第六章 若鶴

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【四、気心知れた男たち】  願った通り、自分の許婚と友人がどんどん仲良くなっているとは知らず。自分のことを話されているとも知らず。芳親はいつの間にか運び込まれた部屋で不貞寝していた。ぶすくれた顔を庭に向け、横臥(おうが)している後ろ姿からは、不満げな雰囲気がこれでもかと放たれている。  許嫁と久しぶりに会えたのが嬉しくて、仲良しだけれど敬語が常の相手から、親しい呼び方をしてもらえたのが嬉しかった。嬉しくて(たま)らなくて、つい体が動いていただけなのに、この仕打ちはどういうことか。ひどい。移動している間に、もっと仲良くなれたかもしれないのに、ひどい。他のみんなは、もっと仲良くなったのだろうか。それなら嬉しいけれど、ずるい。  本当はもっと前に目覚めていた芳親だが、意識が戻ってもしばらく動けないよう、術を重ね掛けされていて動けなかった。故に、術をかけた宗典を恨みながら――自業自得なのだが――寝ていることしかできなかった。  ところが実際、術はとっくに解けている。不貞寝したままなのは、枕元の「大人しく庭でも眺めてろクソガキ」という書き付けに従っているため。紀定に怒られるのが嫌なように、宗典に怒られるのも嫌なのだ。動くなという暗黙の言いつけも嫌なことに変わりはないが、怒られる方に軍配が上がる。  けれども、あんまり容量のない芳親の我慢、その限界は着実に近づいている。悶々と不機嫌を()()り回しながら、面白みもない庭を律義に眺めるのは、退屈を通り越して拷問になりつつあった。さっぱり整えられた庭は変化もなく、野良猫どころか鳥も虫もいない。  目を開けていることすら億劫(おっくう)になり始めた矢先、背後から救いの足音がやって来た。 「いかにも不機嫌そうだな、芳親」 「……元助(もとすけ)」  寝返らず、仰向けになった芳親の視界に、四大補佐家が一角、熊井(くまい)家の長子である元助の顔が入ってくる。彼は彫りが深く精悍(せいかん)な顔立ちと、細身が多い兼久隊の中では目立つ、大柄でがっしりとした体躯(たいく)の持ち主だった。 「ん? 何か紙が……ははあ、動かなかったのはこれか。お前も変な所で真面目な奴だな」 「……だって……宗典、怒ると、容赦ない、し……」 「確かに、あいつは怒らせない方が正しい。と言っても大体、お前や隊長殿のこととなると、いつも不機嫌そうにしている奴だが。……まあ、宗典のことは置いて、だ。寝たままでは腐ってしまうぞ。私と一戦でも交えようではないか」  提案された途端、芳親は目をカッと見開いたかと思うと、機敏な動作で跳ね起きる。「その意気や良し!」と笑う元助は、既に木刀を携えており、芳親にも渡して別の庭へ移動した。 「術はなるべく使ってくれるなよ。対処は出来るが、純粋に剣を交えたい」  辿(たど)り着いた白砂利(じゃり)の庭で向き合った元助に、芳親はこくりと頷いた。万能に近い効果を誇る牡丹の術ばかり使わないよう、よく相手役を買って出てくれた元助との戦い方は、充分なまでに心得ている。  彼の注意以上の言葉は交わされず、互いに正眼(せいがん)の構えを取る。そして――ほぼ同時に砂利を蹴る音が鳴り、打ち合いが始まった。無風の中、木刀がぶつかり合う音と、踏まれ蹴られる砂利の音が、迫力を持って響き渡る。 「術に頼り切りの戦いはしてこなかったようだな」  攻撃を受け流し、間隙(かんげき)をつくように刀を振るいながら、元助は余裕で分析もしてみせる。が、芳親もまだ全力ではない。剣戟(けんげき)の裏で相手を観察し、冷静に攻防を重ねていく。  十合目を数える頃、刀はがちりと交差し、拮抗が始まった。尋常でない膂力(りょりょく)が押し込まれ、木刀と腕が小刻みに震える。これ以上は動けないと見ると、双方共に一度退いて、再び(にら)み合いが始まった。  不敵な微笑を浮かべる元助はしかし、こちらを見据える牡丹色の瞳に、正負どちらの面もある緊張を覚える。――普段の姿をそぎ落とした、どこまでも深く妖美で、畏怖せずにはいられない目。これまで元助が相手にし、これからも相手にする、人ならざるモノの目だ。  乾いた笑い声を(こぼ)しかけて、押し(とど)める。心拍すら雑音になる中、声など立てたくない。そんな元助の胸中を知ってか知らずか、芳親も静かに微笑した。  ず、と。小さくも確かな踏み込みの音が、再戦の合図になった。互いに一歩も譲らない打ち合いは、術を使えども己が身一つを武器とし、積み重ねた経験も厚い元助の方に軍配が上がり始める。 「ッ!」  巧妙な力加減と(さば)きで受け流され、芳親の体勢が崩れる。防ぐ間もなく追撃が叩き込まれるが、寸前で止められた。 「ここまで、だな。上出来だ、芳親」  勝者として笑う元助に、敗者となった芳親は、むすっと不満げな顔をした。彼の不満は負けた悔しさが大半だったが、勝負への名残惜しさも含まれている。 「……負けた、のに……」 「何を言う。術を全く使おうとしなかっただろう。それだけでも成長しているのだ、お前は。最後に私と試合をした時は、まだ術に頼ろうという考えが体に染み込んでいたからな」  芳親の強みは、もちろん妙術である。妖雛ならではの身体の強さもあるが、牡丹の妙術が優れすぎているため、未だ剣術では他者に劣ってしまうことも少なくなかった。  