2 少女は竜を連れて微笑む

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 アルテミスはしばらく、何もなくなった虚空を眺めていた。  しかしやがてキャスケット帽を目深にかぶり直すと、黒い髪を翻してそこを去る。  近くに宿屋があったので、一週間の間はそこに泊まることにした。お金はスノーから預かっている。  カラン、と玄関のドアを開けて中に入ると、受付嬢が手を止めてこちらを見た。一人きりでやってきた大荷物の小さな子どもに、不思議そうな顔をする。  その人にアテナの新入生であり入学式の日までここに泊まりたいことを説明すると、彼女は「ああ、なるほど。承知いたしました」と納得してくれた。それから困ったようにすっとした眉を寄せる。 「お客様、今日はシングルの部屋は空いてなくて……ファミリー向けのお部屋でよろしいでしょうか?」 「もちろんです」  大部屋を一人で使うなんてむしろ贅沢ではないか、とアルテミスはためらいなく頷く。受付嬢は安心したように微笑んでチェックインの手続きを済ませ、部屋の鍵を渡した。  と。  ゴウ、と強く風が吹いた。  新たな客がドアを開けたタイミングで風が吹いたようだ。 「あっ……」  頭がふわりと軽くなる。  見れば頭に乗せていたキャスケット帽が風に煽られ浮かび上がっていた。手を伸ばそうとするも届かず、帽子はあっという間に飛んでいく。  どうしよう。また、帽子買わないといけない。  そのとき。  何か速い、翼の生えた鳥のような生き物が風を切ってビュウと飛んできた。  それは一度翼をはためかせると稲妻のような勢いで空を滑り帽子を咥える。そうしてアルテミスの頭の上を通り越してまっすぐ帰っていった。  その動きを追って、アルテミスもその生き物が向かった先───後ろを振り向く。  そこには、先ほどの生き物がいた。鳥ではない。羽毛はなく、くちばしもなく、代わりにコウモリのような翼と大きな角、全身を覆う黄色い鱗がある。  その姿かたちは、漫画やアニメで見るような竜そのものだった。 (りゅ、竜……!?)  アルテミスは思わず目を瞠る。  そして、その竜は一匹でいるのではなかった。飼い主らしき幼い少女にそのトカゲに似た顔をすり寄せている。  アルテミスは少女を一目見て、思わず息を飲んだ。  そのアルテミスと同じくらいに見える少女は、びっくりするほど美しい外見をしていた。陽光を反射してキラキラと輝く金髪、新雪のように真っ白な肌に、大きく澄んだ真っ青な瞳。どこをとっても美しく、非の付け所がないほどだ。  その少女は長旅でもしてきたように大きな鞄を抱え、それから年季の入った金色の鳥のお面を斜めがけにしていた。  少女は竜から帽子を受け取って、にこやかに渡した。 「はいこれ!」 「あ、ありがとう……」  アルテミスはそれを恐る恐る受け取ってかぶる。  少女がチェックインをたどたどしくする間、アルテミスはその少女をじっと見ていた。その真っ黒な双眸は竜に釘付けだ。  その内気で人見知りな性格ゆえに話しかけようか迷ったが結局好奇心が先立って、手続きが終わったときアルテミスは口を開いた。 「その子は……?」  少女が青い瞳をアルテミスに向ける。少しだけ首を傾げたが、『その子』が自身の肩に乗る竜であると気づいたらしい。すぐ、誇らしげな顔に変わる。 「こいつのこと?こいつはねえ、あたしの“相棒”だよ」  少女は楽しそうに笑う。壁画に描かれる天使のような容貌とは裏腹に、やんちゃな喋り方だ。  少女ががしがしとその竜の頭を撫でれば、竜はギャッギャッと楽しげに吠える。 「こいつはココア。かっこいいでしょ。大人になったらもっと大きくなって、もっとかっこよくなるんだよ。琥珀竜ってやつで、今はまだ薄い黄色だけどでっかくなればもっと綺麗な金色になるんだ」  おっきな瞳をきらきらさせて饒舌に語る少女。  普通の魔法使いの子どもが竜についての知識をどれだけ持ってるんだか知らないが、この年齢にしてはずいぶん詳しい気がする。もしかして竜が好きなのだろうか。  それを聞いてみれば、少女はすぐに首肯した。 「うん!あたし、竜めっちゃ好きなんだよ!」  だろうな、と思った。好きなことになるとついつい長く語ってしまうのは全人類共通のようだ(アルテミスはもう人類ではないけれど……)。アルテミスも部活やアニメの話になると饒舌になってしまう。  少女は髪を揺らして早口でまくしたてる。 