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【三、再会と案内人】
主従然とした直武と紀定を尻目に、志乃と芳親は仲良く並んで歩き出した。背丈が全く同じなため、兄弟が連れ立って歩いているようにも見える。
「あ、そうだ。芳親さん。俺からも一つ提案があるのですが、聞いていただけますか」
「? ……なに?」
「俺はこの通り、一目では性別を判じがたい格好をしておりますが。声を出してしまえば、すぐ女と分かります。女と判断されますと、何か面倒事があるかもしれませんので、男のふりに徹しようかと思いまして」
「……あー、なるほど、ね。……変な、絡まれ、方、したら……楽しくない、もんね」
自分から騒ぎを起こすことはなさそうな志乃だが、絡まれることは少なからずあったのだろう。直武から暗に釘を刺された上で、志乃と組んでいることを考えれば、芳親も頷かずにはいられない。
「素早いご理解にご判断、ありがとうございます。では……あー、あー、こほん。この声でお話ししますので、記憶していただければ」
暢気に話していた、いかにも少女然とした声が、しっかりと低い男の声に変わった。
声を変える芸当は、芳親にも少しはできるし、紀定や他の人物がやる所も見聞きしたことがある。だが、志乃が出す声の変わりようには、目を見開かざるを得なかった。それほどの激変ぶりだった。
「……? 声……、どこから、出てる……?」
「あははぁ、先ほど変えるところをお見せしたじゃありませんかぁ」
「それ、は……そう、だけど……」
前髪に遮られていても真ん丸と分かる目をしながら、芳親は志乃を眺め回す。機敏な動きに加え、ぐるぐる周囲を動き回られて、志乃はつい笑い出していた。
「えへへ、うぇへへ。訓練の賜物ですよぉ……あ、この声の時は名前も変えているんでした。今は孝信とお呼びください、芳親さん」
「……名前……ずい、ぶん……、……男、らし、い?」
「振りのためとはいえ、親方と兄貴たちにも考えてもらって、贈っていただいた名前ですからねぇ。山内の兄貴からは、もう少し可愛げをと言われましたが」
にこりと笑う志乃改め孝信からは、兄貴分の儚い望みを全く意に介していないらしいことが窺える。その笑みに同意してか、芳親もこくこくと頷いた。
「……僕たち、じゅうぶん……可愛い、もんね」
「はて。俺にはあまり、可愛さに関することは分かりませんが」
「……志……じゃ、なくて、孝信。誰か、から……言われたこと、ない? 可愛い、って」
「ありますね。大抵は山内の兄貴から、ですが」
「じゃあ可愛い。間違いない。僕も義兄上から、可愛いって言われてるし」
許嫁について語っていた時のような早口で、真っすぐ見据えてきながら断言する芳親に、志乃も思わず首肯していた。兄貴分から言われたことなら、確かに信じられる。無垢で無自覚な刷り込みが、弱い根拠から強大な自信を生み出していた。
肯定を受け、すっかり上機嫌になった芳親は、志乃の手を握って歩みを再開する。志乃はされるがまま、にこにこと隣を歩いていたが、不意に疑問がよぎった。どうして彼は、こんなにも友好的なのだろうかと。初対面の相手でも、長年の友人とばかりに気安く接する芳親だが、志乃に示される友好は強いように思われる。
「あの、芳親さん。貴方は何故、俺に対してそんなにも友好的なのですか」
「…………」
ぴたり。芳親が無言で止まったのに合わせて、志乃も止まる。何を考えているのか分からない牡丹色の目が、疑問を浮かべる黒い目を見たが、ひとまず芳親は道の端へと避けた。二人はもう町の通り、人の往来が増えてきた最中へ入っている。
「……やっと、志……じゃ、ない。孝信、も。……気に、かかって、くれた?」
気付いて、ではなく、気にかかって。言い回しから察するに、志乃が疑問に思わなければ、芳親も話すつもりがなかったらしい。そんなことを訊いて良かったのかどうかは、志乃には分からない。
「……君は、僕の、片割れ。……僕たち、は、夜蝶街、の……物の怪、討伐、で……遊んだ、仲。それは、分かる?」
