第七章 棚盤山

1/7
前へ
/97ページ
次へ

第七章 棚盤山

【一、入山】  定刻。諸々の最終確認を終えると、討伐隊は複数の小部隊に分かれて、行軍を開始した。城下町からの出立は昼四ツ、巳の刻。棚盤山(たなざらやま)へは、近道をしても山を二つ越えなければならない。  休憩も挟みつつ、全部隊が目的地、棚盤山の真向かいに位置する山に辿り着いたのは、九ツ半を過ぎたあたり。到着した面々から作成に取り掛かっていた、討伐隊の陣地および結界が完成したのは、それから間もなくだった。 「――それでは、これより入山前の儀を執り行います」  さらに半刻も経たぬうちに、兼久が粛々と宣言する。  棚盤山は名のある霊山ではないが、山というものは並べて超常を秘め、魔に通じている。故にこそ、神にも魔にもなる存在に呑み込まれないよう、入山の際には儀式が必要となる。こういった事情のため、討伐隊には若鶴の神社関係者と、祭式に慣れている静も同行していた。  儀式は、陣地が作られる際、合わせて作られた祭壇の前で行われる。祝詞が上げられ、大幣(おおぬさ)が振るわれ、しかるべき手順を持って厳かに。無事に終了すると、祭壇は丁重に撤収される。 「志乃、芳親。そして兄さまたちも。どうか気を付けて」  静が、後援部隊に混ざって下がる前に、二人へ声を掛けにやって来た。わざわざ茉白と宏実(ひろざね)も引き連れて。宏実も討伐隊に混ざれるほどの実力はあるが、静の護衛として、現世に残ることとなっていた。 「私からも。気を付けてね」 「ありがとうございます、静様、茉白」  志乃が慇懃に言葉を受け取り、礼をする。芳親も、静に対しては綺麗な一礼を返していたが、茉白に対しては無言で抱擁(ほうよう)し、頬を引っぱたかれていた。 「……痛い……なんで?」 「なんで、じゃない。公衆の面前で、こういうことするんじゃありません。面前じゃなくてもやめて、恥ずかしいから」  揚げ足対策も抜かりなく施して、茉白はそっぽを向いた。しゅんと落ち込んでいた芳親だったが、完全に逃げられたと分かるなりむくれていた。 「とても良い音がしたわね」「ええ。すぱぁんと」 「頬の紅葉も、見事に残っているな」「くっきり残っておりますねぇ」  一部始終を間近で見ていた三人、後から晴成も加わって、ニコニコ、ニヤニヤと(ささや)き合う。茉白は顔を真っ赤にしながら、確信犯だったのだろう静の名前を怒鳴るように呼んだ。 「ふふふ。お騒がせしてごめんなさい。改めて、皆様。どうぞご無事で帰っていらして」  最後は真剣に、しかし優雅に一礼して、静は茉白たちと共に陣の後方へと下がっていった。 「討伐隊、突入班は点呼。完了次第、幽世へ入ります」  間を置かず、再び兼久の指示が入った。  結成された四つの班から、声が上がり始める。橙路府の人間も混ざる班を率いるのは、兼久とその直臣たちである。  志乃と芳親、そして星永靖成と晴成は、作戦の内容も関係して、兼久が率いる班に固まっていた。直武と紀定は、宗典(むねのり)班と行動を共にすることになっており、今、近くにはいない。 「それにしても。まだ明るいうちから、妖怪の方々を相手にするというのは、奇妙な感覚ですねぇ」 「意外とこういう事例はあるよ、妖怪とか妖獣相手なら」  早々に点呼を終え、のんびりと言う志乃に、兼久が律義に答えた。  討伐対象が物の怪なら、落日によって現世と幽世が繋がり、相手が出てくるのを待たなければならないが、今回の相手は妖獣と妖怪。しかも、わざわざ待ち構えていると手紙で伝えてくる鬼が相手だ。