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そのまま月日は過ぎて課外活動当日。
一年生たちはキャンプに必要な道具を先生から受け取り、ガイドブックを手に携えて、針葉樹の森へと足を踏み入れた。
森に入ると、辺りに満ちる神聖な空気にみんなのおしゃべりの声が縮小していく。その耳に届くのは木の葉のざわめきと鳥獣の声。あちこちで爛々と光る瞳がこちらを窺っている、そんな錯覚すら感じる。
今自分たちは、動物たちの縄張りにお邪魔している。幼心に、みんな理解しているのだろう。
さて、そのまま歩くとやがて広い空間に到着した。原っぱのように開けていて、向こう側には澄んだ湖が見える。
そこまで行くと先導していた教師は一年生を止まらせ、くるりと向き直って話をした。
「はい、到着です。えー、みなさんはここにテントを張って一泊してもらいます。料理の仕方は手元の本を見てください。テントの立て方もわかりますね。よし」
生徒の反応に、先生は頷く。そして、厳格な声で言った。
「では最後に一つ。魔法生物は決して刺激しないこと。気をつけてほしいのはこれだけです」
この森にはうさぎなどの普通の生き物も数多く生息しているが、それと同じくらい天馬などの魔法生物もたくさん棲んでいる。
面白半分でその魔法生物たちに手を出せばどうなるか。たかが獣と侮って嘲ればどうなるか。
人智を超えたその力で滅ぼされるのみである。
そのため、魔法生物には決して手を出してはならないというのがこの世界の鉄則であった。シアのココアや魔獣のスノーは例外だ。
その警告に生徒たちがごくりと唾を飲んだのを確認し、教師は首にかけた笛をピィッと吹き鳴らした。
「では、始めなさい!」
その言葉が合図。
生徒たちはわっと散って、活動を始めた。
◇◇◇
アルテミスもまたシアと合流し、ふらふらしていたテリーヌを捕まえて、ヒュウガとクリを呼び寄せた。
班長のシアはテントの入った袋を抱えている。重い重いと喚くので、アルテミスと二人で持った。
「じゃあまずは場所決めだね」
アルテミスが言って、辺りを見回す。ここらへんはだいぶ占領されている。
「ちょっと奥のほうなら人少ないかも」
シアが木の生い茂るほうを指差した。森の奥では鬱蒼と木々が立ち並び、一層神聖な雰囲気を醸し出している。
「ちょっと怖いけど」
「人がたくさんいてうるさいのもやだ」
ヒュウガとクリもそう言って賛成である。
ということでテントを人のいないほうに運び、ヒュウガとクリにも手伝ってもらって四人でテントを組み立てた。
「テントってどうやるの?」
まずはそこからだったが。
人見知りでお喋りは好きではないが、大勢の前だと割ときちんと喋れるアルテミスがガイドブック片手に指示を出す。
「ええっと……まずその杭を地面に打って、あとはポール立てて……ややこしいな。まあ、適当にやればできるよ。多分」
「説明下手くそか」
雑な説明に、シアが呆れ顔でつっこんだ。
そしてぼけーとしているテリーヌに別人のような冷徹な目を向ける。
「で?あんたは?手伝わないの?」
空を見上げていたテリーヌが黄色い瞳を向けた。
「ええ?あたし、お貴族さまだからやり方わかんなぁい」
ギッとシアの青色の瞳が鋭さを増した。
黙れあたしも名家の一人娘だよカス。ごちゃごちゃ言ってないで働け。ありありと顔にそう書いてある。悪役令嬢みたいな顔してるのである。
空気を感じ取るのだけは上手なアルテミスが一触即発の空気を読み取り、わたわた帽子の下の耳を揺らした。
「ま、まあまあ!シアちゃん、落ち着いて!テリーヌちゃんも、手伝えそうなところあったら頼むからそのときはお願い、ね?」
そう言ってなんとかシアとテリーヌをなだめ、テント張りに取りかかったのであった。
なんだかんだできあがったのは随分小さいテントである。
だが、流石に魔法使いのテントということで魔法がかかっていた。見た目以上に中は広く、余裕で5人が眠れてしまうくらいのスペースはある。某ネコ型ロボットのポケットの中みたいになっているテントに、一同は「おーっ」と歓声を上げた。
