【47】怒り

1/1
前へ
/121ページ
次へ

【47】怒り

HRが終わった途端、神田がA組にやって来た。 「莉緒ちゃ~ん!早くー」 桜庭は笑って桐生と綾野と谷川に「じゃあ、俺行くね」と言って席を立った。 「莉緒くんも頑張ってね~」 「また、明日~」 綾野と谷川が笑顔で言うと、桐生が「莉緒」と呼び止めた。 桜庭が振り返る。 「何?」 「楽しんで来いよ」 桐生は笑って、桜庭の頭をポンポンと軽く叩いた。 桜庭も笑って「うん!」と言うと、神田の元に向かった。 神田の後ろには大島と瀬名と水元が隠れていて、桜庭は「何やってんだよ~」と吹き出した。 「ハルが莉緒くんを驚かそうって言ってさ」 大島がふにゃっと笑う。 「大島さん、それ内緒…!」 瀬名が慌てて大島の口を塞ぐ。 桜庭は不思議な気持ちで瀬名を見た。 昨夜から瀬名は今までと少し違う。 瀬名はバツの悪そうな顔で、大島の口から手を離すと、廊下を一人でどんどん歩いて行く。 瀬名はギターケースを担いでいた。 「ハル、何でギター持ってきてんの?」 桜庭が誰とも無しに呟くと、神田が「ゲームの代わりに即興カラオケやってくれたりして?」と笑った。 昼食は神田の家の最寄り駅のファーストフードで済ませた。 神田の家の最寄り駅ということは、瀬名の家の最寄り駅ということだ。 桜庭は忘れ去った筈の思い出が蘇って、胸が熱くなった。 セックスするだけと分かっていても、瀬名の家に行くことが、どんなに嬉しかっただろう。 瀬名の家までの15分の道のり。 些細なお喋りで爆笑した自分。 桜庭は首を振った。 あれはもう過去のこと 一瞬の両想いで砕け散った恋 俺には駿くんがいるんだから… 勉強会は大いに盛り上った。 途中、脱線して悪ふざけをしたりするのはしょっちゅうで、桜庭もみんなと笑い転げた。 5人で集まって、こんなに楽しいのは久しぶりだった。 桜庭は途中から気付いていた。 瀬名の態度がやっぱり違う。 別に桜庭にどうこう言ってくる訳では無いが、あからさまに桜庭を無視したり、ピリピリした態度では無くなった。 瀬名が問題で詰まったりして、桜庭が説明しようか一瞬迷うと、瀬名は桜庭が説明してくれるのを待っていたりする。 桜庭の説明にうんうんと頷き、「莉緒ちゃん、ありがとう」と言う。 瀬名に『莉緒ちゃん』なんて呼ばれるのも、そろそろ1年ぶりだったし、お礼まで言われるなんて思わなかった桜庭は、何故だか頬が熱くなった。 そんなこんなで午後はあっという間に終わり、夕食時になると、昨夜の宣言通り神田が店で親に手伝ってもらいながら、5人分の天津飯を作ってくれた。 その手伝いにも瀬名は加わった。 みんなで楽しく夕食を終えて一息吐いていると、瀬名がギターを持ち出した。 「何?何?ハル、弾いてくれんの?」 神田が身を乗り出す。 「まあ、こういうのも良いでしょ」 瀬名がギターを弾き出す。 桜庭は最初の一音で分かった。 それは『ロミオとジュリエット』だった。 悲しい、悲しい、曲。 けれど、今日の瀬名の『ロミオとジュリエット』はそれだけじゃ無かった。 悲しみだけじゃ無い何かを訴えかけてくるのを桜庭は感じた。 あの後夜祭の時のように。 桜庭の瞳から涙が零れる。 何の涙かは分からない。 桐生の態度が変わった寂しさや、今日の瀬名の態度の嬉しさ。 そして『お助けマン』のやさしさ。 全てがその短い曲にごちゃ混ぜに渦巻く。 瀬名の演奏が終わる。 皆、「ハル、スゲーな」と言いながら、俯いて泣いている桜庭を見ていた。 瀬名がギターを床に置く。 瀬名の指先がそっと桜庭の髪に触れる。 「普段泣かないくせに、意外と泣き虫なんですよね」 瀬名のやさしい声。 桜庭はハッとして瀬名を見上げた。 瀬名は微笑んで「莉緒ちゃんは、大丈夫」とだけ言った。 その時、桜庭のスマホがラインの着信を告げた。 桜庭は濡れた頬を手でざっと拭うと、スマホの画面を見た。 それは桐生からのトークだった。 『勉強進んでる?9時に迎えに行くから改札で待ってて』 桜庭は信じられない思いで画面を見つめた。 今日、桐生は桐生の家で勉強会をやっている。 それをわざわざ電車の乗り換えがある、神田の家の最寄り駅まで迎えに来てくれると言うのだ。 桜庭は直ぐにトークを返した。 『そんなの、悪いよ。 一人で帰れるから』 桐生から即トークが来る。 『心配だから。