抹茶プリンと不揃い靴下

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「コーヒーと抹茶プリン、レアチーズケーキ、生チョコレアチーズケーキ。食後にバニラアイス」 「スイーツの食後に、バニラアイス……」  光瑠は思わず呟いてしまった。  1週間の休暇最終日。4月14日午後2時に亮介から着信があった。  1時間後マンションに行く。準備して待ってろ――と、目的を告げることなく一方的に会話は途絶えた。折り返して確認するべきか迷ったものの、気づくと腰を上げており、着替えるため寝室へ向かっていたのだ。  ハザードランプを点灯させ停車していたのは、1000万や2000万はくだらないSUV。黒光りした輸入車は、日本限定生産の右ハンドル。慣れた左側の助手席に乗り込み、黒革のシートに座ったものの、その後の記憶が曖昧である。緊張で、どの道を通ったのかすらも覚えていなかった。 「お前はどうする。別に無理に食わなくてもいい。ゆっくり考えろ」  光瑠は徐にメニュー表を眺めた。  東京都新宿区北新宿の“cafe MARU”は、住宅地と溶け込むような小さなカフェ。入ってすぐ目に入るショーケースには、自家製チーズケーキやプリン、焼き菓子が並んでいた。テーブルは3席。購入したスイーツは店内で食すことができる。  店主はショーケースの内側、キッチンと繋がるスペースから微笑みを向けていた。店主の名は丸谷公孝(まるやきみたか)。白黒入り混じったグレイヘアーは、全体的にふわりとパーマがかっている。年齢は40歳。白のカットソーの上から、黒のエプロンを身に付けていた。高身長でやや痩せ型。細い目。笑うと目尻に皺が複数現れる。 「……コーヒーと、抹茶プリンをお願いします」 「はい。少々お待ちくださいね」  明るく気さくな雰囲気の丸谷は、ショーケースから抹茶プリン2つをトレイに載せた。ガラスの小瓶が器になっており、鮮やかな層が一際目立つ。光瑠が店内に入った瞬間、目を奪われた商品だった。  亮介は光瑠と向き合うように腰掛けているものの、手元のスマートフォンを眺めていた。ネイビーのインナーに、黒のセットアップ。茶の革靴を履いている。隣の席には黒のクラッチバッグが置かれていた。革素材で、海外高級ブランドのロゴがさりげなく刻印されている。  ――西神さん、いつもこんな感じの私服なのかな。よく言えば会社経営者。悪く言えばヤクザ。借金取り。夜道で見かけたら、たぶん職質しちゃうかもなぁ。お洒落なブランド物のクラッチバッグだけど、なんか怪しく見えちゃうもんなぁ。 「なにジロジロ見てんだよ」 「すみません」  テーブルの上に、2つのコーヒーカップと抹茶プリンが置かれた。さらに、亮介の前には、チーズケーキ2種類を載せた皿。 「どうぞ、ごゆっくり」  立ち去った丸谷に軽く礼をした光瑠は、カップの持ち手に指を掛けた。コーヒー豆の香りを感じながら一口啜る。苦味がありながらも後味はすっきりしており、軽い口当たりだ。   「抹茶プリンは、カラメル、抹茶ミルクプリン、ホワイトチョコレートのホイップクリーム、上に抹茶パウダーをまぶしてあります」 「そうなんですか」  食した光瑠は、口元が緩んでしまうのが分かった。抹茶の濃い風味とホワイトチョコレートのホイップクリーム。全体的にほどよい甘みであり、しつこくない。滑らかで、とろけるような食感だった。 「……おいひぃ」  一方亮介は、表情が変わることなく食べ進めている。抹茶プリンは、すでに小瓶の底に到達していた。 「西神さんって、甘いものお好きなんですか?」 「……見りゃ分かるだろ」  早々に平らげた小瓶を置き、生チョコレアチーズケーキにフォークを当てている。頬張る姿をちらりと見つつ、光瑠はコーヒーを喉に流し込んだ。 「俺を見るのは別にかまわねぇけど、少し袖口捲ったほうがいいぞ。カップに引っ掛けてこぼすかもしれねぇし」  光瑠は慌てて袖口を捲った。着用しているのはデニムジャケット。オーバーサイズデザインのため、やや袖が長くなっていた。  目的地が分からなかったため、動きやすさを重視した服装を選んだ光瑠。