【30】面影

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【30】面影

桜庭はそれから大島達と自然と距離を置くようになった。 距離を置くと言っても、クラスがバラバラになって、皆もそれぞれ忙しくてなっていたから、そんなに会うことも無くなっていたので、不自然に思っている人もいないだろうと桜庭は思っていた。 時たま参加するグループラインだけが、大島達と桜庭を繋げているようなものだった。 普段からマイペースな大島は兎も角、神田だけは熱心に桜庭に語りかけてくれて、タイムラグがあっても桜庭はなるべく返事をするようにしていた。 一方、桐生達とは今まで以上に仲良くなった。 特に桐生とは友達以上恋人未満みたいな関係になっていた。 教室でも隣り同士でいつも一緒だし、帰りもお互いの予定に合わせて必ずお茶したり、食事をしたりしていた。 学校が休みの日も、遊びに行ったり、時にはお互いの家で勉強したりした。 桜庭の高校は付属の大学がある。 世間でも名も通っている一流校だ。 桜庭も桐生も内部進学を希望していた。 だが桜庭は大学の中でもトップクラスの学部に進学する気だったし、桐生も教育学部に入学して中学の歴史の教師になりたいという夢を持っていた。 だからいくら内部進学と言えども成績は落とせない。 そんなところも気が合って、お互い役に立つような参考書を見つけては一緒に書店に行ったりもして勉強に役立てた。 大島達と距離が出来ると、桜庭はグループラインで探しているものや、困っていることなどをトークしなくなった。 それ以前に桐生達と喋っている時に、自然の流れで話してしまって、桐生達が解決してくれるからだ。 その頃から『お助けマン』はあまり現れなくなった。 教室に来ることも無くなったし、差し入れもどちらかと言うと、桜庭の役に立つものから、『お助けマン』が桜庭の欲しいものを予想したようなものに変わった。 時には必要無いものもある。 それでも桜庭は嬉しかった。 見慣れた妙に角ばった文字のメモがあったから。 短い文章に桜庭を気に掛けてくれる言葉が並んでいる。 桜庭も返事を書くと、翌日には靴箱からメモが消えていて、『お助けマン』の手に渡ったんだと分かる。 そして瀬名とは挨拶することも無くなった。 偶然、廊下で会っても、瀬名は桜庭が見えていないかのように振る舞う。 そんな瀬名に桜庭は声が掛けられなかった。 たまに大島と瀬名が一緒にいて、大島が桜庭に話しかけたりすると、瀬名はさっさと一人でいなくなる。 大島もだからと言って、瀬名のことをあれこれ言ったりしない。 桜庭は大抵桐生と一緒に行動していて、大島や神田と話す時などは桐生が気を使ってその場から立ち去ってくれる。 最初は瀬名に無視されて感じていた胸の痛みも、桜庭は段々と感じなくなってきた。 それは防衛本能に似ていた。 瀬名のことを考えれば、傷付くことしか無い。 だったら自分が瀬名に拘らなければいいのだ。 あんなに好きで会いたかったことが遠い昔のことのように思える。 だからと言って瀬名が嫌いになった訳では無い。 その感情は諦めだった。 傷付けられると分かっていて、近付けない。 だったら離れていた方がいい…。 何も感じない方がいい…。 桐生とどんどん仲良くなるにつれ、部屋で二人きりになったりすると、桐生は桜庭にキスしてくるようになった。 初めは冗談半分のようにおでこや頬に。 それから「莉緒…いい?」と言われて、桜庭はどうなるか分かっていて頷いた。 触れるだけのキスから深いキスへと変わるのにそんなに日にちは掛からなかった。 桐生の舌が桜庭の口内に侵入する。 歯列をなぞり、内頬と上顎を舐められ、舌と舌を絡み合う。 桐生はじっくりと桜庭を追い詰める。 『恋したこともないんだ』と言っていたのが嘘のようだった。 桜庭が桐生から送り込まれる唾液を飲み込む。 飲みきれ無かった唾液がツーッと桜庭の唇から零れる。 くちゅくちゅと舌を絡ませ合い、吸い上げられる音が部屋に響く。 あまりの激しさに、下半身に熱が集まりそうになると、桜庭はトントンと桐生の胸を叩く。 桐生が唇を離し、零れた唾液をペロっと舐める。 そうして桜庭をぎゅっと抱きしめる。 