【48】大丈夫

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【48】大丈夫

瀬名は倒れている桜庭を抱き起こした。 桜庭は信じられないという顔をして、瀬名を見つめている。 「帰ろう。 莉緒ちゃん」 桜庭は首を横に振る。 「駿くんが…駿くんが迎えに来るから…」 瀬名は桜庭の目を見て、キッパリと言った。 「桐生くんは来ないよ」 「…何で…何で…ハルにそんなこと分かるんだよ」 「来るにしても来ないにしても、連絡くらいくれる筈だ。 それが無くてこんな時間なんだから、桐生くんは来ない」 「来る…駿くんは来るから…」 「俺が送る。 俺の帰りの終電が無くなるから行こう」 桜庭は瀬名の腕を振り払った。 「ハルは自分ちに帰れよ。 俺は駿くんが来るまで待つから」 「莉緒ちゃん…」 瀬名はそこまで話して、何か違和感を感じた。 普段の生活で現実的な桜庭が、こんな目に遭ってまで桐生を待つというのが信じられない。 「莉緒ちゃん…桐生くんが何で絶対来ると思うの?」 「…駿くんだけだから…」 桜庭は両手で自分を抱きしめるようにして言った。 「俺を受け入れて…好きでいてくれるの…駿くんだけだから。 その駿くんが嘘なんて吐かない」 「莉緒ちゃんを受け入れてくれる人なんて沢山いるよ。 大島さんだって神田さんだって明くんだってそうだ。 みんな、莉緒ちゃんが好きだよ」 「違う!」 桜庭は悲鳴のような声を上げるとしゃがみ込んだ。 駅を行き交う人々が、好奇の目で瀬名と桜庭を見る。 「俺…普通じゃ無いんだ。 でも駿くんはそんな俺でも愛してるって、受け入れてくれるって言ってくれた。 俺も駿くんが好きだ…」 桜庭は身体を震わせて、涙を零している。 瀬名は堪らず、桜庭を抱きしめた。 「莉緒ちゃん…莉緒ちゃんの何が普通じゃないのか、俺には全然分からない。 でも俺で良かったら相談に乗るから。 今日は帰ろう」 「ハル…」 桜庭は子供のように涙をポロポロ零しながら、瀬名を見上げる。 瀬名の胸の奥がズキッと痛んだ。 桜庭は嫌がったが、それでも瀬名に手を引かれると改札を通った。 瀬名は酒臭い夜のラッシュの中で、黙って俯いたままの桜庭を支え続けた。 たまに桜庭が我慢しきれないように、涙を流す。 瀬名はハンカチを持っていなかったので、シャツの袖で桜庭の涙を拭くと、「大丈夫だから」と何度も囁いた。 桜庭の家の最寄り駅に着く。 瀬名は桜庭の家まで送って行きたかったが、それでは終電に間に合わない。 桜庭は涙で目の縁を赤くして、儚く微笑んで言った。 「ハル…ありがとう。 ちゃんと帰るから」 「うん。家に着いたらラインして」 桜庭は頷くと、電車を降りて行った。 ホームに立ち止まって、瀬名を見ている。 電車は無情にも発車する。 桜庭が小さく手を振ったように、瀬名には見えた。 瀬名は帰宅すると母親だけで無く、父親にも怒られた。 お説教の間に桜庭から『今、家に着いたから。迷惑かけてごめん』とトークが来て、瀬名はホッして『気にしてないから。また明日』とトークを返して、また怒られた。 駅前で偶然同級生に会って、具合が悪くて送って来たと話すと、何とか許して貰えた。 「大変だっただろうけど、電話の一本くらいしなさい! 心配するでしょ!」 瀬名はベッドに転がると、母親が最後に怒鳴った声を思い出していた。 桐生くんは莉緒ちゃんが心配じゃ無かったんだろうか? あんなに莉緒ちゃんを好きなのに… 駅で2時間も莉緒ちゃんを独りぼっちで置き去りにするなんて、桐生くんらしくない それに、莉緒ちゃんはそれを疑うこと無く従っている それと『俺…普通じゃないんだ』ってどういう意味だろう? 桐生くんしか受け入れてくれないって… 莉緒ちゃんは人気がある 綺麗でかわいいルックスに、結構男らしい性格のギャップ 成績もトップクラスでピアノも英会話も出来て…でもそれを全然自慢したりしない 友達だって多いし、ファンだっていっぱいいる 何をコンプレックスに思ってるんだろう…? そしてそのコンプレックスに桐生くんが関係してる? 