「ええ、はい。片割れというのは、まだよく分かっておりませんが。物の怪討伐に関しては、何だか記憶があやふやですが、大まかなことは憶えております」
何気ない色合いをした志乃の言葉に、牡丹色の目が一瞬、細められる。けれど、志乃が気付くことはなかった。
「……君、は。僕に、とって……最高、の、楽しさ、を……くれる。唯一、無二の、同類で……これ以上、分かり、合える、存在は、いない」
「そうなのですか?」
問いながら、不思議と確信があった。芳親の言葉に嘘はないと。頷けど逸れはしない眼差しにも、虚偽はないと。
「……〈解放の儀〉を、完了、すれば……志乃……孝信、も、分かって、くれる、と、思ってた。……でも……君は、何も、分からない、みたい、だし……色々、忘れても、いる」
ぎゅっと握られた手から、温度と一緒に、もどかしいような感覚も伝わってくる。けれど、志乃は握り返せなかった。どうしてか、手を動かすことができなかった。どうしてか、牡丹色の眼差しから、視線を逸らしていた。
芳親の言っていることが正しくて、自分の中に答えもある、気がする。だが、答えは内側に広がる空虚に紛れて見つからず、触れられない。そもそも、触れたら何か――。
「……、……。まあ、今、は、いいや。……人探し、の、方が……先、だからね」
離しまではしなかったものの、芳親の手が緩む。志乃が何か答えるより先に、双方の足が動いていた。
徐々に活気を増しながらも、昼よりはまだ落ち着きのある町を、妖雛二人が歩いていく。手を繋ぎっぱなしなことも相まって、二人の姿はひときわ幼かった。一見すると旅装束に身を包んだ若者たちなのだが、言動を注視してみると、子供を抜けきっていない雰囲気に気付ける。
「……見つかんない、ね」
「ですねぇ。説明が不要なほど分かりやすい特徴なら、すぐにでも見つかるかと思いましたが。もしかすると、俺たちが探しに来た方向には、いらっしゃらないのかもしれませんねぇ」
普段通りの緩い口調を、普段通りではない低音で紡ぎながら、のんびりと志乃は視線をさ迷わせた。前方は手を引き先行する芳親に任せているため、志乃は左右を見ている。
と――行き交う緩い人の流れ、その隙間に。あちこち飛び回っていた視線が吸い込まれた。
逆の方向へ向かう、連れ立った二つの人影。妖雛たちより背が高い二人組はどちらも男性で、片方は若く、もう片方は三十代ほどといったところ。人ごみに溶け込みきらない、剛健や凛然を滲ませる雰囲気からは、武に連なる者らしいことが窺える。
しかし、志乃の目が真っ先に捉えたのは雰囲気でなく、先を歩いている若人の髪。次いで、視線に気づいてか、こちらへ返された一瞥の源たる目。そのどちらも、常人とは異なる色合いをしている。言わずとも分かる特徴として、これ以上ない該当者だ。
「芳親さ――あうっ」
見失う前にと、相棒を呼んだ矢先。何かにぶつかって、志乃は大きくよろけた。気付いた芳親がすぐさま振り返って支えたため、転ぶまでには至らなかったが。
「おいガキ、どこ見て歩いてやがる」
厄介事に躓いてしまったらしい。
見るからに柄が悪く、人相も悪い大男が志乃を見下ろしている。脅しかけるような声色も相まって、威圧を掛けてくる相手に、志乃はへらりと笑い返した。
「これは大変失礼いたしました、お兄さん。前を見ていなかったもので」
「あ? なに笑ってやがる。こっちは怪我が悪化して、堪ったもんじゃねぇんだがぁ?」
志乃に当たったらしい側の腕を指さして、男はわざとらしい抑揚と共に畳みかける。どうやら男は、帯刀すれども未熟さが抜けきらない外見から侮り、故意に当たってきたようだ。単に謝っても、簡単に解決とはいかないだろう。
「おい。笑ってねぇで何とか言えや。あぁ? どうしてくれんだよ」
にこにこと愛想笑いを浮かべながら、さてどうしたものかと、志乃は思考を巡らせる。芳親は不満げな顔をしつつも、面倒な手合いであることは察しているのだろう。騒ぎを起こさないという制約や、流暢に話せないという制限もあって、動き出せずにいた。
「へらへら笑ってんじゃねぇよガキが! そっちのてめぇもだんまり決め込みやがって。黙ってりゃ見過ごすなんてこたぁ」
