恋した涙

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「香月が好き……好き?」  自室でひとり呟き、何度目かわからないため息をつく。  たしかに好きだ。でもそれはこれまで友達として見てきたからであって、恋愛感情をもって見たことがない。友達の「好き」と恋愛の「好き」はどうしたら見分けられるのだろう。優歩の心にあるのは、どちらの「好き」だろう。  香月が好き。見つめられるとどきどきする。それはどうして……?  その次の日も翌週になっても、学校ではずっと香月から視線を感じる。飽きないのだろうかと思ってしまうくらいずっと見ている。 「最近の香月、ずっと優歩見てない?」  渚沙の言葉にぎくりとする。香月は先生に呼ばれて職員室に行っている。渚沙の彼女も用事があるようで先に帰り、ふたりで香月を待っている。 「なんかあった?」  心配そうに聞かれ、相談してみようかと悩む。中三のときから彼女がいる渚沙は間違いなく優歩より恋愛経験豊富だ。 「実は……告白、された……」 「えっ」  渚沙が椅子から転げ落ちそうになるので慌てて支えるが、渚沙はまるで自分が告白されたかのように頬を染める。 「香月の好きなタイプは優歩みたいな子なんだ……」  まじまじと見られて少し俯く。不思議だ。香月の視線ほど恥ずかしく感じない。 「それでつき合い始めたの?」 「まだ返事してない……」 「どうして?」  不思議そうな渚沙に、きちんと相談してみようと決めてひとつ深呼吸してから口を開く。 「……香月は好きだけど、友達としてしか見たことがなかったから」 「そうかあ。でも香月が優歩を見る目はずっと優しかったよね」 「そうなの?」 「気づいてなかったの?」  呆れられてしまった。そんなこと全然気がつかなかった。 「優歩はどうしたいの?」 「それがわかれば悩まない」  そう、それがわからないのだ。自分は香月とどうなりたいのか。香月とつき合って、きちんと恋人として見られるか。友達の延長になってしまわないか。考え始めれば悩みは尽きない。 「あ。でも、俺がどんな答えを出しても友達でいてくれるって」  優歩の顔を見た渚沙がふっと笑うので、なんだろうと首を傾げる。 「よかったな」  頭を撫でられ、うん、と頷く。 「それならいっぱい悩め。悩み尽くせ」 「相談にはのってくれないの?」  渚沙ははっきりと頷き、急に心細く感じる。 「どうしても助けが必要だったら、俺じゃなくて香月に言いな」 「でも、香月のことで悩んでるのに……」 「だからだよ。優歩がこんなに真剣に悩んでるって知ったら香月はすごく喜ぶし、どんな話でも聞きたいと思ってるはずだから、悩んでることも、どうしたらいいかわからないことも、全部香月に言ってみな?」 「……うん」  渚沙がそう言うならそれがいいのだろう。なんだか道が拓けたように光が見えた。 「な、香月?」 「えっ」  教室の扉に向かって渚沙が声をかけ、優歩も扉のほうに視線を移すと香月が立っている。 「渚沙の言うとおりだよ」  これ以上ないくらい柔らかい視線で優歩を見つめる香月に頬が熱くなる。 「いるなら声かけてよ!」 「いいだろ、別に」 「渚沙も香月がいることに気づいてたなら教えてよ!」 「ははは」  渚沙が優歩の肩を叩く。 「いっぱい悩め。俺は優歩がどんな答えを出しても応援するよ。もちろん場合によっては香月の愚痴も聞いてあげる」 「そりゃどうも」  ありがたくなさそうに香月が渚沙を見ると、渚沙はまた笑う。 「じゃあごゆっくり」 「えっ、今!?」  優歩が慌てているのに渚沙は教室を出て行ってしまう。香月とふたりきりになり、緊張が糸を張る。 「どうなの?」 「なにが?」 「俺は渚沙に愚痴を聞いてもらったほうがいいの?」  聞かれている言葉の意味がわからず首を傾ける。 「それは……どういうこと?」 