4 見えない罪人を追って

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 ホームルームが終わったので、アルテミスとシアは教科書とノートと筆記用具を持って魔術室なる部屋を目指していた。  しかしアルテミスたちは昨日やってきたばかり。天馬の絵の近くなんて言われても天馬の絵がどこにあるのかわからない。  よって、アルテミスとシアは適当に上の階に上がって適当に歩いていた。 「魔術ってどんな感じなのかなー」  わくわくしながら言うと、シアが教えてくれる。 「なんか、今年から先生変わったらしいよ。前の先生はすごい面白い人だったみたいだけど」 「へえ。今年もいい先生だったらいいな」  手の先で杖を弄びながら、アルテミスは物思いに耽る。  先生の指導を受けながら、煌めく魔法を使う自分やシア。最高である。夢の世界のようではないか。  期待に胸を膨らませていると、向こうから馬の嘶きが聞こえた。はっとそっちを見ると大きな絵が、それも背中に翼を生やした馬の絵がかかっていた。その隣には、教室のドアらしきものがある。  アルテミスはシアの手を引っ張って絵の前に立った。魔法の世界の絵および写真は額縁の中で被写体が動くものらしい。馬はぶるるると鼻を鳴らして首を振り、軽やかに雲を蹴っている。優雅に羽ばたく一対の翼はなんとも雄々しい。  アルテミスは馬を指差した。 「これ、天馬の絵じゃない?」 「本当だ。適当に歩いてたのに、着けちゃうもんだね」  シアもにこにこ頷く。  しばらく楽しそうに駆ける天馬を眺めてから、授業に遅れてはいけないと二人は教室に入った。  魔術室は、やっぱりちょっと怪しい部屋だった。けれど、好奇心を激しく掻き立てられる部屋でもあった。  棚の上に飾られたよくわからない魔道具に、不思議な生き物のホルマリン漬けに、世界中のあらゆる魔法が記された紙。あっちこっちに目移りしてしまい、足がなかなか進まない。 「すごい」 「ね」  席についても、二人はずっとひそひそそんな話をしていた。  数分後。始業を告げる鐘が鳴る。  するとがらりとドアが開いて、教師らしき女性がツカツカと入ってきた。  ひょろりとした体つきの中年女性である。いや、そこまではいい。細い女性は、なんとなく優美さを感じさせる。  けれど、彼女に優美であるとか優雅さであるとかいうのは、全くの皆無であった。  厚化粧をしたその女性は猛禽のような鋭い目をして、真っ赤な唇をにっと吊り上げていたのである。口は笑っているのに、アイシャドウで黒く縁取られた目は全く笑っていない。むしろ「どいつを喰ってやろうかしら」みたいな目をしている。  その鵜の目鷹の目で睨まれ、生徒たちの期待は一瞬で縮んだ。それはもう、水をぶっかけられたポメラニアンのように。 (((いや、こわっ……)))  総勢三十人の心の中の声がぴったり揃った歴史的瞬間である。  と、女性が口を開いた。 「あら、号令はしませんの?学級委員さん」 「ひゃっ!!」  ねっとりと粘っこい声で呼びかけられ、学級委員の少女が悲鳴を上げる。明るくいつも笑顔なその顔は今、引きつり真っ青になっていた。  彼女は恐怖でどもりながら、なんとか号令をかける。 「え、あ、す、すみません!えーと、き、気をつけ、礼!」  その号令に「お願いします」と戦々恐々頭を下げる生徒たち。これだけ声の震えた号令はめったに聞けるものではなく、普通のときなら失笑が漏れていたであろうが。学級委員の気持ちが分かりすぎる故に、笑う者は誰もいなかった。  女性はその空気に気づいているのかいないのか、にっと笑う。 「お願いしますわ。さて、まずは自己紹介しましょうか。わたくしはクイナ・ヘルメス。アテナに今年から転勤した魔術の教師ですわ。まあ、先生だからと萎縮せずに『クイナ先生』とお呼びあそばせ」 「「「「……」」」」  おい嘘だろ、怖くて名前なんか呼べねえよ、呼んだら呪われそうだよ、とどこぞの蛇大好き極悪闇魔法使いみたいな扱いの女性ことクイナ先生。  それを察したのか、ぎろりと生徒を睨む。 「……よろしくて?」 「「「「はいっ!!」」」」  生徒はぴんと背筋を伸ばし、一斉に返事をした。  わんわん響くその返事にクイナ先生は満足したように頷いて、話を始めた。 「さて、わたくしが教えるのは魔術。魔法を学ぶ、魔法使いが学ぶ教科の中で一番大事なものですわ」  彼女曰わく、この授業では魔法のやり方や仕組みなどを学ぶらしい。 「まあ、あなたがたの杖は魔法石でできているので呪文を覚えなくてよく、他の学校よりは楽にテストを受けられるでしょう。しかし、呪文がないということは全て感覚で掴まなければならないということ。