【46】ひとりじゃない

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【46】ひとりじゃない

翌日の月曜日、朝7時30分にラインの着信を知らせる音で、桜庭はスマホの画面を見て固まった。 桐生から、『ごめん。当分一緒に登校出来ない。気を付けて行けよ』とあった。 桜庭は信じられない思いでスマホの画面を見つめた。 暴行事件以来、朝は殆ど毎日一緒に登校していたからだ。 仕方無く、桜庭は一人で登校した。 満員電車に乗って、いかにいつも桐生が桜庭を庇っていてくれていたか痛感した。 学校に着いて、靴箱を開ける。 小さなメモ。 見慣れた妙に角ばった文字。 『あと一週間で中間テストですね。 体調に気を付けて下さい。 今、本当に困っていることはありませんか? どんな小さなことでもいいです。 困っていることを教えて下さい』 『お助けマン』… 困っていること… 駿くんに、避けられていること? そこまで考えて桜庭はメモを通学バッグにしまった。 避けられてるんじゃない 何か理由があるんだ 理由が… 桐生はHRが始まるギリギリに登校して来た。 谷川が「桐生がギリギリなんて珍しいじゃん。寝坊?」と訊く。 桐生は「ちょっとな」と答えるだけ。 「駿くん…おはよう」 桜庭の挨拶にも「あ、うん。おはよう」と笑顔だが、それだけだった。 桜庭は1時限目が終ると、思い切って桐生に訊いた。 「駿くん、当分一緒に登校出来ないって何で?」 「ああ、それ」 桐生がニコッと笑う。 「大したことじゃ無いよ」 「でも…ずっと一緒だったし…理由…」 「あ、あとさ」 桐生が桜庭の言葉を遮る。 「放課後も当分会えないから」 桜庭は思わず絶句した。 それこそ試験前はずっと一緒に勉強していたのだ。 桜庭が黙ってしまうと、この話はもう終わりとばかりに、桐生は次の授業の準備をすると、綾野と谷川とバカ話をして笑っている。 桜庭はただ、桐生の横顔を見つめた。 午前中で授業が終わり、HRも終わると、谷川が「勉強会、どうするよ?」と言い出した。 「俺はいつでもいいよ」と綾野が言う。 「じゃあさ」 桐生が谷川と綾野を見て言った。 「急だけど、明日にしない? 俺んちでいいし。 夕飯も食ってさ、ゆっくりやろうぜ」 桜庭は瞳を見開いて桐生を見た。 「莉緒は明日は大島達と勉強会なんだよな? そっちも頑張れよ」 桐生はニコニコと笑っている。 「えー莉緒くん来ないのー? 別の日はぁ?」 谷川が不満そうに桐生の腕を突っつく。 「別の日だと俺が駄目なの! 何だよ谷川、俺じゃ不満か? もうヤマかけてやんねーぞ」 「はいはい…。 分かったよ。 じゃあ莉緒くんは大島くん達と頑張ってね」 桜庭は何とか頷いた。 桜庭はまだ綾野と谷川と喋っている桐生を残し、席を立った。 放課後も当分会えないということは、一緒に帰れないということだからだ。 「じゃあ、俺は帰るね。 また明日」 そう言う桜庭に、綾野が驚いたように声を掛ける。 「莉緒くん、コイツは?」 綾野が親指で桐生を指す。 「コイツって何だよ。 俺がちょっと忙しくてさ。 当分朝も別々」 桐生は屈託無く言う。 「へー、珍し。 じゃあ莉緒くん、またな」 「バイバ~イ。また明日」 綾野と谷川の明るい挨拶が、桜庭の胸に虚しく響いた。 桜庭は靴箱を開けて上履きから革靴に履き替えると、上履きの上に小さなメモを置いた。 そのメモを手に取る。 グシャッと握り潰し、制服のジャケットのポケットに突っ込むと、また上履きに履き直した。 そのまま屋上に向かう。 10月下旬の屋上は、それほど寒くは無かった。 文化祭の最終日、桐生とセックスした貯水槽を回り込むと、そこは突き当たりになっていた。 壁に寄りかかって座ると、通学バッグから『お助けマン』にいつも使っているメモ帳を取り出した。 ペンケースからボールペンを出そうとして、思わず笑みが漏れた。 ペンケースの中は『お助けマン』からの差し入れで溢れていたから。 握り潰したメモをポケットから出してみる。 クチャクチャになったメモには 『お助けマンさんへ。 お助けマンさんも身体に気を付けて、試験を乗り気って下さい! 俺は困っていることはありません。 いつも心配ありがとう』 と書かれている。 桜庭はまたそのメモをポケットにしまうと、新しいメモに書き出した。 瀬名はまず先週の金曜日、桜庭が一人で帰ったことに疑問を持った。 だが、桐生も桜庭も予定が合わない時もあるだろう、くらいにしか考えていなかった。 そして月曜日の朝、目を疑った。 桜庭が一人で登校してきたのだ。 いつもピッタリ寄り添うように隣りにいる桐生がいない。 桜庭はいつものように靴箱の前で『お助けマン』のメモを読むと、通学バッグに仕舞い、そのまま一人で階段を登って行く。 その後ろ姿が寂しげで、瀬名は思わず「莉緒ちゃん、おはよう!」と肩を叩きたくなった。 でも、出来なかった。 桐生が言うように、桜庭は瀬名に嫌われている、友達でいるのも嫌なんだ、と思っているだろう。 