第六章 若鶴

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第六章 若鶴

【一、佐和黒峠へ】  志乃が呼び捨ての練習をしている間に、直武たちと派遣されてきた部隊は外へ出ていたらしい。二人がそれを知り、急いで部屋を後にしたのは、隊員が呼びに来てからだった。 「ごめん、志乃。私が練習しようなんて言ったから……宗典(むねのり)さん、怒ってると思う。本当にごめんなさい」 「そんな。謝らないでください、茉白(ましろ)さ……いえ、茉白。叱られるのは苦手ですが、俺のためにしてくださったことを責めるほどではありません」  友人の名をぎこちなく呼び捨てにしながら、志乃は茉白と駆け足で隊員について行く。途中、隊員が振り返って「もう仲良くなられたのですね」と微笑むと、二人は笑顔で「はい」と声を揃えた。  直武一行と派遣部隊が待っていたのは、宿場町の出口、佐和黒(さわぐろ)(とうげ)へと続く道の入り口だった。遠目に見ても物々しい一団は、三人が現れると微動を見せる。 「隊長。ただいまお二人をお連れいたしました」 「ん、ごくろーさん」  一団に合流すると、隊員が息切れを感じさせない口調で報告する。ついてきた二人も息切れはしていなかったが、茉白は緊張からか、一つ深呼吸をしていた。 「天藤(あまふじ)の嬢ちゃんにしちゃー、珍しーこともあるもんだな。そんなに気が合ったのか」  先ほどの報告に答えた声の主が、二人の前に歩き出てきた。適当かつ雑に切ったらしい短髪と、三白眼の悪相が特徴の男。色護衆(しきごしゅう)に属する呪術師が着る、より動きやすさを重視し、白と淡色が組み合わされた改良狩衣(かりぎぬ)姿でなければ、賊と間違われそうな顔の持ち主だった。 「申し訳ありません、宗典さん」 「怒ってねーよ、全然。むしろ、しっかりしてる天藤の嬢ちゃんが規則を忘れるってーの、年相応って感じでいーじゃん。規則お構いなしなどこぞのクソガキだったら許さねーけど、ま、お前さんなら許せるわ」  くく、と面白そうに笑う宗典だが、人相が悪いせいで悪人じみている。その顔が志乃にも向くが、悪相の人間にも妖怪にも慣れている彼女は、恐れることなく頭を下げた。 「初めまして。花居志乃と申します」 「へー、礼儀がなってんじゃん。いーね、嫌いじゃねーぜ。オレは瀧宗典。境田家を補佐する術家、瀧家の当主だ。ま、よろしく。っつーか、オレの顔、初見でよく笑ってられんな? 必ず怖がられんだけど」 「顔が怖い、という方でしたら、花街にはたくさんいらっしゃいますから。俺の身内にもいましたし、恐れるような要素ではありません」 「なーるほどねー。っはは、そーいや夜蝶街出身で、辻川忠彦に育てられたんだっけか。そりゃー、オレの顔なんか怖くねーわな」  ししし、と面白そうに笑うと、宗典はゆったりしつつも気合の入った声で、「そんじゃー出発すっかー」と号令をかける。志乃と茉白は分かれることなく、二人して直武たちに合流した。 「麗部(うらべ)の旦那ぁ、お待たせして申し訳――」 「茉白!!!!」  が、直後。大声と共に、志乃の顔を強風が顔を叩く。何が起こったのかと頭が追い付く前に、「ひぎゃっ!」と茉白の悲鳴めいた声が聞こえた。 「ちょ、よし、芳親、くるし、苦しいぃあああああ!?」  振り返れば、がっちりと茉白を抱きしめた芳親が、彼女を持ち上げてくるくる回っている。先ほどの強風は、芳親が茉白に駆け寄って……というよりは突進して起こったのだろう。  