適当にやっていてできることではありませんわ。呪文がないからといって雑に授業を受けずに、まじめにやること。よろしくて?」 「「「はいっ」」」  この先生の授業を雑に受けられるのって勇者か愚者のどっちかだと思うけど、と思いながら、アルテミスたちは再び一斉に返事をする。  と、先生は教科書を手に言った。 「さて。もともと今日は進めるつもりでしたが、初日から内容に入るというのも酷ですわね……よし。ではみなさん。今日は遊びましょう」  遊びという不可解な単語に、揃って疑問符を浮かべる生徒たち。  え、何どういうこと?遊ぶって、もしかしてあなたとですか?嫌ですけど。  そんな生徒たちの心境は露知らず、先生は言う。 「遊びの内容は簡単。わたくしが出す初歩的な問題に答えるだけ。答える人はわたくしが指名しますわ」  あ、やべえ、となる生徒たち。遊びっていうか、公開処刑っていうか。  いやこれ答えられなかったら地獄じゃん。けどこの人は絶対“初歩的”な問題なんか出さない気がする……っ。  当てられませんようにと必死で目を合わせまいとしてくる生徒たちを、先生は容赦なくひとりひとりじろりと見ていった。その嗜虐の感情しかなさそうな目が、ふいにぴた、と止まる。  ばちん、とアルテミスと目が合った。そのまま、見つめ合う感じになる。  なんなんですか、こわ。とアルテミスは目をすいっと逸らした。  しかし先生が目を次の生徒へ向けることはなく、そのまま口紅で真っ赤な口を開いた。 「ねえ、あなた」  誰のことだ、と思った。  すん、と黙っていると、無遠慮にも彼女は指を指して指名してくる。ごつい指輪がはまった指は、まっすぐアルテミスに向いて……いいや、気のせいだ。うん。  しかしその希望はあっけなく砕かれる。 「あなたよ、あなた。黒髪の」 「っ」  ぎくっ、と肩が跳ねる。  せめてもの抵抗で慌てて目線を走らせ黒髪を探すが、ここは日本ではない。黒髪なんてアルテミスしかいなかった。 (やっぱりわたしかっ!!)  いや、だろうなとは思いましたけど!わたしのことずーっと見つめてましたもんね!?  何事かとみんながじっと見ている。本当は目立ちたくないのだが、しぶしぶ応じる。 「なんですか、先生……?」  先生は瞬きもせずに言った。 「あなた、『スカウト』の生徒ではなくて?」 「「っ!?」」  急にその口から転がり出た爆弾発言に生徒たちはぎょっと目を瞠る。 (なんでそれ言っちゃうのっ!?)  目立つから言わないでおきたかったのに……とアルテミスもまた絶望である。シアは憐れみの目を向けてきていた。  そんな心境をよそに教室はざわつき出した。 「ええ?スカウト?あの、めったにいないっていう?」 「すげえな、同い年だぞ」 「しかも名家でもないのに……」  そんなひそひそ声に混じってテリーヌの声がする。 「ええー!?そうは見えないねぇ!最初見たとき年下がいるって思ったのにぃ」 (ほっとけ。誰が年下だ)  内心ため息をつく。自分が低身長なことくらいわかってますよ。けっ。  先生はまるで極悪人みたいな笑みを浮かべた。ある意味、今まで出会った人の中で一番魔女っぽいかもしれない。  先生はねっとりと言う。 「じゃあ、わたしの出す問題にも当然答えられますわね?」 (?????)  アルテミスは意味がわからず顔をしかめた。  なんか変な方向に話が向かっている……。  はてな顔の生徒に、先生は笑ったまま続けた。 「スカウトとは優秀な者がなるもの。けれど、見たところではわかりませんわ。やっぱり、本当に優秀なのか確かめたくはありませんこと?わたくしはそう思いますのよ」  だから、今から出す問題に答えてもらいますわ、というクイナ先生。  やめてください。それ、やられる側からしたらたまったもんじゃないっす。  しかし、生徒たちが味方してくれることはなかった。当然か。自分が当たるという可能性がなくなったのである。  生徒たちはやんややんやと先生に同調した。 「わかります!確かめたいです!」 「本当にスカウトってすごいのか気になります!」 (やめろぉぉぉぉぉおおおお!!)  心の中で叫んでも効果はなし。『頑張れウルフ……!』と全員の目が無責任に言っている。  マジで許さねえぞあとでその顔に噛みついてやろうかお前ら、と牙をガチガチ言わせながら、しかしもう逃げ場もなくアルテミスは覚悟を決めた。  どうせ、立ち向かうしかない。でも教科書には目を通しておいたし、宿に泊まっていた間街の人とかオーナーさんとかがいろいろ教えてくれたから多分大丈夫……そんな頼りない自信を胸にその厚い化粧で覆われた顔を見上げる。 「じゃあ、先生。問題お願いします」  先生はにっと笑って、ぱっと開いた教科書を読み上げた。 「では、問題ですわ。"