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【35】小さな小さな幸せ
そうして二学期が始まった。
初日に桐生と桜庭が一緒に登校すると、桜庭の靴箱に小さな袋と小さなメモが入っていた。
『お助けマン』だ、と桜庭は思って直ぐにメモを読んだ。
『今日から新学期ですね。
グリップの持ちやすいシャーペンを見つけたので使って下さい。
俺も楽しい夏休みでした』
袋を開けるとグリップがラバータイプの白いシャープペンシルが入っていた。
視線を感じて振り返ると、桐生が桜庭をじっと見ている。
「駿くん?」
「…また、『お助けマン』か?」
桐生は無表情で言った。
桐生が桜庭にそんな顔をするのは珍しいので、桜庭は小首を傾げた。
「そうだけど…」
「今度は何?」
「書きやすいシャーペンだって」
「…ふうん」
桐生は桜庭の手からシャーペンをぱっと取った。
「駿くん!?」
「先に書かせろよ。
どんなに書きやすいか俺が検証してやる」
桐生が悪戯っぽく笑って、走り出す。
「も~ダメだよ!
俺が貰ったんだからー!」
桜庭も笑って桐生の後を追った。
そんな二人を影で見ていた『お助けマン』の拳が震えた。
HRしか無い二学期の一日目は直ぐに終わった。
桐生は水族館に行った時のメリーゴーランドの前で撮った写真をスマホの待ち受けにしていて、綾野と谷川に自慢気に見せては「やだね~バカップルは!」と呆れられていた。
結局、『お助けマン』に貰ったシャーペンは「試し書き!」と言って、桐生に先に使われてしまった。
桜庭は「もう駿くんには絶対貸さないから!」と言って桐生の肩を叩いた。
桐生がわざとらしく「イテ~」と呻いて机に突っ伏す。
桜庭がすかさず「嘘つき!」と言ってクスクス笑う。
綾野と谷川がまた呆れたように「やっぱバカップルだな~」と言った。
桐生と桜庭達四人は、久しぶりに放課後昼食を一緒に食べて、桐生の格闘技の練習がある夕方まで遊ぶことになっていた。
四人が笑いながら昇降口を後にする。
瀬名は桜庭の靴箱を開けた。
いつもより少し大きめの封筒の表に『お助けマンさんへ』と宛名が書かれていた。
屋上に行くのももどかしく、瀬名は昇降口から少し離れた廊下で封筒を開けた。
『お助けマンさんへ。
シャーペンどうもありがとう!
凄く使いやすいです。
桐生くんがふざけて先に使ってしまって、少し悔しいですけど笑。
お助けマンさんも夏休みが楽しくて良かったですね!
俺は夏休み最後の思い出に、26日に桐生くんと水族館に遊びに行きました。
イルカショーの写真が上手く撮れたので同封します。
不器用な俺にしては最高のショットだったので!』
封筒にはイルカが二頭、水しぶきを上げて高くジャンプしている写真が一枚入っていた。
瀬名が廊下の壁伝いにズルズルと床に座る。
廊下を行き交う生徒が、そんな瀬名をチラチラ見ていく。
26日…
明くんの誕生日パーティーの日…
家族と出掛けるなんて嘘だったんだ…
そんなに俺と会いたくない?
そうだね
それでいいんだ
自分の思い通りになったじゃないか
それなのに、こんなに悲しいのはなぜだろう
そして
莉緒ちゃんより先にシャーペンを使った桐生くん…
桐生くんは全てを手に入れたでしょ?
せめて『お助けマン』だけは、俺から奪わないでよ
莉緒ちゃんを幸せにしてくれてありがとう
でも『お助けマン』だけは…
俺のたったひとつの…幸せなんだ。
桐生くんとは比べものにもならない、小さな小さな幸せ
莉緒ちゃんと俺を結びつけてくれる、細い細い糸
ただ、想うだけでいいから
心の奥底で、好きでいるだけでいいから
瀬名の目にイルカの写真が滲んで見える。
瀬名はその写真を楽譜が入っているファイルに大切に仕舞った。
それから直ぐに文化祭の発表があった。
9月の第3週目の土日。
桜庭のクラスは『執事&メイドカフェ』に決まった。
実行委員の澤村曰く、『良いとこ取り』らしい。
執事カフェもメイドカフェもやるクラスはあるだろうが、両方やるところは無いだろうという作戦だ。
クラスを1/3ずつに分けて、執事・メイド・裏方をくじ引きで決める。
だが黒板には執事の欄に桐生の名前、メイドの欄には桜庭の名前が既に書かれてあった。
桐生が「俺達、くじ引きは?」と、もっともな疑問を澤村に質問すると、澤村は「うちのクラスの目玉が裏方になったら意味無いだろ?」と当然のように答えた。
クラスメートも担任の松坂までもがうんうんと頷いている。
「売上げによって打ち上げの内容が変わるんだから!
