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「全員が更生して真っ当に生きてるわけじゃねぇ。強盗を繰り返したり、詐欺を繰り返したり。数年でシャバに出たり、単なる罰金刑で終わっちまった前科者もいるからな。“とりあえず反省したから、いっか”って感じだろ。被害者は一生の傷負ってるかもしれねぇのに。同じ空気吸いたくねぇとか、死ねばいいのにって思うだろうな」
まぁ、と男は言葉を続ける。
「繰り返す前科者連中の確保で、給料貰ってる側だしな。犯罪者ゼロの世界になりゃ、お役御免だもんな」
光瑠は勢いよく立ち上がり、男に近づいた。ニュースは、昨今の物価高の内容に切り替わっているが、男はテレビ画面から目線を変えない。
「あなたは誰なんですか。祖母の知り合いですか。それとも僕のことを知っているんですか。 “前科者の確保で給料貰ってる側”……それは警察関係者ということですよね。僕が刑事だとご存知なんですか」
男は、徐にスーツの胸ポケットに右手を入れた。取り出された警察手帳に、光瑠の口が無意識に開いてしまう。
「えっ……」
「同業者。お前、警視庁捜査一課の天音光瑠巡査部長だろ。俺は公安部特別捜査課の西神亮介。階級は警部補」
「……公安……ですが、特別捜査課は知りませんよ。そんな部署、本当にあるんですか? あなたは本当に警察官なんですか。虚偽ならば……」
「ごちゃごちゃうるせぇ。部署が存在するか、俺が本当に公安の刑事なのか、んなの警視庁に戻ればすぐ分かる話だろ。まずは、ここでしかできねぇことやるべきなんじゃねぇの?」
2人の間に沈黙が流れた。そんな中、初めて目が合う。瞳から感情が読み取れないことに、光瑠は内心動揺していた。事件現場で対面したことがある、目を開いた遺体にも酷似しているからだ。
「さっさと、服役中の犯人が死んだって報告しろ。憎しみと殺意持ったまま天国行っちまう前に」
「盗み聞きしていたんですか。プライバシーの侵害……」
「だから、ごちゃごちゃうるせぇんだよ。お前、今どの立場だ。刑事か? 刑事としてばぁちゃんに会いにきたのか? 違うだろ。孫だろ。ばぁちゃんにとって、両親亡くして心配でたまらないただの孫だろ」
光瑠は、全身の力が抜ける感覚に陥っていた。見ず知らずの無愛想な男に、不信感や嫌悪感を抱くものの、妙に言葉が心に入ってきてしまう。
「お前のばぁちゃんの声が、徐々に掠れている気がする。朝晩の冷え込みと季節の変わり目で、風邪の症状が出始めて、喉を痛めている可能性がある。こんなこと言いたくねぇが、今回風邪ひいて熱上がるなり、肺炎になっちまえばもう無理だぞ。免疫力はかなり低下しているし、薬も無意味かもしれねぇ」
だから、と男は呟いた。
「後悔しねぇように、側にいてやれ。優先順位見失うな」
光瑠は言葉に詰まってしまった。震えそうな唇を思い切り噛み締め、視線を落とす。問いただし、事実確認をしたいことが様々あるものの、胸に刺さる言葉。茶化したり、嘘を付いているように見えず、どこか優しさすらも感じていた。
「お前だって分かってたから、ここに来たんだろ。これが最後になるかもしれねぇって。だったら、憎き男が死んだって報告して、万歳三唱でもすりゃいい。どんちゃん騒ぎでもすりゃいい。不謹慎かもしれねぇとか、どうでもいい。感情表に出して、思い切り笑えばいい。……今まで苦しんだ過去がある。そのくれぇ、神様は許してくれるはずだ」
光瑠の頬に涙が流れた。その涙は温かい感覚。雪解けを後押しする春風のように、背中を押された気がしたのだ。
亮介は、隣に置いていた黒革のクラッチバッグを手にし、ソファから立ち上がった。
「……最後の時間、大事にしろよ」
ボソッと告げた後、亮介は正面入り口へと歩みを進めた。
光瑠はその背中を見届け、深々と頭を下げる。刑事であることが事実ならば、亮介の階級が上だ。だが、立場関係を意味する敬礼ではない。心に寄り添ってくれたと感じ、感謝の意味が込められた行為だ。
――おばあちゃんとの時間、大事にしなきゃ。
心の中で呟くと、清瀬幸子の元へ駆け出した。
背後の正面入り口は、風圧で自動ドアが何度も開閉されている。それは、即座に姿を消した亮介が巻き起こしたもの。瞬間移動のごとく飛び立ったと知る由もない光瑠は、爽やかな笑みを浮かべていた。
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