第七章 棚盤山

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【二、奇襲】  開戦の音と花が散った谷底へ、鋭い威嚇(いかく)の一声が飛び込む。 『キシャアァァァァッ!!』  前列の数匹が上げた声は、後列へと伝染していく。声はやがて、山を揺らすような大合唱と化した。  目と鼻の先の敵に向けて、(いたち)と大蜘蛛の混成軍が川原へ駆け下る。山の斜面が滑り落ちてくるかのような行軍は、手勢が減っているとも、一側面にだけ勢力が集っているとも思えないほどだ。  間もなく、月光の白に満ちる対岸に、ぽつんと立っている人影が見えてくる。敵の姿は彼らを燃え立たせ、勢いを殺させず進ませた。 『ッ!? シャ――』  しかし、中には踏み止まった鼬もいた。警戒の声を上げようとするが、水面を牡丹が埋め尽くしたのが先。  急に、下から幽美(ゆうび)な光に照らされた鼬らは、川を渡り切らず停止する。一瞬の間隙は、鼬らに侵攻と撤退、二つの行動を取らせたが。 「残念」  花上に捕らわれたのが運の尽き。  術者の一言で牡丹が閉じ、対象の動きを封じる。残った牡丹は開花の動作とともに爆散し、華麗なる地獄を展開した。 『シャアアアア……ッ!』  花びらの刃に弄ばれ、切り刻まれるまま、消耗していく妖獣たち。踏み入ればたちまち微塵切(みじんぎ)りにされることは明確で、ゆえに後続はない。  相手が動きを封じられている間に――花吹雪の中を、迅雷(じんらい)一閃(いっせん)。  一部の耳元で、バチリと微音が鳴ったかと思えば、重い沈下の音と揺れが響く。鼬に混ざって最前にいた大蜘蛛が一匹、早々に真っ二つとなって、群れの中に沈んでいた。 「こんばんは。現世に合わせるのであれば、こんにちは」  死骸の上には、いつの間にか鬼がいた。青と黒に銀を織り交ぜた姿の周りでは、バチバチと細い雷が舞っている。 「人妖兵(じんようへい)の花居志乃と申します。皆様を討伐しに参りましたぁ」  刀の峰を肩に担ぎながら、ひどく暢気な音色で(つむ)がれた声が、獣たちの隅々にまで行きわたる。全身で余裕を物語る鬼の姿は、彼らの闘志を再び炎上させるが、牙を()かれ睨まれても、志乃はのんびりと笑っている。 「あははぁ、皆様お元気ですねぇ、喧嘩のお相手として申し分ありません。しかしながら、俺のお相手は最初から決められておりまして。皆様のことは失礼ながら、無視させていただきます」 『『『キシャアァァァァァァッ!!!』』』  言葉の内容を聞き取って(あお)られたか、話し続けるばかりなのを好機と見てか。近辺の鼬らが一斉に飛び掛かる。だが、彼らの爪や牙は届くことなく、空中に開花した牡丹に防がれた。花はそのまま飛散し、入れ替わるように獣側が血の花を咲かす。 「っ、ははぁ」  びしゃり、顔に血飛沫(ちしぶき)がかかるも、志乃は不気味に笑った。空いている左腕で顔を拭うと、白の袖に、黒みがかった赤が染み付く。加えて鼻腔(びこう)には、周囲に漂う血の臭いが、濃厚なまま留まっている。  生唾(なまつば)を呑み込む音が、やけにはっきりと聞こえて、頭はくらりと陶酔を訴える。愉悦(ゆえつ)の予感に吐息を漏らして、漂う血の香りを改めて吸い込んだ。 「いいですねぇ、えへへ。楽しくなってきましたぁ」  爛々(らんらん)と輝き始めた青白の眼前、宙に牡丹が開く。志乃は導かれるまま、次の目標である大蜘蛛に向かっていった。 『フシャァッ!!』  一方、対岸にまだ残敵がいると気付いた鼬らは、川での惨劇を忘れて駆け出す。水面を牡丹が彩ることは無く、代わりに三つの人影が、それぞれ三方向から飛び出してきた。  不意を打たれた鼬らは、ほんのわずかに戸惑う。生じた須臾(しゅゆ)の隙を逃さず、三者三様の太刀筋が、相手を次々に斬り捨てていった。  勢いそのまま、後続の三人は妖獣の群れへ突進する。蜘蛛を狙って派手に暴れる鬼と、飛び込んできた新手の速攻。いつどこに咲くか分からない牡丹の存在に、たちまち妖獣たちは浮足立つ。 「あははは! 遅いですよぉ!」  追い打ちのように、外れて狂気じみた調子の声も降ってくる。  