学校ナンバーワン1を目指そうぜ!」
澤村の言葉に桐生と桜庭以外のクラスメートが、「おー!」と雄叫びを上げた。
「俺、やだ…メイドなんて…」
昼休み、落ち込む桜庭にくじ引きでやはりメイドになった谷川が、「大丈夫!莉緒くんと俺なら超かわいい筈だから!」と言った。
「慰めになってねーよ」と裏方に決まった綾野が笑いながら言う。
「莉緒、そんなに気にすんなよ。
俺だって執事なんだから」
桐生が桜庭の肩を抱く。
桜庭がキッと桐生を睨む。
「執事って男じゃん!
俺は、お、女の子にならなきゃならないんだよ!?」
桐生がうーんと唸る。
「莉緒…」
「何?」
「俺から絶対離れんなよ」
「はあ!?」
「メイド姿の莉緒は絶対かわい過ぎる。
男だと分かっててもナンパしてくる奴がいる筈だ。
危ないから」
桜庭がガクッと頭を下げる。
「…そーじゃなくて…てゆうか駿くんの中では俺はメイドで決まりなんだ…。
澤村くんに掛け合ってくれるとかじゃ無いんだ…」
綾野と谷川が笑いを堪えている。
「だって…俺も少し期待っていうか…。
莉緒の女装姿見たいなあなんて」
「駿くんの馬鹿!」
桜庭が肩に置かれた桐生の手をバシッと払った。
その夜のグループラインで、神田のクラスはたこ焼き屋、大島と瀬名のクラスは的屋、水元のクラスは和風喫茶になったことを桜庭は知った。
神田に『莉緒ちゃんのクラスは?』と訊かれて、桜庭は渋々『執事&メイドカフェ』と答えた。
『どうせ莉緒くん、メイドだろ?』と大島。
桜庭は『そうだよ!』と一言に、クマが怒ってるスタンプ。
『まあまあ莉緒くん。俺だって浴衣着るんだから』
『明、浴衣って男物だろ!?俺は女なんだよ!』と桜庭はまたクマが怒ってるスタンプを押した。
『わ~絶対莉緒ちゃんとツーショット撮ろう!』と言う神田を筆頭に、大島と水元が『俺も!』『俺も!』と言い出して、桜庭は『みんな、おやすみ!』と強引にトークを終わらせた。
それからは授業の傍ら、学校は文化祭の準備に追われた。
特に部活をしている生徒は、部活とクラスの催し物を兼任している生徒もいる。
その為、桜庭のクラスも部活に入っていない生徒が率先して準備を進めた。
ただ桐生は格闘技の練習は休めないし、桜庭もピアノと英会話の習い事がある。
辛うじて朝は一緒に登校していたが、桐生と桜庭はデートどころでは無かった。
『お助けマン』も忙しいのか、二学期の初日以来、現れることは無かった。
文化祭が明後日に迫った日の放課後、桜庭のクラスにひょこっと大島が顔を出した。
桜庭は大島を見ると「司くーん!」と眉を八の字にして駆け寄った。
「どうした?」
「聞いてよ!
メイドの衣装がさ~すっごいミニスカートで…ニーハイまで履かされるんだよ!?
しっしかもスカートが万一捲れてもいいようにって…」
桜庭は真っ赤になると、大島の耳元で言った。
「ビキニタイプの下着しか履いてくるなって…」
大島はプッと吹き出すとあははと笑った。
「大変だな~莉緒くん」
「笑い事じゃないよ、もう!
…あ、司くんは何か用?」
大島は笑いを引っ込めると言った。
「ハルがさ、文化祭でステージに出るんだよ、ソロで」
「…そう」
「時間が決まったからさ、莉緒くんも聴きに行ってやってくんねえかな?」
「…俺が?どうして?」
桜庭は大島から目を逸らした。
「ハルだって別に俺に聴いて貰いたいなんて思って無いと思うよ?
俺達もう友達でも何でも無いし」
「莉緒くん…」
「司くんだってハルに頼まれた訳じゃないんでしょ?」
大島がふにゃっと笑う。
「ああ、そうだ。
単なる俺のお節介。
ハルの奴、毎日必死に練習してるよ。
ハルのステージは二日間とも午後1時からだから。
じゃあ莉緒くんも準備と本番頑張れよ」
大島はポンと桜庭の肩を叩くと、そのままA組を後にした。
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