「ここ僕とクリの部屋」
「いいよー。じゃあアルテミスとあたしはここね」
シアが二人の部屋の隣を指差し、アルテミスが頷いた。
「あれぇ?あたしは?」
結局手伝ってくれなかったテリーヌがあざとく首を傾げた。
部屋は3つあるけどシアちゃんとかテリーヌちゃんとかの一年生を一人部屋に寝かせるのも酷だし、かといって中身高校生のわたしが一人でシアちゃんとテリーヌちゃん一緒にしたらそれこそこのテント壊れそうだし……と考える時間わずか一秒未満。
結論を出す。
「テリーヌちゃんはそうだね、ちょっと狭いけど、三人で一個の部屋使って寝ようか」
「……………………」
ぐっとシアの顔が嫌そうに歪む。それはそれはもう嫌そうに。
「怒らないで、シアちゃん。やむを得ずなのよ」
小声で囁く。テリーヌちゃんの隣にはしないから。我慢して。
テリーヌもテリーヌでわがままを吐いた。
「ええー、あたしと一緒に寝ようよぉ」
「それだとシアちゃんが一人になっちゃうでしょ。それはできないよ」
当然のように言うアルテミス。闇に濁っていたシアの瞳がその言葉にぱっと明るくなった。忙しい人である。
「アルテミス、あたしを一人にしないようにしてくれるのっ」
「そりゃあそうよ。だって、シアちゃん親友だから寂しそうなの嫌だし。あ、あとわたしもシアちゃんと寝れないの寂しい」
にこり、と微笑むアルテミス。「わあああ!!アルテミスぅ!!」とシアはアルテミスに抱きついた。ころころ鈴の鳴るような声でアルテミスが笑う。
アルテミスが見えないようにテリーヌに向かって「いいでしょ」とにやりと笑ったのは、テリーヌのみぞ知ることである。
ああ、テントを組み立てるだけでこんなに時間がかかる。この班、大丈夫だろうか。
気を取り直して、シアは班員に指示を出した。
「じゃあ、今日の晩ご飯を集めるよ。ここに釣り竿があるから、ヒュウガとアルテミスはそこの湖で魚釣ってきて。で、クリとアイリーは薪集めね」
しれっとテリーヌを名字の呼び捨てにしているシア。どんだけ嫌いなんだ。
と、クリがその言葉を聞いて慌てた顔をした。シアの袖を掴んで、ぶんぶんと首を振る。
本人がいるから口には出せないけど、テリーヌと一緒は嫌、ということらしい。
シアは「あ、そう?じゃあ、ヒュウガがアイリーと」と言いかけると、今度はヒュウガがぶんぶんと首を振った。
声こそ出していないとはいえ、仮にも本人の前である。
嫌がりすぎだろ。どんだけ嫌いなんだ。
このまま嫌がられ続けるのもかわいそうだし、仕方がないのでアルテミスは言った。
「じゃあ、わたしテリーヌちゃんと薪集めてこようか。ヒュウガくんとクリくんは魚釣ってきて」
「「っ!!」」
いいの!?という目の二人。なんかかわいい。
「いいよ。任せなさい」
えっへんと胸を張る。ヒュウガとクリは「ありがとウルフ」「お前いいやつ」と目をキラキラさせている。
シアが心から悲しそうな声で囁いた。
「ごめんね、汚れ仕事押しつけちゃって」
「汚れ仕事て」
アルテミスはつっこむ。殺し屋の依頼じゃあるまいし。
ここではっとした。
あれ?そういえば。
「シアちゃんは何するの?サボり?」
シアだけなにも役割がない。
そう思って聞けば、シアは心外だと言わんばかりに目を瞠る。
「失礼な。あたしがそんなことする人間に見える?」
「割と」
「おい」
シアは入学したばかりにして、提出物遅れ常習犯である。
軽妙なやりとりで軽くふざけたあと、シアは「あたしは火おこしをやっとくよ」と言った。口に指をくわえる。
ぴゅーっと澄んだ音を響かせると、やがて空の向こうから小さな影が近づいてくる。それは大きく翼を広げ、シアの腕にとまった。アルテミスはその姿に納得し微笑む。
「そっか。ココアを使って火おこしするってことね」
「そういうこと」
そう、飛んできたのはシアの相棒ココア。最近忙しくて遊んでやれなかったらしく、いつも以上に力強くボウッと炎を吐いている。
さあ、役割分担も決まったことだしあとは動くのみ。アルテミスは立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるよ。シアちゃん、留守番よろしくね」