裏を返せば、桜庭も、もう自分のことを友達とも思っていないということだ。 大島達と瀬名が一緒にいるのに何も言わないのは、仕方が無いと諦めているだけだ。 そんな自分が今更友達面して現れたら…。 『もう莉緒に普通に接してやってくれないか? 友達として』 桐生の言葉が蘇る。 瀬名が桜庭をまだ好きだと知っていて『普通に』『友達として』と言う桐生を残酷だと思うと同時に、桐生はライバルにもならない瀬名を思いやる必要も無いくらい桜庭が好きなんだと、思い知らされる。 そんな桐生が単なる通学とは言え、桜庭から離れるなんて…。 そして、月曜日の帰りも桜庭は一人だった。 桜庭は一度靴を履き替えたが、また上履きになり、階段を登って行く。 4階を過ぎても階段を登り続ける桜庭に、瀬名は屋上に行く気なんだとピンときた。 桜庭は瀬名の予想通り、屋上に出ると奥へと向かう。 桜庭が貯水槽を回り込んで、瀬名のお気に入りの場所に座り込んだ時、瀬名は思わず苦笑した。 桜庭は何かを熱心に書いている。 瀬名は『お助けマン』宛のメモかもしれないと思った。 桜庭が立ち上がる。 瀬名は慌てて屋上を後にして、昇降口に向かった。 桜庭はやはり昇降口にやって来た。 靴を履き替え、今度こそ帰って行く。 桜庭が昇降口から見えなくなると、瀬名は桜庭の靴箱を開けた。 小さいメモが入っていた。 素早くそれを抜き取ると、さっきまで桜庭がいた屋上に向かった。 いつもは一枚のメモが数枚折り畳まれていた。 『お助けマンさんへ。 お助けマンさんも身体に気を付けて、試験を乗り気って下さい! 実は困ったことが出来ました。 桐生くんに金曜日から当分登下校も一緒に出来ないし、放課後も会えないと言われました。 土日も会っていません。 理由を訊いても『大したことじゃ無いよ』としか答えてくれません。 勉強会も俺が他の友達と行く日に、クラスの友達とやるんです。 それ以外は桐生くんは変わりません。 クラスでは仲良しだしやさしいし、無視されることもありません。 理由が知りたくて困っています。 俺が何かしたんでしょうか? でもこんなこと、お助けマンさんに話しても迷惑ですよね。 誰にも言えなかったので、愚痴ってしまいました。 ごめんなさい。 話を聞いて貰えるだけで嬉しいです』 「莉緒ちゃん…」 瀬名はメモを何度か読むと通学バッグに仕舞った。 そして、桜庭にいつも使っているメモ帳を取り出した。 その夜、大島達のグループラインは、翌日の勉強会のことで盛り上がっていた。 特に神田は勉強より5人で集まれることが嬉しいらしく、瀬名にゲームソフト持って来てとか、夕飯は俺も手伝って作っちゃう!とかトークしては皆にツッコまれていた。 桜庭はトークする気分でも無かったので、皆のやり取りを楽しく見ていた。 その内、桜庭は瀬名がいつもより楽しそうにトークしていることに気が付いた。 神田をツッコんで話題を回して盛り上げている。 何だが昔のハルに戻ったみたいだな…と桜庭は思った。 すると、『莉緒ちゃん、見てますか?明日は勉強教えて下さい』と瀬名がトークして、ウサギが鉢巻きをしているスタンプを押したので、桜庭は驚いた。 瀬名は桜庭と別れてから、桜庭宛にトークすることは無かったから。 桜庭は取り合えずクマがOKマークをしているスタンプを押した。 直ぐに神田が『ずるい!俺も!俺も!』と続けて、大島も『莉緒くんは俺の専属だから』とトークして皆に総攻撃されていた。 桜庭は少しだけ気分が明るくなった。 桐生からラインも電話も無いのも、その時だけは忘れられた。 翌日、桜庭が一人で登校すると、靴箱に小さなメモが入っていた。 実は桜庭は反省していた。 どんなに『お助けマン』がやさしいからって、あんな恋人同士の愚痴なんて書かれても、いくら『お助けマン』だってどうすることも出来ない。 桜庭は『お助けマン』に聞いて貰えて気持ちは晴れたが、『お助けマン』はどう思っただろう…ウザいとか思われてないかな…桜庭はほんの少し緊張しながらメモを開いた。 見慣れた妙に角ばった文字。 『困っていることを書いてくれてありがとう。 桐生くんの気持ちは分かりませんが、案外何てこと無い理由かもしれませんよ。 それこそ笑っちゃうような。 気長に待ってみてはどうでしょうか? 愚痴でも何でもいいから、これからもあなたが少しでも困っていることを教えて下さい』 桜庭の瞳に涙が浮かんだ。 『困っていることを書いてくれてありがとう』 『愚痴でも何でもいいから、これからもあなたが少しでも困っていることを教えて下さい』 桜庭は涙を堪えると、『お助けマン』のメモを通学バッグに仕舞った。 桜庭は『お助けマン』の助言通り、気長に待ってみようと思った。 そう思うと随分気が楽になって、桐生とも普通に接することが出来た。 桐生の態度も変わらない。 だから桜庭は想像すらしない。 桐生の制服のジャケットの胸ポケットにも、桜庭が『お助けマン』に貰ったのと同じ柄の小さなメモが入っていることを。
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