琥珀竜とはいかなる生き物か、答えなさい"」  アルテミスははっと目を見開いた。  よかった、サービス問題だ。だってアルテミスの親友兼ルームメイトのシアは、琥珀竜を飼っているのだから。隣を見れば、シアがおっきな瞳をキラキラさせている。  アルテミスは愛らしいココアを思い浮かべながら、はっきりとした声で答えた。 「琥珀竜は、金色の鱗を持つ竜の一種です。翼と角があり、火を吹くことができます。大人しい種類で、人に危害を加えることはありません。……これでいいですか?」  『かんぺき!』と口パクで伝えてくるシア。アルテミスは嬉しさに頬を紅潮させて、それから先生を見てぎょっとした。  先生は悔しさに歪んだ、般若みたいな顔をしていたのである。アルテミスはその恐ろしい形相に臆し、シアに体を寄せた。 「正解です…………っ」  唸るような声を出す先生。よっぽど悔しかったらしい。「琥珀竜ってちょっと珍しいから、答えられないと思ったんだろうね」とシアが囁いた。  気持ちはわかるが、さすがの生徒たちもドン引きである。授業の一環の遊びでガチになりすぎだ。  と、先生は憤怒に満ちた瞳でアルテミスを睨んだ。 「次!次行きますわ!」 「まだあるんです!?」  アルテミスは悲鳴を上げた。  十数分後。  あのあと何問か問題を出してきたが、アルテミスは前に偶然入れていた知識でなんとか全問正解を果たした。答えるたびに先生の顔が険しくなっていくので正直もうやめにしたいのだが、生徒たちは揃って拳を握り固唾を飲んで観戦している。  すると、悔しさが限界に達したらしい先生がバン!と教科書を机に叩きつけた。その顔はもはや必死。 「最後!最後ですわ!これを答えられたらわたくしはあなたを認めてあげますわ!」 (なんか目的見失ってない……?)  遊びじゃなかったの?なんでわたしだけめっちゃ答える感じになってんの?  脳内で冷静なツッコミをしているアルテミスに、先生はゴゴゴ……と効果音がつきそうな顔で問うた。 「問題。人狼とは、いかなる生き物か答えなさい」  ざわ、と教室がざわめいた。  一年の教科書に人狼の記述は載っていない。まだ難しい生き物だからだ。 「……」  けれどアルテミスは微笑んでいた。愚問だ、と言うように。  その理由を知るものは誰もいないだろうけれど……。  戸惑うクラスメイトたちの視線に取り巻かれ、アルテミスは凛とした声で述べる。 「人狼は、人間と狼が合わさった半人半狼の生き物です。人間の姿と狼の姿に化けることができ、街中に潜んで暮らしているとされています。満月の人に狂暴化し、人間を襲って喰います。人狼を人間にする薬は、未だ存在しません。……と、こんなところでしょうか」  声を震わすことなく、アルテミスは言ってのけた。  先生はがくん……と頭を垂れる。  完敗の、合図だった。 「「「わぁーーーーーっ」」」  生徒たちから歓声が沸き起こる。  意地悪な水鶏と、物知りな狼。その軍配は、小さくも聡明な狼に上がった。 「やるなあウルフ!」 「さっすがスカウト!」 「今度勉強教えてー!」  わいわいともてはやされ、アルテミスも「えへへ」とつい微笑んでしまう。  しかしお祭りムードも一瞬。  その空気は、先生の放つ負の空気にかき消された。 「もう、わたくしのメンタルはズタズタですわ……」 「「「…………」」」  暗い声に罪悪感を感じ黙る一同。  ガキに負けたのがよっぽど傷ついたのか、そのあとチャイムが鳴るまで先生は一言も喋らなかった。  授業が終わって教室の外に出たアルテミスは、シアと並んで歩きながらしゅんと俯く。 「わたし、なんか悪いことしたかなぁ……?」 「いや、自業自得だろあれ」  シアが鋭くツッコミを入れた。  ◇◇◇  夕方である。  やっと全行程が終わったアルテミスはご飯を食べてシアとともに寮に戻り、ベッドに倒れ込んで重くため息をついた。 (つっかれたぁあああああ……!)  今日の感想はそれ一言である。  クセが強いのは魔術の先生だけじゃなかった。二時間目の生物の先生はペットの話になるともう止まらないし、三時間目の古語の先生はすごく熱くて夏みたいな気分になったし、四時間目歴史の先生の喋り方は眠すぎるし、五時間目の化学の先生はことあるごとに鏡を見ているナルシストだし。六時間目の地学の先生だけはまともでしっかりしていて、ついでにイケメンだった。  とにかくみんなキャラが濃くて、そればっかりに疲れた。  そう、疲れたんだ。情報が脳のキャパシティを超えている。  超えているけれど。 (アテナって、楽しい……っ)  そう思わずには、いられないのだ。
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