【37】ロミオとジュリエット

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【37】ロミオとジュリエット

文化祭の後始末が各クラスで終わると、今度はグランドで後夜祭だ。 簡易ステージがライトに照らされていて、全校生徒に教師達、文化祭を担当してくれた役員の保護者も集まっている。 後夜祭は完全におふざけで、大抵体育部の下級生がお笑い系をやらされる。 合唱部も替え歌の輪唱などで盛り上げる。 途中にエアバンドが数組出たりもする。 桜庭はメイド服からメイクもウィッグも取って制服に着替えて、桐生や綾野と谷川に囲まれて時には爆笑しながら楽しんでいた。 エアバンドのふざけたパフォーマンスの後、放送部のアナウンスが「では軽音部の本当の演奏でお口直しで~す」とグランドに響いた。 軽音部も大体下級生が、その年流行している曲を自分達なりに面白くアレンジしてライブする。 桜庭達も笑って拍手していた。 すると、「軽音部のシメは文化祭でも活躍していた3年の瀬名くんの飛び入り参加で〜す」とアナウンスされて、桜庭の顔から笑顔が消えた。 瀬名がギター一本を持ってステージに上がっていくのが見える。 桜庭は「ちょっとトイレ」と言って、ステージに背を向けた。 桐生が「今、校舎に殆ど人がいないから、付いて行ってやるよ」と言った。 桜庭は「ありがと!」と言って、二人で並んで歩き出そうとした。 その時、桜庭の手首を誰かが強く掴んだ。 それは大島だった。 瀬名の演奏は始まっていた。 「聴いてやれよ」 大島が真剣に言う。 瀬名の曲は古い映画音楽の『ロミオとジュリエット』だった。 桐生と初めてセックスした日の翌日、桐生が『不吉だろ』『こんな悲しい曲…莉緒と聞きたくない』と言って飛ばしたあの曲。 桜庭が立ち止まる。 「莉緒?」 桐生が桜庭と大島を交互に見る。 瀬名の演奏はアレンジも何もされていなくて、ただ原曲を弾いていく。 何も起こらない瀬名の演奏に最初はざわめいていた生徒達も、いつしか静かになった。 5分もかからないその曲が終わると、皆が一斉に拍手した。 瀬名はペコッと頭を下げるとステージから降りて行った。 桜庭はステージに背を向けていたので、瀬名の姿は見ていない。 でもあの弾き方。 久しぶりに聴いても瀬名だと分かる。 「ハルのヤツ、文化祭が終わった後、突然、後夜祭で弾きたいって部長に直談判したんだと。 珍しいよな~ハルがああいう曲弾くの」 大島が桜庭の手首から手を離す。 桜庭の瞳から涙が零れて落ちる。 ハルは別に俺の為に弾いた訳じゃない でも…何でこの曲なんだよ… ハルがあの日のことを知ってる筈は絶対に無い あれは駿くんと俺だけの大切な思い出 偶然にしても、酷い 胸が痛い 「莉緒…」 桐生が桜庭を抱き寄せる。 「初めての日、思い出しちゃった?」 「うん…」 「飛ばして正解の曲だっただろ?」 「うん…うん…」 桜庭が桐生の胸に顔を押し当てる。 桐生がやさしく桜庭を抱きしめる。 桜庭の耳に嫌でもあの物悲しい旋律が鳴り響く。 大島がそっと二人から離れ、去って行った。 桜庭のクラスの打ち上げは焼き肉だった。 クラスの売上げは正式に発表されないが、桜庭のクラスは1、2を争う売上げだったらしい。 「みんなお疲れ様!好きなだけ食え!足りない分は俺が出してやる!」と担任の松坂が言って、皆一気に盛り上がった。 「莉緒くん、食べないの?」 肉を次々と網に乗せながら綾野が訊く。 「た、食べてるけど…ちょっと疲れちゃって…」 「そうだよなー。 俺達、メイドだったんだもん。 俺は靴が一番きつかったなー。 ヒールとかもうマジ勘弁!」 谷川がパクっと肉を口に入れながら笑って言う。 桜庭も一口肉を食べた。 でもどうしてか食欲が湧かなかった。 あの瀬名のギターの旋律が耳から離れない。 悲しい、悲しい曲。 なぜハルは後夜祭であんな曲を弾いたんだろう… 普通はもっとアップテンポで盛り上る曲を弾くものなのに… 桐生が俯く桜庭をじっと見ている。 桜庭はその視線にも気付かない。 瀬名はクラスの打ち上げに顔だけ出すと、部活の方の打ち上げに合流した。 軽音部の打ち上げはラーメン屋で自己負担。 何も売ったりしていないので、当然と言えば当然だ。 でも皆、文化祭でライブ出来たことで、物凄く盛り上がっていた。 