16人が本棚に入れています
本棚に追加
さて、なんとか勉強三昧の日々を乗り越え。
土曜日がやってきた。
中等部の生徒───つまりおおいぬの生徒は、土曜日は部活があるものも多い。しかし、こいぬの生徒たちは部活はまだできなかった。
とどのつまり、完全なフリー。
「「お休みだーーーー!」」
拳を突き上げて休みを祝福する二人。入学して一週間なのに休みがこんなに嬉しいのは、とある理由がある。
それは。
「やっと街に遊びに行けるね!」
「うん!すごく楽しみ!」
この島の外にある街に遊びに行こう、という話をしていたからである。
◇◇◇
ハルタ本土にある街、ルティカ街。それこそ、二人が今日行く街の名前だ。
孤島に閉じ込められているアテナの生徒たちの定番の遊び場であり、秘密の入り口からそこまで行くことができる。
ルティカ街はとっても広く、一週間あっても周り尽くせないくらいたくさんのお店があるのだという。
ということで。二人はココアを連れ、地下にあるというその秘密の入り口(といっても全生徒が使用しているので秘密でもなんでもないのだが)までやってきていた。
街につながっているという大きな扉の前には、立派な翼を生やしたグリフォンの石像が鎮座している。瞳の部分には紅玉がはまり、今にも動き出しそうだ。
このグリフォンに生徒手帳の校章を見せないと、扉は開かない。セキュリティー対策である。
グリフォンをクリアし、重い扉をせーので開けると、上へと登る階段があった。アテナの周りは海のはずなので、海の部分は魔法で端折ってルティカの地上に出るようになっているようである。
そこをてってけ登って、たん、と地面に立つと。
「「わあ……っ」」
賑やかな街の景色が広がっていた。
目に飛び込んでくるのはかわいい通りと、楽しそうな人々。鼻は香ばしいパンの香りがかすめ、耳には笑い声と路上演奏の音楽が入ってくる。
ここは楽園なのだ、と五感が訴えている気がした。
「楽しそうなところ!」
わくわく弾んだ声を出すシア。ココアも嬉しそうだ。
「行こう!」
アルテミスも弾んだ声を返す。二人はお互いの手を握って、街の活気の中へ飛び込んでいった。
ルティカには聞いていたとおり、たくさんの店があった。学用品や本はもちろん、魔法使いと言えばの猫や梟が売ってあったり、何に使うのかもわからないカエルの目玉とかがあったり、見たこともない楽器が売ってあったり。その他にも、ぱっと見ただけでは何かわからない魔道具が所狭しと並べてある。
さすが、魔法使いの街。そこらへんのショッピングモールに遊びにいくのとは訳が違う。
「すご……」
目をキラキラさせながら通りを歩いていると、ひとつのお店が目についた。
『ホウセンカ』というお店である。お菓子屋さんらしいのだが、玄関の前に置いてある黒板には「かわいくて不思議なお花のお菓子あります」と書いてあった。
かわいくて不思議なお花のお菓子?どんなお菓子だろう。
くいくいとシアの袖を引っ張って、『ホウセンカ』を指差す。
「ねえ、あのお菓子屋さんに寄ってみない?」
シアはぱっと笑って、「いいね!」と応じた。
食べ物を売るお店なのでココアを外で待たせて中に入ると、色とりどりのお菓子たちが二人を出迎えた。
黒板に書いてある通り、あるのは花をかたどったお菓子ばかりだ。リアルな飴細工は美しいし、デフォルメされたクッキーはかわいい。
すごいすごい、とバカの一つ覚えみたいに繰り返しながらお菓子を眺めていると、男性が話しかけてきた。
「いらっしゃい、お嬢さんたち!お菓子を買いにきたの?」
ぱっと二人は振り返る。快活に破顔する優しげな顔の彼はミスマッチなうさぎのエプロンをつけていた。胸元についたネームプレートには「店長 ニルス・クレイマン」の文字。店長さんだったようだ。
彼の耳はアルテミスたちより長く、エルフであることがわかる。
エルフとは人間と似ているが比べものにならないほど長命で強い魔力を持つ、人間とはまったく別の生き物だ。異種族ではあるが人狼のように怯えられてはいない。なにしろこの辺りのエルフは大変友好的で人間たちに混じって暮らしているし、ついでに料理がすごく上手いんだそうだ。そもそも異種族だとしても、うさぎのエプロンつけてお菓子作ってる人が悪いひとな訳ない。
店長さんの言葉に、人見知りなアルテミスの代わりにコミュ力の高いシアが微笑んで応じる。
「はい!初めて来たんですけど、かわいいお菓子ばっかりですね!」
そう誉めると、エルフの店長さん───クレイマンはわかりやすく自慢げになる。むふっと含みのある笑みを浮かべた。
「そうだろ!でも、かわいいだけじゃないんだよ?例えば、……ほら、これ」
そう言って彼が指差したのは、陳列棚に並べてある小さな小瓶。中には、黄色やオレンジの小さな花を真似たグミがたくさん入っている。
「これは金木犀のグミ。花言葉は、『謙虚』」
「謙虚……」
アルテミスはその小さな花を見つめる。金木犀の素朴なかわいらしさによく合った、素敵な花言葉だ。
クレイマンは続ける。
「だから、このグミを食べた人間は謙虚な性格に変わる」
「「えっ!?」」
お菓子で、性格が変わる!?
