第六章 若鶴

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【三、さざめく少女たち】  静は名前と見目に似合わず、堅苦しすぎない口調を用いている。しかしながら、手をついて頭を下げる一連の動作はしっかりと美しい。志乃もまた、男性の作法ながら、綺麗に返礼する。 「お初にお目にかかります。花居志乃と申します」 「夜蝶の志乃、ね。宏実から聞いているわ」 「おや、その呼び名もご存じでしたか」 「宏実が貴女を見に行ったのは、卜占(ぼくせん)で貴女の存在が出ていたからだもの。どんな方かと思っていたけれど、恐ろしい方でなくて良かったわ」  くすり、静は笑みを(こぼ)してみせるが、片手は自ずと胸に当てられている。一抹(いちまつ)の不安が、まだ残っているのだろう。志乃も茉白も、それについては指摘しない。 「名乗りが終わって急になのだけど、志乃。謝らないといけないことがあるの」 「はて。俺が知らずご無礼をしたならともかく、天姫(あまひめ)様から謝っていただくことは無いかと存じますが」 「あるのよ、それが。でもその前に。橙路(とうじ)側の者がいない場では、どうぞ静と呼んでくださいな」  では、と志乃が静の名を呼び直すと、藍色の姫君は満足げに笑んで、けれどすぐ眉を八の字にした。 「謝らなければいけないことは、貴女の内側を見透かしてしまうことについて。と言っても分からないだろうから、とりあえず、私の妙術から話すわね」  小さなため息をつくなり、静の顔はますます悩ましげに(くも)った。彼女が見せる表情は美しいが、幼さが抜けきっていないため、どこか可愛らしくもある。 「星永家に伝わる妙術は卜占の(たぐい)で、判別や予知が主なものなの。予知はしかるべき手順を踏まないとできないけれど、判別のための術は何にでも働いてしまう。相手の嘘が即座に分かる、みたいに」 「ふむ……つまり、相手の考えていることが分かる、ということに繋がるのでしょうか」 「あら、頭の回転が速いのね、志乃。でも、正確に言うなら考えではなくて心よ。相手がどういう心の持ち主か、つまりどういう人間なのか分かってしまう。それが私に受け継がれた妙術なの」  嫌そうな色が隠しきれない声で、静は()(くく)った。うんざり、といった感じも隠しきれていない彼女に、しかし志乃は首を傾げる。 「失礼ながら、静様。俺からすると、それほど悪い術とは思えないのですが」 「もちろん、悪い面ばかりではないわ。靖成(やすなり)兄さまのお役にも立てるし。かつて授けていただいたものを受け継げるのは光栄なことよ。でも、人の心が常に明け透けとなってしまうのは(わずら)わしいし、相手にも迷惑なことなの。事実、茉白に打ち明けた時は、固まってしまっていたから」 「あはは……その節は、恥ずかしいところをお見せしてしまいました」  苦笑して、茉白は頬を指先で掻く。普通より白すぎる頬は、ほんのりと朱に染まっていく様子が分かりやすい。が、そのどこにも嫌悪感はなく、ますます志乃は疑問を顔に表す。 「やはり、相手を不快にさせる術とは思えないのですが……俺も特に気にしておりませんし、俺の心など面白みが無さそうですし」 「……今の貴女は、とても正直なのね、志乃」  くしゃり、と顔を歪めるような笑みを浮かべて、静はおかしそうに言った。反応を面白がるようだったが、ぎこちなさに似た影が付きまとっている。 「隠すものが何もない。見えてしまったから分かるけれど、貴女のような人は珍しいわ。大抵の人は、自分の中で醜く思えてしまう部分を隠したい、あるいは(つくろ)いたいし、誰にも見られたくないと思っている。だから、否応なく(のぞ)けてしまう私のことを(うと)ましく感じてしまうのよ」  僅かな自嘲が滲む説明を重ねられても、志乃は考え込むばかりだった。  実際、彼女には隠したいと感じたり、醜いと感じたりする部位が自身に無い。自分の内側に広がっているのは、何もない空洞だから。他から見れば触れづらいと判じられる箇所はあるだろうが、放っておいても見られても気にならず、「それが俺ですので」と一蹴(いっしゅう)できてしまう。  伝わっていないと見るなり、静もまた困惑して首を傾げた。 「どう言ったら伝わるかしら……って、忘れる所だった、謝らないといけないから、この説明を始めたのだったわ。貴女が気にしていなくても、こちらが気にしてしまうから、どうか受け入れてくださいな。――申し訳ございません。意を介さず胸中を覗くこの目、どうかご容赦くださいませ」  改まった姿勢で真剣に述べられた謝罪を、志乃も姿勢を改め、しっかり受け取った。謝られる必要は、やはり感じていなかったが。 「ところで、静様。俺の心はどのように見えたのでしょう。そもそも、心とはどういった風に見えるのですか?」  妙術を嫌悪する気持ちは分からないと諦めてか、志乃は元より興味があった方へと話題を変えた。空虚な己の心側(うらがわ)に、果たして、見える風景などあるのか、と。 「心の見え方は様々だけど、そうね、風景として見えることが多いわ。