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――ヤバいところに来たかもしれない。
光瑠は思わず後退りしてしまった。すると、手を叩く音が室内に響き渡る。光瑠の右手側に1人の男が立っていた。
白髪混じりの髪は、手入れをしていないのか寝ぐせのような跳ね具合だ。ワイシャツに紺色のニットベストを着用し、黒のスラックス姿。スニーカーも地味な黒。
そんな丸顔の男に招かれた先は、ミーティングテーブルだった。椅子は6脚。タブレットやスマートフォンが立て掛けられる隙間、電源タップ、ドリンクホルダーの凹みといった機能性が高いテーブルだ。仙北の手によって黒いカップが置かれ、コーヒーの香りが一気に部屋に充満する。光瑠は用意された席に渋々腰を下ろした。向かい合うのは、未だ目が合わない2人である。
「あー、俺はカフェラテ、ホット。砂糖入れてね」
「私はホットのブラックコーヒーをお願いします」
「ねぇ状況分かってる!? 特別捜査課に新人さんが来たよ。挨拶するなり、自己紹介とかいろいろあるでしょう!?」
「そういう課長も名乗ってないじゃん。……俺は南城司28歳。巡査部長。趣味はゲーム。特にガンシューティング系が得意。隅々まで堪能したいから、課金は惜しまないタイプ。あと、謎解きとか脱出ゲームのイベントも好きで、よく友達と行く。そんな感じ。……あともう少しで区切りいいから、ちょっと待って……あ……よろしくおねがいしゃっすぅー」
「よろしくお願い致します……」
光瑠の苦手なタイプだった。派手に友人たちと遊んでいるような、所謂、陽キャに見えてしまう。公安部の刑事よりも、大学生と告げられたほうが納得いく言動だ。
「私は佐東広樹と申します。50歳、警部補です。趣味は美容とサウナですね。若々しいと言われる顔をお見せしたいのですが、ホットアイマスクを先程開けたばかりなんです。なので、少々お待ちくださいね。データを拝見したところ、天音くんも若く見えますね。肌艶も良さそうに見えました。あとで、使用している化粧水や美容液を教えていただけます?」
「……すみません。答えになるか分かりませんが、ドラッグストアやスーパーでも買えるメンズ化粧水です。それくらいです。1000円以下です。特別高価なものは使用していません」
「それならば、素材が元々良いのでしょうね。羨ましい限りです。天音くん、これからよろしくお願いしますね」
「……よろしくお願い致します」
光瑠は、心の中で深いため息を吐いていた。どちらも個性が強く、早くも疲弊している。
「ごめんね、こんなぶっ飛んだ部署で」
丸顔の男は光瑠の隣に腰掛けた。
「この、公安部特別捜査課こと無法地帯をなんとか束ねている、課長の仙北昌伸です。ちなみに、私と佐東くんは同い年の同期」
すると、仙北は素早く両手を前に出し、首を激しく振った。
「言わないでね! 分かっているから! 佐東くんと私、並べばどう見たって私が老けて見えるの、分かってるからっ!! 白髪染めすら面倒、癖毛は放置、化粧水やらなんやらも手を出したことのない、無課金オッさんはこんなもんだよ。皺だらけで、シミだらけで、脂肪だらけ。私は美容男子じゃなく、微妙男子」
「課長は私より階級が上ではないですか。警部ですよ。誇りに思って下さい。課長にもいいところはあります」
「……ギャグスルーしないで。佐東くんだけはスルーしないで。同期でしょう。せめて“男子じゃねーよ、オッさんだろ”的なツッコミ欲しかったな。さぁ挽回のチャンスです! 長い付き合いの佐東くんがあげる私のいいところ、例えば?」
「………………サプリの解約、返金できるか調べなきゃいけませんね」
「それは、スルーするという被せ? それとも本当にないパターン?」
沈黙が流れる中、光瑠はコーヒーを静かに啜った。
――南城くんはゲーマー。佐東さんは美容中年男。課長はたぶん面倒臭いオジさん。どうしよう。一課の上司もなかなかのキャラ揃いだったけど、こっちのほうが酷いかもしれない。本当に無法地帯だ。異動、引き受けなきゃよかったかも。
光瑠は、機械音が耳に入り振り返った。ガラスパーテーションで区切られた一角。柱は黒で、ブラインドが自動で開いており個室があらわになっている。黒のデスクと物置棚。デスク上にはノートパソコンが置かれている。ベッドも完備されており、マンションのワンルームさながらだ。
個室から現れたのは、黒いスーツ姿の男。ジャケットを羽織り、スラックスのポケットに両手を入れている。紛れもなく、盛岡の地で対面した男だ。ミーティングテーブルから少し離れた壁側に、ポツンと設けられていた黒革のソファへ向かっている。革靴のまま寝転び、男は右腕で目元を覆った。
「はい。自己紹介してね。と言っても、2人は……」
仙北の言葉が途切れたのは、光瑠が慌ただしく駆け寄ったからだった。手には、段ボール箱から取り出した小さな紙袋を下げている。
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