ぎょっとしてクレイマンを見上げると、心配を取り払うように彼はひらひらと手を振った。
「驚くなよ、そこまで効果は強くない。ここに置いてあるお菓子はほとんど遊びに使うようなお菓子だし、誰かわからなくなるほど性格が変わるなんてことはない」
その説明にほっと息をつく。悪用はできなそうだ。よかった。
彼に言わせると、ここに置いてあるお菓子には魔法をかけていて、食べるといつもの自分とは少しだけ違う性格の自分を体験できたり、少しだけ物事が上手くいったりするんだそうだ。
そしてその変化は、何の花のお菓子を食べるかによって変わってくる。
例えば、角にあるカトレアの飴細工。カトレアの花言葉は『魅惑的』だ。だから、これを食べるともともとの魅力がさらに引き出され、食べた人間をより魅惑的に見せるという魔法がかかっている。告白の成功率を少しでも上げたい、なんて言う生徒に人気のお菓子だ。
例えば、包装紙にくるまれたタイムのチョコレート。タイムの花言葉は『勇気』だ。だから、これを食べると少しだけ勇気が出る。大切なイベントがあるときに求められるお菓子である。
要するに、このお菓子たちは花言葉の通りの効果を及ぼすのだ。魔法の得意なエルフだからこそできる、不思議なお菓子。
その説明を受け、緊張も解けたアルテミスは微笑んだ。
「面白いですね。お土産に何か買っていこうかな」
「えっ、それって……テリーヌちゃんとかってこと?」
アルテミスの言葉を聞いたシアが、この間の忠告を聞いていなかったのかという顔をする。アルテミスは慌てて両手を振った。
「いやまあだって……今日テリーヌちゃん宿題溜めすぎて遊びに行けないって喚いてたじゃん。かわいそうじゃん。だから、少しでも気分を上げてあげられたらいいなって、ね。ちょっと思っただけだよ」
「かわいそうっていうか自業自得だろ。あとそれにしても溜めすぎ。勉強もせずに遊んでるからだよ」
「辛辣っ!」
相変わらず蒼い瞳をすん、と暗くしたままのシアをなだめる。クレイマンはにこにこしながら、「じゃあ集中力を上げられるようなお菓子を探そうかね」とのんきに言った。
そんな和やかな(?)会話をしていた三人だが。クレイマンがぱっと何気なく陳列棚の一角に目を向けて、目を見開いたかと思うと凍りついたように動きを止めた。アルテミスとシアは会話をやめて、唐突に立ちすくんでしまった彼を見上げる。
「クレイマンさん?」
「どうかしました?」
クレイマンはそのまま呆然としていたがやがて怒りに顔を歪め、長い耳をぎゅっと持ち上げた。
「くそがっ……」
何事だと戸惑う二人の前で、クレイマンは大きな掌で顔を覆う。広い背中は怒りと悔しさが入り混じったように震え、その口からはさっきとは別人のような唸り声が漏れた。
「くそが、くそが、くそがっ!またあいつだ!ふざけやがって!」
「ど、どうしたんです、本当に!」
アルテミスは慌ててクレイマンを諫める。落ち着いてくださいと声をかけると、彼は我に帰ったようにはっとして深呼吸をした。何回か息を吸って吐いて、二人に向き直る。その顔は怒りに染まってはいなかったが、代わりに疲れに満ちていた。
「取り乱してしまったな。すまない。けど、この万引き犯にはもううんざりなんだよ」
アルテミスとシアはその言葉にきょとんとして、一瞬ののちぎょっと目を見開いた。
「「万引き!?」」
この平和そうな、治安のよすぎる魔法の街で、万引き!?
