3 魔法学園と名家の二人

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 アテナの通常日程はなかなかにタイトである。  六時には起床し食堂で朝食を食べたのち、一時間目から六時間目まで五十分授業、そして中等部の人は六時半まで部活動をして、十時までには就寝。一年生にとってはハードスケジュールである。  けれど今日は初日。そのスケジュールは明日からであり、今日はすぐに寮に帰って夕食の時間までルームメイトと親睦を深めることとなった。  この孤島の半分の面積を占める校舎こと洋館。大変大きく広大であるが生徒たちの寮室は洋館にはない。  寮は、洋館を守るように立つ双子の塔である。  右が初等部の生徒が使う通称『こいぬの塔』、左が中等部の生徒が使う『おおいぬの塔』。それに伴って初等部を『こいぬ』、中等部を『おおいぬ』と呼ぶこともあるのだがまあそれは余談である。  当然アルテミスたちは『こいぬ』。よって、右側の塔へ登ることとなった。  アテナでは生徒二人に一つ部屋が与えられる。  ルームメイトと仲良くできるか不安だったアルテミスだが、蓋を開けてみれば何のことはない。アルテミスとシアは同じ部屋で、テリーヌが隣だった。超ラッキー、と喜んだのは言うまでもない。  ということで、アルテミスは塔の自室にたどり着きシアと明日の準備をしていた。 「明日からもう六時間かあ……ついていけるかな、あたし」  トランクから教科書を取り出して学校に持っていく用の鞄に詰め、生活必需品をタンスに投げ入れながらシアはため息をつく。  なんでもシアは、生物と魔術以外は苦手らしい。教科書を見ただけで吐きそうとか言っていた。 「まあ、まだ一年生なんだし。いきなり難しい内容には入らないよ」  アルテミスが微笑んで返す。そうだ、中学校一年生のときも高校一年生のときも、初めはおさらいみたいなやつばっかりだった。臆することはない。  そんなこんなで教科書を鞄に詰め終えてココアと戯れていたアルテミスだが、はっと何かを思い出した。  テリーヌのことだ。  今日、船に乗っていたとき、テリーヌは席がなかったゆえに船の中で立つというそれなりに危ないことをしていた。みんな危ないことはわかっていたと思うのに、アルテミスが譲るまで誰も声をあげなかった。  船の中には上級生もいたのに、である。  席がなくて立たないといけない不憫な一年生がいたら、まあ自分のほうが上なんだし譲ってあげようと考える人の一人や二人、いてもいいではないか。  それなのに、誰も譲ろうとしなかった。なぜだろう。  純粋な興味が湧き、アルテミスはシアに聞いてみた。 「ねえ、シアちゃん。今日テリーヌちゃんが船の中で立ってたとき、誰も席を譲ろうとしなかったじゃん。あれってなんでだと思う?」  シアは髪を跳ねさせてぴくん、と反応すると、どことなくシニカルな、それでいて気の毒そうな複雑な顔をした。 「……それ、聞いちゃう?本人に言っちゃダメだよ?まあ、気づいてるかもしれないけどね」  首を傾げるアルテミスを、「本人隣にいるから、こっち来て」とシアは手招きする。とことこ近寄ると、シアは小声でひそひそと言った。 「テリーヌちゃんはね、悪目立ちしてるんだよ」 「えっ?」  アルテミスはきょとんとした。  悪目立ち?なんで?  不思議そうな顔をすると、シアは説明してくれた。 「あのね、テリーヌちゃんは名家なのをすごく誇りに思ってるから、すごく性格が悪くてわがままなんだって噂になってるの。テリーヌちゃんのお家は名家だから、余計に広まるんだよ。まあテリーヌちゃんのお兄ちゃんも意地悪って言うし、あの一家は全員ヤバいやつなのかもしれないけど」 「そうなの?」  アルテミスは首を傾げた。  わがままとか意地悪とか、そんな風には見えなかったけど。まあ、のんびりしてて変わった子だな、とは思ったけどね。  シアはぐっと拳を握った。 「これ、結構有名な話なの。だから、みんな関わりたくなくて譲ろうとしなかったってわけ」 「なるほど……」  君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし。そう思って、みんな声をかけなかったのであろう。  けれど、情けは人のためならずっていう選択肢もあったはず。  アルテミスは眉を寄せてシアの言葉に頷いた。  謎は解けたが、すっきりしない解答だ。変わった子ではあったけれど話してみれば悪い子じゃないし、噂で振り回されるのはかわいそうである。  