【23】チンケなプライド

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【23】チンケなプライド

放課後、瀬名は一人部室にいた。 今日は部活は休み。 誰もいない部室で、桜庭の為に作って川原で弾いた曲を弾いていた。 パチパチと拍手の音がして顔を上げると、大島が部室の隅に立っていた。 「大島さん、趣味悪いですよ。 盗み聞きですか?」 「そーっと入ってきたの。 気付かなかっただろ?」 大島はニコニコ笑っている。 「なあ、ハル。 一曲くらい弾いてやれよ」 瀬名は首を横に振る。 「それで莉緒ちゃんはまた俺の演奏を繰り返し聴くんですか? それじゃ駄目だ…」 「分かんねえぞ。一回で飽きちゃうかもな」 瀬名はフッと笑った。 「それだけじゃ無いんです」 「ん?」 「俺達にはまだ莉緖ちゃんに会えなくても、桐生くんは事件の翌日に…昨日もう会ってるんですよね」 「そりゃあ…あいつは特別だから」 「俺ね、莉緒ちゃんに会いたいんですよ」 「ハル?」 「何の役にも立たない俺だけど、ただ会いたい。 でも、それも出来なくて…。 それを桐生くんは何てこと無く叶えて、莉緒ちゃんに頼られて…俺、正直嫉妬しました。 嫉妬する資格なんて無いのに。 自分から莉緒ちゃんから離れるって決めて、別れたくせに。 こんな醜い感情で弾きたく無いんです。 莉緒ちゃんには…せめてあの日の演奏だけ、あんなギターを弾いた人がいたなってだけでいいから、それだけ憶えていて欲しい。 俺みたいなヤツでもチンケなプライドがあるんです。 汚い演奏を傷付いてる莉緒ちゃんに聴かれたく無い…」 「ハ~ル~」 大島がゴチンと瀬名の頭に自分の頭をぶつける。 「いって…」 「嫉妬なんて好きなら当然じゃねえか。 でもまあハルの言いたいことも分かる。 俺も好きな人に、どうしよーもねえ絵しか描けないって解ってたら描けねえもん」 「大島さん…」 「でもさ、今の莉緒くんの為に出来ることは何でもしてやろうぜ。 例え、些細なことでも。 ギターの件は俺から桐生に断っておいてやるよ」 「すみません」 ペコリと下げた瀬名の頭を、大島がぐしゃぐしゃと撫でた。 大島はその後、桜庭を待たせるのは酷だと思い、直ぐに桐生のスマホに電話をして「瀬名は無理だから」と断った。 当然桐生は食い下がったが、無理を繰り返す大島に、「もういい」と言って通話を切った。 それから桐生は桜庭に、今日も見舞いに行っていいか確認した。 桜庭は喜んで、待ってる、と答えた。 桐生は少し遅くなるからと言って、一度自宅に戻ってから桜庭の家に向かった。 ギターケースを担いで現れた桐生に、桜庭は瞳を見開いた。 「駿くん…ギターどうしたの?」 「ん?俺のギターも莉緒に聴いてもらいたいなあって思って」 桐生は絶対音感の持ち主でピアノもギターも弾ける。 桐生は笑いながら桜庭から目を逸らす。 桜庭は、駿くんは相変わらず嘘をつくのが下手だな、と思う。 普段でも冗談で嘘をつこうとして、簡単に綾野や谷川に見破られてからかわれていた。 きっとハルに断られたんだ… だから… 「莉緒のリクエストなら何でも弾くよ」 桐生はにっこり笑って言う。 桜庭はスマホを差し出した。 「この曲、弾ける?」 「…スゲー雑音だな…。 でもまあ、何とか」 桐生はスマホのプレイリストにある『あの曲』を聴きながら15分ほど練習すると、「じゃあ、弾いてみるから」とギターに手をかけた。 桐生の演奏は滑らかに巧みに進む。 桜庭の瞳から涙が零れる。 ハルの曲をハルじゃない人が弾くのを聴く日が来るなんて… それだけ、ハルと俺の距離は、離れた… 桜庭は思わず嗚咽を漏らした。 桐生が慌てて演奏をやめて桜庭に近付く。 「莉緒、どうした!? 俺、何か間違えた?」 「ちが…う、しゅんくんの…せいじゃ…」 「莉緒…」 桐生がそっと桜庭を抱きしめる。 桐生の制服が桜庭の涙で濡れる。 「しゅ、ん…くん…ありがと…」 「莉緒…俺に出来ることなら何でもするから」 桐生が湿布を貼られた桜庭の頬を両手で包む。 桜庭の涙で湿布と桐生の手が濡れていく。 「『お助けマン』みたいだね、駿くんは…」 「『お助けマン』?」 桐生がクスッと笑う。 「そう…『お助けマン』…」 桜庭はもう言葉にならなかった。 ただただ涙が零れ落ちる。 「なるよ、俺が」 「しゅ…く…?」 「『お助けマン』にでも何にでもなってやる。 だからもう泣くな」 「しゅん…くんっ…」 桜庭はわあわあ声を上げて泣く。 桐生は黙って桜庭を胸に抱きしめた。 それから二日程してゴールデンウィークが始まった。 今年は三連休、3日間平日、四連休のカレンダーだった。 桜庭の両親は、桜庭をゴールデンウィーク明けまで学校を休ませることにした。 桐生は桜庭が暴行された翌日から、毎日桜庭のお見舞いに来ていた。 格闘技の練習がある日は30分しかいない時もあれば、桜庭の様子を見て1~2時間くらい一緒に過ごす。 桜庭は最初の三連休が終わっても、桐生以外の友達に会うのに抵抗があった。 自分でも良く分からない。 ラインでやり取りするのは楽しい。 