第六章 若鶴

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【二、対面】  関所の門には、色護衆(しきごしゅう)が掲げる竜胆(りんどう)桔梗(ききょう)の紋が入った幕が張られており、既に転送陣の準備も整っている。白地に黒い紋が染め抜かれた幕は、緑の多い山中でひどく目立っていた。 「さー、ついた。門をくぐれば、もう陣の中だぜ」  緩く言うなり、宗典はさっさと歩いていく。宏実、直武、紀定が続き、同年代の四人組と馬たちも門をくぐった。  門の先にも幕が張られており、陣を形成している。地面には大きく、複雑な模様を内包した円が書かれていた。外周では、曲線に沿って点々と術師たちが待機している。 「先行隊も含めて全員入ったな? よーし、そんじゃー始めてくれー」  一団がすっぽり円内に収まったのを確認して、宗典が声を張り上げた。途端、一糸乱れぬ動きで術師たちが手を構え、呪文の合唱を響かせる。続けて、宗典たちも声を響かせ始めた。独特の抑揚と音色で紡がれる、古い言葉が用いられた詞が、厳かに、朗々(ろうろう)と空気を震わせる。  間もなく、円陣が光を放ち始めた。音もなく現れた光は眩さを増し、目を開けていられなくなるほど強くなる。引き換えに、段々と呪文の合唱が遠くなり、聞こえなくなる。多くが閉じざるを得なかった目を開けたのは、「とうちゃーく」という宗典の声を聞いてからだった。  まず見えたのは、竜胆と桔梗の紋が描かれた幕で形成された陣。それだけなら、佐和黒(さわぐろ)の関所に張られていた陣と同じだが、出入り口が一団の前方にあるという点が異なっている。その先に立派な城門が見え、後方からは天守が陣内を見下ろしているところも。 「おーっし、欠員いねーな? さて、オレが言うのもなんですが、よーこそ、橙路(とうじ)逢松(あいまつ)郡、若鶴(わかづる)へ」  にやり、と意に反した凶悪な笑みを浮かべる宗典。そんな彼の笑みに続けて、待っていた派遣部隊の守遣兵(しゅけんへい)たちが、寸分たがわぬ動きで(こうべ)を垂れた。  逢松は、地図で見ると横長の形をしている。緑峰(りょくほう)府の慈方(いつかた)郡、翠森(すいしん)府の妙後(たえご)郡とは西で隣り合い、北では同府の勢代台(せじろだい)郡、南では碧原(へきげん)府の三郡と接し、残る東は濃青海(のうせいかい)に面する。さらに細かく見ると、ほぼ中央に位置している稲鏡湖(いなかがみこ)板平(いたひら)山脈から、東西に地域が分かれている。  飯蔵山(いいくらやま)から天守が見下ろす盆地にあり、稲鏡湖にも面している若鶴は、西側における中心地。川や湖の近くでは商店が賑わっているが、旧武家の屋敷が固まっている山麓(さんろく)付近は、人気が薄く静かである。 「と、大まかな地理はこのようになっております」  地図を行ったり来たりしていた宏実の指が、音もなく去る。周囲から注がれていた視線も、それと同時に外れた。  転送陣で送られてきた後、一行が案内されたのは、若鶴城下にある御殿(ごてん)。久しく客が招かれなかった建物だが、掃除や手入れの手が欠かされたことはなく、美しさはほとんど損なわれていない。客間を兼ねる大広間も同様で、庭に通じる縦長の側面を残し、他三面を囲う花鳥が描かれた金襖(きんぶすま)は威容すら(まと)うようだ。  ところがその囲いは、一行から見て前方にある襖が開けられたために解かれた。 「やー、皆さん。お待たせいたしました」  一斉に向けられた視線を受けつつ、入って来たのは男女二人組。