「あいよ」
快い返事を聞き、アルテミスは薪を入れる袋を手にテリーヌと森の中へと入っていった。
さて、安易な気持ちでテリーヌとペアになってしまったアルテミスだが。
(帰りたい……っ)
早速後悔していた。
テリーヌが自由人すぎるのだ。
そこまで強く人に注意できるわけでもない引っ込み思案のアルテミスと、ゴーイングマイウェーで自分の欲求に正直なテリーヌはあまりにも相性が悪かった。
薪を集めてくるはずなのに、拾っているのはアルテミスばかり。
テリーヌのほうはと言うと、
「わあ~っ、リスだぁ」
「かわいそうだからやめてあげて!?」
魔法でリスを振り回し(見かねたアルテミスが呪文を解いた)、
「疲れたあ。もう帰るぅ」
「まだそんなに歩いてないよ……」
暇さえあれば木の下に寝転び、
「えい。えい」
「……」
あまつさえ真面目にやっているアルテミスに杖でちょっかいを出す。
(ガルルル……)
温厚なアルテミスも、さすがに心の中で牙を剥いた。
そんな不愉快な気持ちを露知らず───あるいは無視をしているのか───、テリーヌは楽しげに言う。
「ねえアルテミスちゃん、ずっと思ってたんだけどぉ。そんな汚い木集めてどうするのぉ?」
「えっ?どういう……」
アルテミスはその問いにきょとんとした。
えっ、木集めてどうするって、どういうこと?言われたではないか、自分たちの仕事を。ついさっき。
え?この人って耳ないのかな?何も聞いてなかったのかな?まさか、え、これ何かの引っ掛け問題?騙されてる?
最早不審に思いながら、アルテミスは恐る恐る返す。
「どうするって……燃やすけど。薪集めてこいって言われたじゃん?」
愚問、だよね。愚問愚答だね。そんな当然のこと聞かれたら、こっちが何か重大なミスを犯してるんじゃないかって不安になるんですけど。やめてもろて。
えっ、もしかして忘れてる?耳じゃなくて大脳が死んでんのかな?それとも若年性認知症?こわっ。
やば……みたいな引き気味の顔のアルテミスに、テリーヌは尚も続ける。
「アルテミスちゃんは平気なのかもだけど、あたしはそれ触れないなあ。だってあたし、名家のお嬢さまだもん」
そう言ってにっと笑った。
(はっ……!)
名家のお嬢さま。
その単語にアルテミスは、ぴしゃーんと雷が落ちた気がした。
そっか。今閃いた。
なんでこんなに頭がぱっぱらぱーなのか。それはたぶん、お嬢さまとしてべたべたに甘やかされてきたからなのだ。きっと箱入り娘なのだ。
だから人との付き合い方が分かんなくて、無意識にあんな感じになっちゃってるんだな。
ああ、納得、納得。わたし天才。むふ。
まあもちろんそう言う訳ではなくて、テリーヌは齢7にして自分のディスりに歪む顔を見て愉しむという大変個性的な癖をお持ちの方であるのだが、当然テリーヌの倍以上生きているはずのアルテミスには全く理解の及ばない領域なのである。
アルテミスをディスってもあんまり効果はない。アルテミスをよく知るものたち───そう、例えば今高校で授業を受けているのであろう親友であるとか───の間の共通認識であった。
なんだ、人との付き合い方がわかんないだけか。不器用でかわいいじゃん。アルテミスは先ほどまでの不愉快など秋晴れの空のように消え失せ、にこりと笑った。
「だよね、やっぱテリーヌちゃんってお嬢さまだし、木の棒とか拾ったことないよねー。警戒しちゃうのもしょーがない」
「……ん?」
あれ?あんなはっきりディスったのに効いてないぞ?と思うテリーヌ。
アルテミスは晴れやかに微笑んだ。
「でも頼まれちゃったからさ。せっかく二人いるんだし頑張ろうよ。執事の人とかに誉められるのもいいけどさ、やっぱり友達からの褒め言葉って別格だよ」
ね、と笑う。テリーヌは青天の霹靂だった。
ディスっても何の反応もない。鋼のメンタルの可能性もなくはないが、分かっていて無視している様子もない。すなわち。
(この世界に、こんなに鈍いおめでたいやつがいるなんて!テリーヌびっくり!!)
