1 全ての始まりは望月の黄昏に

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 やってきた警察から事情聴取をされ、気がつけば檻の中に入れられていた。  留置所、というのだろうか。捕まえた犯人の身柄を拘束するための、頑丈な檻。  理不尽だとも思ったし、仕方ないとも思う。  異形のモノを持った化け物は、犯罪者と同じ扱いを受けるのだ。例え、家族を守ったものであろうとも。  壁にもたれ、少女はため息をつく。  わからないことだらけだ。さっきの狼の正体も、今どうしてこうなっているのかも、自分は何の生き物なのかすらも。何もわからない。  胸の苦しさは取れていた。今、胸の中に暴れていた獣はいない。ただ壊された檻があるばかりである。  何もわからなくて、胸の中が寂しくて、疲労と貧血で気分が悪くて、少女はもうどうでもよくなっていた。  早く帰りたい。『化け物なんて言ってごめん』『ありがとう』『家に帰ろうか』そんな言葉だけを欲していた。  もう、言われることはないんだろうか。  化け物として家族に忌み嫌われ、死刑囚のように首を吊って死ぬんだろうか。  そんな死に方嫌だ。  けれど、自分の意見が聞かれることはきっとない。  ◇◇◇  数日後のことである。 「君は人狼だ」  檻越しに、自分を一目見て医者はそう言った。  家族が寄越した、心霊系の症状も診断するという医者。その医者が少女をじっと見つめ、そう言った。  少女は死んだ目で医者を見返す。 「人狼?」  医者は頷いた。  人狼。満月の夜に人を襲う、半人半狼の怪物。人間のように手足を使い、狼の牙と爪を持つ。  医者の話曰わく、人狼は人間と狼が合わさった姿以外にも普通の狼と人間の姿がとれ、普段は普通の人間として街に潜んでいるのだという。  医者は少女の尻尾と耳を指差した。 「君の尻尾も耳も、狼のものによく似ているだろう。日本で動物の一部分と人間の姿を持つ妖怪は人狼の他に狐狸や猫がいるんだが、そういうのには見えないはずだ」  少女は作り物のように横たわる尻尾を見た。確かにその尻尾は狐狸より黒く猫より太い。  医者は続ける。 「それから君を襲ったのもまた人狼だ。人狼は満月の日にだけ凶暴になって人を襲う、というのは知られた話だからな。君は恐らく、やつに噛まれたことで人狼になったんだろう」 「そんなことあるんですか」  少女は問うてみる。人狼に噛まれたら、自分も人狼になってしまうなんてそんなことあるのだろうか。  医者は首を捻った。 「いや、そんな話は聞いたことないんだが……でも、妖怪についてはわからないことのほうが多い。知られていないだけで、そうかもしれないだろう。事実、今回のケースはそれが一番辻褄がいくんだ」  少女は一切顔色を変えずにそれを聞いていた。この檻の中から出られるまで、自分は表情を取り戻せない気がする。  年頃の少女というより感情の読めない獣に似たそのただ黒い瞳にうろたえながらも、医者は話を続けた。 「それでだな、君の家族から言付けを預かってきた」  少女は少しだけ目を瞠った。言付け?ここに来てから一回も顔を見せていないのに。  医者は懐から何かを取り出した。  二つの瓶だった。一つはコップ一杯くらいの瓶で中にオレンジ色の液体が入り、もう一つは小さじ一杯くらいの瓶で透き通った液体が入っている。  医者はまずオレンジ色の液体の方を取った。 「これは、君にとって必須の薬となるだろう。狂暴化を抑える薬だ。狐のあやかしと名乗るやつに教えてもらった」  満月の前夜に飲むと狂暴化を抑えられるらしい。ただ、飲んだ次の日は副作用で一日人間の姿はとれないそうだ。  少女はその瓶を受け取って手の中で弄んだ。オレンジ色の薬は不味そうに粘っこく揺れた。  続いて医者は小さい方の瓶を持ち上げる。 「それから、これ。これは、しっかり考えてから飲んでほしい」  少女はゆっくりと顔を上げた。 「どうしてです?」  その無機質な獣の瞳を、医者は見つめる。重々しく口にした。 「これが姿薬だからだ」  驚く少女に、医者はこう語った。  少女の両親は『幼児化させて無力化させ、いざというとき物理的に押さえ込めるようにしたい』とのことで、この薬を飲めと言っていること。  この薬の効果は動物実験で検証済みで、飲めば十年少し前の姿になるのは確実であること。  人体実験はしていないので意識の方がどうなるかはわからず、記憶を失うことも考えられること。  何にせよ、飲んでしまえばもとの生活には戻れないこと。 「君の親御さんは、薬を飲めば家に戻すことも考えるとおっしゃっている」  医者は言った。  待ち焦がれていた言葉に少女の尻尾は立った。  しかしその天秤の反対側にかかるのは、高校生活と大好きな友達───。 (……けど、飲まなかったらこのまま檻の中のままじゃない?)  いつかはここから出られるかもしれない。しかし、出られたからと言ってどこに行けばいい?家族は受け入れてくれないのに……  しかも、今少女は無一文。四面楚歌、八方塞がりだ。  それだったら、もう答えは一つしかないだろう。  少女は物思いから現実に戻る。医者をじっと見据えた。 「説明ありがとうございます。わたし、飲みますね」 「えっ、ちょ……」  少女は瓶を手にとって、医者の言葉も聞かずぐいと飲み干した。冷たい苦味が喉を滑り落ちていく。 「家族と、警察の方に伝えておいてもらえますか」  少女は相変わらず表情のない声で言った。
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