【28】分からない気持ち

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【28】分からない気持ち

それから直ぐに中間テストの範囲の発表があった。 桜庭は大島達五人でいつも集まって勉強していたし、今回は桐生達四人とも勉強することになった。 桜庭は五人が揃うのは本当に久しぶりで、勉強が目的でも嬉しかった。 勉強する家は大体いつも持ち回りだが、今回は大島が瀬名の家が良いと言い出した。 瀬名の家は両親が共働きだから、リビングでゆっくり勉強出来るというのが、その理由だ。 桜庭の胸は高鳴った。 二度と行けないと思っていた瀬名の家に行けるのだから。 だが瀬名は、『俺んちはパスで。勉強会も出なくてもいいです』と言ってきた。 これには四人も驚いた。 神田が慌てて『じゃあ俺んちで!美味しい中華付きだよ~!』と言うと、『じゃあ行きます』という返事だった。 桜庭は自分を家に呼びたくないんだと直感した。 ハル…『俺なんか忘れて』ってこういうこと? ただの友達として家に行くことも許されない? 本当に『さよなら』なんだ… 桜庭は涙も出なかった。 ただ虚しい思いが心に満ちた。 勉強会も桜庭の予想通りだった。 瀬名は桜庭の隣りに座るなんてことも無かったし、桜庭に話しかけることはおろか、目も合わさない。 楽しそうに神田と大島に挟まれて笑っている。 それでも瀬名の笑顔は桜庭を眩しく照らした。 自分で決めたことだと言い聞かせる。 片想いでいいんだ ハルに迷惑はかけない 遠くで、想ってるだけでいい… ハルには何も望まないんだから… 桜庭も笑ってみんなの輪に加わった。 瀬名は桜庭に無関心を装いながらも、桜庭を観察していた。 変わらない笑顔。 考えごとをする時に唇を触る癖。 無意識に出る上目遣い。 その全てが愛しくて、胸が苦しい。 そして。 『お助けマン』からの差し入れで一杯のペンケース。 瀬名はグループラインで桜庭が探している物をトークする度、直ぐに店に買いに走った。 授業で使う資料なども、図書館に行って探したりしていた。 学校でも桜庭が苦手なことは、何とか先回りして済ませておいた。 けれどクラスが違って出来ることは格段に減った。 それは桐生達も関係していた。 桐生も桜庭の為なら、何でもしてやっていたからだ。 だからペンケース一杯の『お助けマン』の差し入れが、瀬名を幸せな気分にさせた。 話せなくてもいい 冷たい奴だって思われてもいい 莉緒ちゃんの役に少しでも立ってるなら… そんな五人の勉強会に対して、桐生達の勉強会は楽しく進んだ。 変に気を使う必要も無い。 勉強会は綾野の家で行われた。 ただ最近、桐生の様子が以前とは少し変わって桜庭はちょっと心配していた。 桜庭をボーッと見てるかと思えば、急にじゃれついてくる。 今も桜庭の肩を抱いて勉強していた。 「駿くん…書きづらくないの?」 「平気」 「桐生、お前な~」 綾野が桜庭の肩を抱いている桐生の手をペチッと叩く。 「お前は平気でも莉緒くんが勉強しづらいだろーが!」 桐生はハッとしたように手を離した。 「ごめん。迷惑だった?」 「…別に」 迷惑っていうか恥ずかしいんですけど… 桜庭が心の中で呟く。 「まあ、桐生はお子ちゃまだからな~」 谷川がペットボトルのジュースを飲むとニヤッと笑う。 桐生がムッとして言い返す。 「どういう意味だよ?」 「はい、莉緒くんが俺の前で泣きました~。 俺は莉緒くんを慰めたくて、かわいくて、キスします~。 そしたらお前どうする?」 「殴る」 「即答かよ!」 綾野が吹き出す。 「それをお前はやったワケ。 何でだか考えたことある?」 桐生は手で口元を覆った。 「それ…大島にも言われた…。 でも考えたけど、答えが出ない…」 「司くんに?」 桜庭が驚いて桐生を見ると、桐生はコクッと頷いた。 「こんだけイケメンで超モテるくせに、中学はラグビー、今は格闘技にしか眼中に無い奴だから仕方無いか~」 谷川がそう言って、大袈裟にため息を吐いた。 勉強会が終わって、綾野の家の最寄り駅のホームで桐生と谷川と桜庭が立っていると、電車がホームに滑り込んで来た。 三人で電車に乗ろうとして、先に乗った谷川が桜庭の胸をトンと押して、桜庭は電車から一歩ホームに降りた。 桐生も素早く電車を降りて桜庭を支える。 「谷川、何すんだよ!?」 桐生が思わず怒鳴ると、谷川はにっこり笑って、「そんなんじゃテストに響くよん。二人で話しでもしていけ!」と言った。 電車の扉が閉まる。 谷川が窓ガラス越しにバイバイと手を振って、電車が走り去っていく。 ホームに残された二人はぎこちなく視線を合わせる。 「…駿くん」 「莉緒」 声が重なって、お互い思わず笑いが零れる。 「莉緒から、どうぞ」 「…うん」 桜庭は思い切って言った。 「駿くん、最近変だよ? 何かあった?」 「…さっきも綾野の家で言ったけど」 桐生の長い指が桜庭の頬に触れる。 「莉緒のことが分からない」 「俺のこと?」 桜庭が瞳を見開く。 「ああ、ほら、もう!」 桐生が桜庭を抱き寄せる。 「そんなかわいい顔すんなよ」 「…普通だよ?」 「俺には普通じゃないんだよ!」 桜庭がクスクス笑う。 