【38】埃まみれの涙

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【38】埃まみれの涙

火曜日はもう通常授業で、それでも皆文化祭の時の写真をプリントアウトしてきていたり、スマホで動画を回し観たりしていた。 桜庭はその日英会話のレッスンがあったので、帰りに桐生と軽くお茶をしてレッスンに向かった。 桐生は桜庭と別れると、自宅に向かう電車に乗った。 自宅の最寄り駅のホームで降りると、桐生は振り向いた。 「こんな所までお疲れ様。 俺に何か用か?」 瀬名が桐生の数メートル後ろに立っていた。 「すみません。 俺、桐生くんのラインのIDとか知らなくて」 「で、つけて来たのかよ? 学校じゃ駄目なのか?」 「莉緒ちゃ…桜庭くんに知られたく無かったんです」 「どっか店でも入る?」 瀬名は首を横に振った。 「ここでいいです」 「そう」 桐生が頷く。 「それで?」 「…あれは…どういう意味ですか?」 「あれ?」 「文化祭の日の屋上でのことです」 桐生は笑った。 「あの場所は偶然。 莉緒のカッコ見ただろ? 俺達、文化祭の準備で全然デート出来なかったんだよ。 それであんな莉緒を見せられて…我慢出来なくてさ」 「それだけじゃない」 瀬名は真っ直ぐ桐生の目を見た。 「知ってるってどういう意味ですか?」 「お前…瀬名くん、結構勘が良いんだな」 桐生も瀬名の目をじっと見ている。 「瀬名くんと莉緒が付き合ってたってことを知ってるって意味だよ。 それも普通の恋人じゃない」 瀬名の目が見開かれる。 「誤解すんなよ? 莉緒は瀬名くんのことを、俺に一言も話したことは無い」 「じゃあ…何で…」 「最初おかしいなと思ったのは、瀬名くんの誕生日プレゼントを買いに行った時。 たかが友達の誕生日プレゼントを選んで、莉緒は泣いてたよ。 次は瀬名くんの誕生日パーティーの日。 莉緒は一人で泣いて駅まで走ってきた。 何しても無駄なのかなって…片想いでもいい、何も望まない、でも…って言って号泣してた」 瀬名がぐっと拳を握る。 「次は水元くんだっけ? やっぱり誕生日パーティーの日。 嘘を吐いてまで行きたく無い、俺と朝から一緒にいたいって、莉緒にしては珍しく我が儘言い出して…。 俺はパーティーのメンバーに会いたく無いヤツがいるんだろうなってピンときた。 今までのことや普段の様子を見たら、瀬名くんしかいないよな? 大島や神田くんや水元くんとは仲良くやってて、瀬名くんとだけは口も利かないんだから。 どう見ても不自然だろ」 「……」 「俺だったら莉緒と別れて多少気まずくなったとしても、別れてまで莉緒を傷付けるような真似は絶対しない。 しかもグループであれだけ仲が良かったんだ。 普通じゃないだろ? 莉緒は単に瀬名くんに嫌われてる、友達でいるのも嫌なんだと思ってるらしいけど…」 桐生の目が光りを帯びる。 「俺は違う。 瀬名くんがわざとやってると思ってる」 「…どうしてですか?」 「俺が莉緒を好きだから」 「え…」 「莉緒を愛してるから分かるんだよ、同類が。 別れた理由は知らない。 なぜ莉緒を不自然なまでに避けるのかも知らない。 だけど瀬名くんは莉緒に未練タラタラだ。 未練どころじゃない。 今でも好きなんだ」 瀬名は頭が殴られたような気分だった。 言葉が出ない。 「俺は瀬名くんの質問に答えた。 次は俺の話を聞いて欲しい」 「……」 「莉緒は俺が好きだ。 それは信じてる。 だけど瀬名くんに傷付けられたのが相当堪えたんだろう。 瀬名くんのすることに過剰に反応するんだよ。 後夜祭の瀬名くんの演奏もそうだ。 あの曲は俺と莉緒との思い出の曲なんだ。 それを瀬名くんが弾いた。 莉緒は泣いたよ。 あんなに食べることが好きな莉緒が食欲まで無くした。 だから瀬名くんにお願いがある。 もう莉緒に普通に接してやってくれないか? 友達として」 「……」 「莉緒を振ったのは瀬名くんなんだろう? だったらもう莉緒を苦しめないでやってくれよ。 莉緒を好きでいるのは俺がどうこう言う筋合いじゃないから、瀬名くんの好きにすればいい。 でも俺達は恋人同士で幸せなんだ。 それを壊すヤツは…」 桐生は素早く動くと、次の瞬間瀬名の制服の襟首を掴んだ。 顔と顔が触れる距離で桐生が呟く。 「俺が絶対許さない」 それだけ言うと桐生はぱっと手を離し、瀬名から離れた。 「じゃあな、瀬名くん」 桐生がにっこり笑って瀬名に背を向け、去って行く。 瀬名はふらふらと側のベンチに倒れ込むように座った。 惨めだった。 あんなに必死に隠してきた桜庭への思いも、全部桐生は分かっている。 その上で、好きなら好きでいろと言っている。 普通に接してやって欲しいとお願いまでされた。 それは桜庭と自分との関係が、どんなに強い絆で結ばれているか自信があるから。 二度と桜庭に近付くなと言われた方が何倍もマシだった。 