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先生と、僕の初めの一歩
その人は、特別だった。
少年 弓削碧、母 紅子にとって、特別な、大切な、宝物。
紅子は、いわゆるシングルマザーで、恋多き女性。
恋人の影が途絶えることは無いが、長く続くこともない。
付け加えると、男運がすこぶる悪かった。
紅子の好みのタイプは、典型的紐男、少々顔が良く、意外とマメ、金が無く、夢語り、人情が厚く、自分の機嫌もまともに取れないくせに、他人に深くかかわろうとする。
女や、酒や、賭け事などが大好き……
そんな男ばかりだった。
そんな紅子の恋人にしては、その人は驚くほどまともだった。
出会った時は、紅子より二つ年下の二八歳、大学で講師をしていた。
ぼさぼさの黒髪に、時代遅れの眼鏡、服装にも無頓着、いつも薄汚れた白衣を着ていた。
女も、酒も、煙草もしない、金にもあまり興味はなく、必要な分だけあればいい。
世の中の様々な遊びより、ずっと、勉強が楽しいらしい、そこは立派な変態だ。
名前は水無航平、祖父母にゆずられた、古い日本家屋に住んでいた。
母に連れられて、その家にやってきた碧は、そのドラマの中でしか見たことのない家に、唖然とした。
インターフォンを押すと、カラカラと音のする引き戸が開いて、顔を出したその人は、子供のように、ニカっと笑った
「君が、碧君? 小学校四年生だってね、走るのがとってもはやいんだろ、すごいね、私は運動がまるでダメなんだ、だから尊敬しちゃうよ」
その瞬間だったと思う、碧が、恋に落ちたのは。
碧にとって、航平が、特別輝いて見えて、聞いたことも無いほどの美しい音楽が、頭の中で鳴り響いた。
『オイ』とか『お前』と言わず『碧君』と、呼んでくれた。
「紅子のオマケ」ではなく、『碧』を迎え入れてくれた。
碧を一人の人間として、一つの人格として、接してくれる、信じられる人。
初めての人だったから、その時は、これが恋だなんて、気が付かなかった。
その日から、碧と紅子は、この家に「ただいま」と言って、帰るようになった。
航平の事を、碧と紅子は『こうちゃん』と呼んで、あれやこれやと話をした、一緒にご飯を食べて、世話を焼いた。
兎に角『こうちゃん』に、なんでもしてあげたかったし、話しを聞いてほしかった。
楽しく、過ごして欲しかった。
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