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3 魔法学園と名家の二人
さて。
今一度、『アテナ魔法学園』とは如何なる学舎であるのか今一度説明しておこう。
ハルタ国立アテナ魔法学園。魔法の世界では名の知れた、世界でも指折りの名門校。他の魔法学園とは比べ物にならないハイレベルな教育を施す学校である。
学校は九年制。入学年齢は六歳である。つまり六年間初等部で勉強したあと進学し中等部に入って、それから卒業という流れとなる。生徒は寮に入ることを義務づけられ、二人一部屋で寝起きすることとなるのがアテナの決まりだ。
校名に知恵と戦いの神アテナの名前をいただいているだけあって、アテナ魔法学園は勉強も魔法も頑張る文武両道な学校だった。
◇◇◇
そして今日は、待ちに待った入学式の日である。
いつもは人気のない桟橋は、希望を胸に抱えたアテナの生徒たち、それから見送りにやってきた親たちでごった返していた。
その人混みに、宿屋でのチェックアウトを済ませたアルテミスとシアは怖じ気づいてたたらを踏んでいた。元気に喧々たる鳴き声をあげていることが多いココアも、今日ばっかりは尻尾を情けなく巻いている。
「人、多いね……つぶされちゃいそう」
アルテミスが荷物を詰めたトランクを抱えて不安そうな声を出した。そのキャスケット帽に隠された尖った耳はしゅんと伏せられている。首輪の欠けた月を隠すように首を飾る制服のリボンも、怯えた蝶のように揺れた。
と。
ボォォォォォ───……
呑気で巨大な獣が吠えているような汽笛が空に轟いた。
見れば、大きな黒い影が波を掻き分け掻き分けこちらへ近づいてくる。
船だ。とにかく大きく荘厳で、まるで豪華客船のよう。
これこそ、恐らくスノーが言っていた船。これに乗ってアテナへと向かうのだ。
人混みがざわざわと動き出した。
あの船にもし乗れなければ、アルテミスもシアもアテナには行けない。バスでも電車でもないのだ。乗り過ごしたって次の便は来ない。
人混みに臆している場合ではないのだ。
シアはくっと覚悟を決めたように唇を引き結んで、まだ怯えているアルテミスの小さな掌を自分の掌で包んだ。
アルテミスはぴくん、と狼の耳を揺らして驚く。
「……!」
「手、繋いどこう」
シアは安心させるようにそう微笑んで、きゅっとその手を握る。優しいその仕草に、アルテミスも大きく目を瞠ってから嬉しそうに微笑んだ。
ココアもはぐれないように、アルテミスの首に尻尾を巻きつけて炎をボゥと吐く。彼もまた、覚悟を決めたようだ。
「行こうか」
まるで戦にでも行くように、二人と一頭は人混みの中へ足を踏み入れた。
海の波に揉まれる小さな魚のようにごった返す人々をかわし、アルテミスとシアは何とか船に乗り込んだ。
中には二人で一ペアになっている座席がたくさん並んでいた。すでにたくさんの人が乗り込んでいて、開いている席は少ない。アルテミスの手を引いたシアは大慌てで空いている二人席に座った。
ちょこんと腰を落ち着けてから、ふう、と二人でため息をつく。
「座れたねえ」
「よかった、よかった。船の中なんかで立ってたら酔っちゃうよ」
仲睦まじく顔をすり寄せれば、ギャッと楽しげにココアが鳴く。
(平和だぁ……)
このまま行けば、アルテミスはきっと平安でわくわくな魔法学園生活を遅れるに違いない。安寧秩序、それこそ一番よい学校生活である。
ほんわかした光景に頬を緩めたそのとき。
「席ぃ、ないなぁ~……」
間抜けに伸びたやたら高い声がアルテミスの耳を揺らした。
なんだろうと気になって、ちろり、と真っ黒い黒曜石の瞳をそちらに向ける。
一人の幼い少女がいた。羽織ったアッシュブルーのマントを止めるボタンについた宝石の色は黄色。一年生の色は黄色だと決まっているらしいから、彼女はきっと同い年だろう。
座るところがないみたいだ。
けれど、みんな譲ろうとしない。上級生も同級生も口に手を当ててひそひそと囁いている。その目は揃って、嫌そうに細められていた。
「……?」
アルテミスは首を傾げる。みんな、どうしたんだろう。あの子のこと、知ってるのかな。
と、ボォォッと汽笛が鳴り響く。出発の合図だ。
このままじゃ動き出しちゃう。でも立ったままだと危ないかもしれない。でも初対面だし怖いなあ、話しかけられないよ。でもでも、ああどうしよう、どうしよう……。
と、ガタン、と振動が足に伝わった。ぐらりとその体が揺れる。
アルテミスは勇気を振り絞って立ち上がった。
「あ、あの……!」
くるり、とバランスを取り戻した少女が後ろを向く。アルテミスは緊張に震える手で席を指差した。
「あ、危ないよ。席、座らない?」
どよっ、とその場がどよめいて、少女の目がぱっと輝いた。
「助かったよぉ!足、疲れてたの!」
礼も言わずに、少女はどかっとアルテミスの座っていた席に腰を下ろした。
彼女の代わりにアルテミスは立つことになってしまったがまあ仕方ない。アルテミスは近くに手すりになりそうな突起を見つけ、そこにしがみついて立った。
「……」
シアはくりっとまるい瞳をどことなく不機嫌そうに、警戒するように細めて少女を見つめている。アルテミスもまた、じっと少女を観察した。
茶髪にトパーズみたいな黄色い目をした少女である。姫カットになった髪はアイロンで巻いてハーフアップにしてからフリルのついた大きなピンクのリボンで留めている。そのリボンの刺繍は凝った作りで持つトランクもあちこち飾り立てられており、ぱっと見はお嬢様という感じだ。しかし顔はにたりと笑っていて、正直野蛮とかまでは行かないが品があるようにはあまり見えないかもしれない。
まあこのまま黙ったままなのも気まずいなと考え、アルテミスはじゃれつくココアを撫でてから話しかけた。
「ねえ、あなたも新入生だよね?」
「そうだよぉ」
やっぱり伸びた間抜けな声で返答を返す少女。のんびり屋さんなのかな。
せっかく引っ込み思案だったあの高校生の自分とは別の人間(じゃないけど)としてここに来たんだしこの際人見知りも克服してしまおうと、アルテミスはキャスケット帽を目深にかぶって微笑んだ。
「わたしはアルテミス・ウルフ、あなたと同じ一年生。隣の子はわたしの友達で、シア・マルゴーって言うの。あなたの名前も教えてくれる?」
「っ!!とっ、友達……っ」
そう言って少女の前で首を傾げれば、隣でシアが“友達”というワードに反応して繰り返す。
なぜ反応したのかわからずに、アルテミスは思わずぎょっとそっちを見た。えっ、なんで反応し……はっ、まさかわたし、変なこと言っちゃった!?向こうは友達って思ってなかったのかな!?
