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【29】やさしさが怖くて
そして日曜日が来て、桐生と桜庭は銀座に向かった。
まず4階のゲーム&ホビー売り場に行く。
ゲームソフトを見ながら関連商品を見ていると、あるジグソーパズルが桜庭の目に付いた。
それは桜庭が瀬名の家に行っていた頃、よく瀬名がやっていたゲームソフトのイラストのジグソーパズルだった。
桜庭は懐かしくて胸が熱くなった。
瀬名の勘違いから始まった身体の関係。
だけど、セックスだけじゃ無かった。
他愛もないお喋り。
時にはゲームも一緒にした。
いつもセックスの後は、桜庭の全身を洗ってくれた。
駅まで送ってくれた道のり。
桜庭に合わせて歩いてくれた瀬名の歩幅。
繋いだ手の温もり。
器用な瀬名の不器用なやさしさ。
まるで昨日のことのように蘇る。
桜庭が瞳を潤ませながら、そのジグソーパズルを見つめていると、桐生が桜庭の肩をそっと抱いて「それにしようか」と言った。
桜庭が笑顔で頷く。
桜庭の瞳から涙が一粒零れて落ちる。
桐生は桜庭の髪を撫でると、「俺の前で無理して笑うな」とやさしく言った。
瀬名の誕生日は平日で神田も水元も部活があったので、学校近くのファミレスでケーキを食べてプレゼントを渡すことになった。
大島と瀬名もそれまで部活に出るというので、桜庭は桐生と教室で課題をやることにした。
桐生がショッピングモールで桜庭にキスして以来、周りは二人は付き合っているというスタンスで、「今日も仲が良いね~」と言ってくる生徒もいる。
桐生は否定も肯定もしなくて「まあな」なんて答えている。
桜庭はそんな時、駅のホームで唇に一瞬されたキスを思い出し赤面してしまう。
そんな桜庭を桐生は楽しそうに笑って見ている。
待ち合わせの時間が来て、桐生は桜庭をファミレスまで送ってから帰って行った。
ファミレスに入ると、一番来るのが遅いと思った神田と水元が先に来ていた。
神田は「部長権限で15分早く終わらせちゃった~」と得意気に笑った。
その後、直ぐに大島と瀬名が連れ立ってやって来た。
時間が無かったので、注文したケーキが運ばれてくると、大島と桜庭と神田と水元の四人で「ハル、誕生日おめでとう!」と言って、桜庭がテーブルにプレゼントを置いた。
「これ、俺達から。
莉緒くんが代表して選んでくれたから」
大島がふにゃっと笑って言う。
桜庭は瀬名の態度に胸がドキドキした。
だが瀬名は淡々と、「そうですか。ありがとうございます」と言っただけだった。
桜庭は嫌がられないだけでもホッとした。
「ハル、開けてみてよ!
俺達もまだ見てないんだから!」
神田の言葉に瀬名がプレゼント包装を解く。
その時、瀬名が小さく「あっ」と言った。
嬉しそうな表情が広がっていく。
桜庭まで嬉しくなって、ニコニコ笑ってしまった。
「それはね~莉緒ちゃんがわざわざ銀座まで買いに行ってくれたんだよ!」
何故か神田が得意気に言う。
「桐生くんと一緒に選んでくれたんだから!」
その一言に桜庭は固まった。
桐生と一緒に出掛けたことは誰にも言って無かったからだ。
でも、そう言えば駿くんと約束した時、保くんも吾朗くんもいた…
桜庭が一瞬考えを巡らせていると、瀬名が冷たく言い放った。
「恋人同士のデートのついでの…プレゼントですか。
それってわざわざって言うんですかね」
桜庭は笑顔から一転真っ青になった。
「ハル、そんな言い方ねえだろう」
大島が諌めるように言う。
瀬名はさっさとプレゼントを包装紙と一緒に紙袋にしまう。
赤いリボンが紙袋からはみ出して床に垂れていた。
桜庭は思わず椅子から立ち上がった。
「莉緒ちゃん?」
「莉緒くん?」
神田と水元がビックリしたように桜庭を見上げる。
大島は無表情な瀬名の横顔を見つめている。
桜庭はそのままファミレスを飛び出した。
駅に向かってひたすら走る。
涙が後方へと飛んでいく。
一気に駅まで走ると、桜庭ははあはあと息を切らして立ち止まった。
ポンと肩を叩かれて振り向く。
そこには桐生が照れ臭そうに立っていた。
「しゅ…く…」
「その…ちょっと心配になって…。
プレゼント選んだ時、莉緒が泣いてたから。
また何かあったらって…。
1時間したら帰ろうとし…」
桜庭がドンッと正面から桐生に抱きつく。
「莉緒…」
「何しても…なに、しても…無駄なのかな…」
桐生もぎゅっと桜庭を抱きしめる。
「か、片想いで、い…い…なにも、の、望まない…で、も…でも…」
「莉緒…泣きたいだけ泣けよ」
「しゅん…くん…」
「言っただろ?