下はベージュのカーゴパンツ、インナーは黒のカットソー、そして黒のスニーカー。撥水加工が施されたショルダーバッグも、カジュアルなデザインだ。 「すみません……」  俯いた光瑠に、亮介は視線を向けた。 「いや……説教したわけじゃねぇ。そう捉えたんなら、すまん」 「えっ?」  謝罪が返ってくるとは思わず、光瑠の顔は条件反射で上がってしまう。 「服装を否定するつもりもねぇ。冠婚葬祭やら仕事絡みやら、それなりにTPOを理解してりゃ、オフは好きな服着ればいい。食事マナーを説教したわけでもねぇ。まぁある程度最低限のマナーはあったほうがいいとは思うが、このカフェはかしこまった店じゃねぇし、丸谷も口うるさく言うタイプじゃねぇよ」  だから、と亮介は呟き、レアチーズケーキをフォークでカットする。 「まぁ……別に、深く考えるな。美味いコーヒー溢すかもしれねぇっつー危機を、回避させたってだけの話だ」  “丸谷”と呼んだことにまたしても驚いた光瑠は、振り返った。名を出された本人は、口角を上げ、恥じらいながら礼をしている。 「お知り合いなんですか?」 「丸谷は元特別捜査課の刑事。俺らと同じ、飛行能力がある」 「退職してから随分経っているけどね。今は何不自由なく、毎日スイーツ作りをしているよ」  丸谷は懐かしむように過去を話し始めた。  亮介は高校卒業し、警察学校期間10ヶ月を経てすぐ、公安部特別捜査課へ配属。5年後に突如、単独行動をし殺害まで行ったのだ。当時丸谷は26歳。組織から外れ、上司や警視総監含む上層部も眼中にない。誰しもが、まだまだ下っ端だと認識していた亮介の、予想外の行動力。言葉を失うほどの衝撃を受けたのだ。 「私はね、西神くんに感謝しているんだよ。まさか、3つ年下の部下に諭されるなんて思わなかったけどね」  26歳の丸谷は、自分の未来を考えたことがなかった。目の前に与えられた犯罪者を殺害。警察官の一般的な給料よりも5倍高く、口座にはみるみる金が貯まっていた。警視庁のため、都民のため、金のため。自分が何を目的に仕事をしているのか分からなくなっていたのだ。  亮介に刺激を受けた丸谷は、自分の将来を真剣に考え退職を決意。子どもの頃、母親や姉と共にお菓子作りをしていたことを思い出し、パティシエの道へと進んだのである。 「こうやって西神くんは私のことを気にかけて、時々来てくれるんだよ。店内貸切で、スイーツバイキングみたいなことをしてね。原材料高騰、物価高でも細々と続けられているのは、西神くんが定期的に大金費やしてくれるからさ」  あはは、と豪快に笑う声が店内に響いた。光瑠はハッと我に返り、亮介に視線を向ける。 「……もしかして、僕をここに連れて来たのは、転職を進めるためだったんですか!? 気絶してしまって、未熟だと自分でも分かっています。この休暇中、いろいろ考えました。西神さんから転職を促されるなら、そういうことなんですよね」 「勝手に解釈すんな」  でも、と光瑠は呟く。亮介は静かにコーヒーを口にしていた。 「丸谷はこっち側を知ってるから、この店は何かと都合がいいだろ。それに、第二の人生がどうこうっつー話じゃねぇし。ただスイーツを食いたかっただけだ。お前も外の空気吸えば、気分転換になるんじゃねぇかと思って声掛けただけだ。別に深い意味はない。強いて言うなら、人間だろうと死神だろうと、強制的にでもオンとオフがねぇと生きていけねぇってことだ」  光瑠は、食べかけの抹茶プリンに視線を移す。先程、一口で顔が綻んでしまうほど、美味しさと優しさを感じた。店内の静かな空間と丸谷の人柄もあり、居心地がいい。それは、仕事を忘れたプライベートだからこその感情だ。 「バニラアイスを頼む」 「はい」  抹茶プリンを再び口にし、光瑠は視線を落とした。 「お前にとっちゃ、オフでもねぇか。上司と一緒なんぞ、仕事の延長でしかねぇよな。……すまん」  最後の謝罪は、今にも消えてしまいそうな切ない声。光瑠はその3文字から、やはり気遣いのできる優しい男なのだと確信した。
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