「そう声を荒げなさるな。年下相手にみっともない」
だみ声を遮って、するりと声が割って入る。大柄な男が振り返ったのにつられ、妖雛二人も声の方向を見てみると、男の二人組が歩み寄って来ていた。人ごみの中から志乃が見つけた、武に連なるらしい二人組だった。
「なんだ、てめぇらは。関係ねぇ奴はすっこんでろ!」
「関係はあるぞ。貴殿が詰め寄っているそちらの少年は、この色を珍しがって注意散漫になってしまったようだったからな。こちらにも原因はある」
堂々と言ってのける若人もまた、男を恐れず微笑みを浮かべている。彼の後ろには武士然とした壮年が立っており、加えて二人とも帯刀していたため、大柄な男は威勢を削がれたようだった。
「それに、貴殿は腕を負傷していると聞こえた。医者を知っているから、すぐに紹介しよう。どれほどの怪我が、ひとまずこちらに」
「さっ、触んじゃねぇ!」
平然と踏み込み、腕を取ろうとした若人を追い払うように、男は触れられかけた腕を振る。問題なく、勢いよく振りぬかれたそれを、男はしまったとばかりに見やっていた。
「医者に掛かるまでもなさそうだな、何よりだ。それなら、もう彼らを責める必要はないかと思うのだが」
いけしゃあしゃあと、笑顔のまま言い放つ若者に、大柄な男は舌打ちをして立ち去った。完全に傍観者となっていた妖雛たちは、鮮やかな手腕に瞠目するばかり。
「やれやれ。朝から災難にござったな、旅のお方。思わずしゃしゃり出てしまったが、暴力を振るわれるなどしてござらんか。医者に当てがあるのは誠ゆえ、もし怪我をしていたら教えてくだされ」
「いえ。助かりましたぁ、ありがとうございます」
先ほどよりも畏まった口調で話しかけてきた若者に、志乃も笑みを浮かべ直して、ぺこりとお辞儀をした。続けて、芳親も頭を下げつつ礼を言ったが、控えたままの壮年男性を見て首を傾げる。
「……? ……、あ」
思い当たることがあったのか、芳親は壮年の男に歩み寄った。手を握られたままだったため、志乃も自ずと、数歩前に出る形となる。
「……ねえ」
「む、何か?」
初対面なのにもかかわらず、馴れ馴れしい声色で呼びかける少年に、男は嫌そうな顔をすることなく訊き返す。親族の子どもを見るような笑みが、男の顔にも浮かんでいた。
「……また、会ったね。……久しぶり」
対して、牡丹色の目を細めた芳親は、友人に会ったかのような言葉を投げかけた。
奇妙な台詞に、志乃と若者が揃って目を丸くする。それは壮年の男もそうだったが、彼の口から出たのは「これは驚いた」という、またも奇妙な台詞だった。
「貴殿には素顔も、素の声も晒していないはずだが。なにゆえお分かりに?」
「気配」
自慢げに胸を張る芳親に苦笑した後、壮年の男は志乃にも目を向ける。
「男の声でしたので、勘違いかと思いましたが。貴殿は花居志乃殿で相違ありませんね。拙者は一度、貴殿の顔を見ております」
「ああ、なるほど。物の怪討伐の際、夜蝶街にいらしていた方ですかぁ。気配がしたのは、何となく憶えております」
名前を言い当てられ、即座に志乃は元の声へと切り替えた。やはり劇的な変化だったため、初対面の二人組も驚きをあらわにしている。
「男にしては妙に可憐と思ったが、よもや本当に女人だったとは。よく見れば確かに分かるが、着付けと声でそう思い込んでしまい申した。しかし、なるほど。貴殿らは何かを探しているようだったが、我々を探しておいでだったのだな。こちらも貴殿らを迎えに行くべく、麹口へ馳せ参じた故」
合点がいったとばかりに頷く若者は、確かに妖雛たちが探していた迎えらしかった。一目で分かる特徴として文句なしの色も、彼の髪と瞳にそれぞれ宿っている。
妖雛二人より背が高く、爽やかな風貌をした好青年。後ろで少し結わえられた髪と、澄んだ瞳を彩っているのは、常ではあり得ない藍色。
「お初にお目にかかる。拙者は名を星永晴成と申す者。麗部直武ご一行をお迎えするべく、ここに参上仕った」
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