勿論、後夜祭のことも。 そこかしこで自分の演奏や仲間の演奏についての話が尽きない。 そのラーメン屋は顧問の先生の知り合いの小さな店で、殆ど貸切状態で、今日は特別に長居をしても良いらしかった。 店主も先生と楽しそうに文化祭のビデオを観たりしている。 瀬名は同級生にも後輩にも、後夜祭について質問攻めにされていた。 「何で急に弾くことになったんだよ?」 「しかもお前、普段ポップスしか弾かねえじゃん」 「せんぱーい。俺達せっかく笑い取りに行ったのに感動で締め括らないで下さいよー」 後輩の言葉に皆ゲラゲラ笑う。 瀬名も「ごめん、ごめん」と言って笑った。 『ロミオとジュリエット』は1年生に映画音楽のマニアの生徒がいて、ギター版のCDと楽譜を「聴いてみて下さい!それで一曲弾いて聴かせて下さい!」と押し付けられて、渋々聴いた中の一曲だった。 それは桜庭と別れて一ヶ月経った頃で、その古い曲がなぜか瀬名の心に響いた。 それからそのCDをスマホに落として、楽譜もコピーして、たまに聴いたり弾いたりしていた。 別に『ロミオとジュリエット』にそんなに拘っていた訳では無かった。 でも、今日。 桐生と桜庭のセックスを見せつけられた後。 一人きりの屋上で、あの曲が頭を駆け巡った。 桜庭のコンクリートに落ちた涙。 いやだと言いながら快感に飲まれていく姿。 あんなことをされても桐生を許す桜庭。 そして。 『見てろよ』 『知ってるんだよ』 と語りかけてきた桐生の鋭い視線。 桜庭に伝えたい、と強烈に思った。 自分の悲しみを。 自分勝手だと分かっている。 桜庭はもう自分のことなんて、友達とすら思っていない。 それでもいいから。 たった5分の時間でいいから。 自分の気持ちを桜庭にぶつけたかった。 別に桜庭に何かを言ってもらいたい訳でも無い。 ただ一瞬でいいから、悲しみが伝わって欲しい。 それでまた忘れてもいいから。 桜庭と離れよう、嫌われて、友達とも思われないようにしようと必死に仕向けてきたこの数ヶ月で、初めて生まれた感情だった。 それから部長に後夜祭に出させて欲しいと頼み込んだ。 部長は後夜祭なんて文字通りお祭りなんだから良いよと、簡単にOKしてくれた。 そして瀬名の最後のステージなんだから、トリで弾けよとまで言ってくれた。 瀬名は楽譜が無かったので、スマホで曲を聴きながら、後夜祭まで必死に練習した。 それと大島に、『後夜祭でトリで弾くことになったから、莉緒ちゃんにどうしても聴かせたい。協力して下さい』とラインした。 大島から『任せとけ』と一言返事が着た。 そして『ロミオとジュリエット』を弾き終わって。 大島から『泣いてたよ』とまた一言のトークが届いた。 それを見て、瀬名も泣いた。 莉緒ちゃん… 『毎日、楽しくて幸せです』と言っていた莉緒ちゃん 今もきっと毎日楽しくて幸せで それはきっと桐生くんと一緒だから ごめんね 俺の勝手な思いで泣かせたりして でも正直、嬉しいよ 最低な俺に相応しく、莉緒ちゃんが悲しんでくれて、嬉しいんだ… 俺の気持ちが少しでも届いたことが… 翌日の月曜日は代休で学校は休みだった。 桐生は文化祭の準備中も格闘技の練習を休まないようにしていたが、何せ三種類も習っている。 時間を短縮してもらったり、調整しきれなかった分、今日は午後から夜までみっちり練習があると言って、桜庭と一緒に昼食を食べると道場へと向かって行った。 桜庭は午後がぽっかり空いたので、久しぶりに本屋にでも行こうかと思った。 まだ残暑が厳しく暑いので、街を歩き回る気になれなくて、ショッピングモールに行くことにした。 本屋に入ろうとして向かい側のCDショップが目に入った。 桜庭はCDショップに入ると、一直線にクラシックコーナーに向かった。 確かこの辺りにある筈… そう思って見回すと映画音楽のコーナーがあった。 流石に有名な曲らしく、『ロミオとジュリエット』はピアノ版もギター版にもどちらにも納められていた。 桜庭はその2枚のCDを買った。 それから本屋に向かった。 楽譜のコーナーに行く。 そこでも簡単に『ロミオとジュリエット』の楽譜は見つかった。 桜庭はピアノ版の楽譜が入っている本を買った。
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