でも実際に会うことを考えると、何かが心にブレーキを掛ける。 けれど何がそうさせるのか、分からない。 事件の話をされるのも、桐生以外は家族でも嫌だった。 桐生は全て知った上で、話してくる。 あの時の恐怖を真に分かってもらえるのは、あの『現場』を知っている桐生以外にいないと思える。 そう思うと、家族の心配の言葉すら桜庭の心の上っつらを滑っていくだけ。 家族はそんな桜庭の態度を敏感に感じ取ってくれて、極力事件の話には触れて来なかったが、怪我の治療をしてもらったり、鎮痛剤を飲んだりする時に「可哀想に…」「まだ湿布が必要ね」「痛み止め効いてる?」そんな些細な心配の言葉を聞くのすら、耳を塞ぎたくなる。 家族が心底自分を心配しているのは、痛い程分かる。 けれど素直に受け入れられない。 部屋一人で居て、桐生がメールしてくれた授業の内容を見て勉強したり、英会話のレッスンの復習をしたり、息抜きにピアノを弾いたり、好きな映画やドラマを観たり、好きな音楽を聴いたりしている時が一番リラックス出来た。 あんなに活動的だった自分が嘘のようだった。 それと桐生と過ごすのが楽しみで、毎日来てくれなくてもいいのに…と遠慮する桜庭にキョトンと「何で?」と言ってくれる桐生が嬉しい。 慌てて「迷惑だったら言えよ?」と付け加える桐生に、思わず笑みが零れる。 桐生からは気負った物が何も感じられなくて、自然体で、桜庭も自分らしくしていられる。 桜庭にしては珍しく、ほんのちょっと甘えたり、小さい我が儘も言ってみる。 桐生は「しょーがねえなあ」と言いながらも笑って受け止めてくれる。 時には泣いてしまっても、桐生は桜庭が泣き止むまで黙って抱きしめてくれる。 桜庭はたまに、抱きしめられて泣くなんて、甘え過ぎかな?付き合ってもいないのにおかしいかな?と思ったりするが、事件の後から自然とそうしていたし、桐生もそれが普通という態度なので慣れてしまった。 桐生は桜庭と同じ年でも、格闘技をやっていて大人と付き合うことが多いせいか、桜庭より大人びている。 桜庭は桐生みたいな友達は今までは大島くらいだった。 桐生には姉しか兄弟がいなくて「莉緒みたいな弟が欲しかったんだ」と言って、逆に自分から桜庭を甘やかそうとする。 そうして照れ屋の桜庭が赤くなるのを、面白そうに見て笑っているのだった。 連休の中日の三日間の平日の最終日、遊びに来た桐生が、「明日からの休み、莉緒さえ良かったら綾野と谷川がお見舞いに来たいって言ってるんだけど…」と言い出した。 桜庭は「駿くんが居てくれるなら」と返事をした。 桐生は「当たり前だろー」と屈託無く笑っている。 桜庭は本音を言えば、まだ桐生以外と会うことは抵抗があった。 それでも綾野と谷川は桐生の親友達で、桐生も一緒なら…と思い承諾した。 桐生はそんな桜庭の心を見透かすように、「心配すんな。それとも俺ってそんなに頼り無い?」そう言って桜庭の髪をやさしく梳く。 桜庭はゆっくり首を横に振った。 「駿くんが居てくれれば…大丈夫」 「そんなに緊張しなくても平気だよ。 なんたって綾野と谷川なんだから」 桐生のおどけた口ぶりに、桜庭は思わず笑った。 そして翌日の午後、桐生と綾野と谷川がやって来た。 綾野と谷川はもう湿布は貼られてはいないが、黒ずんでいる頬をした桜庭の顔を見ても驚いた様子も無く、「会えて良かった~!」と口々に言って、ニコニコ笑いながら「ゼリーなら食べられるかなって思って」と言ってお土産を渡してくれた。 桜庭の部屋に全員揃うと、桜庭は桐生と並んで座って、その前に綾野と谷川が座った。 「さっそく食べようぜぃ~」と言う谷川の掛け声でゼリーを食べながら、綾野と谷川は事件のことには一切触れず、桜庭が休んでる間の学校の出来事を面白おかしく話してくれた。 その内、「桐生がさ~、女子高生みたいにノート取っててさ~」と綾野が笑いを抑え切れないように言い出した。 「今までそんなことしたこと無かったのに、急にカラーのボールペンを使い分けて、蛍光ペン使いまくって…逆に目がチカチカすんのよ!」 「そ、それは莉緒にメールする時に分かり易いように…」 桐生が真っ赤になって反論する。 「まあ、莉緒くんもガッコ来たら、桐生のノート見せてもらいな! チョー笑えるから!」 谷川もゲラゲラ笑って言う。 「うるせえ!」 桐生が綾野と谷川の頭をはたく。 桜庭もプッと吹き出した。 「絶対見せてね?」 「莉緒までそんなこと言うなよ~」 桐生が真っ赤な顔のまま、テーブルに突っ伏す。 「あ!ビーズクッションと抱き枕、使ってくれてるんだ!」 谷川の嬉しそうな声に、一瞬桜庭の身体が固まる。 桐生がぐいっと桜庭を抱き寄せると、「莉緒は抱き枕を殴ったりしてねーからな!」と笑って言った。 桜庭は綾野と谷川に気づかれないように、ホッと息を吐いた。 「なんだ~つまんねー」 言葉とは裏腹に谷川がニコッと笑う。 「保くんも、吾朗くんも、ありがとう。 凄く気に入ってるんだ…」 桜庭は桐生の腕の中で、何とか言った。 綾野と谷川は同時に「良かった~」と嬉しそうに笑った。
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