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【四、食事処の会談】
迎え役の二人組を見つけ出した志乃と芳親は、ひとまず、決められていた合流場所へ向かった。直武と紀定はまだいなかったが、見つけたと報告に行く間もなく、集合することが叶った。
次いで動いたのは案内役の二人。落ち着ける場所で話をしようという提案により、六人は近くの食事処へ入ることとなった。
朝の佳境を乗り越えた店内には、ゆったりとした空気が流れている。店番の老爺も、一息ついたとばかりにくつろいでいたが、晴成と名乗った藍色の若人を見るなり、慌てたように姿勢を正していた。
晴成と共にやってきた壮年の男が、食事も含め部屋を借りたい旨を申し出ると、老爺は恐縮とばかりに頷く。そういった経緯から、六人は二階の座敷席へと行き着いた。
「まずは諸々の非礼を、お詫び申し上げる。我らを探す手間をおかけしてしまい、誠に申し訳ない」
一人分の間を開けて向かい合うなり、晴成と壮年の男はまず、深々と頭を下げた。厳かさ漂う一連の動作は、彼らが骨の髄まで武人であることを物語っている。
「改めて名乗らせていただこう。拙者は星永晴成と申す者。橙路府は井隆郡、奥湖の旧武家、星永家の次男にござる」
「こちらも改めて。拙者は護堂宏実と申す者。星永家に仕えお守りする、護堂家の者にございます。夜蝶街にて物の怪が出現したとの報せがあった際、花居志乃殿の実力と、色護衆の対応を見定めるべく、偵察を行っておりました。同時に、芳親殿とは、夜蝶街の宿場町にてお会いしております」
「なるほど。翠森府外から来たというのは、貴方だったと。その節は、芳親がご迷惑をおかけしました」
直武と紀定には思い当たる節があったが、その時中谷の説教を受けていた志乃は、何のことかさっぱり分からない。首を傾げる彼女に、紀定がひそひそと説明をする間も、宏実が話を続ける。
「物の怪討伐の偵察に向かったのは、弥生の内に、鼬の総大将から異変の報告があったからにございます。縄張りに侵入者がいるようだと。仮に物の怪だった場合、人間側にも被害が及ぶということで、対処の術を調べることとなったのです」
「……? 失礼ながら、よろしいでしょうか」
途中から宏実の話に耳を傾けていた志乃が、直武の後ろから顔を出した。
「物の怪を討伐すべく、守遣兵や人妖兵が派遣されてくるのですから、色護衆に任せればよろしいのでは?」
「ええ、ごもっとも。しかしながら、橙路府と緑峰府では、少しばかり事情が違うのでございます。……話は逸れますが、志乃殿は〈征北〉という言葉をご存知ですかな?」
「あぁ、はい。まだ彩鱗国が統一されていなかった時代、黄都府の前身となった国が、緑峰府と橙路府の前身となった国と戦って征服した、一連の出来事ですよね」
千年近く前、神代が終わって少し経った頃。彩鱗国はいくつかの国に分かれており、のちに神彩帝と呼ばれる帝が率いる国が統一に向けて動き出していた。特に、北方の国との戦いは数年にわたって繰り広げられ、両陣営に多大な被害をもたらしたという。
「その通り。緑峰と橙路の前身となった国は、南方から来た国に吞み込まれるのを是としなかった。数年に及ぶ話し合いの結果、和解すること無く戦が起き、そして負けた。この禍根が、未だに残っているのでございます」
戦乱の時代は何度かあり、その都度、北方の二府は黄都府と対立していた。水面下での睨み合いは、未だに続けられている。
「脅威は物の怪くらいの現在ですら、黄都府からの遣いを快く思わない者がおります。大半は古老たちですが、いずれも力をお持ちの方ばかり。橙路府のみならず、緑峰府からも信頼を寄せられる星永家の当主となられた靖成様は新進気鋭、古老たちから睨まれぬよう気を付けながら、脅威に対処せねばならないのです」
「つまり。色護衆の協力を受けつつも、我らの領土は我らで守るという姿勢を見せねばならぬということにござる」
滑らかに、語り手が晴成へと変わる。宏実は従者にあたるため、説明も任務として行っていたのだが、晴成は従者に任せきりとはいかない性格をしているらしい。
「色護衆の力なくして、妖怪や物の怪と戦うことは難しい。周囲への被害を押えつつ、戦わなければならぬ故。そこで、先ほど宏実が申し上げたことに繋がるのでございます」
決して軽くはないことを話していながら、そして畏まっていながら。晴成の語り口調は、空気を緊張させないものだった。
「我が兄は、黄都府から派遣されてくる者を厭うてはおりませぬ。協力し合い、良き点は見習う姿勢を取っております。しかし、それでは内部から反発されてしまうかもしれぬ故、自分たちだけで対処できるよう情報収集を行っているのでございます。宏実が夜蝶街へ出向いたのは、その一環にて」
「左様」
反して、再び語りを交代して頷く宏実は、場の空気も一気に重くする。
「我々は夜蝶街に物の怪が出現することを知り――どう知ったか、そちらが存じ上げているだろう以上のことはお話しできませぬが――守遣兵がいかなる働きをするのか、偵察しに向かったのでございます。新たに人妖兵となるだろう夜蝶の妖雛、志乃殿のことも」