「やっぱり、駿くん、変」 「そう…変なんだ」 桐生が桜庭の白く小さな顔を両手で包む。 また電車がやって来て、乗客を吐き出し、吸い込んでいく。 そんな中、二人の空間だけは切り離されているようだった。 周りの騒音も二人の耳には届かない。 「駿くん…?」 桐生の唇が桜庭の唇に一瞬触れる。 「泣いてもないのに、ごめん」 桐生が桜庭を抱きしめて囁いた。 桐生と桜庭は身体を離すと、そのままホームのベンチに並んで座った。 桐生は何も言わない。 桜庭も黙っていた。 何本目かの電車を見送ると桐生がポツリと言った。 「谷川の言った通りなんだ」 「……」 「それなりに告白されたり、周りに騒がれることもあったけど、中学の時はラグビーに夢中で恋愛なんて考えられなかった。 高校に入って先輩の勧めで格闘技を始めたら、ラグビー以上に夢中になった。 恋愛なんてどうでもよかった。 ただ強くなりたい、そう思ってやってきた」 「…うん」 「でも莉緒に出会って…莉緒を知るたび、守ってやりたい、楽しませてやりたいって思うようになって…」 「それは…俺があんな目に遭ったから?」 桐生はやさしく笑った。 「それも無いって言ったら嘘になる。 でもあんなことが無くても、俺は莉緒が大切だったと思う」 「うん…」 「でもこの気持ちが何なのか、俺にはまだ分からない。 付き合ったことも無いし…それこそ恋したことも無いんだ」 桐生が真っ赤になって言う。 「でも莉緒には誰にも触れてほしく無い。 冗談でキスした俺が言うのも何だけど、莉緒にキスする奴なんていたら本当に殴るかもしれない…」 桜庭は桐生をじっと見つめて言った。 「さっきのキスも…冗談?」 「違うよ!」 桐生は桜庭の両肩を掴んだ。 「あの時…莉緒があんまりかわいくて反射的に身体が動いてた。 周りの目も気にならなかった。 ただ莉緒の唇にキスしたかったんだ…ごめん」 「駿くん、謝ってばっかり」 桜庭がクスッと笑う。 「だって、告白もしないで、莉緒の気持ちも聞かないでキスするなんて…俺って最低だよな」 「最低なんかじゃないよ」 「莉緒…?」 「駿くん以外の人なら嫌だけど、駿くんは嫌じゃない。 俺も駿くんと同じ。 この気持ちが何なのか分からないけど…」 桜庭の言葉が終わるか終わらないかの内に、ガバッと桐生が桜庭を抱きしめる。 「良かった…莉緒に嫌われたらどうしようかと思った」 「駿くん…」 「俺の気持ちが分かったら、また話聞いてくれる?」 「うん」 桜庭は小さな声で言った。 「俺、失恋したって言ったでしょ? 相手はそんなこともう忘れちゃってるし、友達付き合いもしてくれない。 でもね、どんなに冷たくされても嫌いになれない…好きなんだ」 「馬鹿だな」 「うん、俺、馬鹿だよね」 「違う。莉緒も馬鹿だし、莉緒を振った奴も馬鹿だ」 「駿くん…」 桜庭を見つめる桐生の瞳には涙が浮かんでいた。 桜庭の胸がぎゅっと痛くなる。 「俺なら莉緒に振られても、せめて友達でいたいよ」 「しゅん…くん…」 桜庭の瞳にも涙が込み上げる。 桐生はふふっと笑って乱暴に拳で自分の涙を拭うと、桜庭の涙をそっと指先で拭った。 「辛いな、莉緒」 桜庭は首を横に振った。 「…いいんだ。もう慣れた」 せっかく桐生に拭ったもらった瞳から涙が溢れる。 「悲しいことになんて慣れるなよ…」 桐生がまた桜庭の涙に指先で触れた。 中間テストが終わり6月になると、桜庭は困った事態になってしまった。 6月は瀬名の誕生日がある。 大島は美術専門の予備校に通っているし、神田と水元も部活があるので、桜庭が代表して四人からのプレゼントを買うことになった。 四人から、というのは助かる。 とてもじゃないが今の瀬名に個人でプレゼントをする勇気は出ない。 けれど、桜庭が選んだと瀬名が知ったら? 嫌な態度を取られないだろうか… でも四人からなんだし… 桜庭が悩んでいると、桐生にズバリ「なに悩んでるんだよ?」と訊かれた。 桜庭は苦笑して、瀬名への誕生日プレゼントを代表して買いに行くことになったと話した。 「予算は?」 「一人二千円で八千円」 「じゃあ結構良いものが買えるな。 瀬名の趣味って何?」 「ゲームとギターかな…」 「知ってる知ってる! あいつってすげーゲームオタクなんだよね! C組の奴らが言ってた。 ゲームに詰まったら瀬名に聞けって」 谷川の言葉に綾野も頷く。 「最新のゲームソフトにしちゃえば? 一番喜ぶんじゃない?」 「ゲームソフトかぁ…」 桜庭も一度はゲームソフトも良いかな、と考えた。 でも何だか安易な気がして止めたのだ。 プレゼントするなら、もう少し記念に残る物にしたい。 「莉緒、今度の日曜の午後空いてる?」 桐生に尋ねられて、桜庭は「うん」と頷いた。 「じゃあ瀬名の誕生日プレゼント見に行こうぜ。 銀座にでっかいオモチャ屋があるから、そこでゲームに関連するもの見てもいいし」 桜庭の顔がパッと明るくなる。 「そうだね! 銀座ならアクセサリーとかも見られるよね!」 そうして日曜の午前中格闘技の練習がある桐生と、午後から一緒に出掛ける約束を桜庭はしたのだった。
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