夜を待たず、こちらから幽世へ攻め入ることも可能である。 「喜千代班、確認完了」「元助班、確認完了した」「宗典班、こちらも完了だ」  兼久班に続き、次々と報告がなされ、幽世突入の時はすぐさまやって来る。兼久は全体をぐるりと見渡すと、一つ息を吸った。 「それでは、これより棚盤山の(いたち)および、利毒討伐任務を開始する! ……靖成(やすなり)殿、開錠をお願いいたします」  高らかな宣言と、一転して静かな声で依頼する兼久。靖成は頷きで応じ、懐から札を一枚取り出した。弥重郎から預かった、鍵の役目を持つ札は、掲げられるとひとりでに浮いて宙に留まる。  神出鬼没の物の怪と違い、妖怪や妖獣相手に攻め込むという選択肢が取れるのは、こういった鍵の存在がある。沢綿島(さわたじま)の団史郎が使っていたものと同じ――あちらは転送陣の仕組みを取り入れ、改造していたが――幽世への入り口を開けるためのもの。鍵がない場合、四大術家の人間であれば、入り口を開けることも可能となる。 「我、棚盤の鼬より招請され、現れし魔を滅す者なり。幽世への口を開け、我を通せよ」  静かながら有無を言わさぬ低音を(のぞ)かせて、文言が紡がれる。直後、札がぐるり歪んだかと思うと、丸い入り口へと変化した。緑あざやかな風景に、ぽっかりと闇色の穴が開く。 「敵の反応はねーな。行けるぜ、隊長」  すかさず、術を巡らせて探知を行った宗典に、兼久が頷き返す。彼と彼の班員を先頭に、討伐隊は異界へと行軍を開始した。  先陣を切った兼久班の中で、最後に入り口をくぐった妖雛二人は、幽世に入るなり姿が一変する。  芳親は頭に犬の面を(くく)りつけ、白の狩衣(かりぎぬ)臙脂(えんじ)単衣(ひとえ)、深紫の(はかま)(まと)う。志乃は(ひたい)から二本の角を生やし、黒と白の片身替わりと(なまり)色の袴を、紺色の羽織で覆う出で立ち。それぞれが持つ、牡丹色と青白い双眸は、鮮やかさと輝きを増していた。 「なんと。二人そろって見事な姿になったな」  後続の邪魔にならないよう避けた先で、晴成が目を丸くする。芳親は自慢げに胸を張るが、志乃は少し肩を縮めた。服の色は地味だが装飾が派手なため、未だに苦手意識が抜けていない。 「志乃は角も持っているのか! そちらも立派だな」 「えへへへ、ありがとうございます。よろしければ、触ってみませんか」 「良いのか? それなら失礼して」  慎重に、晴成は角へ手を伸ばして撫でる。角を触られても、くすぐったさや不快感があるわけではないため、志乃はされるままになっていた。なんとなく、頭を撫でてもらっている時と似ている気がして、正直なところ頭ならどこでも触ってもらいたくなる。  並行して、次々とやって来る守遣兵(しゅけんへい)や橙路府旧武家の面々から、必ず一回は視線を浴びてもいたが、いつものことなので気にしない。それをいいことに、芳親もついでとして、晴成に頭を撫でてもらっていた。  入り口は閉じられず、宗典班によって隠形(おんぎょう)の結界が(ほどこ)される。彼らが仕事をこなす間に、各班は地理の確認を行った。  棚盤山の真向かいにある山、その地理は幽世でも変わっておらず、棚盤山も同様。唯一違うのは、風尾弥重郎率いる鼬らの屋敷が構えられているくらいだ。懸造(かけづく)りの舞台まで備えているという屋敷は、現在地からでは全容が窺えない。  現在地は、真向かいの山の中腹。対して弥重郎の屋敷は、横向きの姿がわずかに見えるだけとなっている。山同士は真向かいでも、建物は真反対に位置していた。  討伐隊は背後から、屋敷を目指して忍び込むこととなっている。 