2 少女は竜を連れて微笑む

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 ◇◇◇  ひゅっ、と胃が浮く感覚がアルテミスを襲い、思わず目を閉じる。  しかしそれも一瞬で、すぐにスノーの足が地につくのを感じた。冷たく澄んだ風がアルテミスの毛皮を揺らす。 「ついたよ」  スノーはアルテミスを下ろす。 「ここが、魔法の国ハルタ王国だ」  アルテミスは黒曜石の瞳をおもむろに開いて、「わぁ……」と歓声を漏らした。  目に飛び込んできたのは、道に残る白い雪。そして、レンガ造りの家と店が並ぶかわいい街並みだ。通りを歩く人々は杖を持ちローブを羽織って、いかにも魔法使いという感じである。  そして、青い月が辺りを優しく照らしていた。  ここが、ハルタ。  わたしが暮らすことになる国だ。 「素敵な国ね」  そう言葉を漏らせば、スノーは誇らしげに胸を張った。  さて、今日はもう夜更けである。入学のために買わなくてはならないものは山ほどあるのだが、時間も時間であるし獣二匹で買い物は難しい。  よって今日はスノーの知り合いの家に泊まることになった。名前は、ジェーンというらしい。 「校長が学生だったときのクラスメイトだったんだよ。面識もあるから、何かと良くしてもらえるんだよね」  スノーはそうご機嫌に語った。  しばらく通りを歩いて一つの家にたどり着く。赤レンガで作られた、こじんまりとしたかわいい家。赤い三角屋根を乗っけてちまっと立つ姿は、童話に出てきそうだ。  スノーは後ろ足で立ち上がってがりがりと扉を引っ掻いた。「はいはい」と声がして、ガチャリとドアが開く。  出てきた若い女性───ジェーンは、なんだかふくろうのようだった。ふっくらと丸い体つきで、大きな丸い瞳が驚いたように瞠られている。こてんと首を傾げればもふもふしたふくろうそのもので、かわいらしかった。  ジェーンは不思議そうな顔をする。 「スノー様……こんな夜更けにいかがなさったのです。それから、その黒い狼は……」 「この子のことはあとで話すさ。とりあえず、今日は僕とこの子を泊めてくれないか」  スノーが微笑めば、ジェーンはまだ腑に落ちない顔ながらも了承し中に通してくれた。  中は暖色系の家具でまとめられていて、暖炉の中で炎のきつねが跳ねて遊んでいる。軽やかに飛ぶたび、パチンと火の爆ぜる音がした。  スノーはアルテミスの頭に前足をぽんと置いて説明した。 「この子はアルテミス・ウルフ。アテナのスカウトだ。人間の世界から引っ張ってきたんだよ。で、今はいろいろあって狼の姿をとってる」  当然、何もかもあけすけに話すことはない。それは当たり前なのだが、アルテミスはどこか安心していた。  ジェーンも納得してくれたようだ。くりくりのまん丸な目が糸のように細められた。 「まあ、スカウトなんて一体何年ぶりなんです。喜ばしいですね」 「本当だよ。最近はハルタの周辺だと優秀な魔法使いはなかなか生まれないからね、思いつきで人間の世界に行ってみたんだ。過ごしにくかったけど、行って正解だったよ」  スノーは楽しげに語った。  アルテミスは戸惑う。  なんかよくわからんけど、スノーが様付けされてる。これ、タメはまずいんじゃ。  と、それを素早く察したスノーが金色の瞳を向けた。 「ジェーンさんとかは敬語で話してくるんだけど、僕は正直そんな堅いの好きじゃないから。アルテミスまで様付けとかほんとやめてよ」  アルテミスは少し驚いた顔をした。 「いいの?敬語じゃなくて」  確認で聞いてみると、スノーは何の躊躇いもなく頷いた。軽くあしらうようにぱたぱた尻尾を揺らす。 「いいってば。ガキはガキらしく無礼に振る舞っときゃいいんだよ」 「なっ。なんだとっ」  ガキと言われたアルテミスが軽い怒りに毛を膨らませ、「ガルルル」と狼然とした仕草で唸る。するとスノーも「グルルルッ」と牙を見せ、早速睨み合いが始まった。  ジェーンはにこにこ笑いながらしばらくそれを見ていたが、やがて喧嘩になりそうな雰囲気を察し慌てた声を上げた。 「はいはい、二人とも喧嘩しないの!もういい子は寝る時間ですよ!」  お母さんのような言葉にはっとした二人が座り直し、気を取り直す。  ジェーンはやれやれと笑って、客室に案内してくれた。スノーを従えアルテミスを抱き上げ、ジェーンは廊下を歩く。 「うちは狭いから客室は一つしかないけど。いい、アルテミスちゃん?」 「はい、大丈夫です」  そう頷けば、ジェーンはにこりと笑いかけてくれた。 「ジェーンさん、明日の朝ご飯よろしくね☆あ、できたら僕メロンパンがいい」 「どこまでも図々しいですね……」  悪びれもせず朝食のリクエストをしてくるスノーに呆れながら、ジェーンは二人を部屋に入れた。  部屋はそれなりに広くて、やっぱり暖色系の家具がたくさん置いてあって、棚の上にはスノードームが置いてあった。ドームの中でちょこまか動く小さな少年と犬が雪遊びをしている。めっちゃかわいい。  アルテミスはそれを眺めてから、ソファーの上に乗った。 「ベッドはスノーが使っていいよ。わたし普通にソファーで寝れるから」 「マジ?よっしゃあ」  スノーはご機嫌にベッドの中にぼふんと飛び込んだ。埃が舞うからやめていただきたい。  しばらく横になっていれば、すぐにすやすやとスノーの寝息が聞こえてきた。アルテミスは今日を思い返す。 (長い一日だったなあ……)  『家族は迎えにこない』ことを知ったのがとうの昔のことのようだ。たくさんのことがあって、頭の中がいろんな感情でいっぱい。  けれど一番広い面積を占めるのは、新しい人生を歩み出すことのわくわくだ。黄色く輝いて、アルテミスをふわふわと楽しい気持ちにさせる。 (今日、眠れるかな)  そう思ったけれど。  数分後には、アルテミスは眠りに落ちていた。
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