「莉緒…莉緒…」 桐生が桜庭を呼ぶ声は甘く切ない。 「駿くん…」 桜庭は桐生の胸に顔を埋める。 桜庭の傷付いた心がゆっくりと溶けていく。 桐生は何かを決心しているようで、それ以上は求めて来ない。 けれど桜庭は気付いていた。 桐生がこんな中途半端なことを続ける人間じゃないと。 桜庭の中から瀬名の面影が物凄いスピードで遠ざかっていった。 期末テストが終わり夏休みに入ると、桐生の高校生以下で行われる格闘技の大会があった。 桐生は桜庭に、「応援に来てくれる?優勝したら話したいことがあるんだ」と言った。 桜庭は絶対行くと答えた。 大会で桐生は宣言通り優勝した。 観客席にいた桜庭に優勝トロフィーを振って見せた。 桜庭は会場の出口で桐生を待っていた。 むせかえるような夏の匂い。 東京湾ぞいに会場があるせいか、風が潮の香りを運んでくる。 「お待たせ!」 現れた桐生は頬に絆創膏を貼っていて、シャワーを浴びた髪は濡れていた。 「ドライヤーで乾かしてくれば良かったのに…」 笑って桐生の髪に触れる桜庭の手を桐生の手が掴む。 「いいんだよ。 莉緒が待ってるかと思うと気持ちが焦ってさ。 ここからちょっと行くと公園があるんだ。 そこで話したい」 桜庭は「分かった」と頷いた。 桐生に手を引かれて歩いて行く。 3分もすると、公園に着いた。 そこは公園と言うより、海に面した遊歩道のようだった。 二人は並んでベンチに座った。 遠くに見える夜景がキラキラと輝いていた。 「莉緒…」 桐生が桜庭を真っ直ぐ見て言う。 「俺、莉緒が好きだよ。 ちゃんと付き合いたい。 莉緒の気持ち、聞かせて?」 ザザンと波が打ち寄せる音がする。 忘れかけていた瀬名の面影が、桜庭の心を横切って、消えた。 「俺も…駿くんが好き」 その気持ちは本当だった。 『好き』の一言では足りない思いが桐生にはある。 今まで一緒に過ごして来た時間が愛しくて失いたくない。 「莉緒…」 桐生が桜庭を抱きしめる。 唇と唇が重なる。 桜庭が睫毛を伏せようとして、遠くの夜景がオレンジ色に光って瞳の端に映った。 桐生が綾野と谷川に、『莉緒と付き合うことになったから』とグループラインで報告すると、『おめでと~!』と祝福のメッセージと共に、谷川が何故か『じゃあ莉緒くんと桐生が恋人になった記念にプール行こうぜ!』と言い出し、皆『何でプールだよ!?』とツッコミながらも、遊園地に併設されている大規模なプールに行くことになった。 夕暮れまでプールで遊んで、帰りに遊園地でも遊んで最後は全員ヘトヘトになって皆で笑った。 桐生は終始ご機嫌で、色白の桜庭が日焼けしないようにと小まめに日焼け止めを塗り直してやったり、「腹減ってないか?喉渇いてない?」と買い出しに走ったり、プールでも「危ないから」と言って片時も桜庭から離れようとせず、とうとう綾野と谷川に「お前はオカンか!」とツッコまれていた。 谷川が遊園地で「何かロマンチックが足りないな~」と言い出して、メリーゴーランドを見ると、「あ!桐生!メリーゴーランドの前でキスしろ!」と言った。 「何でだよ!?」 「いいじゃん、記念、記念! 俺と綾野の腕を信じろ!」 「もー仕方ねえなあ…」 桐生はポリポリと頭を掻くと桜庭を見た。 「どうする?」 「…駿くんがいいなら。 でも一瞬だけだよ?」 桐生はヤケクソのように綾野と谷川に向かって怒鳴った。 「一瞬だけだかんな!」 「おっけ~」 メリーゴーランドが動き出す。 桐生は桜庭の肩を両手で抱くと、そっと唇を合わせた。 二人がパッと唇を離すと、「スゲー俺達天才!」と綾野と谷川がスマホの画像を見せ合ってはしゃいでいる。 桐生と桜庭も慌てて二人に駆け寄り画面を見た。 真っ暗な夏の夜に煌めくメリーゴーランドの前で、桐生と桜庭がキスしてるシーンはまるでおとぎ話の世界のようだった。 桜庭は余りの美しさに感動して、これが自分なんだと思うと急に恥ずかしくなった。 桐生も感動しているようで、「綾野、谷川、ありがとう」と言って画面を見つめている。 「直ぐにお前のスマホに送ってやるから。 あ、莉緒くんもね」 綾野に言われて桜庭は真っ赤になって頷いた。
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