まあ、アルテミスはよく言って天然、悪く言っておめでたいやつである。本人もみんな言ってくるから理解はしているが、あんまり分かってもいない。
愕然としているテリーヌを置いて、アルテミスは作業に戻った。
十分後。
相変わらず薪拾いをしてくれないテリーヌに、何度も注意したものの結局諦めたアルテミスは普通に薪を拾っていた。
薪は燃やすものなので、水分のなるべく含まれない木を選んで鞄に入れる。そのため軽いのだが、何本も某ネコ型ロボットのポケット的な仕組みの鞄に際限なく放り込んでいるのでさすがに重くなってきた。額に汗が滲む。今は何本目なんだろう。百超えてたらすごいな。
と、後ろをふらふら歩いていたテリーヌが声を上げた。
「ねえ、アルテミスちゃん。ここから二十分くらいまっすぐ歩くとね、崖があるんだって。そこから見る海がすっごく綺麗らしいの。いいねえ」
また、変なことを言っている。アルテミスは呆れたように返した。
「そうだね。だってここはアテナの敷地内だもん。アテナは島の上に建つ学校でしょ、そりゃ周りは海だよ」
遮るものも何もないのだから綺麗なのも当たり前。まあ海なんて洋館から日常的に見てるし、今更感動するものでもないが。わざわざ崖まで行って見る意味も分からないし。
と、テリーヌがすたすたと急にしゃっきりして歩き、アルテミスを通り越して奥へ進んでいく。
おっ、やっと手伝う気になったのかと顔を輝かせるアルテミスだが、すぐ足元に落ちたちょうどよさそうな薪も無視して進むテリーヌに違うのだと理解する。
なになに急に?
「て、テリーヌちゃん?どこ行くの?」
くる、とテリーヌが振り返った。鷹に似た黄色い瞳がにっと細められる。
「どこって、その崖に行くんだよぉ」
思考が停止した。
そして一瞬で脳裏を埋め尽くす疑問符。
「?????」
何言ってんだこいつ。
シンプルな感想である。
崖?なんで?自分たち薪拾いしてこいって言われた訳であって、決して絶景を見てこいと言われた訳じゃ。
宇宙猫ならぬ宇宙狼になっているアルテミスに、テリーヌはくすくすと笑う。
「だって暇なんだもぉん。薪拾いなんて庶民のすることであたしのすることじゃないしぃ、あたし友達に誉められるとかマジでどうでもいいし。することないから、じゃあ噂の海でも見に行こうかなって思ったのぉ」
きょとんと立ち尽くしていたアルテミスだが、はっと我に返った。
(よう分からん理由でサボろうとしているっ)
やばいやばい意味分からん。高校生のときもそこそこの成績だったわたしだけど、一年生の言葉はガチで理解できん。
でも、とりあえず止めなくちゃ。何でもかんでも自分勝手に動かせてなるものか。
「待って!行っていいわけないでしょ!」
テリーヌはぞっとするほど濁った瞳で笑って、
「あたしはお姫さま。縛られるのは嫌いなの」
杖を構える。
まさか杖を出すとは思わず驚くアルテミスに杖先を向け、くる、と動かすと、ぼっと黒い炎が吹き出る。
最近習った、毒を持つ炎の魔法。そこまで脅威の魔法でもないが、触れてしまえば毒素でしばらく動けない。
「……!」
防がないと。今ここで戦闘不能になるのはまずいっ。
アルテミスは杖を振った。
この魔法を相殺する何かが出ればそれでいい。ただそう思って。
そのときだった。
杖がぱっと一際明るく銀色に光り、杖先から離れて形を取った。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。四肢があった気がするがそれも分からない。姿を現したかと思うと一瞬で掻き消えてしまった。
それでも、その光が触れた瞬間に黒い炎は勢いを失いすぐに消えてしまった。
得体の知れない魔法に、アルテミスは茫然と杖を見つめる。
あんな魔法、習っていない。杖から出した光を形に変えて攻撃する魔法なんて───
(……って、はっ!テリーヌちゃん!)
気になったことはついつい考えてしまうのは悪いくせだ、と思いながらアルテミスは慌てて顔を上げる。
案の定、もう彼女の姿はなかった。完全にあの魔法は偶然なのに、なんだかしてやられた気分だ。
ずしり、と鞄の紐が食い込んだ。
アルテミスは鞄を手に抱え来た道を戻る。
勝手に行ったんだから好きにさせておけばいい?否。
この森にどれだけ魔法生物が生息していると思っているのだ。一年生ではとても太刀打ちできないようなのもきっといる。
追いかけないと。
アルテミスは黒い尻尾をなびかせ、土を蹴った。
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