例えば晴成兄さまなら、雲一つない青空と、広い草原が見えるの。嘘や隠し事が分かってしまうのは、心の主の喜怒哀楽が風景に表れるから。晴成兄さまの例でいうなら、悲しい時は空が曇ったり雨になったりして、怒っている時は大嵐(おおあらし)になる。風景と表情が合っていなければ、相手は嘘を言っていると分かるの」  ほう、と頷きながらも、志乃は晴成が、心中に嵐を起こすほど怒る姿が想像できなかった。(もっと)も、表に出にくいだけで、怒りの度合いが大きいタチなのかもしれない。 「他の例――他言を許してくれた人だけね――も言うと、喜千代は険しい岩山だった。自分の研鑽(けんさん)(おこた)らない人だから、それが表れていたのね、きっと。茉白は色々な風景が見える人で、どの景色も素敵だったけど、暗い中に光る牡丹が一輪咲いている風景が、とても綺麗だったわ」 「牡丹……なるほど、芳親ですね」  何の悪気もなく、にこにこと断言した志乃だったが、指摘された途端、茉白の顔はさっきと比べ物にならないほど真っ赤に()で上がる。いかにもな反応に、静の目も輝いていた。 「その名前、喜千代にも聞いたわ。茉白の許婚だって。茉白が大騒ぎしたから詳しく訊けなかったのだけど、その方はどういう」 「静様! 志乃の心の風景がどういうものか、まだ答えてないですよ!!」  大声で言われてしまい、静は「むう」と頬を膨らませる。が、幼い挙動はすぐに引っ込めて、ごほんと一つ咳払いをした。 「志乃の心には二つ、風景があったわ。遮るものが何もない晴天の雪原と、蔵」 「……蔵、ですか?」  雪原も気になるところではあったが、その二文字がもたらした衝撃の方が大きい。「ええ、蔵よ」と静は繰り返して続ける。 「とっても大きくて立派な蔵があるのだけど、扉が開いていて、いくつか箱が出されているの。その出された箱はみんな、中途半端に開けられている。そんな景色だったわ」  何も無いと思っていた空間に、どんと現れる大きな蔵。新しく浮かべた想像の中、志乃は半開きの扉から、蔵へと踏み入ってみる。扉同様、色んなものが半開きだという、己の心側(うらがわ)へ。 「蔵の風景は、心を閉ざしがちな人ならよく見るのだけど、その中身が出て、中途半端に散らかっているというのは初めてよ。どういうことなのかしら……茉白、どう思う?」  顔を手でパタパタと(あお)ぎ続けていた茉白は、急に訊かれても狼狽(うろた)える様子は見せなかった。 「……散らかっている、ということは、何かを探した、とか?」 「探しているものならありますねぇ。何のために力を振るい、何を人生の道標にするか、といったことですが」  そういうこと、と納得していた静だが、自分でも何か(ひらめ)いたらしく「もしかして」と声を零す。 「志乃は色々と、特に普通の人が当たり前に知っていることを知らない、ということは無い?」 「あぁ、はい。妖雛ということもありまして、他者の気持ちが分からないことが何度も」  いつものように笑おうとして、しかし志乃の脳裏を記憶が過った。二人の少女――史緒と、名も知らぬ同じ年頃の遊女の姿が。 「ん、空に雲が出た。……何か、嫌なことを思い出させてしまったかしら?」 「おぉー、本当に見えていらっしゃるのですねぇ」 「む、無くなってしまったわ。いくら何でも早すぎでは……とも言えないのかしらね。貴女は確かに、知らないことがたくさんあるようだし」  ため息をついたかと思いきや、何故か静は明るい笑顔を浮かべた。明るすぎて不穏ですらある笑顔を、志乃は不思議そうに見ていたが、茉白は嫌な予感がしたとばかりに固まる。 「それじゃあ、志乃の心の風景についてちゃんと話したことだし、芳親という方について聞きたいわね」 「そんな!? これから更に心の風景を掘り下げるのではないのですか!?」 「あら、覗きすぎるのは駄目よ。志乃が気にしない分、こちらが気を付けないと。それに、殿方のことをずっと話してもらえないものだから、とても、とっても気になって仕方がないのよ」  じりじりと静が近寄り、じりじりと茉白が後退する。両者の様子はまさに、睨み合う捕食者とその獲物。残る志乃は微笑ましいと言わんばかりに傍観していたが、「志乃、茉白を逃がさないで」と静に言われるなり、のんびり返事をして茉白の背後を取った。 「ひぇっ! し、志乃、お願い、逃がして」 「うーん。立場的には静様の方が上ですし、先にご依頼なさったのも静様ですし」 「うぐぐ、そうだけど」  困窮と照れが混在し、赤が戻った茉白の顔は憐憫(れんびん)を誘うが、生憎、志乃と静の心を動かすまではいかなかった。志乃は紀定の忠告を思い出してもいたが、「茉白の反応が面白い」という思いの方が知らず勝っていて、やはり退路を(ふさ)いでいた。  結局、茉白は逃亡を諦め、羞恥(しゅうち)で爆発しそうな顔や心中を何とか(なだ)めながら、芳親について語る羽目になったのだった。
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