悶々とするアルテミスをよそに、シアははっきりと言った。 「だからさ、アルテミス。めんどくさいことに巻き込まれたくないなら、関わらないほうがいいよ」 「……」  アルテミスは困った顔で口を閉じた。  心配してくれているのはわかっている。アルテミスとて、波乱万丈ではなく安寧秩序の学校生活を送りたい。  しかしそうは言っても、その噂が本当かどうかなんてわからないのだ。それなのに、不確かな情報だけを頼りにして冷たくするって。アルテミスは賛成できなかった。  首を振って、眉を寄せたまま微笑む。 「ありがとう。でも、もう少し話してみるよ。噂が本当なら距離を置く」  シアは少し驚いた顔をする。けれど、すぐに頷いた。 「そっかあ……まあそれが、一番いいのかな」  シアは自分の意見に反対されてしまったが怒ることはなく、むしろ肯定してくれた。  アルテミスの考えを理解してくれたらしい。  やっぱりシアはいい人だ。  ◇◇◇  それからまた時間が経って。  夕食の時間となった。  夕食および朝食、昼食を食べるのは、洋館にある食堂。全校生徒が入れるほど広い部屋である。  その厨房には世界でも指折りの超有名なシェフがいるとかなんとか……あるいはエルフとかドワーフが料理を作ってるとかなんとか……とにかく、謎に包まれている。  けれどわかっているのは一つ。  アテナの料理は素晴らしい、ということである。 「「わぁああああああっ!!」」  食堂の扉を開けたアルテミスとシアは思わず、歓喜の声を上げた。  そのオイディプスとラピスラズリの瞳に飛び込んできたのは、広大な部屋に並ぶテーブルに所狭しと並べられるご馳走の数々である。  何の鳥なんだかわからないがとにかくまるまる肥えた鳥の丸焼きに、つやつや光を反射するパイ、肉汁滴るローストビーフに、湯気をほかほかと立てるシチュー、エトセトラ、エトセトラ……。  めったに食べることのないようなご馳走に名前も知らぬ料理までずらりと机の上に鎮座するその様は、さながら天国である。もしアルテミスをじっと見ている者がいたなら、帽子の下の耳がぴくぴく動き黒い尻尾がぶんぶんと揺れているのに気づいただろう。まあアルテミスのような大して目立ちもしない一生徒、じろじろ見るような者はいなかったが。 「アテナすごい……!」 「さすが名門校……っ!」  輝くご馳走にしばらく感動したあと、二人は急いで席を陣取り椅子に座った。 「なんでこんなにご馳走が。いつもこうなのかな」  独り言のように呟くアルテミス。  いや、まさか。こんなのが毎日続けば生徒全員出荷される豚みたいに太ってしまうし、第一経営が持たない。何しろアテナは公立。ハルタがどれだけ豊かな国だったとしても、この豪勢な料理を毎日出していれば近いうちに税金は底をつくだろう。あと、食品ロスがすごそうだし。  じゃあ今日は入学・進級パーティーなのだろうか、などと考えていると、とんとんとアルテミスの肩が叩かれた。  はっと顔を上げると、手元のワイングラスにジュースをなみなみとついで笑うシアがいる。アルテミスのワイングラスにもジュースを入れてくれたようで、透き通った液体が揺れていた。  シアは楽しそうに言った。 「今は考えるのはなしなし!とりあえず、ここで会えたことをお祝いしなくちゃ!」  そう言ってグラスを揺らす。アルテミスはやらんとしていることに気づき、同じように笑ってグラスを取った。  ちらりと目線を交わす。 「じゃあ、せーの」  二つのグラスが、高く持ち上がった。 「「かんぱーいっ!」」  ぴったり揃ったお祝いの声と照明の明るい光を受けたジュースが煌びやかに輝く。  手元に戻して口に含むと、甘く冷たい果物の味が口腔内を支配していった。 「やっぱり、お祝いごとには乾杯がないとね」 「ご馳走がすごすぎて忘れてたよ」  二人で笑いあう。  声は弾むようだ。乾杯には、きっと気分を明るく、そして細かいことをどうでもよくする魔法がかかっている。なんとなくそんなことを思った。  と、シアがはっとする。 「はっ。こんなご馳走なかなか食べれないし、今食べとかないと」  そう言ってフォークとナイフを手に取るシア。切り替えが早い。 「確かに」  アルテミスもカトラリーを手に持って、獲物を前にした狼のように舌なめずりをした。  ◇◇◇  こうして、嘘つきな人狼と魔法使いたちの暗くて明るい物語は幕を開けた。
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