予想外のあまり言葉が出ない二人に、クレイマンはしゅんとその長い耳を伏せた。
お菓子なんて万引きしても……という感じではあるが、花言葉の通りの効果を得られるという高度な魔法がかかったお菓子というのはなかなか稀、というか売っているのはここ『ホウセンカ』だけなのだそうだ。だから外国に密輸して売ると、かなりの値段になるのではないか……というのがクレイマンの推測である。
クレイマンは重い溜め息をついた。
「犯人はいろいろ魔法を使って調べたからわかってるんだけどな……けどこの国って万引きくらいの犯罪だと、基本的に現行犯逮捕しかできないから……」
「?」
アルテミスは首を傾げた。犯人はわかっているのに、捕まえられない?現行犯逮捕できない理由があるんだろうか。
不思議そうな顔を見たクレイマンは「そっか。説明しないと」と言って、すぐそばの棚に手を伸ばした。
その手に握られるのは、見たことのあまりない花の飴細工である。蓮華色で、ひらひらした花弁と長い雄しべがたくさんついている。
クレイマンはその飴細工を二人に見せながら説明した。
「これはクレオメ。花言葉は『秘密のひととき』。だから、数十分だけ何をしてるのか秘密に───つまり体が一時的に透明になるお菓子なんだ。普通はいたずらなんかに使うお菓子なんだけど、犯人はこれを使って姿を消して万引きをしている。だから捕まえられないんだよ」
「なるほど……」
アルテミスは顎に手を添え、頷いた。随分厄介である。
犯人は姿が見えない。姿が見えなければ、捕まえられない。よって、万引きに目を瞑る形になっているのだ。
しかしもう被害額も金貨十数枚分と、かなりの額になってきている。かといってこのクレオメの飴細工はかなりの人気商品であるらしく、売るのをやめればそれこそ経営に大打撃が行くのでやめるにやめられないのだそうだ。
魔法を解く方法は二つ。一つは効果が切れるまで待つこと、もう一つは消えている体の一部に触れて声をかけることである。
クレイマンは沈んだ表情だ。
「俺が魔法で捕まえられたらよかったんだけど、俺はまだ若くてそんなにできる魔法の種類も多くないし、勉強とかより料理が好きだったから花言葉を現実にする魔法以外は基本的なのしかできなくて。何もできないんだよ」
エルフのくせに雑魚だよな、と零ししゅんと俯く彼を見て、アルテミスも何かできないかと思索する。
と、お菓子が入っていたのであろう籠の下にある何かがアルテミスの視界に移った。
しゃがんで拾ってみれば、ハンカチである。アルテミスは名前が書いていないかと顔を近づけようとしたが、できなかった。そのハンカチには潮の香りが染み付き、鼻の良いアルテミスにとってはとても顔を近づけられるようなものではなかったからである。
しかし名前は確認できた。名字だろうか、「カルント」と短く記されている。
その強烈な香りにぐっと眉を寄せていると、ひょことクレイマンが手元のハンカチを覗き込んだ。
「ん?そのハンカチは?」
アルテミスはクレイマンを見上げる。
「そこに落ちてました。『カルント』って書いてありますよ」
そう言うと、クレイマンははっと目を瞠った。少しだけ嬉しそうに声のトーンを上げる。
「それ、万引きの犯人の落とし物だよ!だって犯人の名字カルントだもん!」
アルテミスも目を丸くしてそのハンカチを見つめる。何の変哲もないハンカチだが、大きな手がかりになりそうだ。
クレイマンが引き出しから紙を引っ張り出してくる。その紙には犯人の写真と名前が載っていた。
名前は「ディンゴ・カルント」。万引きをしそうには思えない、冴えない青年の写真が貼ってある。
「潮の匂いがすごいんですけど、なんででしょう?」
「ん、あ、それは奴が海の近くの港町に住んでるから勝手に体とか持ち物とかに匂いが染み着いちゃうらしいよ。俺は鼻とか別によくないしわかんないんだけど、奴、潮っ辛い匂いするからめっちゃ犬に吠えられるらしい」
どこからそんな情報を仕入れてくるのか、どこか楽しげなクレイマン。
しかしアルテミスは聞いていなかった。解決策が稲妻のごとくひらめいたのだ。
犯人は、潮の匂いがするらしい。それならこの自慢の嗅覚を使って、見えぬ罪人を追えばいいではないか。
あれほど───歩くだけで犬に吠えられるほど強烈な香りなのだ。追うことくらい簡単である。
だって、アルテミスは人狼なのだから。
店を出て街をシアと歩きながらも、アルテミスはその計画を綿密に脳内で練りに練っていた。
アルテミスは臆病者。飛んで火に入る夏の虫にはなりたくない。
それでも犯人を捕まえようとするのは、哀しげなクレイマンの顔が脳裏に焼き付いて離れないから。それだけだ。
勇気凛々、とまではいかないが、小さな勇気を胸に抱えて。
警察犬、ないし警察狼。満を持して発動である。
最初のコメントを投稿しよう!