志乃は蜘蛛の脚部を斬って体勢を崩し、胴体を攻めるという数撃で打ち沈めては、牡丹を足場に次の標的へ飛び移っている。行為すべてに伴う狂笑があちこちから聞こえ、鼬らの精神を削っていく。反面、彼女以外は一言も声を漏らさないため、志乃に注意を取られていると、距離を詰められ斬り捨てられてしまう。  完全に()められた前方の鼬らは、混乱の(うず)へと巻き込まれた。どんな敵がどこから来るか分からず、初動は遅れ、迫りくる敵への対応もままならない。 『ギイィィィィ……』  対して、後方はまだ動ける余地があった。大蜘蛛は利毒の遣いのため、受けた指示しか実行しない機械のように前進するが、鼬らは乱戦の最中へ飛び込む愚行はせず、残っている。 『……ッ。キィィィオォォォォォッ!!』  一匹が、意を決したように雄叫びを上げる。高音ながら、(たけ)りゆえに迫力を伴う叫びを。  声は後方群に伝播(でんぱ)し、合わさって一つの声となっていく。斉唱は前方にも伝わり、未だ無事な鼬らが一目散に撤退していった。 「全員、攻撃止め。志乃ちゃんも戻って!」  追い詰めることはせず、兼久は様子見を選択した。遊撃手として跳ね回っていた志乃も、指示を聞くなり即座に戻る。  兼久を中心に、前方を志乃と晴成、後方を芳親と靖成が囲う。志乃は前方へ視線を向ける前に、芳親ににこりと笑いかけた。 「牡丹での支援、ありがとうございましたぁ、芳親。思ったところに咲くので、とても動きやすかったです」 「うん」  戦場での芳親の応答は素っ気ない。しかし頷きはしっかりとして、自信に満ちている。  最初こそ、盛大に花を咲かせて術を誇示していた彼だが、後続の兼久たち三人が来て以降、鼬に向けては攻撃を放つことなく、志乃の支援と大蜘蛛への攻撃に徹していた。呪力の花が無くとも、混乱状態の劣勢に(おちい)った鼬には、三人の速攻と刀捌きで事足りていたのだ。 「奇襲は成功、ここからが踏ん張りどころだ。喜千代班と元助班が挟撃の準備を整えるまで、持ちこたえる。もちろん、利毒から見れば一網打尽の好機だから、そっちの警戒も忘れずに、ね」  利毒の居場所は、鬼自身が気配を消しているため、妖雛たちでも探知できていない。かの鬼がどこから、どういう風に仕掛けてくるのかは、各班共通の警戒事項だった。 「……む。兼久殿、蜘蛛の様子が」  じっと、敵を観察していた晴成が声を出す。直後、前方で倒れ伏していた大蜘蛛たちがピクリと身じろいだ。利毒が付けたのだろう甲殻をギシギシ、ミシミシと鳴らして、歪な震えと共に動き出す。 「俺の攻撃が足りなかったのでしょうか」 「いや、違うよ」  眉根を寄せた志乃に、兼久が至極冷静に返す。彼女が初手で真っ二つにした蜘蛛もまた動き、何やら足をぎこちなく動かしていた。  絶えず生じる軋みの調べに、ぐちゃり、パキリと音が増える。蜘蛛たちが脚で、周囲に転がっていた鼬の死骸を引き寄せ、食べ始めたのだ。 「利毒が作る蟲は、簡単に倒れるようにはできていないんだ。恐らく、内部に複数の動力源を有していて、今はそれで動いてる。小蜘蛛を鼬に付けて、怨嗟を集めていたのも、その動力源を作るためだったんだろう。あの鬼の常套手段だよ」  不快な咀嚼音(そしゃくおん)が聞こえてくる中、兼久は淡々と言葉を連ねた。目の前の光景をどう思っているのか、感情は全く窺えない。他の班員たちも同様に、冷静を貫いている。 「では、鼬を食べているのは何故に」 「その動力源とやらにくべるから、ではないか」  晴成の疑問に答えたのは、彼の背後にいる靖成。「十中八九、そうでしょう」と、兼久も肯定した。 「それに。どうやらあの蜘蛛たちには、鼬も材料として使われているらしい。だから、()()ぎをしたみたいに、体の所々で色が違っているのでしょう」  ずるり、と。兼久の解説を裏付けるように、蜘蛛が新たな脚を生やす。先ほど食べ取り込んだ鼬の毛と、全く同じ色の毛を生やした脚を。さらに、志乃が両断した胴体にも、継ぎ接いだように毛だらけの箇所が現れていた。 『シュウウゥゥ……』  変化を見せるのは蜘蛛だけではない。後方に下がっていた妖獣たちも動いていた。
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