「……鼬も、蜘蛛(くも)も……気配は、たくさん、ある、けど。……みんな、反対側、だね」 「そのようで。背後にはまるで気を配っていないようです」  地理ではなく、気配の探知を行っていた妖雛二人の報告に、兼久は少し思考を巡らせる。が、何か発案することはなく、礼だけ言った。 「ありがとう。……他、どうかな。何か気になることはある?」  妖雛たちだけでなく、各班を見渡すように問いかける。特にこれといったことは挙がらず、宗典班も結界を張り終えていた。 「よし。それじゃあ、各班は持ち場へ移動して。先生は影の展開をお願いします」 「うん、任された」  直武と紀定、宗典班は留まり、残る三班は事前に取り決められていた持ち場へ、素早く移動していく。その間、直武は自身の妙術、深影(しんえい)を行使して準備を開始した。  目を閉じ、両手を乗せた杖を体の前に置いて、立っているだけに見える直武。しかし彼の足元からは、湖を()い広がる氷の様に、影が周囲へと広がっていた。これにより、直武は影を通して、山での出来事を大まかに把握し、何かあれば支援も可能となる。棚盤山一帯が庭と化すのだ。  紀定も自信の妙術、影潜(えいせん)を用いて、直武が作り出した影の海へ潜る。残る宗典班は周囲への警戒を強め、直武の護衛を開始した。平常とは異なる顔ぶれに、直武はどこか不敵に笑う。 「任せたよ、君たち」 「とーぜんですよ。瀬織(せおり)の連中にぎゃーぎゃー言われたくねーですし」  四大術家のうち、麗部(うらべ)家に仕える術家の名前を出しつつ、宗典も不敵に笑った。  色護衆の中枢たる十二家は、自分たちが従える家、自分たちが仕える家を誇っている。だからこそ、拮抗する実力を持つ他家に敬意を抱き、同時に対抗心を燃やす。直武と宗典の笑みの応酬は、そんな事情の表れだった。  一方、喜千代班と元助班は、屋敷から見て山の裏手、不気味なほど静まり返る山林に潜伏した。二つの班が背後から屋敷へ向かうと、挟撃が可能となる。 「……ああ、あれね」  入り口を開けた山から見て、真反対に向かう班を率いる喜千代は、潜伏場所に着くと小さく声を(こぼ)す。前方に、独立した断崖絶壁の岩山が(そび)えていたのだ。  弥重郎から伝えられた情報に含まれていたため、存在自体に驚きはしなかったが、思っていたより大きい。柱のようにも見えるが、そう形容するには分厚くがっしりとしている。ほぼ垂直の崖には、懸造りの舞台がいくつか、階段のように連なっているのが見て取れた。 「利毒に占拠されてる可能性が高いけど。使えるなら、どう使ったものかしら」  口の端を吊り上げた後。喜千代はすぐに班員たちへ指示を飛ばし、態勢を整えていった。  残る兼久班が向かったのは、弥重郎の屋敷の真正面。こちらにも山があり、山間には幅広の浅い川が横たわっている。彼らもまた、山林に身を潜めていた。 「あれが弥重郎殿のお屋敷ですか。立派ですねぇ」  木立の隙間から窺える建物に、志乃がのんびりと感嘆した。  同じく高所にあったが、ほとんど頂上に立っていた団史郎の屋敷と違い、弥重郎の屋敷は中腹の斜面に沿うようにして建っている。懸造りの建物もいくつかあり、兼久班から見て左方向には、懸造りの舞台が連なっている岩山も見えていた。 「……屋敷の、周り……気配で、埋め尽くされてる。……後ろにも、気、遣えばいい、のに……」 「それだけの手勢がいないのかもしれぬ。だからと言って、油断はできないが」  晴成が答えるかと思いきや、芳親に返したのは靖成だった。ほとんど初めて口を利きつつも、(くだ)けた口調で話す彼を、芳親はまじまじと見つめる。 