事実、夜蝶街で志乃と派手な喧嘩をした際も、彼女が刀を投げるという奇襲を繰り出したとはいえ、劣勢に追い込まれている。志乃に押し負け、元助にも押し負ける理由としては、他の要因もあるにはある。しかし結局、身体面での技量に穴があることは変わらない。 「……でも……妙術を、使わなかった、のは……元助が、相手、だったっていうのも、ある」 「私と戦う時はそうしなければならないと、体が覚えていたということか? なるほど、そうなると大きく成長しているかどうか微妙ではある。だが、進歩していることは間違いないぞ。その調子ということだ」  元助は大きな手で、芳親の頭をわしわしと盛大に撫でた。体まで揺らされるが、元助の撫で方は変わらずこのままと受け入れているため、芳親は文句を言う気などない。そもそも芳親は志乃と同じく、撫でられることも褒められることも好きなため、文句が浮かぶことすらない。 「お、ちょうどいいところに。隊長殿のご帰還だな」  後方へ飛んだ視線を追い、芳親も振り返ってみると、見覚えのある集団がすぐさま現れた。やってきたのは直武と紀定、そして彼らを先導しているのは兼久。その兼久は芳親たちに気付くなり、だらしないほど満開の笑みを咲かせたかと思うと、すさまじい勢いで突進してきた。 「久しぶりだねぇ芳親ぁ! 義兄上(あにうえ)だよおおお!」 「義兄上!」 「うぐほぁっ」  芳親もまた笑顔を咲かせ、久しぶりに会う義兄を呼ぶ。前髪で遮られていても分かるほど、純粋な表情を真正面から食らった兼久は、急に胸を押えて体勢を崩した。しかも、それをやったのは庭に降りる直前だったため、盛大に転げ落ちてしまっていた。  みっともない事この上ない挙動に、直武と元助が呆れた苦笑を浮かべている。まだ優しさが残っている二人と違い、紀定は片手で目元を覆い、ため息をついていた。 「……義兄上、大丈夫? ……痛そう」 「大丈夫。久々に芳親の輝く笑顔が見られてむしろ幸せなくらい。あっでもちょっと心臓止まりかけたかもしれない。芳親の笑顔、久々すぎたから」  とてとてと歩み寄った芳親が、凄まじい転び方をして倒れた義兄を覗き込む。最初こそ心配の色を浮かべていたが、兼久の方は安らかな表情と声色をしていたため、問題なさそうとすぐに笑った。 「うっ、可愛い。僕の義弟(おとうと)がこんなにも可愛い」 「相変わらず芳親を前にすると気持ち悪くなるなぁ、隊長殿は。副官殿について惚気(のろけ)ている時より気持ち悪い」 「容赦ないこと言わないで元助。そういうこと言うのは宗典だけで十分だから。ただでさえか弱くて傷つきやすくて、癒しを求めがちで貧弱な僕の精神がボロボロになっちゃう」 「そうやって、芝居がかった弱々しい態度を取るからだ。わざとらしくて(いら)つく」  胸を押さえつつ立ち上がりかけていた兼久は、「直球!」と叫ぶなり、再び崩れ落ちた。彼が一人で茶番を続ける間に、直武と紀定も庭へ下りてくる。紀定の方は冷たい目を兼久に向けており、その冷気は芳親の肩までびくりと震わせた。 「久しぶり、元助君。君も元気そうでよかった」 「ありがとうございます。直武様も紀定殿も、お元気そうで何より。……ところで紀定殿、後で手合わせでもどうだろうか」 「芳親殿より楽しませられるかは分かりませんが、それでも良ければ」  勝負を持ちかけられるなり、冷たさを引っ込め、紀定はにやりと笑ってみせる。慇懃(いんぎん)が常の彼にしては珍しい表情だった。が、いつの間にか復活した兼久が、二人の間に割って入る。 「二人ともちょっと待った! まずは部屋に案内してからだよ」 「おっと、そうだった。では、また後ほどここに参られよ、紀定殿。隊長殿は早く案内を果たされるがよろしい」 「そうですね。早く案内していただけますか、兼久様」 「ねぇ何か二人とも冷たくない? 冷遇されると悲しくなるんだけど……あっごめんなさいそんな目で見ないで」  再び紀定から冷たい視線を向けられ、元助からはどこか圧のある笑みを向けられて、兼久はすぐ情けない顔になった。本来の立場は兼久が上、ということを忘れてしまうやり取りである。年が近く、気の置けない仲だからこそのやり取りでもあるのだが。 「……義兄上、案内、終わったら……僕と、遊ぼう」 「分かった! そうと決まれば義兄上、さっさと案内終わらせちゃう! 紀定の目もどんどん怖くなってるし!」  氷柱(つらら)のごとき視線をグサグサ刺されながら、兼久は空元気と言わんばかりに、明るい声を張り上げる。そんな一連の光景を、好々爺(こうこうや)と化した直武は微笑ましげに眺めていたが、薄遇と厚遇に(さら)されている兼久は泣き出したい気分になっていた。二重の意味で。 「じゃあ芳親、また後でね! 先生と紀定はこっちへ」  案内を再開した後も、芳親にぶんぶんと手を振り、紀定から白い目を向けられながら、兼久は屋敷の中へ消えて行った。続く二人の姿も見えなくなったところで、芳親は元助を見上げる。 「……暇つぶし、の、再戦……する?」 「そう言ってくれると思っていたぞ。では構えよ、芳親」  にやりと笑う元助に微笑を返すと、芳親は距離を取って向き直る。間もなく、術を挟まぬ一対一の手合わせが再開された。
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