滔々(とうとう)と、そして長々と惚気(のろけ)を語るほど溺愛している許嫁との再会に、彼の顔には言わずもがなの笑みが咲き誇っている。しかし、抱きしめられて振り回されている茉白の顔色は、どんどん青くなっていく。 「こらこら、芳親。駄目だよ、女の子を乱暴に扱うなんて」 「そ、そうですよ、芳親さ……いえ、芳親! 茉白が苦しがっています!」  直武に続けて、志乃も思わず声を上げていた。すると、芳親はぴたりと動きを止めて振り返る。ぐるん、と音がしそうな動きと、カッと見開かれた牡丹色の目には、相手を()()らせる何かがあった。もちろん志乃も仰け反るほどの何かが。 「……志乃、今、何て」 「へ? ま、茉白が苦しがっていると」 「それも、そう、だけど、その前。呼んだ、でしょ。僕の、こと」 「え、あ、はい。芳親とぅぉおおお!?」  言い終わるや否や、芳親が一瞬で距離を詰めてくる。そして片腕を空けると、(さけ)を捕らえる熊よろしく志乃を茉白ごと抱きしめ、再び回り始めた。耳元で響く「呼び捨て!!」の大声に、志乃も顔を(しか)める。 「うぐぉ、芳親、ちょっと落ち着いてくださ……茉白! 俺は耐えられても茉白が! ぐったりしていますから!」 「茉白も、呼び捨て! に、してる!!」 「ですから一旦落ち着いてくださあああああ!?」  振り回された挙げ句、突然の浮遊感に襲われて、さすがの志乃も悲鳴を上げた。あろうことか、芳親は二人を上空へ放り投げたのだ。慌てて志乃は茉白の腕を掴んで引き寄せ、芳親の腕に落ちないよう調整し、着地する。まだ頭がふらついたが、さらに距離を取って一行の中に逃げ込んだ。 「だっ、大丈夫か志乃!?」  同様に驚いていた晴成に、「何とか」と志乃は息切れ気味に答える。まさか放り投げられるとは思っていなかったため、まだ彼女の心臓は跳ね動いていた。 「呼び捨てにする機が悪かったですね」 「そ、そのようで……はぁ、あ、茉白、大丈夫ですか?」  晴成と共に駆け寄ってくれた紀定が、同情を顔に浮かべて背をさすってくれた。彼にも支えられた茉白の顔を窺えば、志乃より顔色が酷いものの、「大丈夫、慣れてる……」と返答があった。  慣れている、ということは、振り回されるのも放り上げられるのも日常茶飯事だったのか。想像して、志乃は寒気を覚える。中谷から説教を受ける時とはまた違った寒気を。抱えた際、茉白は貧弱ではないと分かったが、華奢(きゃしゃ)であることに変わりはない。さっきのようなことを何回もされては、身が持たないだろうに。  一方、逃げられた芳親はというと、きょとんと首を傾げている。志乃たちが息を整える間に、直武が彼に歩み寄っていた。 「芳親。嬉しいのは痛いくらいに分かるけれど、あんな風に人を扱うのは駄目だ。彼女たちは()(ぐる)みじゃないんだよ?」 「でも、でも、嬉しくて……」 「でも、じゃない」 「そーだな、でもじゃねーわ」  いつの間にか、先頭から引き返してきたらしい宗典が、芳親の背後を取っていた。芳親は振り返る前に、ぐらりと体が傾いて倒れてしまう。 「あ……宗、典……」 「ぎゃーぎゃー騒いでんじゃねーよ、クソガキ。ちっと黙ってろ」  宗典がすぐに襟首(えりくび)を掴んだため、芳親は地面に衝突しなかった。彼の体はそのまま、ひょいと担ぎ上げられる。口調だけなら怒っていそうな宗典だったが、声色や表情に表れていたのは呆れや気怠さだった。 「荷物増やしてわりーですけど、せんせー。黙らせといたんで、あとは頼みます」 「いや、謝るのはこちらのほうだよ。手間をかけたね」 「ひー、お礼も謝罪もやめてくださいよ。オレがこのクソガキ黙らすのなんて、洛都(あっち)じゃ日常茶飯事だったじゃねーですか。