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本当は気付いていた。
嫌われることを恐れ、喧嘩することを避け、振られることに怯え、ここ数ヶ月間自分の気持ちに蓋をしてきた。
「あいつが君と付き合ってるって聞いて、怒りが収まらなかったんだ。君はシフトが被らないように気を遣いながら真面目に働いてるのに、彼はそれをいいことに仕事中に別の女に現を抜かして仕事を疎かにしていた」
出来れば有耶無耶にしておきたい事実だった。追い討ちをかけるように、知りたくもない答え合わせを聞かされ、倫平が黒だと認めざるを得なくなった。
――倫平と新人バイトの梨乃はデキている。
「安心して」
「え?」
「彼には俺がたっぷり嫌がらせしておいた」
――あ、そういえば……。
涙で濡れた瞼には、あの日の倫平の顰めっ面が浮かんでいた。
「誤解されないように言っておくけど、そんな状況を知っていながらどうにもしてやれない自分に、本当は一番イライラしてたんだ」
乃亜は曖昧に頷くことしかできなかった。
尾崎が何を誤解されたくないと思っているのか、いまいちわからなかった。イライラして何度も繰り返した舌打ちは、自分に向けられたものではなかったと言っているのだろうか。それとも、このイライラは同情であって色恋ではないと言っているのだろうか、と、どうとでも取れる尾崎の言葉に何と返せばいいのか考えあぐねた。
はっと我に返りさりげなく腕時計に目をやると、時刻は既に零時をまわっていた。急いでも終電にはもう間に合いそうもないなと、こんな状況でも案外冷静な自分に驚いていた。
「じゃあ、どうにかしてください」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食ったように、尾崎が大きく目を見張った。
「尾崎さんに引き留められたせいで、もう終電に間に合いそうにありません」
「あ、そうだった! 申し訳ない」
慌てて立ち上がった尾崎が、ふと思い出したように口にする。
「ああ……でも、もう彼にも君にも遠慮はしなくてよくなったんだよな」
「え?」
ドラマでよく耳にするその台詞は――
「君が嫌じゃなければの話だけど……これから、この時間帯に俺とシフトが被った時は、せめて駅まででも送らせてもらえないかな」
「あの、それはどういう意味ですか? 尾崎さんの言葉は、誤解を招きますよ」
「そのままの意味だよ。君の夜道の一人歩きがずっと心配で仕方なかったんだ」
思いも寄らないことを言われた乃亜は、返す言葉を見つけられずにいた。
「もう日付が変わってることには気付いてますよね?」
「ああ、わかってる。嘘は言ってない」
その言葉に、安堵している自分に気付いた。
今思えば、もう随分前から倫平の様子はおかしかった。
「周りの目が気になる」と言った時から、倫平のシナリオ通りに進んでいたのかもしれない。気を遣うような周りの態度は、自分に対する同情の目だったのかもしれない。
「もしかすると、彼よりも尾崎さんのほうが、私のことを心配してくれてた時間が長かったのかもしれませんね」
【完】
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