【49】愛してるよの代わりに

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【49】愛してるよの代わりに

その日の桐生はいつもと変わらなかった。 ただ何度も桜庭に謝って、桜庭はその度、「もう気にしてないから」と笑って答えた。 桐生達の勉強会も盛り上がったみたいだった。 桜庭は昨夜のことは余り話したく無くて、綾野達の話に相槌を打つだけだ。 桐生が「これ俺が昨日ヤマかけたんだけど、良かったら役立てて?」と、桜庭に数枚のコピーを渡してくれた。 桜庭は喜んで、「ありがとう、駿くん!」と言ってコピーを見た。 それでも桜庭は放課後、一人で帰った。 いつものように靴箱に『お助けマン』宛のメモを入れる。 瀬名は昇降口から桜庭が消えると、桜庭の靴箱を開けて小さなメモを制服のジャケットの胸ポケットに仕舞うと校門に向かった。 神田が昨夜の勉強会で気分が盛り上がったー!と言い出して、今日も昼食だけでも食べようよと、強引に約束させられていたのだ。 神田は教室に迎えに行くと言ったが、瀬名は校門で待ち合わせしようと言った。 桜庭からのメモを靴箱から取り出す為だ。 神田はHRが思ったより長引いて、焦って昇降口で靴を履き替えていた。 「神田くん」 名前を呼ばれて声をした方を見ると、桐生が一人で立っていた。 「あ、桐生くんじゃん!何?」 「昨日の勉強会、相当盛り上がったみたいだね。 莉緒が言ってた」 「そ~なんだよね~!」 神田がニコニコと笑う。 「勉強もしたんだけど、結局お遊びみたいになっちゃってさ~。 ハルなんかギターまで弾いて、莉緒ちゃんは感動して泣いちゃうし!」 「へえ…」 桐生は感心したように神田を見る。 「物凄く盛り上がったんだな。 それで瀬名くんは何の曲を弾いたの?」 「ん~と…曲名は分かんないけど、後夜祭で弾いた曲!」 「そうなんだ」 「桐生くん、ごめん! 俺、待ち合わせしてて、急いでるんだ! またね」 「こっちこそ引き留めてごめん。 またな」 神田がバタバタと走って行く。 桐生は遠ざかる神田の背中を見つめていた。 『お助けマンさんへ。 味方って言ってくれてありがとう! 勇気が出ます。 実は気まずくなっていた友達と、また親しくなれそうです。 その人は俺を嫌っていて、もう俺のことも忘れていたと思っていたので意外でしたが、力になってくれました。 凄く嬉しかったです。 だから、今は桐生くんのこと以外、困っていることはありません。 いつも心配ありがとう!』 『凄く嬉しかったです』 瀬名の指が、桜庭の文字をなぞる。 「ハル~、遅れてごめーん!」と神田の声がして、瀬名はその小さなメモを胸ポケットに仕舞った。 その夜、瀬名からラインが着て、桜庭は驚いた。 個人でラインが着たのも、別れて以来だったから。 『莉緒ちゃん、また勉強教えて貰えますか? 俺はいつでも大丈夫だし、場所も俺んちでいいです』 桜庭は思わずスマホをぎゅっと握った。 ハルの家に行ける… 本当に友達に戻れる…? 桜庭はドキドキしながら『いいよ。じゃあ金曜日は?』とトークした。 直ぐに『分かりました。それじゃ金曜日でよろしく』と返事が来た。 桜庭は嬉しくなって、一人笑ってしまい赤面した。 他には誰が来るんだろう? 司くんはこの前『勉強はもういいや』って言ってたから、来ないだろうな… 卓巳と明かな? 桜庭は勉強机からピアノの前へと移動した。 『ロミオとジュリエット』を弾いてみる。 悲しい旋律に、瀬名の面影が重なる。 ハルは勉強会でも『ロミオとジュリエット』を弾いてた… 相当、気に入ってるんだろうな… でも何で急にハルの態度が変わったんだろう? 駅で俺が駿くんを待ってて、可哀想になった? だけどその前の勉強会から、ハルの態度は変わってた… 桜庭はもう一度『ロミオとジュリエット』を弾くと、瀬名からのトークを読み返した。 もしかしたら、金曜日に話してくれるかもしれない でもみんなの前じゃ恥ずかしがるかな? 桜庭はあれこれ考えながら、また勉強机に向かった。 その夜も桐生からは何の連絡も無かった。 翌日、桜庭はまた一人で登校した。 靴箱を開けると、小さなメモと小さな袋。 いつもの妙に角ばった文字。 『友達ときっと元通りになれますよ! あなたが嬉しいと俺も嬉しいです。 桐生くんともきっと元通りになれると思います。 これからもあなたが少しでも困っていることを教えて下さい』 桜庭はメモを見ながら微笑んだ。 小さな袋を開けてみる。 ブタが必勝と書いた鉢巻きをして、自分の身体くらいの大きさの鉛筆を持っている消しゴムが入っていた。 「こんなかわいいの使えないよ…」 桜庭はメモと消しゴムを通学バッグに仕舞った。 教室に入ると、桐生は既に席に着いていた。 「おはよう、駿くん!」 桜庭は笑顔で桐生の隣りの席に座る。 「おはよう、莉緒」 桐生もにっこり笑った。 「何か元気だな」 「そう?普通だけど」 そう言いながらも桜庭は気分が良かった。 瀬名からのライン。 『お助けマン』からのメモと差し入れ。 桐生と会えない、連絡も無いことも、気が紛れた。 