両者は共に、色護衆の所属であることを示す竜胆と桔梗の紋に加え、家紋が染め抜かれた小袖を着、(はかま)穿()いて帯刀もしている。  待っていた一行のうち、志乃だけはまず、内心で首を傾げていた。二人が着ている小袖と袴の色が、想定していた色と異なっていたので。  守遣兵の衣服は、東へ派遣される渡碓山(とたいさん)の所属と、西へ派遣される麗境山(れいきょうさん)の所属とで違う。渡碓山所属なら、鉄色の小袖に煤竹(すすたけ)色の袴。麗境山所属なら、小豆(あずき)色の小袖に鳩羽鼠(はとばねずみ)の袴。橙路府には渡碓山所属の兵が派遣されるため、前者の組み合わせを着ているはずなのだが、現れた二人の組み合わせは後者のものだ。  疑問に思ったものの、「道中でご苦労をおかけしました。すみません、先生」「構わないよ。やっと合流できたことだし」と直武がやり取りを始めてしまったので、志乃は言葉を呑み込んだ。 「ところで先生。目に入れても痛くないどころかむしろ(うるお)うほど可愛い僕の義弟(おとうと)、見当たらないんですけど」 「芳親は先に、君たちが宿泊している屋敷に運ばれたよ。はしゃぎすぎていたからね」 「あー、そういう……って、そんな!? やっと会えると思ったのに!?」  刀を置いて座ろうとしていた男性は悲鳴じみた声を上げ、床に手をついて身を乗り出した。好青年然としていた顔も、声と同じ情けなさで歪んでいる。  佐和黒で眠らされた芳親は、橙路府へ入ってからも本当に目を覚まさなかった。そのまま黒に乗せられて、一足先に滞在場所である武家屋敷へと運ばれている。手綱は志乃から宗典に代わったため、彼とも途中で別れていた。 「その気持ちは()むけど、今は自己紹介しようよ、兼久くん。初対面の子の目、まん丸くなってるから」  こういった反応は珍しくないのか、好青年の(かたわ)らに座った女性が引き戻す。明るいながらも静かで深みがある声は、そのまま彼女の内面を伝えてくるようだ。  慣れた声色の(たしな)めに、「そうだね」と青年も慣れた様子で頷いて、整い直した笑みを志乃に向けた。 「初めまして、花居志乃ちゃん。君のことは麗部(うらべ)先生からよく聞いています。僕は四大武家が一つ、境田家の長男で芳親の義兄、境田兼久と言います。で、こちらが僕の頼れる素晴らしい副官の」 「私にまで褒め言葉を飛び火させないでほしいなぁ。初めまして、木下喜千代(きちよ)です。厳粛(げんしゅく)な場以外だったら、好きなように呼んでもらって構わないわ。よろしくね」  二人とも瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気でありながら、浮かべる笑顔はどこかのんびりとして親しみやすい。上ではあるが、それほど離れてはいない年頃という点もあるからだろう。 「初めまして。翠森府妙後郡、夜蝶街から参りました、花居志乃と申します。兼久殿のお話は、芳親から常々聞いておりました」 「わ、本当? うーん恥ずかしいなぁ、なんて話されたんだろう」 「とても優秀で気配りもできる、誇るべき兄君と」 「そっ、そそそっ、そんっっっなに!? えへへ、照れるなぁ、えへえへへへへぇ」  デレデレとだらしなく笑みを崩した兼久だが、喜千代の咳払(せきばら)いを聞くなり慌てて引き締め直した。その光景は撫でられた時の自分と、叱る中谷の姿を彷彿(ほうふつ)とさせ、志乃は何とも言えない気分になる。 「失礼。それじゃあ、早速ながら任務の話をしましょう。我ら境田兼久隊と、国内行脚(あんぎゃ)中の麗部直武一行には、旧武家である星永家を筆頭とした橙路府勢力と同盟を結び、行動が急変した棚盤山(たなざらやま)(いたち)を処分する命が下っています」  先ほどの態度が嘘のように、兼久は確認のため、つらつらと任務内容を述べていく。