ハルに会いたいんだ そうしたら、傷の痛みも忘れられる 忘れてみせる ハルに会えれば… 桜庭はメモの束とカードを胸に抱いて泣き崩れた。 瀬名は桜庭に見られないようにとグループラインでは無く、一斉送信された大島からのメールを読み返していた。 桐生に訊いたが、自分の口からは何も言えないと断られたこと。 学校で発表があるだろうということだけは教えてくれたこと。 ただそれだけの内容だった。 だが、ただそれだけの内容が瀬名の胸に突き刺さった。 学校で発表があるような目に莉緒ちゃんは遭ったんだ… 瀬名は拾った手袋をそっと手に取った。 莉緒ちゃん 役立たずな俺でごめん 『お助けマン』なんて言ってくれてるのに、いつもいつも大事な場面で莉緒ちゃんを助けられなくて… 俺が莉緒ちゃんにしてあげられることなんて、本当にあるのかな? 「この手袋を届けるくらいか…」 瀬名は自分で呟いて、自分の無力さが悔しくて涙が出た。 俺には何も無い あるのは莉緒ちゃんを愛してるっていう勝手な思いだけ… 莉緒ちゃん 会いたいよ 会って『大丈夫?』って言って慰めたい 励ましたい 俺が莉緒ちゃんに出来ることは、それぐらいしか無いけれど 本当は、莉緒ちゃんが俺を忘れる為には、それすら言っちゃいけないのかもしれないけれど でも、会いたいんだ 顔を見られるだけでいいんだ 友達の一人としてでいいから… 「自分勝手でごめんね」 瀬名の涙が手袋に一粒ポトリと落ちて、瀬名は慌てて手袋が汚れないように手袋を自分から遠ざけた。
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