『お助けマン』の言うように、気長に待ってみようと思える。 「そう言えば…」 桐生が桜庭を抱き寄せ、耳元で囁くように言った。 「勉強会で瀬名くんがギターで『ロミオとジュリエット』を弾いたんだって?」 桜庭の教材を机の上に出す手が止まる。 「それで莉緒は泣いた。 何で?」 「それは…」 あの気持ち。 桐生の態度が変わった寂しさ、あの日の瀬名の態度の嬉しさ、そして『お助けマン』のやさしさがごちゃ混ぜに渦巻いた気持ち。 それに瀬名の何かを訴え掛けるような演奏。 桐生に上手く説明出来ないと、桜庭は思った。 出来ないんじゃない… 桜庭は唇を噛んだ。 したく無いんだ 駿くんには、理解して、貰えない 「感動しただけだよ」 桜庭は自分の机の上の自分の手を見て答えた。 「そっか」 桐生が桜庭から離れる。 「そんなことより、莉緒は2時間も俺を待っててくれたんだもんな。 俺が感動しなきゃ」 桐生がニコッと笑う。 桜庭は笑えなかった。 駿くんを信じて待ち続けた2時間 長い、長い、寂しくて不安で心細い2時間を終わらせてくれたのは… 「莉緒、やっぱり怒ってる?」 桐生が悲しげに言う。 「き、気にしてないよ! 駿くんも事情があったんだし!」 桜庭は慌てて桐生に向き直った。 「ありがとう」 桐生がホッしたように、微笑む。 桜庭も何とか笑ってみせた。 瀬名はその日の夜、桜庭の『お助けマン』宛のメモを繰り返し読んでいた。 『お助けマンさんへ。 明日、その友達とまた勉強会をやります。 色々話せたらいいな。 それと差し入れの消しゴムありがとう! でも余りにもかわいくて使えそうにありません。 やっぱり桐生くんは今日も何も話してくれませんでした。 でもお助けマンさんの言うように気長に待ってみるつもりです。 困っていることはありません。 いつも心配ありがとう!』 そして、消しゴムのブタらしき絵が余白に描いてあった。 桜庭はお世辞にも絵が上手とは言えない。 瀬名が差し入れしたから、辛うじて消しゴムのブタだと分かる程度だ。 瀬名はそれでも一生懸命ブタの絵を描く桜庭を想像するとかわいくて、ヘンテコなブタの絵も相まって何度見ても笑ってしまう。 『明日、その友達とまた勉強会をやります。 色々話せたらいいな。』 莉緒ちゃん… まだ俺と話したいと思ってくれてるんだ… 瀬名は幸せな気分で瞳を閉じた。 翌日の金曜日、桜庭は靴箱の小さなメモを見て、真っ赤になった。 かわいらしいブタの絵に吹き出しがついていて『これからもあなたが少しでも困っていることを教えて下さい』と喋っている。 桜庭は直ぐに昨日の差し入れのブタの消しゴムの絵だと分かった。 自分の絵とは雲泥の差だ。 桜庭は『お助けマン』の意地悪!と思いながらも笑ってしまった。 その日の桐生も変わり無かった。 やさしくて、楽しくて、桜庭をかわいがる。 けれど桐生に一緒に登校出来ない、放課後も土日も当分会えないと言われて一週間。 何か言ってくれるかな、と桜庭は少し期待していた。 だが桐生は何も言ってくれなかった。 でも気長に待つと決めたんだからと、自分に言い聞かせた。 そして放課後になり、桜庭は一人瀬名の家の最寄り駅へと向かった。 桜庭は神田の家で勉強会をやったように、学校から皆で一緒に瀬名の家に行くのか思っていたが、今朝瀬名から『俺んちの駅の改札で待ち合わせしましょう』とラインがあった。 桜庭は全員で学校を出る予定が合わないのかな、ぐらいにしか思わなかったので『分かった』とトークした。 桜庭が駅に着いて5分もしないうちに瀬名が現れた。 「じゃ、行きましょっか」と瀬名は言うと、近くのコンビニに向かって歩いて行く。 「ハル…?行くって?」 「昼飯。買って家で食べましょうよ」 瀬名がニコッと笑う。 「う、うん」 結局、昼ごはんだけでなく、お菓子やジュースも買ってコンビニを出る。 だが、明らかに量が少ない。 「ハル、こんなんで足りるの?」 「十分、十分。 莉緒ちゃん、相変わらず食いしん坊ですね」 瀬名がクスクス笑ってコンビニ袋を持ってくれる。 瀬名の家までの道のり。 桜庭は懐かしさで胸が一杯になった。 胸が痛い程だった。 もう二度と歩くことは無いと思っていた道を、瀬名と笑いながら歩いている。 瀬名はリラックスしていて、あの頃の切羽詰まったような雰囲気は微塵も無い。 それでも、あの日々を思い出すには十分だった。 他愛ないお喋りをして、瀬名の家に着く。 別れを告げられた日、何度も叩いたドア。 そのドアが開く。 瀬名は屈託無く、「上がって」と言う。 桜庭は瀬名の後に続いた。 瀬名が自室のドアを開ける。 桜庭はもう限界だった。 思い出が押し寄せる。 まるで、昨日のことのように。 あんなにも瀬名が好きだった。 セックスだけの関係でも、幸せだった。 楽しいことだってあった。 二人で抱き合って笑い合った。 桜庭の瞳から、涙が溢れる。 「莉緒ちゃん…」 桜庭の頬を伝って、廊下にポタポタと零れ落ちる涙。 「莉緒ちゃん…ごめんね」 瀬名は愛してるの代わりにごめんねと言いながら、桜庭を抱きしめた。
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