「俺をふるかって聞いてんの」 「えっ」  話を聞いていたなら優歩が悩んでいることを知っているのに急かすようなことを言う。 「意地悪」 「今さら」 「……」  でも香月が本当は優しいことを優歩はよく知っている。意地悪なんて思っていない。 「優歩にとって俺の気持ちが迷惑なら、すっごく嫌だけど引くし、少しでも希望があるなら絶対諦めない」  香月の視線がまっすぐすぎて恥ずかしくなってくるけれど目を逸らせない。 「迷惑か……?」  せつなげな瞳で聞かれ、美形のそういう顔は反則だと頬が熱くなる。 「迷惑?」  手をとられてもう一度同じ問いを重ねられ俯く。  香月の気持ちが嬉しい。誰かのことを考えてこんなにどきどきするのは初めてだ。 「……迷惑なわけない」 「だよな。当然だ」  だいぶ偉そうな言葉に顔をあげると香月が心底ほっとしたような表情ではにかんでいる。 「渚沙の彼女じゃなくて、ずっと俺を好きでいてよ。好きでいてもらえるように努力するから」 「……」  これまで優歩が渚沙の彼女を好きになるたびに香月はどんな気持ちでいたのだろうと考える。とてもつらかったに違いない。それがとてもせつなくて握られた手を優歩からも握り返す。 「うん」  小さな声でなんとか返事をすると同時に抱きしめられた。 「え、あ……」  香月の顔が近づいてきて、唇が重なりそうになったところでわざとらしい咳払いが教室内に響いた。慌てて香月から離れて音のしたほうへ顔を向けると渚沙が苦笑している。 「こんなところで不純な行為はやめなさい」 「帰ったんじゃないの?」 「帰りかけたけど心配で戻って来た」  渚沙が頭を撫でてくれる。それが「よかったな」と言っているようで心が温かくなった。 「邪魔するな。いいところだったのに」 「香月!」  香月の腕を叩くと、香月が降参と言うように両手をあげる。 「恋人とキスすることのどこが不純だ」 「まだ優歩はつき合うって言ってないよ?」  文句を言う香月に渚沙がつっこむ。 「でも俺を好きでいてくれるって言った」 「それだけじゃなあ」  渚沙がからかうように香月の顔を覗き込む。香月は悔しそうに表情を歪めて優歩に向き直る。 「優歩、好きだ。つき合ってくれ」  真剣な告白に脈が速くなる。顔が火照って、緊張で震える指先を握り込んだ。 「はい。よろしくお願いします」 「これでキスしていい?」 「いいよ」 「しないよ!」  香月の腕をもう一度叩くと、渚沙が優歩の肩を抱いて香月のほうに押し出す。 「しちゃいなよ」 「さっきは渚沙が止めたくせに!」 「ちゃんとつき合い始めたなら問題なし。さ、どうぞ」  どうぞと言われてできるわけがない――そう優歩が思っていたら視界が遮られ、唇に柔らかいものが触れた。温もりが離れて香月の胸を叩く。 「もう……しないって言ったのに」 「なんだか香月と優歩の誓いのキスみたいだね」 「なんならもう一回してもいいけど」 「しないよ! 帰ろう!」  急いで廊下に出るが香月と渚沙がなかなか出てこない。なにをしているのだろうと教室の中を覗くと、渚沙が香月の肩をぽんぽんと叩いている。香月の目尻には涙が滲んで光っていた。その輝きに、長い片想いの気持ちの大きさとつらさが現れているように感じた。優歩にも渚沙にも黙って一途な恋をした香月の涙は美しくて、それほどに澄んだ気持ちで想ってくれていたのだと優歩まで泣きそうになる。声をかけられずに立ち尽くしていると教室から出て来た香月が優歩にバッグを差し出した。 「忘れてる」 「あ……」 「バッグ忘れるなよ」 「……うん」  香月の目が潤んで赤くなっている。胸がいっぱいになってうまく言葉が出てこない。 「優歩も泣いちゃう?」 「おい」  香月が渚沙の肩を掴む。渚沙は笑って香月と優歩の肩を抱く。せつない恋が実を結び、きっと渚沙に見守られながら香月と優歩は思いを育んでいく。  夕陽の傾く道を三人で歩いた。
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