観察されていた事実に、志乃は驚かない。「夜蝶の志乃」と呼ばれ、注目を集める存在だった彼女にとって、他者から向けられる好奇や畏怖の視線など慣れたもの。盗み見られることにも慣れていた。
「北と都の諸事は、これくらいで良いかと。予定の確認に移っても構いませぬか。正直なところ、貴殿らとは他にも語らいたきことが数多あり申す」
「もちろん」
本音を包み隠さない晴成に、直武は連れたちにするように微笑む。品を失わず、爽やかで快い晴成の雰囲気には、直武でなくても笑みを誘われる魅力があった。
「では、予定を確認させていただく。まずは麹口にて昼食を取ってから、慈方郡と逢松郡の関所までご案内致す。足として、各々方に馬を用意しておりまする。志乃殿が乗れるかどうかは不明とお聞きした故、三頭しか用意しておりませぬが」
皆まで言わず窺い見てきた晴成に、志乃は深く頷いて、申し訳なさそうな顔をした。
「お察しの通り。俺は馬に乗るどころか、近寄ったこともありませんので、徒歩で移動することになるかと」
「え、どうして? 警戒されなくなる方法はあるよ」
完全に不意を突かれたといった反応の直武に、その場の全員が――芳親はもう居眠りをしていたが――頷いた。しかし、志乃の表情から雲は取れない。
「動物は妖雛を恐れ、警戒します。だからこそ、警戒してこない動物は妖怪か妖獣と看破できますが――失礼、今は関係ありませんでした。その中でも、馬は特に妖雛を嫌いますし、俺も何度か蹴られかけております。そうならない方法もいくつか試したことはありますが、駄目でしたので。芳親さんはともかく、俺がいては馬の邪魔になるのではと」
妖雛はただの人間ではないからか、動物に必ず警戒されてしまう。人に慣れた犬猫や家畜からも同様に、だ。馬については騎乗どころか、厩に近付くことすら推奨されない。何も言われないのは、何故か動物に好かれることが多い芳親だけだった。
しかし、どうにもできない事情で曇り続ける志乃の表情は、「ご安心召されよ」と晴成の言葉に照らし出された。
「妖雛の事情は聞き及んでござる。我々が連れて参った馬たちは、厳選された冷静な駿馬たち故。志乃殿を気にすることはあれども、強く警戒するということは無かろう。中にはずば抜けて落ち着いている馬もおりまする」
穏やかに言葉を続けたのち。「それに」と、晴成は笑みを浮かべた。うっすらと自信を滲ませた笑みを。
「乗れぬようであれば、拙者も共に歩いて参ろう。貴殿だけを歩かせるわけにはいきませぬ」
その微笑は、心配の暗雲など容易く吹き飛ばしそうな、爽快なものへと変わった。
堂々と言い切った晴成の後ろでは、宏実が困ったようにしつつも、どこか誇らしげに笑んでいる。思いもよらない新風を送り込まれて、芳親以外の直武一行にも笑みが戻って来た。
「関所までは馬を飛ばしても三日はかかる故、あらかじめ我々が用意した宿に泊まりつつ向かうことになり申す。本日は夕方までに、一つ目の宿場町まで向かう予定にござるが、もし歩くとなれば到着が夜になるかもしれませぬ。と、こんなところにござるが、何か疑問などはありませぬか」
「いいえ、特には。確かに兼久君から聞いていたのと同じです」
遥かに年下の晴成相手でも、直武は敬語で応じた。即座に「拙者にそのような言葉は」と苦笑されていたが。
「あの。お話がひと段落したのであれば、お聞きしても構いませんか、晴成さん」
「無論。何なりと尋ね申されよ……と言っても、何となく察してはござる。拙者の髪と目の色が不思議なのでござろう。この色は〈天授色〉と言う」
「天授色」
初めて聞く言葉を、志乃は目を瞬かせながら繰り返す。
「天から授かった特殊な力を持つ者、その一族に血と共に繋がって行く髪と目の色にござる。詳しく話すこともでき申すが、天授色を宿すお方がもう一人おられる故、そちらともお会いしてからの方が分かりやすかろう。ちなみに、その方は茉白殿と申されるのだが」
聞き馴染みのある名前に、パッと牡丹色の目が開かれる。今まで居眠りを決め込んでいたとは思えないほど機敏な動きで、芳親は周囲を見回した。
「茉白の話、した?」
「あははぁ。おはようございます、芳親さん」
「おはよう。茉白の話、した?」
「先ほどお名前を出したが、芳親殿は茉白殿と知り合いでござったか」
「茉白は僕のお嫁さん」
きりり、と引き締めた顔で断言する芳親に、志乃と直武は呆れ笑いを、晴成と宏実は呆気に取られた顔をする。和やかな表情が並ぶ中で、紀定だけは冷めた視線を送っていた。
芳親も起きたところで、話は早めに昼食を取ることへ変わっていく。食費は兼久が持つとのことで、芳親は再び目を輝かせたが。「程々にしてくれ」という伝言を聞かされ、しばらくいじけながらも無視されるという冷遇を先に味わうこととなった。
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