温度も色も抜け落ちた優男(やさおとこ)の顔は、ただ綺麗なだけになっていた。 「実行は明後日(あさって)、卯月二十日あまり七日の夜を予定しておりますが、鼬の動き次第では、早めることも視野に入れております。さすがに戦力を消耗しているでしょうし、これ以上の襲撃を重ねる可能性は低いですが……窮するものは人妖獣問わず、どんな行動を取るか分かりませんから」 「うん、用心に越したことはない。決まっているということは、橙路府側も賛成しているのかな」 「ええ。むしろ、日時を決定してくれたのは靖成(やすなり)殿、星永家の当主ご本人ですよ。先生方がお越しになられたら、最低でも一日は休んでいただきたいと仰っていましたから」 「そうだったのか。それじゃあ、後ほどお礼をしに行かないとね」  直武はほんの少し、晴成と宏実を一瞥した。晴成からすると兄であり、宏実からすると仕える主人である靖成。彼の気遣いを受け取ってもらい、二人はどこか誇らしげな色を表情に(にじ)ませている。 「作戦の方も、靖成殿を含め、先達の方々から意見を頂戴(ちょうだい)し、()り上げている最中です。先生の意見も後ほどお聞かせください」 「もちろん。と言っても、私が助言するような箇所が残っていればの話だけれどね」 「ご謙遜を。任務については、また夕食後に関係者へ召集をかけますので、このあたりで。短期間とはいえ、移動の疲れもあるでしょうし、色護衆側に貸し出されている屋敷へご案内いたします」 「では、拙者と宏実はここで失礼いたす。滞在している屋敷が違うのでな。また夕食後にお会いいたそう」  晴成は颯爽と立つと綺麗に一礼し、宏実を伴って、一足先に退出した。 「我々も移動しましょう。貸し出されている屋敷は、ここからすぐ近くにある二軒です。(へい)を挟んで隣同士の屋敷ですが、訪問の際はちゃんと門からお願いしますね。まあ、注意するほどのことでもないと思いますけど」  当然と言わんばかりの兼久に、同意の空気が音もなく流れる、……隣同士と聞いて一瞬、塀を乗り越えて行けばすぐと思ってしまった志乃は、(ひそ)かに反省していたが。  御殿の外へと出た六人は、兼久と喜千代がそれぞれ先導し、男女三人ずつに分かれて屋敷の門をくぐった。志乃はもちろん、喜千代の方へついて行く。 「じゃーん。ここが、若鶴での寝泊まり場所でーす。ある程度の損傷は見逃してくれるらしいけど、建物を傷つけないよう、気を配るのは忘れないでね」  ぴょんと後続に向き直り、歓迎するように腕を広げる喜千代。にこやかに述べられた留意点に、志乃はしっかりと頷いた。元より物品、特に高価な物を損壊しないよう気を付けている。もし何か壊そうものなら、すぐさま脳裏に閻魔(えんま)の中谷が現れてしまうので。  男性よりも少ない女性隊員たちに貸し出された屋敷は、男性陣に貸し出された屋敷より比較的小さめなのだという。けれど、先ほどくぐった門も、見えている建物も充分に立派で、風格を備えていた。 「志乃ちゃんの部屋は、茉白ちゃんと一緒でいいかな。二人とも仲悪くなさそうだし」 「もちろんです。……あ。薬臭いのが嫌じゃないなら、だけど」  思い出したように言うなり、茉白は(うつむ)いてしまうが、志乃はそれを見る前に「全く気にしません」と即答していた。白灯堂(はくとうどう)で津田姉弟の手伝いをしたり、勉強を教わっていたりしたため、薬の匂いは馴染みさえある。 「粗相が無いよう気を付けますので、相部屋、よろしくお願いします」 「良かった。それじゃあ早速だけど、茉白ちゃん。