「えっ嘘、友達じゃなかったっけ!?」
と、幸いにもシアは大慌てで頭をぶんぶん振って否定した。
「いや、そりゃ友達なんだけどっ!!なんかこうはっきり言ってもらえると嬉しくて!!」
シアは拳を握って叫ぶ。
(……っ)
アルテミスはくっと眉を寄せた。なんだこのかわいい生き物。
かわいすぎてわーっと抱きつきたくなっちゃうアルテミスだがここはまだ友達未満の少女がいるあたりこらえて(変人と思われてはかなわない)、アルテミスは少女を見つめる。
見つめられていることに気づいた少女は黄色い目を糸のように細めた。
「あたしはテリーヌ・アイリー。名家アイリー家のお嬢様だよぉ」
よろしくねえ、と笑ってアルテミスの手を握る少女ことテリーヌ。よろしくねーと手を握り返しながら、アルテミスは考えていた。
(名家とか、難しい言葉知ってるなあ)
一年生で『名家』という言葉がぽんと出てくるのってなかなかいなさそうだ。わかんないけど。自分一年生とあんまり関わったことないし。中学生のとき学校行事で一年生と一緒に活動して「こんな喋るんかこいつら」と引いた人間の一人だし。
魔法の世界の住民ド初心者のアルテミスには、魔法の世界での名家は如何なるものでどなたのお家なのかはわからないが。たぶん、彼女にとっては誇りなのだろう。身なりが豪華なのも納得である。
しかしまあ周知の事実ではあるが、アルテミスは好奇心旺盛な性格。名家とはどのようなものであるのか、気になってしかたない。もう自己紹介を交わしたのである程度仲良くなれているであろうと考え(ちょろい)、アルテミスは話を続ける。
「名家かあ、すごいねえ。アイリーさん家の他には誰がいるの?」
「ええ、知らないのぉ?」
テリーヌはにっ、と黄色い瞳を細める。若干嘲笑しているような仕草である。
しかしアルテミスは自他共に認める鈍感少女だ。嘲笑くらいじゃその悪意には気づかない。アルテミスは人間だったときに友達に「なんかこの世の悪いこと何にも知らずに脳天気に生きてそう」と悪口なんだかなんなんだか分からないセリフを言わしめた女である。
シアはテリーヌの悪意を何となく感じ取った。でも、アルテミスが早く話してくれとわくわくしている様を見て嘲笑が全くの意味を成していないことにも気づく。しかし悪意を感じたテリーヌに説明させるのもなんかなあと思ったので彼女の代わりに説明を始めた。
「アルテミス、あたしもわかるからあたしが説明するよ」
「わ」
テリーヌちゃんに頼んだんだけど。まあいっか、と思うアルテミス。彼女の頭が悪いのではない、断じて。ただ、人の負の感情を感じ取るのが不得手なだけである。
「えっと、まず名家っていうのは、魔法がたくさん使えるすごい一家のことだよ。けど王様より強い魔法使いはいないから、王様の次に魔法ができる家のことね。ハルタには名家が三つ。一つはテリーヌちゃん家だね、アイリー家。一つはあたしの家のマルゴー家、もう一つはドルアント家。この三つが名家で、たくさんのお金と権力を持ってるんだよ」
「へえ」
まさかまさか、魔法の世界での初めてのお友達がものすごい貴族様の娘であったとは。すごい。
テリーヌは説明の機会を奪われたが大して気にするようすもなく、高慢に笑った。
「まあ、そういうことだからぁ。口の聞き方には気をつけてねえ?」
これまたずいぶん、一年生には似合わぬセリフである。しかしアルテミスにとっては、ただふざけているのとしか思えない。にこりと狼とは思えない笑みを返した。
「うん!わたしもここにきてあんまり経ってないしさ、なんか変な言葉遣いとかしてたら教えてよ!」
(鈍っ……)
薄々感じていたことではあったが相当な鈍さに、シアがため息をついたのをアルテミスは知らない。
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