悲しいことになんて慣れることないんだよ」
桜庭の閉じた瞼に、瀬名の嬉しそうな表情が広がっては消えていった。
桜庭が泣き止んでも桐生は何も訊いて来なかった。
ただ一言「帰ろう」と言って笑った。
やさしい、やさしい笑顔だった。
また涙が出そうになる桜庭の頭を、桐生が拳骨でコツンと軽く叩く。
「もう泣かない!
頭、痛くなるぞ」
「うん…」
「俺、明日、練習があるんだけど、その前に何か美味いもの食べに付き合ってくれる?」
「美味いもの?」
桜庭がクスッと笑う。
「そう、美味いもの。
食いしん坊の莉緒にお任せします」
「…パンケーキとか?」
「パンケーキか~。
力出るかなあ…」
「嘘、嘘!
駿くんが練習で力が発揮出来るとこ、探しとく」
桜庭がクスクス笑い出して、桐生は嬉しそうに言った。
「莉緒を泣き止ますには食べ物が一番だな。
いいよ、パンケーキ食いにいこうぜ」
「なっ…何それ…俺が本物の食いしん坊みたいじゃん!」
「事実だろ?」
「駿くん!」
逃げるように歩き出す桐生の背中を、桜庭は追いかけてポカポカ叩いた。
桜庭がいなくなったファミレスの大島達のテーブルは静まり返っていた。
神田が珍しく怒った口調で口を開く。
「ハル、『ついで』は言い過ぎだよ。
俺達みんな忙しくて莉緒ちゃん一人に頼んだんだ。
莉緒ちゃんだって迷ったと思うよ?
それを友達に相談して何が悪いんだよ」
「……」
「それに莉緒ちゃんが桐生くんともし付き合ったとしても、俺達が口出しすることじゃないじゃん!
おめでとうって言ってあげなきゃ!」
「……」
「ハル!何とか言えよ!
莉緒ちゃんにちゃんと謝ってよ!」
瀬名は通学バッグとプレゼントの入った紙袋を持つと立ち上がった。
「神田さん、悪いけどここ出しといて下さい。
明日、お金返します」
瀬名は三人に背を向けるとスタスタと店を出て行く。
「ハル…!」
「神田ちゃん、俺が話聞いとくから。
俺の分も立て替えといて」
大島はそう言うと、瀬名の後を追った。
大島は直ぐに瀬名に追い付くと、並んで歩いた。
「ハル、やり過ぎだぞ」
瀬名はふふっと笑った。
「利用出来ることは利用します。
莉緒ちゃんは俺に呆れたでしょうね。
傷付いて…もう二度と俺の為に何かしようなんて考えなくなりますよ」
「ハル…馬鹿だなあ、お前」
「俺に期待することも二度と無くなる…」
「だからって何も悪者になることないじゃねえか。
本当の大馬鹿野郎だよ、お前は」
「大島さんだって分かるでしょ?
恋人がいるんだから」
「何をだよ?」
「好きな人の幸せを願う気持ち」
「ハル…」
「俺、急ぐんで。じゃ」
瀬名は駆け出すと、そのまま大島を残し、走り去った。
瀬名は寝る前に部屋の中央にある小さなテーブルに誕生日プレゼントを置いた。
瀬名が去年ハマっていたゲームのキャラクター達が冒険に備えて笑っている。
箱にそっと触れてみる。
桜庭とこのゲームをプレイしたことを思い出す。
「本当の大馬鹿野郎は莉緒ちゃんだよ…」
無理矢理セックスさせられてた日々の思い出を忘れないなんて…
あの頃の俺の好きなものを探し出してきてくれるなんて…
桐生くんと一緒だったなんて、本当はどうでもいいんだ
莉緒ちゃんのやさしさが怖かった
俺に対するやさしさが
引き込まれそうになった
莉緒ちゃん、ありがとうって
好きだよって言いそうになった
だから、ああ言うしか無かった
桐生くんを利用した
利用して…莉緒ちゃんを突き放した…
それも、もう終わり
莉緒ちゃん…酷い俺を随分長く好きでいてくれたね
ありがとう
そして、さようなら
何度も思ってきたことだけど
本当にさよならする日が来たんだね
あの別れの日
『俺達、両想いだったんだよな』
『ハル…好きだって言ってくれよ。
まだ一度も好きだって言われてない』
って言ってたね
好きだよ、好きだよ、好きだよ
愛してるよ、莉緒ちゃん
でも伝えなくて良かった
莉緒ちゃんを惑わすことが、ひとつでも無くなって良かった
瀬名はジグソーパズルの箱をクローゼットの奥に仕舞った。
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