「……ねえ」 「何だ、芳親殿」 「……僕の、こと……呼び捨てで、いい、から……呼び捨てに、して、いい?」 「芳親ぁ!? 洛都(らくと)ならまだともかく、靖成殿は旧武家の当主で」 「ああ。構わない」 「靖成殿ぉ!?」  馴れ馴れしすぎる義弟を注意した兼久の声が、眉一つ動かさず即答した靖成によって、勢いよく裏返される。ついでに、振り返る動作も勢いがあったせいで、姿勢も変になっていた。 「兼久殿から、貴殿の事情は聞き及んでいる。さすがに、皆の前でそれでは後々面倒がある故、敬称を付けて貰うが、この場では呼び捨てても構わぬ」 「ありがとう。……義兄上も、ありがとう」 「どういたしまして!」  胸中は未だ複雑な兼久だったが、義弟からのお礼には、ほぼ反射で返していた。無論、緩んだ態度のままでいるわけもなく、隊長としての顔をすぐに取り戻す。 「では。これより兼久班は、陽動を開始します。先陣は、特に目立つ人妖兵二名、花居志乃と境田芳親に切ってもらいます」  妖雛二人も暢気(のんき)さを取り払い、きびきび「はい」と返事をする。  立てられていた作戦は、兼久班が陽動を担い、残る二班が屋敷の後方から挟撃するというもの。人妖兵、四大武家、旧武家の兄弟と、抗うことが困難な戦力を最初に、それも真正面から叩きつけることにより、相手の大幅な戦力消耗や、混乱を引き起こせると見込まれていた。 「芳親、合図を」  確認も全て言い終え、兼久は義弟に、否、班員に告げる。「了解」と静かな返答と共に、芳親は片手を天へと伸ばし掲げた。  月光降り注ぐ空中に、赤紫、白、まだら模様の大輪が現れる。(あで)やかながらも異様な花々は、(まり)を形作るかのように集まって開花し、やがて花の大玉を作り上げた。  主が躊躇(ちゅうちょ)なく手を握り締めると、威容すら纏う花球はぐしゃり、あっけなく潰れる。しかし立った音色は琳琅(りんろう)として、山々に響き(こだま)する。  任務内容には似合わない、清廉な音色を合図に、討伐戦が幕を開けた。  ***  岩山に連なる舞台のうち一つ。手すりに腰かけて、牡丹の大玉花火を見物する鬼が一人。彼とも彼女とも言えないそれの足元にまで、澄んだ破砕(はさい)の音が響き渡ってくる。 「何ともまあ、美しい合図ですこと」  うっとりと目を細める利毒だが、清涼な余韻はすぐさま、獣たちの絶叫に塗り潰される。けれど、浮かぶ恍惚(こうこつ)は薄まるどころか、色濃く笑みを刻み付ける。 「ああぁ、(たぎ)ります、滾ってしまいます。これから起こる全てを想像するだけで……ッア、ハハハ、ハァぁ」  落下しそうなほど危なっかしく(もだ)えるうちに、笑みは醜く歪んでいく。 「しかも、これはまだ、ワタクシにとっては序盤。こんな贅沢があっていいものでしょうか。アア、何て幸せ! 我が(うるわ)しき依頼主様に感謝が尽きません!」  鬼は高らかに、名を呼んで謝辞を叫びながら、後ろの床上へ倒れ込んだ。両腕を広げて天を仰ぎ、哄笑(こうしょう)する姿は狂信者のごとし。 「ハァァァ……ふう。いけませんねぇ、ワタクシってば。お客様の歓迎をせずにどうします」  ずるずると手すりに這い寄り、身を乗り出して、ぼそりと言葉を落とす。波紋が広がるように、弥重郎の屋敷周辺から殺気が立ち上るのを感じ取って、再び笑った。うっとりと、ニタリと。 「ァハ、ハハハ。お待ちしておりますよぉ、境田兼久ご一行様。そして――花居志乃殿」
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加