とっとと行きましょ、ポンコツ隊長が待ってますし」  芳親を直武に引き渡しつつ、「嬢ちゃんたち、大丈夫か?」と志乃たちを気遣うのも忘れない。志乃が頷くと、「なんかあったら言えよー」とだけ返して、颯爽と先頭へ戻って行った。  かくして、騒がしい合流を終え、一団は佐和黒峠の関所を目指して進み始めた。  峠へ向かう山道には、まだ春先の花が咲き残っていた。色や香りを強める草木の中で、ひっそりと。  心地よい陽光や風、元気な鳥の(さえず)りが満たす長閑(のどか)な道を、直武一行と宗典隊の物々しい一団が行く。先頭は変わらず宗典が務め、彼に続く直武たちを、派遣部隊の隊員たちが囲う形で進んでいた。馬に乗る者はおらず、五頭はそれぞれ手綱(たづな)を引かれている。 「しかしまあ、驚いたな。意外と羽目を外す奴だとは思っていたが、まさか女人二人を振り回したのち放り上げるとは思わなんだ」  弦月(げんげつ)の手綱を引きながら、晴成は苦笑する。彼や志乃、茉白、そして芳親の同年代四人組は、一団の後方に固まっていた。一番前にいるのが茉白、その後ろには晴成と志乃が続き、馬たちを挟んで隣り合っている。  志乃の手には、黒の手綱が握られていた。本来、それを握っているのは芳親なのだが、荷物よろしく黒の(あぶみ)に積まれている。睡眠に誘う術を掛けられた芳親は見事に寝入っており、若鶴(わかづる)の拠点に入って落ち着くまで起きないという。「落馬しても起きねーから、気負わんくていーぞ」と術を掛けた宗典は笑っていたが、志乃は緊張を手放さず、黒の手綱を引いていた。 「芳親からしたら、人を放り上げるなんて造作も無いことですよ。晴成さんのことも、軽々投げられると思います」 「……あの、お二方。よろしいでしょうか」  話が続かなさそうと見て、志乃は声を(すべ)り込ませる。こちらを向いた二人に、言いたくなったことがあったので。 「お二人は、互いに敬称で呼び合うまま、なのでしょうか」  先に顔を合わせていただろう二人に、険悪な雰囲気など皆無、むしろ親しげだ。しかし、いま芳親が起きていたら、絶対に仏頂面をしているだろう硬さが感じられる。だから手綱同様、志乃は芳親に代わって問いかけた。壁を取り払わないのかと。 「……っは、ははは! そうだな。志乃と芳親を呼び捨てにしておいて、茉白殿と敬称を付けたままでは釣り合いが悪い」 「ふふ、本当だ。志乃も芳親みたいなこと言うんだね」 「あー、その。芳親が起きていたら、きっと不機嫌な顔で言うのではないかと思いまして」  頭を撫でられる時と似て、微妙に違うような面映ゆさを覚えて、志乃は頬を掻いた。ふわふわとして温かいけれど、くすぐったくもある不思議な感じ――悪くない心地だ。 「む、となると、(おれ)のことも呼び捨てにしてくれるのか、志乃?」 「んぇ? あ。……ああ! そうなりますねぇ」 「何だ、己を忘れているとは。仲間外れにしないでもらいたいものだな」  すみませんと、短い(うめ)き声と共に謝る志乃だったが、晴成が意地悪そうな笑みを浮かべているのを見て、咄嗟(とっさ)に「謝るんじゃなかった」という思いが胸裏に浮かんだ。謝罪を後悔するのも初めてのことで、密かに驚く。 「そうだ。話が変わるが、若鶴で茉白に会い次第、志乃に〈天授色(てんじゅしょく)〉のことを教えようと思っていたのだ。茉白の髪と目も、天授色ゆえの色合いだからな」 「え、志乃、天授色のこと知らないの?」  早速、綺麗に敬称を取り払って言う晴成に、砕けた口調の茉白が驚きと声を上げる。