「まあ、もともとそうでもなかったんだけど、道で怪我してたココアを家で飼いだしてから竜のこと大好きになって、いっぱい調べたんだ。知ってた、竜っていっぱい種類がいて、かっこよくて、すっごい強い生き物なんだ!」  そう熱弁していた少女であるが、不意にしゅんと俯いた。 「けど、竜ってみんなに悪いやつって勘違いされてて。琥珀竜とか、狂暴じゃない種類もちゃんといるのに、竜は危ないからみんな殺すんだって言うやつがいっぱいいるんだ」  と、ここで少女はぐっと拳を握って顔を上げた。 「だから、竜の研究者になって本とか書いて、そういうやつをゼロにするのがあたしの夢!で、それを叶えるためには勉強しないといけないからあたしは一人でアテナに来たの!」 「えっ、あなたもアテナの生徒なの」  アルテミスは少し目を見開いた。少女は頷いて、「今年入学するよ」と言う。  どうやら、同い年のようだ。そして彼女曰わく、少女の両親は質の高いハルタでの教育が竜の研究者になるための足がかりに、ひいては不幸な竜たちを一頭でも減らす夢を叶える大きな力となると考え、わざわざ隣国から列車を乗り継いで一人でここにやってきたようだ。 (同い年なのに、あんなに明確に将来の夢が決まってるんだ……)  いや、本当は同い年でもなんでもなくて、こっちのほうがはるかに長く生きている。しかし未だにアルテミスは、将来の夢を見つけられていない。  それに比べてはっきりとした夢を持ち、それに向かってまっすぐにひた走る少女が、アルテミスには眩しく見えた。  アルテミスはふっと微笑んだ。 「いい夢じゃん。わたし、応援するよ」  少女が顔を上げた。そして、ぱっと大輪の花が咲くような笑顔を浮かべる。 「ほんと!?ありがとう!」  その明るい空気は黄色く色がついているようで、触れれば自分の気持ちまで明るくなってくる。  魔法みたいだな、と思った。  ◇◇◇  それからしばらく話をして、二人はすっかり仲良くなった。  ロビーできゃいきゃいと盛り上がる二人に受付嬢から提案された「お二人ともすっかり仲良しさんですし、特別に部屋を一緒にしてあげましょうか?」といういいのかどうかわからないが嬉しい気遣いに甘え、二人は鍵を手に部屋へ向かっていた。 「ええーっ!あんた、スカウトなの!?」  その道中でなぜアテナを選んだのか聞かれたので正直に答えると、少女はラピスラズリみたいな深い色の瞳をまん丸に見開いた。 「スカウトって超珍しいんでしょ!?受験受けなくていいんでしょ!?いいなあいいなあ、あたしお勉強できなくて、ギリギリで合格したんだもん。スノー様とお話できるのも羨ましいよぉ」 「……そんなに?」  妬みが立て板に水のような感じで延々と流れてくるのに、アルテミスは困惑の表情を浮かべた。  入学の過程は確かに恵まれているかもしれないが、あの経験は絶対に誰にもしてほしくない。  脳が焼き切れるような痛みに耐え命を賭して守った親から向けられる、侮蔑と恐怖の瞳。助けに来てくれると期待していたときに人伝てで捨てられたことを知ったあの絶望。  あんなのは、みんな知らなくていい。わたしだけでいい。  なんて、言えるわけないのだけれど、ね。 「あたしが頭悪いからって、捨てないでね?」  そんなことは露ほども知らない少女が、むっと頬を膨らませて言う。アルテミスとは違い、濁りのない瞳だ。 「捨てるわけ、ないでしょう」  アルテミスはにこり、と笑った。  大切な人から捨てられる痛みを一番知っているのは、わたしなんだから。 「そういえば、自己紹介してなかったね」  エレベーターが目的の階についてチン、と合図の音を響かせたとき、はっとしてアルテミスが言う。少女も「あ、確かに」と目を丸くした。  エレベーターを降りて歩きながら、二人は遅すぎる自己紹介を交わす。 「わたしは、アルテミス・ウルフ。アテナ魔法学園の新入生です」  そう言えば、少女も楽しそうに言った。 「あたしは、シア・マルゴー。アルテミスと同じ、アテナの新入生だよ」  少女───シアはココアを指にインコのようにとめて、青い瞳を細める。  アルテミスもまた、真っ黒な瞳を細めた。 「じゃあ、シアちゃん。よろしくね」 「シアでいいよ。でも、うん。よろしくね、アルテミス」  シアは琥珀色の竜を肩に乗せ、まるい頬を赤くして微笑む。  ここにきて初めてできた、アルテミスの友達。  友達がいるだけですべてうまくいくような気がするのは、なんでなんだろうな。
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