瀬名の腕に震えて泣いていた桜庭の感触が蘇った。 莉緒ちゃんは混乱してた だから今日は俺の言うことを聞いてくれたんだろう 明日になれば、無視されるかもしれない でも、俺はやる 莉緒ちゃんの悩みを解決するんだ… 桜庭も帰宅すると両親に叱られた。 具合が悪くなったと言うと、兎に角風邪を引かないように、ゆっくり風呂に入りなさい言われた。 桜庭は風呂に入る前と寝る前に桐生に電話した。 だが数コール後、留守番電話サービスに繋がるだけだ。 桜庭は溜め息しか出なかった。 楽しかった勉強会を思い出す。 そして、駅前で会った瀬名。 あんなに必死になってくれる瀬名は本当に久しぶりだった。 『俺で良かったら相談に乗るから』 それは友達に戻ってくれるっていうこと? 『大丈夫だから』と何度も言って、シャツで涙を拭いてくれたハル… 桜庭はベッドに横になると、スマホに落とした『ロミオとジュリエット』のギターバージョンを聴いた。 明日になれば駿くんが来なかった理由もきっと話してもらえる… ハルだって、いてくれる… 桜庭は身体を丸めて眠りに落ちた。 翌朝、桜庭が一人で登校して靴箱を開けると、小さなメモが入っていた。 見慣れた妙に角ばった文字。 『桜庭くん、あなたの周りには味方がいっぱいいます。 俺も桜庭くんの味方です。 テスト、頑張りましょう。 これからもあなたが少しでも困っていることを教えて下さい』 味方… そうだ 俺には『お助けマン』もいてくれる… それにハルだって… 桜庭がメモを通学バッグにしまって、階段を昇ろうとすると、ポンと背中を叩かれた。 振り返ると瀬名がいた。 「莉緒ちゃん、おはよう」 瀬名はちょっと緊張しているように見えた。 桜庭がニコッと笑って「ハル、おはよう」と言うと、瀬名はホッと息を吐いた。 「昨夜はごめん。迷惑かけて」 桜庭はまず謝った。 「ハル、叱られなかった? あんな遅くまで…」 瀬名はフフッと笑った。 「たーっぷり絞られましたよ。 でも平気です。 莉緒ちゃんは?」 「俺も叱られた。 でも俺は自業自得だし…」 「ハイ、そこまでー」 瀬名がふざけた調子で言う。 まるで昔の瀬名のようだった。 「莉緒ちゃんのせいじゃ無いでしょ? 莉緒ちゃんは大丈夫。 大丈夫だから」 「ハル…?」 「テスト前にまた勉強教えて下さい。 じゃあね」 瀬名は笑ってウィンクすると、階段を駆け上がって行った。 桜庭が教室に入ると、桐生はもう席に着いていた。 桜庭を見ると駆け寄って来た。 「莉緒、昨夜はごめん! 家族で病人が出ちゃって…スマホの電源も切れちゃって…ちゃんと帰れた?」 「う、うん…」 桜庭は何故か緊張した。 待たされたのは自分なのに、桐生は心配そうなのに、何故だか居心地が悪い。 その時、さっき瀬名が言った、『莉緒ちゃんのせいじゃ無いでしょ?莉緒ちゃんは大丈夫。大丈夫だから』という言葉が頭を過った。 大丈夫… 俺は大丈夫だ… 「莉緒は一人で帰ったんだよな? 何時まで待っててくれたの?」 「11時…」 「そんなに? 本当にごめん! 危ないこと無かった?」 「無いよ」 桜庭はにっこり笑って机に向かおうとした。 その細い腕を桐生が掴む。 「駿くん?」 「…本当は現れたんじゃない?」 「え?」 「『お助けマン』とかがさ」 桐生はもう心配そうな顔はしていなかった。 射るように、桜庭を見ている。 『莉緒ちゃんは大丈夫。 大丈夫だから』 桜庭は笑顔を崩さず言った。 「駿くん、『お助けマン』は姿を現さないんだよ」 「そうだよな」 桐生も笑う。 桐生の制服のジャケットの胸ポケットには、昨日靴箱に入っていたメモが入れっぱなしになっている。 妙に角ばった文字。 『桐生くんへ。 桜庭くんをなぜ避けるんですか? 理由があるなら、ちゃんと桜庭くんに説明してあげて下さい。 桜庭くんは悩んでいます。 それに今は大事なテスト前です。 桜庭くんを困らせるようなことは、絶対しないで下さい』
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