『友達として』 『俺達は恋人同士で幸せなんだ』 瀬名は思わず乾いた笑いが出た。 自嘲の笑いだった。 『毎日、楽しくて幸せです』 桜庭の言葉が蘇る。 そう 二人は幸せで、俺は莉緒ちゃんを泣かせて喜んでいる虫けらみたいなヤツ… 桐生くんのライバルにすら、なれないヤツ… 瀬名の耳に『ロミオとジュリエット』の曲がどこからか聴こえた気がした。 二人の思い出の曲を弾いて満足して泣くなんて… 笑っていた瀬名の瞳から涙がホームの床に零れて落ちる。 ラッシュの雑踏でそれは埃にまみれて、すぐ消えた。 桐生と瀬名の間にそんな会話があったことなど知らない桜庭は、いつものように桐生と楽しくて過ごしていた。 木曜日になって桐生と一緒に登校して、靴箱を開けると小さなメモだけが入っていた。 差し入れのような物は何も無い。 桜庭は不思議に思いながらも、メモを開いた。 見慣れた妙に角ばった文字。 『お久しぶりです。 文化祭お疲れ様でした。 楽しかったですね。 桜庭くん。 あなたが 今、一番必要な物は何ですか? 今、一番して欲しいことは何ですか? 困っていることはありませんか? どうか教えて下さい』 「『お助けマン』…」 桜庭は少し困惑した。 今まで差し入れが無くてメモだけだったのも初めてだったし、メモの内容が切迫詰まっているようだったから。 『お助けマン』のいつものメモとは全然違う。 けれどこの文字は『お助けマン』に違い無かった。 桜庭がメモをじっと見ていると、桐生が「今度の『お助けマン』の差し入れは何?」と訊いてきた。 「それが…」 桜庭は曖昧に笑った。 「何も無いんだ」 「何も無い?」 桐生が怪訝な顔をする。 「それじゃメモだけってこと?」 「う、うん…」 桜庭はメモを通学バッグに仕舞おうとした。 その細い腕を桐生が掴む。 「駿くん?」 「見せろよ」 「え?」 「そのメモ。 見せてみろ」 桜庭はフルフルと首を横に振った。 「駄目だよ。 これは…手紙みたいなものだから」 桐生はふっと笑った。 「つまり莉緒は誰だか分かんない相手と、文通してるってこと?」 「…そうじゃないけど」 「そうだろ? 今回は莉緒への差し入れ…プレゼントは何も無い。 メモっていう手紙だけ。 『お助けマン』はとうとう本性を現したって訳だ」 「プレゼントなんて…」 桜庭も笑った。 「そんな大袈裟なことじゃ無いよ。 それに本性って何?」 「『お助けマン』は本当は莉緒とメモのやり取りが出来れば良いんだ。 プレゼントの方がオマケだってこと」 「まさか!」 桜庭はとうとうクスクスと笑い出した。 「『お助けマン』は差し入れをくれるだけじゃないよ? 最近は余り無いけど、俺の苦手なことを先回りして行動してくれることもある。 その時はメモなんて無いよ?」 「そう。 そういう時は『お助けマン』からのメモは無い。 だけど莉緒が『お助けマン』にお礼のメモを書く。 『お助けマン』はメモを手に入れる。 同じことだ」 「でも…」 「見せてみろよ。 『お助けマン』は何て言ってきた?」 「駄目だよ。 手紙は見せられない」 「俺でも?」 桜庭は暫く黙ったのち、コクッと頷いた。 桐生が目を細める。 「力ずくで奪っても良いんだけど」 「駿くん!」 桜庭は驚いて声を上げた。 「大したことは書かれてないから。 いつものメモと変わらないよ」 「その『いつものメモ』だって、俺は一度も見せて貰ったこと無いけど」 「それは…だから…手紙だから」 桐生はニコッと笑って、桜庭の腕を掴んでいた手を離した。 桜庭がホッと息を吐く。 「じゃあメモは諦める。 その代わり、また屋上でセックスさせてくれる?」 「な…」 桜庭はまじまじと桐生の顔を見た。 桐生は至って平然としている。 「ど、どうして…そんなにメモが見たいの?」 「恋人だったら当たり前だろ。 正体不明のヤツと手紙のやり取りして喜んでるなんて、心配だよ」 桜庭はそれでも首を横に振った。 「駿くんの言ってることは分かるけど…『お助けマン』は俺宛にメモを書いてくれてるんだ。 他の人には見せられないよ…」 「じゃあ決まりだ。 今日の放課後、屋上で」 「駿くん!」 今度は桜庭が桐生の腕を掴んだ。 「学校ではもうしないって約束したよね? 学校は嫌だ…お願い…」 「メモを見せる?」 「駿くん…駿くんらしくないよ。 メモも見せられないし…学校は嫌だ…」 桐生が桜庭の髪をやさしく撫でる。 「分かった。 じゃあ今度の土日泊まりに来てくれる?」 「う、うん!」 「それで俺の言うことは何でもきくこと!」 「何でも?」 「そう。何でも」 桜庭がクスッと笑う。 「俺、いつも駿くんの言うこときいてるよ?」 「そうだな」 桐生も微笑む。 「じゃあ教室行くか」 「うん!」 二人は手を繋ぎ階段を昇って行く。 そんな桜庭の背中を『お助けマン』が心配そうに見ていた。
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