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5月11日土曜日午後14時3分。
特別捜査課は緊迫感に包まれていた。大型ディスプレイに表示されている防犯カメラの数々。
場所は東京都品川区戸越。食べ歩きやB級グルメの宝庫として、テレビ番組でも数多く取り上げられている戸越銀座商店街。土曜日で賑わう昼時は地獄絵図だった。
「……被疑者の特徴は、黒のパーカー、黒のスウェットのような長ズボン、黒のスニーカー。黒い布マスクを着用。紺色のショルダーバッグの中から、刃物を取り出し、親子3人を複数回切り付け逃走。尚、刃物を持ち現在も逃走中………………」
響き渡るのは、現在進行形で行方を追っている警察車両の無線だった。
キーボードを鳴らす2人は危機感を抱き、眉間に皺を寄せている。
「被疑者はフリーター、高屋敷悠真、22歳。自転車を奪い逃走。現在、JR大崎駅方面走行中です。路地に入りそうです」
佐東の言葉を受け、亮介はスロートマイクイヤホンを装着し、革の手袋をはめた。一言も発することなく、部屋を後にしてしまう。
全てのカメラ映像が14時20分を示した時、1箇所から男の叫び声が上がった。場所はJR高崎駅近くの路地。三つ星ホテルが聳え立っており、一帯は華やかな雰囲気だが、景色は一変している。
“大丈夫ですか”と何度も声を上げ、パニック状態になっている、スーツ姿の中年男性。叫び声の主だ。ビジネスバッグを放り投げ、倒れている男へ駆け付けていた。
無線で告げられた特徴と似ている人物が、腹部を刺し倒れている。刃物の柄を両手で握っている状態。逃走で使用したと思われる自転車が放置されており、アスファルトにおびただしい血液が流れ出している。
光瑠は、気を失いそうになりがらも映像を凝視していた。
刺したのは腹部ではなく胸部。心臓付近ではないかと推測する。しかしながら、自ら心臓を的確に狙うことは、不自然さを残す場合もある。あえてずらし、高屋敷悠真という素人の行動に見せかけたような気がした。
ロックが解除され、特別捜査課へ再び戻ってきた亮介。黒革の手袋を外し、ミーティングテーブルに置く。何事も無かったかのような涼しい顔だ。
「南城、状況は」
「第一発見者はこのオジさん。救急車呼んだから、すぐに来ると思う。パトカーは正直遅いかも。刃物持った男がいるって通報たくさんされてるんだけど、なんか現場が混乱してるっぽい」
15分後にもなると、救急車やパトカーが集結し、規制線が張られた。無線も室内に響いている。
「……戸越銀座の被疑者と似た人物、名前は高屋敷悠真。……自ら腹部を刺したと見られる。死亡を確認……………」
けたたましくドアが開き、制服姿の阿久津が鬼の形相で駆け寄った。小柄ながらも威圧感があり、亮介を思い切り睨み付けている。
「お前がやったのか、答えろ」
「自分で刺したって無線で言ってるじゃねぇか」
「お前が殺したのか、どうなんだ! 答えろ、西神!!!」
怒号が飛ぶが、亮介の目は冷たく見下すような視線だ。
「ちんたらちんたらやってっからだ。情報把握も遅ぇ。盗難自転車、見失ってんじゃねぇか」
「ならば、私に情報提供すればいい話だろう。被疑者は確保、現場はそう判断している。勝手な行動を取り、現場を混乱させたんだぞ」
「確保まで間に合わねぇと判断したからだ」
南城はエンターキーを押し、大型ディスプレイを切り替えた。そこに表示されているのは、高屋敷のデータだ。
「フリーターでバイト掛け持ち。特にトラブルはなくて、至って真面目。でもSNSでこう呟いてる」
――――――
毎日つまんね
でっかいニュースになることがしたい
――――――
高屋敷はこの投稿の後、自宅マンションを後にしている。その姿もマンションの防犯カメラ映像に残されていた。上下黒の服、そして紺色のショルダーバッグだ。
足取りは戸越銀座商店街。観光客だけでなく、周辺住民もおり賑わいを見せていた。そして、とある親子とすれ違う。
「……高屋敷はすれ違って、Uターンしてるよ。父親、母親、社会人の娘。この3人と高屋敷の共通点なし、全くの無関係。無差別に刃物を向けた」
南城の言葉の後、佐東は画面右手側に音声解析システムを表示させる。マウスをカチッとクリックした。
――――――
「お店の人、面白いオジさんだったね」
「そうだな。あははは……」
「おまけいっぱいもらっちゃって、なんだか申し訳ないね。東京も人情に溢れた場所があるのねぇ。お母さんのこともお嬢さんって言ってくれたわよ、もう、恥ずかしいわぁ」
――――――
振り返った佐東は、阿久津をじっと見つめた。
「この春、長崎県から上京した娘と、観光に来た両親です。都会独特の環境は疲れるだろうと思ったのでしょう。気を遣い、両親が親しみやすい場所を中心にした、観光プランを立てています」
「……だから、なんだ」
「買い物した先の店主の口調が、時折女性のような、所謂オネエ言葉になるんです。接客をし観光客だと知り、ましてや遠路はるばる長崎県から。嬉しさのあまり、テンションが上がってしまい、オネエ言葉になりながら次々とおまけを渡す……その接客に圧倒されつつも、彼らは笑みを浮かべました。高屋敷はその笑いが、自分に対する冷ややかな笑いだと思い込んでしまったのです」
阿久津はフンと鼻を鳴らした。
「犯行動機など、調べれば分かることだ。被疑者から確実に証言を得るためにも、確保しなければならなかった。ここにいる全員、反省していないようだな」
「……阿久津さん、普通の刑事だったら、こんなすぐに情報は得られません」
静かに告げたのは光瑠だった。目を見ることができず、ミーティングテーブルに視線を落としている。
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