志乃を振り返る赤い目は、見開かれて丸みを増していたが、「いや、でも、そっか」と納得する声と共に戻っていく。 「そう広く知られてるようなものじゃないもんね、これ。私の場合は肌もそうなんだ」  雪原に落ちた南天(なんてん)の実を思わせる色合いの顔に、一瞬、諦めのような影が差す。けれどそれは、誰に気付かれる間もなく消えた。気付いていたとしても、晴成と志乃は、すぐに指摘する性格をしていない。 「この色合いは、白子(しらこ)って呼ばれる方たちの特徴と似ているけど、目や肌が弱い白子の方とは違って、生活に不自由はないの。でも、肌は日に焼けやすくて。笠があったほうがいいんだ」  宿では手に持っていたが、今は被っている笠には、長い垂れ衣が付いている。うら若い女性の旅人と見間違われそうな笠だ。さらに簡素ながら外套(がいとう)羽織(はお)ってもいるため、肌を(さら)さないよう徹底しているのが察せられる。 「で、何でこんな髪や目の色をしているかだけど、それについては昔話から始めないとならないの。遥か昔、まだ現世(うつしよ)常世(とこよ)が隣だった頃――神代(かみよ)のあたりの、ね」  神代、と繰り返して目を丸くする志乃に、晴成が頷いた。 「その頃は、常世に住むモノたちと交流できる人間が少なからずいた。霊妙(れいみょう)なモノを神と(あが)(たてまつ)り、言葉を神託として受け取る人間もいれば、隣人同士のように話をした人間もいたという。そういった一部の人間たちに、常世のモノたちは自らと同じ力を(ゆず)ったのだ。妙術という形でな」 「そしてさらに一部のモノたちは、子孫にも力が渡っていくように計らったの。その証として、髪や目が普通と異なる色になるようにもした。これが後世、天授色と呼ばれるようになった。天上と称される常世の住人から授かった色、って意味で」 「ふむ。……では、茉白も晴成も、妙術を使えるのですか?」  妙術は、何も妖雛の特権ではない。数はかなり(しぼ)られるが、人間でも使うことができる。とはいえ、ほとんど家系や一族に限った話になるのだが。 「茉白は使えるが、己は使えぬ。我が一族は、妙術を授かった祖先の直系全員に、天授色が受け継がれる家系でな。ついでに直感やら何やらも受け継がれるが、それはともかく。妙術を使えずとも、色はこの通りなのだ。(もっと)も、術を使える者だけ、目の色が鮮やかという違いがあるが」 「星永家の例は珍しいんだよ、志乃。大半の天授の家系で、天授色を受け継ぐのは一代に一人だけだから。何代にもわたって現れない例もあるし」  だんだん入り組んだ話になってきたと思いつつ、志乃は頭の中を整理していく。教えられることが一度にたくさんあるというのは、久しぶりのように感じられた。 「うーん、と……つまり、お二人は同じ天授色を受け継ぐ一族ではありますが、形態としては異なっている一族、ということですか」 「そうそう。合ってるよ」  頷いて、茉白は晴成と説明を続けていく。天授の家系に受け継がれる妙術は、攻防に用いられる類ではなく、占いや治療など、巫術(ふじゅつ)と呼ばれる種類のものばかりだということ。天授の家系は各地に点在しており、滅びた家系も多くあること。こういった家系は神代以降も、ごく(まれ)ながら生まれる例があったこと。茉白の天藤家や晴成の星永家は、天授の家系内でも最古の部類に入る家系だということ……などなど。  ちょうどそれらを話し終えるあたりで、一団は佐和黒峠の関所に到着した。
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