天姫(あまひめ)様へのご挨拶、任せてもいいかしら」 「任されました。志乃、こっち」  笑顔を取り戻すなり、茉白は志乃の手を引いて、一足先に屋敷へ上がった。女性のために造られた屋敷だったのか、柱や廊下の所々に、動植物や昆虫などを(かたど)った装飾用の埋め木が、控えめながら様々に顔をのぞかせている。 「天姫様は通称でね。本当は天巫女姫(あまみこひめ)ってお呼びするのが正しいの。星永家の妙術、卜占(ぼくせん)に関する巫術(ふじゅつ)を扱える方なんだ。わざわざお越しになられたのも、その卜占を役立てるためなの」  話を聞きつつも視線をあちこち飛ばす志乃を、茉白はずんずん引っ張っていく。途中、女性守遣兵とも何度かすれ違い、その度に挨拶をして、屋敷の奥へどんどん進んだ。  間もなく辿り着いたのは、鳥が描かれた襖の前。青く長い首をもたげ、目玉のような模様が入った緑の羽を優美に広げた、見るからに縁起が良さそうな鳥だ。 「これは……孔雀(くじゃく)、でしたか」 「うん。蓮印(れんいん)っていう界外(かいがい)国の瑞鳥(ずいちょう)だね。天姫様はこのお部屋にいらっしゃいます。もうお気づきになられているかもしれないけど」  くすりと笑い、襖の前に座る茉白に志乃も続いた。「姫様、天藤茉白にございます」と呼びかければ、「どうぞ」と可憐な声が返ってくる。  声の主たる姫君は、そろそろと襖が開かれた先に座っていた。細い肩に羽織られた瑠璃(るり)色の小袖と、流れ落ちる藍色の長髪。その下に見える服装まで全てが青一色。だが、所詮は緑や紫の混色とそれらを決定づけてしまうような純然とした青が、彼女の瞳を彩っている。  蒼穹(そうきゅう)をそのまま()め込んだような青眼は、じっと志乃を見据えていた。 「……女の人なのね、あなた。外見だけじゃ判別しづらくて、ちょっと驚いたわ」  珍しいことに、姫君は声を聞く前に、志乃の性別を見抜いてしまった。しかし当の志乃は、思い出された晴成の言葉に意識を傾けていた。 『我が一族は、妙術を授かった祖先の直系全員に、天授色が受け継がれる家系でな。――術を使える者だけ、目の色が鮮やかという違いがあるが』 「あ。初めましてなのに、いきなり不躾(ぶしつけ)だったわね、ごめんなさい」  となると、妙術を扱えるのは彼女なのだろう。そう思い至ったあたりで、ようやっと姫君の声が志乃に届き、回想から引き戻した。 「いえ、お気になさらず。見られることには慣れておりますので」  咄嗟(とっさ)にいつもの笑顔で答えると、「思ったより可愛らしい方なのね」と青色の少女も微笑んだ。大人びた口調をしているが、笑みにはまだ幼さが残っている。 「さ、二人ともお入りになって。いつまでも人を廊下に座らせておくほど、私、無礼者ではないのよ?」  優しい雨音のような声で招き入れられた部屋は、物が少なく、整然と片付いていた。目を惹くような調度品も見当たらず、姫君と呼ばれるような女性の部屋にしては、閑寂としすぎている。 「あまり、物を持っておこうと思わないのよ。兄さまも姉さまも、私たち兄妹みんな」 「兄君と言いますと、晴成殿のことでしょうか」 「ええ、そうよ。それから、靖成兄さまと、(きよ)姉さま。姉さまは本家でお留守番をしているから、紹介できないのだけれど」  流れるように話したかと思うと、姫君は「あっ、ごめんなさい」と口に手を当てた。 「自分の名前を言ってすらいなかったのに、身内の名前ばかり出してしまって。私は静というの、星永(しず)。今世において、星永に授けられた妙術を受け継いだ末子よ」
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