9時が無理ならまたトークして』 「莉緒くん、どうした? 口が開いてるぞ」 大島が茶化す。 「…駿くんが…9時に駅に迎えに来てくれるって…」 「もーラブラブじゃん!」 神田が桜庭の肩を抱いて揺さぶる。 「…うん」 照れ臭そうに頷く桜庭を、瀬名がやさしい目をして見ていた。 桜庭が9時に駅に着くように、勉強会は終わった。 元々9時で終わらせる予定だったので、別にどうということも無かった。 瀬名は神田の家から、真っ直ぐ自宅に帰った。 シャワーを浴びて、自室に戻るとギターを手に取った。 『ロミオとジュリエット』を弾いてみる。 桜庭がなぜあんなに号泣したのかは分からない。 でも『ロミオとジュリエット』のピアノバージョンを練習しているくらいだから、嫌いな曲じゃ無いだろう。 悲しい旋律だけど、桜庭を励ましたかった。 それに少しだけだが、桜庭への態度も改めた。 桐生に避けられて、桜庭は傷付いている。 桜庭はハッキリそうは言わないが、あの『お助けマン』へのメモは、めったに弱音を吐かない桜庭の心の叫びに感じた。 傷付いている桜庭を、これ以上傷付けたく無かった。 急に態度を変えて莉緒ちゃんに変なヤツだと思われてもいい それでも、莉緒ちゃんは楽しそうだった それでいいんだ… 瀬名はもう勉強をやる気にならず、ゲームをしていた。 今夜は午前1時にインターネットのRPGにログインする予定がある。 まだテストには日にちもあるし、瀬名が深夜にゲームをやることは日常だ。 ふと、そう言えば新刊のゲーム本の発売日が今日だと気が付いた。 駅前にはコンビニがある。 瀬名は気分転換と時間潰しにコンビニまで行こうと思い付いた。 時間を見ると11時だ。 でも自転車で行けば5分も掛からない距離。 案の定、コンビニに行きたいと母親に言うと、こんな時間にと怒られたが、本を買ったら直ぐに帰ってくるからと言って何とかお許しが出た。 姉の「おみやげ、よろしく~」と言う言葉を聞き流し、自転車を走らせる。 秋の夜は暑くも寒くも無く爽やかだ。 まだ微かにキンモクセイの香りがしている。 桜庭の爆笑している顔が瀬名の頭を過る。 良い気分だった。 桐生くんも迎えに来てくれる… 莉緒ちゃんは喜ぶだろう 一気に仲直りかもしれない まあ、喧嘩してる訳じゃないけど 瀬名はコンビニに入ると一直線にブックコーナーに向かった。 瀬名のお目当てのゲーム本は残り二冊だった。 来て良かったなと思いながら、家族の分のプリンも買った。 駅前は結構人がいた。 莉緒ちゃんは今頃家でゆっくりしてるかな… 瀬名はそんなことを思いながら、改札をチラッと見た。 急ブレーキをかける。 瀬名の学校の制服が目の端に飛び込んできた。 まさか… 瀬名は自転車を立て掛けると、改札に走った。 桜庭がスマホを握り締めて立っていた。 「莉緒ちゃん…」 「あ、ハル」 桜庭は小さく笑った。 「こんな時間まで何してんの…?」 「駿くんを待ってる。 ハルは?」 「俺はコンビニ…って桐生くんまだ来ないの?」 桜庭は手の中にあるスマホを見ながら言った。 「…9時半に一度遅くなるってラインがあったんだ。 でもそれからトークしても返事は無いし、既読マークも付かないし、電話も繋がらなくて…。 家電の番号は登録してないし…」 瀬名は思わずカッとして怒鳴った。 「もういいじゃん! 今日は一人で帰るってラインして帰りなよ! 2時間も待たせるなんておかしいよ!」 「でも、もしかしたら何かあってこっちに向かってる途中かもしれないし…」 「だったら、電話の一本でもしてくるよ! 俺だったらこんな夜中に、連絡も無しに、莉緒ちゃんを2時間も一人で待たせるなんて、絶対にしない!」 「ハル…」 桜庭は驚いて瀬名を見つめた。 瀬名が桜庭の手を掴む。 「冷えてるじゃん。 テスト前に風邪でも引いたらどうすんの?」 瀬名は怒り狂いそうだった。 桜庭を待たせる桐生にも。 その桐生を何の疑問も無く待っている桜庭にも。 瀬名は桜庭の手から、スマホを奪った。 「何すんだよ、ハル!」 幸いその時、桜庭のスマホはロックが掛かっていなかった。 スマホを取り返そうとする桜庭を、瀬名は思いきり突き飛ばした。 桜庭が床に倒れ込む。 その隙にラインを開き、桐生宛にトークする。 『今日は一人で帰ります』
/121ページ

最初のコメントを投稿しよう!

58人が本棚に入れています
本棚に追加